第一章

代表合宿初日の夕食。
日本にいる間の食事は、ホテルで提供される。

会場には、続々と選手たちが集まっていた。

真琴は一人ひとりの様子を確認しながら、必要な栄養がしっかり摂れているかをチェックしていく。

アドバイスを受けた選手たちも、そこは一流のアスリート。
自分に必要な栄養素を理解し、テキパキと料理を選んでいく。

「これ、結構うまいぞ」

中谷正人(なかや まさと)が皿を指差す。

「それ、魚?」

隣に座る相澤 晴希(あいざわ はるき)が箸を止め中谷に聞く。

二人は10歳も年齢が離れているが、代表チームの中ではそんな年齢差を感じさせない。

「そう。今日のおすすめらしい。」

「ほんと?じゃあ、俺も取ってこよう。」

相澤が立ち上がる。

久しぶりに顔を合わせた選手たちは、食事を囲みながら和気藹々とした時間を過ごしていた。

***

「あ、柴原選手。」

夕飯のチェックをお願いされていた真琴は直樹の姿を見つけ、声をかける。

「夕飯のチェックしてもいいですか?」

「お願いします。」

真琴はタブレットで直樹のデータを見ながら夕飯をチェックする。

「はい、これなら大丈夫です。全部食べてください。」

「わかりました。」

直樹はそう答えて、相澤の隣に座って食べ始めた。

真琴は会場を見渡し、選手たちがそれぞれの食事を進めている様子を確認すると、ほっと小さく息を吐いた。

***

怒涛の夕食を終え、真琴はホテルを出ると、すぐ近くのトレーニングセンターへ戻った。

作業スペースとしているケアステーションに入ると、パソコンを立ち上げる。

今日一日の選手たちの栄養摂取量を一人ずつ確認し、エネルギーやたんぱく質、炭水化物などが必要量を満たしているかを分析していく。

さらに、明日以降のスケジュールや練習内容、選手それぞれのコンディションも照らし合わせながら、必要な食事や補食についても確認していった。

そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。

「はい。」

真琴が返事をすると、ドアが開き、湊がひょこっと顔を覗かせた。

「入ってもいいですか?」

「もちろん、どうぞ。」

真琴は笑顔で湊を迎え入れた。

「まだ仕事ですか?」

「はい、今ちょうど選手のデータをチェックしてました。織田選手は食後のトレーニングですか?」

「はい、軽くですけど……。」

『ピリリリリ……』

突然真琴のスマートフォンが鳴った。
湊に断りを入れて真琴は電話に出ると代表スタッフからだった。
しばらく話をして電話を切る。

湊が真琴の顔を見る。

「これから柴原選手がドリンクを取りに来るみたいです。」

真琴は直樹に渡すためのペットボトルを用意し始めた。

すると、ドアをノックする音がした。

ドアの近くにいた湊が、ノックに気づいて先にドアを開けた。

「ん?あれ?湊?」

「おう、どうした?」

自分より少し背の高い直樹の顔を見る。

「あ!これ!」

湊の後ろから真琴がペットボトル3本を直樹の前に差し出した。

「あ、どうも。」

直樹は湊の身体の横からペットボトルを受け取った。

「すみません、部屋の冷蔵庫に入ってなかったですか?」

「はい……。」

「3本で足りますか?」

「あ、大丈夫です。」

「必要なものがあったらまた言ってください。」

「ありがとうございます。」

「ところで……」

直樹は少し間を置いて、もう一度口を開いた。

「湊は何してんの?」

湊はまだドアの前に立ったままだった。

「ちょっと調べたいことがあって。」

「調べたいこと?」

真琴は二人を交互に見ながら、キョトンと首を傾げた。

湊が部屋の奥へと入って、真琴に話し掛けた。

「この部屋、ルームフレグランス使ってます?」

「ルームフレグランス?いいえ?」

真琴は不思議そうに聞き返し首を横に振った。

「え!?ルームフレグランス使ってない?」

直樹もつられて部屋に入った。

「この部屋の匂い、なんかいい匂いで好きなんだよね。」

湊が部屋の香りをスンスンと嗅ぐ。

「え?何か匂います?」

真琴も湊と同じように部屋の匂いを嗅ぐ。

湊が直樹の方を向く。

「直樹、どう?何か匂う?」

「あぁ、甘いけど、なんか爽やかないい匂いがする。」

「えぇ?この部屋に慣れたのかな?私にはよくわからないけど……。」

真琴は不思議そうに二人を見た。

ルームフレグランスじゃなかったことでまだ納得いかない湊だったが、もう遅い時間なので、この日は諦めた。

「野上さんもホテル、俺らと一緒でしょ? 送っていくよ?」

湊が、何でもないことのように言った。

直樹は思わず湊の顔を見る。

(……送っていく?)

女性には、そんなことをするのか。

さすが、昨年末、モデルと噂になるだけのことはある。

直樹は、湊が女性の扱いや距離の取り方に慣れていることを改めて思い知らされた。

「あ、いえいえ。送ってもらうなんて、とんでもない……。」

真琴は慌てて手をブンブンと振った。

「歩いて五分ですから、気にしないでください。それに、まだ少しやらなくちゃいけないことがあるので……。」

「そっか。じゃあ、また明日。」

これ以上は邪魔になるだけと察した二人はドアを開けた。
すると、窓から入り込んだ風が、二人の間をすり抜けた。

ふわりーーー。

甘く、爽やかな香りが鼻先をかすめる。

二人は同時に足を止め、その香りを追うように振り返る。

そこには、微笑みながら小さく手を振る真琴の姿があった。

「おやすみなさい。また明日。」

そして、もう一度吹き込んだ風に煽られるように、ドアがバタンと閉まった。

二人はその場から動けず、顔を見合わせた。

「今……俺らが言ってた香りがしたよな?」

湊が直樹の方を見る。

直樹も確認するかのように湊を見る。

「したな。」

「……ジャスミンか……?」

「さぁ……?ジャスミンってあんな匂いなのか?」

「……多分。」

「はぁ?」

二人はしばらく残った香りを感じながら、黙って廊下を歩いていった。
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