第弐章
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ーーーー浅草騒動から二日後
第7と第8が協力関係を結んでから初めての第8出勤の日。紅丸と紺炉からは、「第8なら自由に行き来しても良い」という許可が下りたため、普段とは違う軽装の法被を着て、腰には忘れずに槍伸縮型をポーチにしまい込んだ。第8特殊消防教会の廊下を歩きながら、どこか落ち着かない気分を感じていた。
とある部屋の前で足を止めた。中から話し声が漏れ聞こえてくる。どうやら誰かがいるらしい。私は軽くノックしてから、ドアノブに手をかけ、ドアを開けた。
「絵馬です。入りますよーー」
部屋に入った瞬間、目の前に見知らぬ男が立っていた。その男は私を一瞥し、にやりと笑って言った。
「僕、誰だか分かります?」
見たこともない顔に、思わず私は首を傾げた。
「えっ…………田中さん?」
「全然違うっす。第7の十二小隊長。それとも、第8の小隊長と呼んだ方がいいっすか」
「……何で、私の名前知っている?」
私は瞬時に警戒心を抱き、無意識に男を睨みつけた。男は「しっけいしっけい」と言い、右手で癖のある髪の毛に手をつっこんでカリカリと頭を掻く。
「この度、第8特殊消防官隊科学捜査班に配属されちゃいました。ヴィクトル・リヒトっす」
「第8の化学捜査班……」
私は男をじっと見つめ、警戒の眼差しを緩めることなく、その姿を観察した。天然パーマの髪に、少し高めの身長、桜備大隊長と同じくらいの180センチほど。白衣の下に見える赤白のボーダーTシャツが、どこか不自然に目を引いた。ヴィクトル・リヒト。どこか得体の知れない雰囲気を漂わせるその男の名前に、私は一瞬だけ動揺を覚えた。
その時、背後から声がかかった。
「絵馬さん!待っていましたよ」
リヒトの背後から、アイリスの顔が覗き込み、私に微笑みかけた。
「桜備大隊長が絵馬さんを待っています。こっちですよ」
私服姿のアイリスは私の手を掴み、何の前触れもなくそのまま引っ張るように歩き始めた。私はそのままアイリスに引き寄せられ、横目でリヒトを盗み見た。リヒトは何も言わず、ただ私を見送りながら薄ら笑いを浮かべていた。その笑顔にはどこか気味が悪いものを感じ、私は無意識に目を逸らし、アイリスの後に続いた。
「絵馬さん!おはようございます‼︎」
「おはよう。シンラ、アーサー」
シンラが私に気づくと、ぱっと敬礼し、勢いよく挨拶をしてきた。それに対してアーサーは、どうやら朝が弱いらしく、ぼんやりと立ち尽くしている。二人ともアイリスと同じように、落ち着いた私服姿だった。私はアイリスから少し離れ、シンラの隣に立ち、椅子に腰掛けている桜備大隊長の方へ目を向けた。
「おはようございます。桜備大隊長」
「絵馬、おはようさん」
桜備大隊長は気さくに声をかけてくれる。私は少し息を呑んでから、話を切り出す。
「ここに来る前に、科学捜査班の……リヒトと名乗る男を見かけたのですが……」
「ああ、彼は昨日、第8に配属されたばかりだ。詳しいことは後で伝えるが、今日は別の件で絵馬にも同行してもらいたくて、第8に呼んだんだ」
桜備大隊長の言葉に、私は少しだけ納得し、再度口を開こうとしたが、その時アイリスが割り込んできた。
「シンラさんから聞きました。第7と第8は協力関係になったから、いつでも絵馬さんが第8に来てくださるようになったって!」
アイリスがひょっこり顔を向けて、無邪気に微笑んだ。その笑顔に、私の緊張が一瞬で解ける。普段ならもう少し警戒心を持っているはずなのに、アイリスの笑顔はどうしてこんなにも心を和ませるのだろう。
「そうだよ。これからもよろしくね、アイリス」
「はい、絵馬さん!」
「あーー……コホン。話を戻しても良いか?」
桜備大隊長がわざとらしく咳をした。その音で、私もアイリスもお互いに背筋をピンと伸ばし、自然と桜備大隊長の話に集中する。
