中・人間界と魔界
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
二人に煽られて魔界を出たはいいものの、NAMEに何を話せばいいのか分からない飛影は、人間界の山中をぶらついていた。
何を話す?どんな顔であいつに会えばいい?今まではどんな態度で接していた?考えるほどに思考は煙に巻かれていく。
あの木の前を通りがかるたびに声をかけてきたNAME。話すところころと表情が変わり、俺の話を楽しそうに聞いていたNAME。やつらに襲われ意識を失いかけたとき、俺の名を呼んだNAME……。
彼女のことを考えると、飛影の心は甘く締め付けられた。強制的に離れることで幾分か己の気持ちも落ち着くと思ったが、逆だったらしい。初めて想いを自覚したあの時と同じ、いやそれ以上に、飛影はNAMEを欲していた。彼は、彼女に対する想いの強さを改めて自覚する。
だが、会いに行く勇気が出ない。「俺はこんなに臆病だったか?」と独り言ちるも、今までの生活では縁のなかった贅沢な悩みに、その口の端は上がっていた。
額の布を取り、邪眼を開く。実際に会う前のリハーサルのようなものだった。少し視界を走らせれば、目当ての女はすぐに捉えることができた。
もっと近くへ寄ろうとしたところ、違和感を覚えた。何かが違う気がする。
初めて見かけたときと同じように穏やかに微笑むNAME。だが確かに以前とは違う。どこだ。
飛影は邪眼で彼女を観察することに限界を感じた。自分のいない間に何かあったのでは、と逸る気持ちをそのままに、彼女のもとへと急いだ。
見慣れた景色と見慣れた藤の木。ばさりと黒装束を鳴らし降り立ってみれば、いつものようにNAMEは器用に視線を合わせてくる。だがその目は驚きで見開かれ、口元をおさえる手は微かに震えていた。
――様子がおかしい。
飛影が眉を寄せ、彼女に声をかけようと一歩踏み出す。すると、
「飛影……?」
目にうっすらと涙をためながら、探るようにNAMEが口を開いた。
枝に座る女と、地面から見上げる男。いつもと変わらない二人の逢瀬のはずだった。だが止まったような時の中で、飛影はNAMEの藤色の瞳から逃れられなくなっていた。
――まさか。
邪眼で見たときの違和感の正体を掴みかけたとき、木の上の女はこう言った。
「やっと、お会いできましたね。」
その言葉で確信に変わった。
紛れもなくそうだった。確かに彼らはある意味、今やっと出会えたのだ。
二人のあいだを通り過ぎた風が、藤の花々を優しく撫でていく。
驚きと喜びで目を見開く飛影を、NAMEはその目にしっかりと映していた。
「いつからだ。」
NAMEに促された飛影はさっと枝に飛び上がり、彼女の隣に腰かけながら聞いた。先ほどの山中での悩みは取り越し苦労だったらしく、意識せずとも言葉は出てくる。
「つい数日前からですわ。」
微笑みながらNAMEは答える。聞けば、ある人物に会いたくてその者のことを考えていたところ、ある日急に目が見えるようになったらしい。飛影の胸にもやりと不快感が広がった。
――やはり例の男か。
彼の脳裏には、NAMEに声と姿を与えた男がいた。蔵馬が振られたとなれば、彼女の心に住まうのはあの男しかいないだろう。不快だが、納得のできる相手だ。
隣をちらりと見やれば、頬を染める女。ちくりとする胸の痛みを放置し、飛影は何か言わねばと口を開く。
「そうか。……だがもう少し早ければ良かったな。会うには遅かっただろう。」
NAMEの心情を察し、彼はまた別の意味でその胸を痛めていると、
「え?」
素っ頓狂な声が聞こえてきた。見ると彼女は丸く目を見開いている。
「飛影、どういう……。」
「そのままの意味だ。会いたいと願った男は、もういないだろう。」
「いいえ、いらっしゃいますわ。」
「……どういうことだ?」
かみ合わない会話に、飛影とNAMEはお互いの脳内を探り合う。ああでもない、こうでもないと問答を続け、決めの一手を打ったのは飛影だった。
「お前が会いたい奴というのは、昔この家に住んでいた男だろう。お前がその姿になるきっかけを作った……。」
ええ、そうよ。という彼女の言葉を、飛影は覚悟を決めて待つ。すると、くすくすと可愛らしい笑い声が聞こえてきた。見るとNAMEが目を細めて笑っている。
「飛影ったら……。ああ、それで“もういない”なんておっしゃったのね。」
「……違うのか?」
「ええ。」
飛影の予想は見事にはずれ、誰なんだという疑問を声にも出せずに頭を悩ませる。すっかり黙ってしまった様子に、その輝く瞳でNAMEは優しく彼を見た。
「……あなたですわ、飛影。」
さらり、と花々が揺れる。
「わたし、ずっとあなたにお会いしたかったのよ。」
自分の名前が出るとは思わず、飛影は呆然と隣の女を見つめる。彼の混乱した頭は、救済を求めて魔界での出来事を思い出していた。躯のため息、蔵馬の視線。そして彼らの言っていたことが、すとんと胸に落ちた気がした。
