序・邪眼師と花の精
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あのお方がこの世を去ってからいったいどれほど時がすぎたのか。もうだいぶ経っているはずね。けれど相変わらず日差しと風は心地が良く、小鳥たちは愛らしいさえずりを聞かせてくれる。
最近よく見かける方。声をかけても決してお返事はしてくださらない方。時たまひどい怪我をしながらも、それを隠してわたしに会いに来てくださる方。
悲しいような、はたまた氷のように鋭いような、清廉で、激しい炎のような方。
名前を聞いていただいて嬉しかった。とても驚いたけれど、ただ嬉しかった。わたしに名を聞いてくれたのは、遠い記憶に残るあの方の他に、彼だけだから。
「NAMEと申します。」
ああ、うまく答えられたかしら。自分の名を誰かに教えるのが久しく、声は震え、手に力が入ってしまう。
その後、彼は慌てたように去り、しばらく来なくなってしまった。やはり受け答えがどこかおかしかったのかしら。まだ彼のお名前すら聞いていないのに、このままお会いできなくなってしまったら……。だめね、嫌なことばかり考えてしまう。
でも、ひとはすぐにいなくなってしまう。あの方もいなくなってしまった。最初から、一緒にはいられないのは分かっていた。あの方は人間、わたしは木の精。
それから数日後、前方に感じた気配にわたしは固まった。とくん、と一つ心臓が鳴る。
「……お久しぶりです。今日も空が美しいですね。」
いつものように声をかけてみる。すると彼は腑に落ちない様子だった。
「おまえは気配に鋭いんだな。その目の代わりに――。」
近づきながら、じっとわたしの瞳を見ているのが分かる。
「お気づきだったのですね。いつも目線は合わせているつもりでしたが……。けれど、見えずともあなただと分かりますわ。」
胸のあたりがあたたかくなり、思わずふわりと笑みがこぼれる。またお会いできたことが、こんなにも嬉しいなんて。
彼の気配が変わった。あの日と同じ気配。またいなくなってしまう前に、この胸の高鳴りを勇気にしてお願い事をしてみることにした。
「……今日はあなたのお名前を、お聞きしたいわ。」
しばらく彼、飛影と過ごす日々が続いた。どこからかふらりと現れ、わたしの根元に座り眠る。昼間に来るときは日差しが眩しくないように、わたしは枝を彼の上に重ねた。余計な気をまわすな、と決まって彼は言うけれど。
巡る季節を背景に、飛影はいろいろな話を聞かせてくれた。彼がまだ小さい頃のこと、人間界で知り合った妖怪と少年たち、今までの戦いの話、妹さんのこと……。
「飛影。ぜひ一度、あなたのお友達に会ってみたいわ。それに妹さんも。」
「……おまえといると余計なことまでしゃべってしまうな。」
フン、と笑いながら、たびたび彼はそんなことを言っていた。わたしにとってはどの話も新鮮で、とても楽しかった。
「おまえはなぜずっとここにいる。」
ある日飛影に尋ねられた。
「わたしは木の精ですわ。何かを見ることもなければ、出歩く必要もありません。わたしは樹木そのものです。」
しばらくして彼は言った。
「知り合いに植物に詳しい奴がいてな……。木の精が人の姿をしているということは、そいつはかなり力が強いということだそうだ。なぜ自分の力を律している?足枷になるものは何もない。どこへだって行けるだろう。」
「まさか、そんなことは……。」
急に言われて困ってしまった。そのような力も、ましてや制御しているつもりはないのに。
「わたしが人の姿をしているのは、わたしが、」
あるお方をお慕いしたから――。続けようとして、言葉に詰まってしまった。なぜかしら、隠す必要なんてないのに。
飛影は自分のことを話してくれた。ならばわたしも言わなければ。でも……、彼にあの方の話をするのが苦しい。
逡巡していると、彼が立ち上がった。