「今から会いにいってもらうヴァルカンという男は、俺たちが第8に呼ぼうとしている機関員候補だ。彼が第8に相応しい人間か、確認してきてくれないかい?」
「そんな重要な判断を自分たちがやって、いいんですか……?」
「そのための引率として、今回は私が選ばれたということですね?桜備大隊長」
シンラが問いかけたのを受けて、私は続けて桜備大隊長に尋ねた。桜備大隊長はうなずく。
「その通りだ絵馬。絵馬小隊長は、三人の引率役だ。お前たちは、ヴァルカンと歳も近い!あまり気負わず、素直な感覚で判断してくれ!」
「了解‼︎」
アイリスとシンラは声を合わせる。その声に、私は自然と背筋が伸びる。第8小隊長として初めての任務が、少しずつ現実味を帯びてきた。心の中で少しだけ緊張しながら、私は頷いた。
ーーーーーーヴァルカン工房
第8拠点からかなり離れた場所にあるその工房、私はその正式名称を知らない。周囲には解体された古自動車の残骸や、黒焦げになった自動販売機。歯が抜けたような荒廃した大通りは、ひとことで言うなら、瓦礫の世界だった。
「絵馬さんの服、いつもとは違った法被ですね」
隣を歩くアイリスが、じっと私の服装に視線を向けていた。その好奇心に満ちた眼差しに、私は自然と微笑みが浮かぶ。ふと、法被の袖口を指で軽く引っ張って見せながら答えた。
「この服、先日皇国の服屋で購入したんだ。浅草で着ても違和感なかったからね」
「とても似合っています!」
アイリスに褒められ、私はその一言に心が弾むのを感じた。反射的に微笑む自分に、少し照れくささを覚える。すると、私たちの前を歩いていたシンラが、首だけを後ろに振り返りながら言った。
「絵馬さんの服もそうですが、シスターの私服姿、初めて見ました」
アイリスは黒色のタイツに可愛らしいワンピースを身にまとい、その首元には十字架のネックレスがしっかりと輝いていた。アイリスの笑顔が、その可憐さをさらに引き立てている。
「修道服だと、買い物のときとかに気を遣わせてしまうので、たまに着るんですよ」
「に、似合っています。シスター」
シンラは顔を少し赤らめながら、恥ずかしそうに目を逸らし、前を向く。その耳がほんのり赤くなっているのを私は見逃さなかった。シンラもやっぱり、年頃の男の子なんだな。そう思って、私は微笑ましく見守った。
「こんなところに住んでいるのか……?ヴァルカンって人」
シンラがつぶやくように言ったその言葉に、私も同じ疑念を抱く。私は桜備大隊長からもらった紙を取り出し、辺りの景色を交互に見比べた。紙には簡単な地図と、赤い丸で示されたこの辺りが描かれている。確認のためにポケットから取り出したその紙を見つめ、シンラに答えた。
「桜備大隊長からもらったこの紙には、この辺りみたいだけど」
アイリスは周りの景色を興味津々に見渡していた。瓦礫が散乱した無秩序に見える風景も、アイリスの目には新鮮に映ったのだろう。その様子を見たアイリスは、隣に立つアーサーに声をかけた。
「私、こういうところに来るの初めてです。アーサーさんは、あります?」
「ん〜〜〜〜」
アーサーは瓦礫をじっと見つめ、答えを出すのに少し時間がかかった。それを見かねたシンラが、呆れたようにツッコんだ。
「このすっとこどっこいは、なんにも覚えちゃいねェ」
「うるせェ。このひょっとこどっこい!」
「くっ、ふふ」
シンラとアーサーのやり取りが繰り広げられ、私は思わず笑いをこらえるのに必死だった。口の中で奥歯を噛むようにして、笑いを抑える。その間、アイリスは首をかしげながら、二人のやり取りを興味深そうに見つめていた。
「それも、浅草言葉ですか?ずいぶん、気に入ってますねェ」
「勢いがありますよねェ。絵馬さんも、浅草の人たちと話す時に、言っていたんですよ!」
シンラは私を見て、ニヤリと笑いながらアイリスに話しかけた。アイリスは私に視線を向け、「そうなんですか」と、妙に嬉しそうに言った。その笑顔を見て、私は少し照れくさくなりながらも、心の中で苦笑した。