――NAMEが、俺に、会いたいと。
電池切れのおもちゃのように、そのままの姿勢で微動だにしない飛影。しばらくすると、抜け殻だった彼の視線は少しずつ熱を帯びていく。
想い人の揺れる瞳を目の前にし、NAMEはつい先ほど自分の言ったことを思い出していた。これでは愛を伝えたも同然だ。着物の袖で口元を隠し、その視線から逃れようとする。
隠しきれない恥じらいが彼女の頬を染めているのを見て、飛影は気づいた。彼女のこの表情を引き出したのは紛れもなく、己なのだと。鼓動がまた駆け足になる。
彼はこんなとき、どういった言葉をかければいいのか分からなかった。飛影は今まで恋はおろか、誰かに愛というものを感じたことがない。以前、躯軍の付き合いで花街へ行ったことはあったが、どんな美人だろうがどんな話上手だろうが、ただの一度も心が動いたことはなかった。色を撒き散らすだけの女たちにうんざりし、もう二度と行かないと躯に宣言したくらいだ。
だが、NAMEは違う。その恥じらう表情も何もかも、彼女の指先がわずかに動くその瞬間さえ、彼の心をかき乱し、切なく締め付ける。
飛影はもう限界だった。何がと聞かれても言葉にはできないが、強いて言えば心だった。目の前の彼女を欲する心が、限界を迎えていた。心臓がうるさく鳴る中、ただNAMEを抱きしめる。今、この腕の中にいる女を、どこへもやりたくない。己だけが知っていたい。この藤の花の香り、その背中に流れる髪の滑らかな感触、肩越しに感じる息遣いを……。
心にじわりと充足感が広がっていくのを感じながら、そのまま飛影は目を閉じた。
――これだ。
今の自分に足りないものを、やっと手に入れられた感覚だった。やっと心の底から呼吸ができたような感覚だった。探していた、大切なもの。大切な人。愛する人。
彼女を守りたい。そして同時に、彼女の全てが欲しい。
「好きだ。」
自然と口をついて出た言葉は、ほとんど無意識だった。
「お前が好きだ……、NAME。」
止められない想いを、心が叫ぶままに声に乗せた。
お互いの呼吸が止まったような感覚。たった今飛影から聞いた言葉をゆっくりと噛みしめ、今やっとNAMEは理解できた。
気づかれないように静かに涙を流すが、彼の前では無駄なこと。ゆっくりと体は離され、少し眉を寄せた飛影は、なぜ泣くのかと彼女に目で問うていた。だがその疑問を実際に彼が口に出すことはなかった。NAMEは、泣きながらも嬉しそうに顔をほころばせていた。
恋愛に疎い飛影だが、それでもこれがどういったものかは分かった。心臓が飛び出そうな音を立てているが、平常心を装い、彼女の涙を親指で拭いながら再び抱き寄せる。赤くなった顔を隠すのにもちょうどよかった。
「飛影。」
NAMEが小さく声を上げる。呼ばれた男は少し顔を傾け、彼女の髪に己の頬を寄せた。
「なんだ。」
いつものように低く、いつもより温もりをはらんだ声で彼は答える。
「わたしもあなたが好きよ。」
少し涙で濡れた声で、NAMEは飛影の想いに応えた。
不器用だが確かに己を思う彼の優しさに、彼女はいつの間にか惹かれていた。思い返せばいつも見守ってくれていたと、ふふ、と笑みがこぼれる。
「どうした?」
「いいえ。ただ、嬉しくて。」
体を離し、飛影の目を見て言う。
「あなたとわたし、同じ気持ちでいることが。」
彼の手を取り、その掌に己の頬を摺り寄せた。どきどきと刻む鼓動は少しずつ速くなる。
――あなたとずっと一緒にいたい。
NAMEは愛しい人に伝わるように微笑んだ。
「……っ。」
飛影の顔が微かに歪み、唇は何か言いたげに微かに開いた。彼の熱い視線に気づき、はっとしたNAMEからは表情が消える。全身がゆっくりと熱くなっていくのが分かった。
藤の花のヴェールの中、飛影は吸い寄せられるようにゆっくりとNAMEに近づく。午後の爽やかな青空は、いつの間にか夕焼けの茜色を手繰り寄せ始めていた。
じっとこちらを見つめる飛影に、覚悟を決めて目を伏せるNAME。彼を受け入れると思ったその瞬間。
バサバサッーー。
寝床に帰る鳥たちの羽ばたきに、ぴたりと動きが止まる。とっさに目を開けたので、視界一杯に飛影の顔があった。
ばっと音がしそうなほどの勢いでのけぞり、NAMEは明後日の方を向く。彼の意思のこもった鋭い視線を感じ、頬が火照るのが分かる。熱をそのまま宿したような緋色の瞳は、彼女が視力を手に入れたことを後悔させるほどに魅力的だった。
そのまましばらく黙っていた二人だったが、仕切り直すように飛影がNAMEの頬に手を添える。しかしこちらを向かせた顔は心配してしまうほど真っ赤で、これでは再び彼女の唇を奪いにいくのは無理だな、と思わず噴き出してしまった。
「くく……っ、なんて顔してやがる。」
「だって、恥ずかしいんですもの……。」
飛影は、己に訪れたこの甘く平穏な時間を楽しんでいた。
――案外、悪くないな。
愛する者の隣で何をするでもなく共に過ごす。今まで無縁だった世界が、彼の前に広がっていた。