「言いたくなければいい。無理するな。」
「あっ、」
そしてまたどこかへと去っていった。
何事もなかったかのように、数日後、飛影はお友達を連れてきてくださった。
「会いたいと言っていただろう。」
覚えていてくれたのね……。胸のあたりがまたじわりとあたたかくなる。そこに彼以外の色がふたつあった。
「初めまして、蔵馬といいます。やはりとても立派な藤の木ですね……。ね、桑原君。……桑原君?あんまり見つめると飛影に殺されますよ?」
「あ?あぁ……っ!……く、桑原和真です!雪菜さん一筋の男子高校生ですっ!!」
にぎやかな空気に思わず笑ってしまう。わたしはふわりと彼らの前に降り立ち、お辞儀をした。
「ふふっ……お会いできて嬉しいですわ。NAMEと申します。飛影からあなた方お友達のお話を聞いて、ぜひ一度お会いしたいと思っていましたの。」
「「おともだち……。」」
「……なんだ。」
「いえいえ。光栄ですよ、飛影。」
「ふぃー!鳥肌たっちまう。」
「こっちのセリフだ。」
桑原さんと飛影がにらみ合い、蔵馬さんがまあまあと声をかけている。まるで子猫たちがじゃれ合っているような……にぎやかで楽しくて、心地がいい。
何をするでもなく彼らは木の根元に座り、それこそ話に花を咲かせている。
「浦飯も来れればよかったのによぉ。」
「あいつは魔界で一仕事やってる。」
「オレもそろそろ顔出さないとなぁ。……あ、ありがとうございます。」
彼らの話を聞きながら、いつものようにまわりの花や葉で日陰を作る。
「へぇ、自分の意思で動かせるのか……、さすがですね。それに花は年中咲かせている。ご近所で噂になっていましたよ、あそこの藤は冬でも花をつけるって。」
「まぁ、そんな……。やはりおかしいでしょうか?」
「いや、きれいだ。」
急に聞こえた声に、はじかれたように思わず彼の方を向いた。不思議と時の流れが遅くなったように感じる。不思議な感覚だった。わたしも驚いたけれどそれ以上に、彼自身も自分の言葉に驚いていたようだった。
優しく微笑んだ蔵馬さんが、オレもそう思うよ、飛影。と言うと、彼はまたそっぽを向いてしまった。
皆さんに褒められるとうれしい反面、自分のどこが他と違うのか不安になってしまう。蔵馬さんに聞いてみたら、丁寧に教えてくれた。飛影の言っていた植物に詳しい方とは、彼のことだった。
「木の精霊は最低300年くらい生きている樹木に宿りますが、本来はNAMEさんのように人の姿をしていないんです。よくいるのはオーラのような不定形のもの。その次には動物の形。もちろん普通の人には見えない。オレたち妖怪や、霊力の強い桑原君のような人間には、たまに見えるけどね。」
はきはきと分かりやすく説明してくださる蔵馬さん。
「でもNAMEさんはこんなにもはっきりと人の姿をしているうえに、宿っている木を動かすことができる。おまけに一年中花を枯らさないエネルギー……。自分で気にしたことはないと思うけど、これはすごいことですよ。」
「でも蔵馬、オメーは植物操れんじゃん。」
「オレはそういう妖怪ですから。おまけに1000年以上生きてるし、妖力もたっぷりあるよ。」
にこりとする蔵馬さんに、桑原さんがこわばり微妙な空気を醸し出す。
「だからねNAMEさん、」蔵馬さんがわたしに向き直る。
「キミは見たところ樹齢200年くらいだろう?それでその力……。なにか心当たりはありませんか?」
真剣な空気が伝わってくる。飛影は相変わらず静かに聞いているけれど、わたしから視線を逸らそうとはしない。そんなに大変なことなのかしら。わたしが人の姿をしていることが?普通にしているはずなのに、にわかには信じがたいわ……。
「わたしは、ただ……。」
言い淀んでいると、そんなわたしを後押しするように蔵馬さんがさらに付け加えた。
「あなたの力を狙っている妖怪がいるかもしれない。」