「ここか……」
さらに歩いて十五分ほどのところに、それはあった。工房と言っていいのか、屋根も柱も窓枠も、材質や寸法がバラバラに繋ぎ合わされた建物。動物図鑑で何度も目にした動物の模型をかたどった外観。その見た目は確かに個性的だが、なぜか私はその建物に魅力を感じていた。
アイリスは驚きと興味深さを込めて、建物を見上げながら言った。
「あの鼻の長い動物、図鑑で見たことあります」
「え〜〜と、なんでしたっけ?”ゾー”だっけ?」
「惜しいね。シンラ。あれは”ゾウ”って言うんだよ。それで、尾びれみたいなものは、多分”クジラ”だと思う」
私はわかりやすいように、指で動物たちの特徴を示しながら、それぞれの名前を教えていった。動物の名前を覚えた理由は、十二炎を作り出すために動物図鑑を読み漁り、模写しては墨絵を描いていたからだ。自然と、動物たちの名前が頭に入ってきた。アイリスが手を叩いて喜んでいるのを見ると、あの地道な努力が少し報われたような気がした。
その時、アーサーが建物の周りに散乱している廃品や造作物、残骸などを見つめながら呟いた。
「すげェ、とこだな……」
その言葉に同調するように、私たちは建物をじっくりと見回した。工房の出入り口だと思われる銀色の鉄ドアの前で、シンラが立ち止まる。
「ごめんください」
しかし、反応はなかった。鉄ドアはしんとしていた。必要以上に静まり返ったその空気に、アイリスが心配そうに呟いた。
「お留守でしょうか……」
「居留守かもしれませんよ」
「二等消防官、アーサー・ボイル。騎士王だ‼︎」
アーサーはシンラの前に立ち、ドアの先にいるであろう主に叫んだ。その瞬間だった。鉄ドアの上に飾られている、闘牛のような模型の口から、突然ボウッと勢いよく炎が噴き出し、私たちに向かって迫ってきた。
私たちは素早く身をかわし、アーサーは怒りを込めて鉄ドアを睨みつけた。
「騎士王に、敵意をむき出すか」
「”消防官”に反応したんだよ‼︎」
シンラがアーサーの言動に呆れたように、指摘する。その時、鉄ドアが突然開き、威勢よく声が飛び出した。
「出てけェ‼︎」
その声と同時に、中身が入っていそうな缶が私たちに向かって放り投げられた。私は瞬時に反応し、手刀で缶を叩き落としたが、反応の遅れたシンラはその缶が頭に直撃し、鈍い音を響かせた。
「いてェ‼︎」
シンラが痛そうに頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。そんなシンラを見て、アーサーが鼻で笑った。
「ふっ、鈍い奴め」
だが、その直後。ゴンッという音と共に、アーサーの額にも缶が激しくぶつかり、体が後ろに反った。私は即座に身を守るようにアイリスの前に立ち、アイリスは両手で頭を守りながら、小さく「くん」と可愛らしく鳴いた。
すると、主はアイリスには何故か缶を投げず、ドアの内側から、思い切り叩きつけるようにドアを閉めたのだった。
「あーー‼︎テメェ‼︎ふざけんな、出てこい‼︎!」
「騎士に、飛び道具は効かねェんだよ‼︎!」
シンラとアーサーが鉄ドアに向かって、声を荒げて叫んだ。その時、背後から声が聞こえてきた。ゆっくりと振り返ると、大きなリュックサックを背負った三つ編みの少年が、何か不思議そうに立って私たちを見上げていた。
「あの……何か、ご用ですか?」
「あ”ん⁉︎」
シンラとアーサーが睨んだまま後ろを振り返る。少年は私たち、いや、シンラを見て驚きの表情を浮かべている。
「あれ⁉︎あなたは‼︎?」
少年はどうやらシンラのことを知っているようだ。私はシンラに尋ねた。
「シンラ。この子とは知り合い?」
「ん〜〜……」
シンラは首をかしげながら考え、少年に声をかけた。
「誰だっけ?」
少年はその問いに苦い笑みを浮かべ、少しだけ切なさと懐かしさが交錯した表情を見せながら答えた。
「ですよねェ〜〜〜〜」