中・人間界と魔界
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夜も深く人々の気配もまばらになってきたころ、闇よりも黒い影が夜の街を駆けていた。先ほどまでいた場所から離れるように、遠く、遠くへと。
ついてくる者が誰もいないと踏んで適当なビルに降り立つが、そこはその日の夕方、妖狐と腹の探り合いをした場所だと男は気づいた。なんとなく嫌な気がしたので場所を変えようとしたところ、やはり勘が冴えていたらしく後ろから声をかけられる。
「飛影。」
誰なのかは振り向かなくても分かるが、それでも彼は振り返った。
「蔵馬――。」
蔵馬の声が、なんとなくおかしかったからだ。違和感。これは何に近い気配かと飛影が考えていると、
「……NAMEさんの話を聞いて、どう思いましたか?」
遠慮がちな質問。その意味が分かったとき、“自分は目の前の男に気を遣われている。”という不名誉な事実にたどり着いた。
「……貴様に言う道理はない。」
「……。」
黙る蔵馬に、また闇へと身を投じようとしたとき。
「飛影、お前は身を引くつもりなのか。」
今度は尋問らしい。
蔵馬はその感情の読めない瞳で飛影を見つめ、つい数時間前のやりとりを思い出していた。目の前のこの男だから自分はあきらめがついたのだ、と。NAMEを想う気持ちは同じでも、彼女の見えない目に留まったのは飛影だった。自分ではなく。なのに、その幸運な男は早々に自分で幕を下ろそうとしている。夕方に言ったことを実行に移すつもりはなかったが、すっかり抜け殻になった邪眼師を目の当たりにし、妖狐はやるせない気持ちになった。このまま腑抜けでいるつもりなら自分が彼女を、と思うほどに。
「言ったはずだ、貴様に言う道理はない。」
そんな視線から逃げるように、飛影は黒い影となって再び去っていった。
もう彼を追う者はいなかった。
「すっかりお世話になってしまいまして……。みなさんほんとうにありがとうございました。」
あれから数日後、西の空が赤く染まるころ。桑原家の玄関で、前と同じ着物を着たNAMEが深々と頭を下げる。自分の願いには力があると分かった彼女は、あの日汚れてしまった着物を直してみることにした。意図的に力を使うのは初めてで不思議な感覚だったが、思いのほかうまくいったらしい。
「いいって、いいって。女の子が増えて楽しかったし。」
静流がひらひらと手を振り微笑む。
「今度はこっちが遊びに行くよ。」ね、雪菜ちゃん。と隣を見下ろす。
「ええ、ぜひ。ほんとうに美しい花を咲かせていますし……。また和真さんとも見に行きたいです。」
にっこりと微笑みあい、女性3人で和やかな空気が流れる。そんな中、意中の女性からそのように言われ、NAMEを屋敷まで無事に送り届ける役目を仰せつかった男・桑原和真は、どうしても顔が緩む。
「ゆ、雪菜さんの!お望みとあらば……!」
真っ赤な顔で意気込んで返事をしたところ、うるさい、と静流に頭を小突かれた。
「やぁ、にぎやかですね。」
蔵馬もNAMEの見送りに駆け付けた、というわけではない。
「お、蔵馬。どうした?」
「桑原君がNAMEさんを運ぶと、通行人の目が気になると思ってね。ほら、他の人からは見えないから。」
桑原は自分がNAMEを送る様子を想像してみる。背中におぶっても体の前で横抱きにしても、なるほど確かに、NAMEのことが見えないまわりの人間にしてみれば、不自然に映るだろう。NAMEは体を浮かせることはできるが、遠距離の移動は苦手だ。どうしても誰かの手を借りなければ帰れない。まわりからどう見られようが桑原は特に気にしないが、蔵馬から別の意図を汲み取り騎士役を彼に託すことにした。
「なるほどな。確かにオメーが運べば、町ン中なんざひとっ跳びだ。」
