中・人間界と魔界
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魔界、移動要塞百足。建造物でありながらまるで生き物のようなそれは、どんよりとした空の下、今日もこの血なまぐさい空気を揺らしながら動く。
あれから人間界を離れた飛影は、自分の本来の居場所を確かめるように魔界へ来ていた。瘴気が漂い、そして血の匂いのするこの世界が、俺の生きる場所なんだと。あの美しい花の精の側ではないと、自分に暗示をかけるように。NAMEの話を聞いたあの日の、飛影の決意。それは、彼女の側を離れることだった。
「おい、飛影。」
そんな彼に声をかけるのはこの城の女主人、躯。
その小さな体躯からは想像できないほどの実力で、この魔界のトップの一人として君臨している。その美しい顔は半分皮がはがれ、体からは機械がのぞいているが、それは彼女の凄惨な過去によるものだ。
数年前、必死の思いで魔界の扉が開くのを幽助たちと止めた飛影だったが、その後、躯に魔界へ来るように誘われ、紆余曲折を経てこの百足を住処としていた。彼女に勝負を挑み続け、何度命を散らしそうになったか分からない。だが純粋な強さを求める彼にとって、そんなことは取るに足らないことだ。彼は、戦い続けられるこの環境に満足していた。人間界でNAMEと出会い、自身に訪れるはずがないと思っていた心の安らぎを感じるまでは。
躯の実力をその身にじゅうぶん叩き込まれている飛影には、彼女の呼びかけを聞き流すことはできない。今は一人でいたかったが、仕方なく振り向く。
「……なんだ。」
しばらく前に人間界から帰ってきて、ようやく仕事に没頭するようになったとほっとしたのもつかの間。彼の直属の上司でもある躯は、目の前の男の腑抜けっぷりに大層いら立っていた。心ここにあらず、といった調子だ。
「パトロールならもう済ませた。まだ何かあるのか。」
呼び止めたはいいが黙る上司に、飛影がいぶかしむ。おまけに、はぁ、とため息までつかれ、話があろうが無かろうが、もう自室に引っ込もうと決めた矢先。
「やるぞ。」
短く告げる躯。拒否権などはこの絶対的存在には通用しない。今度は飛影がため息をつき、先を行く彼女を追って百足を出た。
主人が降りたことで、百足はその場に停止した。だいぶ離れたところで二人が向かい合うが、これぐらい距離を取った方が城への被害は少ない。
「喜べ。鍛えなおしてやる。」
それだけ告げて、飛影へと飛び掛かる躯。一撃一撃が重い、強烈なパンチと蹴りを繰り出してくる。的確に顎や鳩尾などの急所を狙ってくるが、どこかいつもと違う。それが飛影には薄気味悪かった。
「フン、どうした、こんなものか?」
軽口を叩き、躯の意図を引き出し読もうとする。
「ハッ!生意気言いやがって。」
そんな飛影の思惑を知ってか知らずか、彼女のペースは乱れることはない。
どれくらいの時間そうしていただろうか。一通り拳の応酬が終わり、お互い距離を取ったところで一息つくと、躯が問うた。
「お前、人間界で何があった。」
なるほど、これが聞きたかったのかと飛影は納得した。
「なんかあったろ。その情けない顔にしっかりと書いてあるぜ。」
「貴様には関係ない。」
これで逃げ切れるか彼は賭けに出たが、ほぉ…。と目を細めて笑う躯を見て敗北を予感した。
「じゃあなぜ人間界から離れなかった?わざわざ幽助と蔵馬に菓子折りまで持たせて。」
「……関係ないと言っている。」
苦しい。一番痛いところを突かれて飛影がたじろいだところで、急接近した躯の拳が腹にめり込む。周りの木をなぎ倒しながら、飛影は己の背中で森に一本道を作っていった。ひとまわり大きな木に盛大に突っ込みやっと止まったが、口の中は血の味がする。しかしいつものことだ。
「ハハ!どうした、こんなもんか?」
さきほどのセリフをそっくり返しながら彼女は悠然と近づき、飛影の苛立ちにわざと油を注ぐ。
「……黙れ!」
飛影は低くうなり、黒い妖気をまとわせながら躯の眼前に拳を振り上げるが、
「女か?」
という一言で一気に萎れた。勢いを失った飛影の拳が、ガードしようと出されていた彼女の手にぽすん、と着地する。からかい半分で言った躯だったが、思わぬ収穫を得た。
「お前……、まじかよ。」
「……うるさい。」
うつむく彼の顔は、誰にも見えない。先ほどよりもいっそう低く、そして小さく飛影が呟いた。
久々に帰ってきた筆頭戦士と女主人との戦いは、あっけなく終わった。
半ば躯に引きずられるように百足に乗り込むと、またゴゴゴゴ、と動き始める。足早に自室へ戻ろうとした飛影だったが、にやりと笑う女王がそれを許すはずがなかった。
「あっはははは!お前、そういうとこ案外乙女なんだな!ははっ!」
目に涙を溜め、これでもかというぐらい豪快に笑われる。この女は遠慮というものを知らないのかと、飛影は憔悴しきっていた。
「いやぁ、可愛いとこあるよなー!」
そしてここにも飛影を疲弊させている元凶が一人。こいつが百足に来ているなんて聞いていない。相手はどんな女か、出会いはいつからか、その女の過去は……などなど、渋る飛影に代わり楽しそうに話していたのは幽助だった。というか、ほとんどを話してしまっていた。人の恋心を肴に、いつのまにか酒盛りをしている始末だ。
「お前らな……。」
羞恥と怒りで震えるが、この二人に口で勝てる気はしない。蔵馬がいないのが幸いだが、それでも飛影の分が悪いのは明らかだった。
