中・人間界と魔界
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躯に追い出された飛影は、そのまま自室のベッドに飛び込んだ。天井を見つめ、言われたことを反芻する。
“お前と話してるとき、よく笑ってるだろ。”
“会えなくて泣いたこともあったんだろ?”
“さぞ強い想いだっただろうな。”
ここでまた、ぐっと胸を締め付けられるような痛みに耐える。
“だがな、飛影。それだけだ。”
ぐるぐると言葉が頭を駆け巡るが、どうにも何が言いたいのかが分からない。
「チッ……、だから何だというんだ。」
考えても分からない事柄に、飛影はだんだんと腹が立ってきた。おまけに最後の一言。
“女って生き物はな、お前が思ってるより強かだぞ。”
――躯はあいつに会ったこともない。それなのに俺よりも分かったような口を叩きやがって。
勢いでそこまで考えたところで、ひゅっと脳が冷えた。NAMEのことを何も知らなかったのは、最近までの自分も同じだったと思い出したからだ。
そして嫌なことを思い出すと、連鎖反応のようにまた記憶のページがめくられる。蔵馬に抱えられたNAMEが頭に浮かび、さらに彼は冷静さを失った。
「……くそっ!」
ごろんと体を反転させ、うつ伏せで頭を抱える。
人の姿を手に入れるきっかけになった人間。
植物使いの蔵馬。
どちらの男にも、飛影は勝てない気がした。自分ではNAMEに何も与えることができない。だから彼女には相応しくない。自分は忌み子なんだ。だから彼女を愛する資格などない。これでいいんだ、俺は魔界で生きていき、彼女を見守っていればいいんだ。
NAMEを大切に思うあまり、抜け道のない迷路のような思考に陥っていた。
考えているうちに眠っていたらしい。悩んでいるようでちゃっかり眠れる自分に嫌気がさす。飛影は固くなった体をほぐすように起き上がった。魔界の空はいつも淀んでいるが、それでも朝と夜の区別はつけられる。
起きたはいいが、今日はパトロールがない日。気は進まないがシャワーでも浴びて重い頭を起こそうとしたところで、ふとNAMEの笑顔が思い浮かんだ。
『飛影。』
穏やかに呼びかける声、話すごとに変わる豊かな表情、宝石のように輝く藤色の瞳。
飛影は、唐突に彼女に会いたくなった。友として、少し会いに行くだけならいいだろうと、これまでに何度人間界へ行こうと思ったことか。だが、先日の光景を見てからは考えないようにしていた。
もう何日、何週間会っていないだろう。数えていないから分からないが、だいぶ会っていないのは確かだ。飛影はNAMEに想いを馳せる。躯に言われたことを理解できれば、会いに行く許しを誰かから得られるような気がする。しかしまだ答えは出ていない。つまり、会いには行けない。それにあの決意はどうした。自分の想いに蓋をすると決めたじゃないか。なんのために彼女のもとから去ったんだ。だが、しかし――。
今までもそうやって彼は何かと理由をつけ、自らの想いに枷をつけていた。
「NAME――。」
最近はめったに口にすることのなかった名前を呼んでみた。当然ながら返事はなく、自嘲気味に笑う。
「フッ、まったく、どうかしてるな俺は。」
「本当ですね。」
「……!!」
ぎくりとする。今一番聞きたくない声が聞こえてきた。なぜだ。胸の中を黒い塊が這いずるような、ざわりとした感覚に襲われる。ゆっくりと振り返ると、窓辺に立つ男。
「やぁ、飛影。」
片手をあげ、さわやかに挨拶をする。その態度が飛影をさらに苛立たせることは分かっていたが、それでもいいと、むしろ火付けにでもなればいいと彼は思っていた。
「蔵馬――、何しに来た。」
飛影が飛び掛かりたいほどの思いを我慢していることを、蔵馬は心得ていた。あの日彼の殺気交じりの妖気に気づいていながら、それでもまるでNAMEを攫うかのように抱きかかえて夕暮れに跳んだのだ。無理もない。
「別に?特に何も。」
「だったらさっさと失せろ。朝っぱらから不愉快だ。」
「うーん、どうしましょうね。」
腕を組み、壁にもたれてこちらを見る蔵馬。
いきなり来た上に何が言いたいのかも掴ませない蔵馬に、飛影が本気で追い出そうかと一歩踏み出したところ。
「NAMEさんに伝えたよ。――オレが彼女を好きだって。」
飛影の動きを止めるにはじゅうぶんだった。脳まで停止しそうになったところを何とかつなぎ止め、気力で口を開く。
「――そうか、ならあいつの側にいてやれ。こんな所じゃなくてな。さっさと帰れ。」