ポン、と肩をたたき、意味深な笑顔を蔵馬に向けるが、当の本人は涼しい顔をしている。
「そういうことです。ではNAMEさん、失礼しますね。」
これ以上いると愛に生きる男が余計な事を言いそうだと判断した蔵馬は、そっとかがみ、NAMEの肩と膝裏に手を回す。と同時に、妖狐にしか分からないほどの遠い、だが隠しきれない敵意の混ざった妖気が飛んできた。まったく不器用な男だと、内心苦笑する。
「ひゃっ。」
浮遊感とたくましい腕。それに甘い花の香りを感じ、あの日抱きしめられたことをNAMEは思い出す。なんとなく恥ずかしくなり、頬に熱が集まるのを感じた。そんな彼女の様子に、封じたはずの蔵馬の想いが顔を出そうとする。
「それじゃ、行くよ。」
少しばかり速くなった鼓動を律し、制限付きの二人きりの時間を噛みしめようと夕暮れの中へ跳んだ。
「意外とあっという間だったね。」
「ええ、ありがとうございます。お手間を取らせてしまってすみません。」
藤の木へ到着した蔵馬は、いつもの枝にNAMEを降ろす。橙色から濃紺へのグラデーションの空の下、愛しい花の精を見つめた。ここから離れるのが名残惜しい。今を過ぎれば、自分はまた“飛影のお友達”というカテゴリーに入れられるのだろう。だからもう少しだけ、とNAMEの隣へ腰を下ろした。
しばらく他愛のない話をしていると、あたりはすっかり暗くなった。月明かりに照らされる彼女はやはり美しく、ころころと変わる表情は蔵馬の心を満たしていく。
「……蔵馬さん。」
ふいにNAMEに呼ばれてどきりとする。一緒にいる時間が長くなるほど、彼女から離れがたくなっていた。そんな胸の内を悟られないように、蔵馬は細心の注意を払いながら、しかしいつもと変わらぬ笑顔を向ける。
「改めてお礼を申し上げます。この木を治していただいて、ほんとうにありがとうございました。」
優しい目でNAMEが幹をなでる。呼応するように、花々がふわりと揺れた。
「わたしが回復するには、本体であるこの木の回復がどうしても必要でした。とはいえ、そんなことのために、蔵馬さんの貴重なお薬まで使っていただいて……。」
そこまで聞いたところで、蔵馬は動かずにはいられなかった。彼女の回復を“そんなこと”などと、微塵も思っていない。思わずNAMEの手をとった。
「いや、薬のことはいいんだ。気にしないで。」
彼女の目は盲目だが、確かに視線が交わるのを彼は感じた。いっそのこと、このまま自分のものにしてしまいたい。ふいに妖狐の血が騒ぎだす。欲しいものは全て手に入れてきたあの頃の、冷酷非道な盗賊の血。
――いや、彼女が選んだのはオレじゃない……。
彼は分かっていた。分かっていながら、やっとのことで保っていた彼はとうとう自ら崩壊した。
「君が、また目を覚ましてくれただけで、オレは……。」
NAMEが息を飲み、その目をゆっくり見開いていく。蔵馬は、自分が深い穴に落ちていくような感覚に陥った。
「オレは、君を……。」
握った手に少しだけ力を入れて引くと、NAMEは羽のように腕の中へ。こんなにも簡単に抱きしめられるのに、心までは手に入れられない女性。だが従順に腕の中に収まる彼女の様子が、艶やかな彼女の髪が、図らずも彼の劣情を掻き立てる。せめてもう少しだけ、このままでいさせてくれ。二人だけのこの時間を、あともう少しだけ。
「蔵馬さん。」
しばらくそうしていたところで、再び名を呼ばれる。先ほどとは少し違う声音に、蔵馬はまたどきりとした。“時間切れ”。今を表すのに一番ふさわしい言葉だった。腕の力を緩め、閉じ込めていた小鳥を解放する。
「……すみません、オレ……。」
NAMEの顔を見ることはできなかった。彼女を困らせると分かっていながら、自らの感情を優先したことを悔やみ、恥じた。