「まぁまぁ、オレが話さなくてもさ、いつかは躯にもバレてたって!」
「オレに協力を仰いだあの事件、まさかお前の想い人のためだったとはなぁ。」
似たような顔でにやにやと笑う彼らに飛影の殺意が再び沸くが、「そのお姫様は今どうしてる?」という躯の一言ですっと頭が冷えた。
「……知らん。俺にはもう関係のないことだ。」
てっきり怒号が飛んでくるとばかり思っていた二人は、拍子抜けする。思わずお互い顔を見合わせた。
「なんだよ、飛影。お前のことだから、なんやかんやそれで見てるだろ?」
幽助が飛影の額を指す。人をなんだと思ってるんだという文句を飲み込み、数週間前に見てしまった光景を思い浮かべる。せめて遠くから見守るくらいはいいだろうと、額の瞳を開いたのが間違いだったらしい。愛しい女は、狐の腕の中で頬を染めていた。
「あいつは今頃、蔵馬とよろしくやってるだろう。……フン、似合いじゃないか。」
「はぁ?なんで蔵馬?」
「はぁ?お前馬鹿か?」
同時に発した幽助と躯だったが、思ったことは少し違った。
幽助は、純粋に蔵馬の名が出てきたのが不思議だった。彼もNAMEに想いを寄せていることを知らなかったからだ。
一方、躯はNAMEに会ったことはないにしろ、幽助から聞いた二人の様子を考え、同じ女だからこそ感じるものがあった。
これは別の意味で鍛える必要があるかもな、と躯は頭を抱える。
「いいか、飛影。」
両膝に腕を乗せ前かがみになり、今日一番、真剣な目で飛影を見つめる。
「そいつはお前に無視されようが、いつもお前に話しかけてきてたんだろ。」
「……。」
「答えろ。」
「……ああ。」
「お前と話してるとき、よく笑ってるだろ。」
「ああ、自分の知らない世界のことを聞くのが楽しいらしい。」
「そいつは、お前に会えなくて泣いたこともあったんだろ?」
「……らしいな。」
矢継ぎ早に問答を続けることで、躯は飛影にNAMEの心情を察するように仕向けた。余計なことを考えないように。だが男というものは、どうしても想像力に欠ける。ましてやこの男は今まで女とまともにかかわったことがない。いや、出生のことを考えるとマイナスからのスタートだろう。
「だがまだ、あいつの心には……。」
案の定、飛影はNAMEから聞いた、過去の男のことで頭がいっぱいになっていた。それに加えて蔵馬のことも引っかかるらしいが、どうせ邪眼でちらっと見ただけの光景を鵜吞みにしているんだろうと躯は気にしていなかった。だが色恋に縁のなかった無垢な邪眼師は、もうそれだけで脳が働かないらしい。
これは厄介だと、躯は再度頭を抱える。ここまで言ってるのに、自分のことになると本当に頭が回らない。恋愛に関しては意外と奥手なんだなと、彼女は部下の新しい一面を発見した。
「ああ、確かに昔の男のことは覚えてるだろう。そいつは自分が人間の姿を手に入れるきっかけになった人間だ。……さぞ強い想いだっただろうな。」
「……。」
飛影の表情がみるみるうちに険しくなる。『俺にはもう関係ない』なんて、よく言えたものだなと呆れた。
「だがな、飛影。それだけだ。」
飛影の眉間に皺が寄る。念を押すようにもう一度繰り返した。
「いいか?ただそれだけのことだ。」
「……。」
眉間の皺は深いまま、床の一点を見つめる飛影。
いまいち理解できていない様子に、はぁー、と頭を垂れ躯が長いため息をつく。どうやら自分が非難されているということは分かるらしく、彼は居心地が悪そうにぴくりと片眉を上げた。
「ま、オレから言えることはこれだけだ。あとは自分で考えろ。」
みなまで言ってやることはない、と酒をあおろうと盃に手を伸ばすが、やはりこれだけはと最後に付け足す。
「ああ、それとな飛影。」
眉を寄せたまま飛影が目線を上げる。ばっちりと視線が絡んだところで、にやりと笑った。
「女って生き物はな、お前が思ってるより強かだぞ。」
過去よりも前を向いて今を生きる。それが女というものだ。
ますます難しい顔をする飛影に、躯はうっとうしい、と手を二度振り部屋から追い出した。足音が遠ざかっていくのを確認し、
「お前もなかなか過保護だな。」
と、幽助に盃を押し付ける。NAMEを置いて魔界に引っ込んでいる飛影を心配して来たんだろうと、躯は踏んでいた。
「んなこたぁねーよ、ちょっと寄っただけだし。」
受け取った酒をぐい、とあおる。耳がほのかに赤いのは、強すぎる魔界の酒のせいだけではないだろう。
人間界から魔界への訪問を“ちょっと寄った”で済ませるあたり、躯は彼らの深い友情に脱帽する。よく言うぜ、と言いたいところだったが、微笑みと一緒に飲み込んだ。
「ただ、あいつは……、」
空になった盃を見つめ、幽助は穏やかな瞳で続ける。
「もっとわがままになってもいいと思ってよ。」
顔を上げにかりと笑った。
躯は、自分の心を一陣の風が通り過ぎたような、心地よい感覚を楽しんだ。目を閉じ、ひたすらに強さを求めて何度でも己に挑んでくる、黒炎の戦士を思い浮かべる。
「確かに――。」
フ、と思わず笑みがこぼれる。魔界を支配せんとするほどの実力の持ち主にしては、優しすぎる表情を彼女は浮かべていた。
「あいつはガキのくせに、変に強情で頑固だからな……。」
「おまけに意地っ張りでツンデレだ。」
二人はまた笑いあいながら、お互いの不器用な友人について酒を酌み交わした。