彼は蔵馬の顔を見れなかった。と同時に、自分の顔を見せたくなかった。自分を懸命に治療したこの男の想いを、NAMEは受け入れたのだろう。今どんな情けない顔をしているのか、彼自身も分からない。ふい、と顔を背け、ポケットの中でいつかの日のように拳を握りしめた。
ここへ来て飛影と話すまでは、NAMEが待っているのはお前だと、蔵馬は素直に伝えるつもりだった。しかし思ったよりもダメージを受けている飛影を見て、そこまで世話を焼かなくていいかと、ぷつんと親切心が消えた。飛影のNAMEへの想いの大きさを見せつけられ、不覚にも心をかき乱されたからだ。それに加え、いつも自信に溢れている友への、そして恋敵への、最後のささやかないたずらという面もある。
「そうしたいのは山々なんですがね……。振られちゃったんですよ、オレ。」
小首をかしげながら微笑んで自分を指さす蔵馬に、今度こそ飛影の思考はストップした。
「は?」
「いやだからね、振られたんだよ。」
「……なぜだ。」
「他に想い人がいるんだって。」
「それは、「ていうか飛影。オレもつらいんですから、あんまり聞かないでくれますか?」……。」
口を開きかけた飛影を無理やり黙らせた。不服そうだ。正直、つらいのは本当だ。何が悲しくて自分の敗北宣言を、まだ何も知らないとはいえ勝者である彼に伝えなければならないのか。だがNAMEの幸せを叶えられるのが“今のところ”飛影だけである以上、このまま魔界で無駄に時間を過ごしてほしくなかった。
今のところは。彼が万が一にもNAMEを傷つけるようなことがあれば、自分が彼女を守ることにしようと蔵馬は密かに心を決めていた。
未だ眉間に皺をよせ何かを考えあぐねている飛影に、軽くため息をつきながら蔵馬が近づく。そばまで来たところで、人差し指でピシっと鼻をはじいてやった。
目を剥いてとっさに鼻をさする飛影だったが、文句を言おうと口を開いたところで蔵馬に邪魔をされた。
「ここであれこれ考えていても仕方ないでしょう。NAMEさんに会いに行ってみては?」
納得がいかず軽く睨みながら会話を続ける。
「……なんのために。」
「まったく、それぐらい自分で考えてくださいよ。」
前にも同じようなことを言った気がした蔵馬は、やれやれと首を振った。
「とにかく、NAMEさんに会いに行くこと。躯には数日あなたがここを空けることは、伝えてあるから。」
「なっ……、貴様いつの間に!勝手に決めるな!」
飛影が抗議の声を上げたのとほぼ同時、ノックもせずにバンッと派手にドアを開け、少し赤ら顔の城主が顔をのぞかせた。
「今回、めずらしくそこの美人と意見が合ってな!飛影お前、しばらく人間界いろ。これは命令だぞ!」
「……美人て言うのやめてもらえます?」
水面下でいろいろと物事が進んでいる気配に、飛影は薄気味悪さを通り越して呆気に取られていた。
――こいつらは俺に何をさせたいんだ。
「さっぱり分からん……。」
「おし!善は急げだ、行ってこい!」
油断していたところでばしん!と、酔った上司に背中を叩かれた。さすが、気合の入れ方が他とは一味違う。飛影の肺は一瞬自分の仕事を忘れたが、脳からの指令で何とか酸素を取り込む。ゴホゴホと咳込みながら後ろを見ると、蔵馬と躯が笑みを交わしていた。普段はつるまないくせに、こういうときだけ結託する彼らに辟易する。呼吸を整えながら自室を出ていこうとしたとき、ふと蔵馬と目が合った。黙ってうなずく彼に、
「同情も遠慮もせんぞ。」
とだけ告げ、飛影は人間界へ向かった。
主のいなくなった部屋で、蔵馬が「分かってますよ。」とぽつりとつぶやく。うつむくその表情にはまんまと道化師の役割を果たした虚しさが残っているが、取り巻く気配は清々しいものだった。
「あーまぁ、分かっちゃいたけどよぉ。」
そんな蔵馬に躯が声をかける。
「お前もお人好しっていうか……難儀なやつだな。」
――難儀か。
「ふふっ。」
「……?どうした。」
「いえ。……そうかもしれませんが、まぁ、案外そうでもないんですよ。」
言いながら蔵馬は躯に笑いかける。彼の中ではもう一区切りついているらしく、その目に迷いはない。
「ははっ、なんだそりゃ。」
あまりの清々しさに拍子抜けした躯は、いらぬ世話だったな、と思い直した。己から見たら眩しすぎるような彼らの在り方に敬意を払いつつ、
「お前も一杯やってくか?幽助、来てるぜ。」
と、今ではすっかり冷酷非道からかけ離れた妖狐を伴って部屋を出た。