膝の上でぎゅっと握りしめて白くなった拳に、NAMEはそっと手を重ねる。自分を責めないで、と。
いつも穏やかな色をしていた蔵馬に、こんな表情をさせたことで彼女の胸は痛んだ。顔を上げた彼は、まるでどこかに置き去りにされた子供のようだ。蔵馬からは何も伝えられていないが、細やかな態度や声音の変化から、彼が言いたいことを察することができた。こんなわたしを……、などと自分を卑下するつもりはない。それは同時に、蔵馬の想いを軽んじることだと分かっていたからだ。心を傾けてくれている相手だからこそ、礼を尽くしたい。
だが、なんと言えばいいのか分からない。この静かな時間が、よりいっそう蔵馬の心を痛めつけているだろう。
考えた末、一言。
「ありがとうございます、蔵馬さん。」
どうしてもこれだけは伝えたかった。精一杯の気持ちを込めて言葉を紡ぐ。
NAMEと蔵馬は再び見つめあう。瞳だけでなく、心が通ったような、そんな時間。愛する人からのたった一言。だが、蔵馬はNAMEが伝えたい全てを理解した。
彼には初めから分かっていたことだった。また、自分もそれに納得していたはずだった。だが幸運にも訪れた二人きりのこの時間が、そんな彼の冷静な判断力と理性を失わせていた。
ふ、と小さく息をつき、蔵馬は星が散りばめられた夜空を見上げる。二人きりで過ごす最初で最後の夜を飾るにはじゅうぶんすぎる星空だった。
「オレはあなたが好きです。」
清々しい心で、改めて言葉にしてNAMEに向き合った。
「はい。」
「それと、あなたが飛影を想っていることも、オレは分かってる。」
「……はい。」
だから、と蔵馬が付け加えた。
「オレはオレで、あなたを見守ることにしました。」
「え……?」
「気持ちの切り替えなんて、すぐにはできないからね。」
前髪をくしゃりとかきあげ、照れくさそうに続ける。
「まあ、自己満足です。」
目を丸くしてこちらを見るNAME。そのきょとんとした表情に癒されつつ、彼女を見つめ返す。そして、
「飛影に愛想を尽かしたら、いつでも相談に乗るよ。」
と、にっこりと笑った。
徐々に彼がいつも通りの色になっていくことに、NAMEは安堵すると共に感謝もしていた。
「まあ、蔵馬さんたら。抜け目のないこと。」
くすりと笑ってはみるものの、それが蔵馬の気遣いからくる言葉だと彼女は理解していた。どこまでも深い彼の優しさに、頭の下がる思いだ。
優しい風があたりを包む。花が、葉が、二人の心を撫でるようにさらさらとそよぐ。お互い心の内をさらけ出したからか、以前よりも話しやすい雰囲気になっていた。
「そういえば、NAMEさんが初めて飛影に声をかけたとき、実はオレも近くにいたんですよ。気づきませんでした?」
ぱっと隣のNAMEを見つめ、いたずらに蔵馬が尋ねる。
「あら。」
口元に手を当てNAMEは驚く。
「そうでしたの?」
「ああ。君から見て、飛影とは反対方向だったけどね。」
「まぁ、わたしったら全く気が付きませんでしたわ。――あら?でもそれでしたら、そのときお声をかけていただいてもよかったのに……。」
「あれ?飛影のことは気づいたのに?」
「え?」
先ほどと同じように丸く目を見開き、藤色の瞳でさらに驚いた顔をする。そんな彼女を可愛らしいと思うのも、今だけにしよう。
「オレのことは、オレから声をかけなかったから気づけなかったって?」
少しNAMEを困らせたくて出た軽口が、さらに蔵馬自身の心もほぐす。
「ひどいなぁ、NAMEさん。」
「あぁ!いえ、そんなことは……。」
眉を下げてしどろもどろになる彼女に、蔵馬の泣きそうだった心は落ち着きを取り戻した。同時に、自分にはやはり最初からチャンスは無かったのだと、改めて認識する。
「はは、冗談だよ、冗談。」
今度こそはほんとうに、心からNAMEに笑いかけることができた。