第壱章
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太陽暦佰九拾八年 浅草
朝の空はまだ薄暗く、町の大半は静まり返っていたが、緊急の呼び出しが私を急かした。
「はい、承知!直ちに現場に向かいます」と、黒電話の受話器を戻し、急ぎ足で青線が刺繍された防火服を羽織った。土間で防火靴を履いていると、背後から朝の静けさを破る声が響いてきた。
「こんな朝っぱらから、第8は出動かァ?」
振り返ると、眠たそうに欠伸をしながら立っていたのは黒髪の青年、新門 紅丸だった。さらにもう一人、首まで包帯を巻いた長髪の青年、相模屋 紺炉がこちらを見ている。私は尋ねた。
「紅丸……寝ていたんじゃ……」
「若、素直に絵馬のお見送りしに来たと言わないのですかィ?」
「それに、紺炉まで……」
私が言いかけると、紺炉は優しく微笑む。
「絵馬、気を付けろよ」
防火靴を履き終えた私は、二人の方に向き直る。緊張感が漂う朝の空気の中で、彼らの存在が少しだけ心に安らぎをもたらしてくれる。この瞬間、仲間と共にいることがどれほど大切なのかを再確認する。
「お見送り、いつも有難う」と私は言った。
紅丸は少し苛立たしげに顔をそむけ、「チィ……お礼を言うなら、さっさと帰ってこい」と返す。一方、紺炉は軽やかに手を振り、優しい微笑みを浮かべた。
「うん!行ってくるね!」
その言葉がまるで出発の合図のように響き、私は二人に手を振りながら踏み出す。腰ベルトに装着していた槍伸縮型を手に取り、空中に一振り。まるで筆で絵を描くかのように、滑らかな動作で描く。
「踊れ!火鳥‼︎」
空中に描かれた絵から瞬時に炎が舞い上がり、その炎は大鳥の形へと変わった。大鳥は燃えるような翼を広げ、光と熱を放ちながら舞う。私を背に乗せ、目的の場所へ飛び立った。
東京ーーーー
火鳥の背に乗りながら、地上を見下ろしている。朝焼けの光が空を赤く染め、都市の輪郭が柔らかく浮かび上がっていく。私は、ある人物を探し求めていた。
「駅で”焔ビト”が出現したと報告があって、電車から黒煙が出ているのは目で目視できるけど…………あっ!いた、桜備大隊長!!」
青線の防火服を見に纏い、エンブレム「8」が付けられたヘルメットを被った一団の中に、桜備大隊長の姿を見つけた。彼は、私の存在に気づき、左手を上空に上げる。
「来たか、絵馬!」
それを合図に私は火鳥を急降下させ、火鳥の翼が風を切り裂く音が響く。火鳥から飛び降り、地面に綺麗に着地した。火鳥は再び上空へと舞い上がり、大気の中に溶け込むように消え去った。私は桜備大隊長に視線を向け、少し息を整える。
「遅れてしまいました!すみません」
筋肉質でガタイが良い第8特殊消防隊の大隊長、秋樽 桜備。彼は一般消防士出身で、私の上司にあたる人だ。その彼の隣には、同じ防火服を着用し、眼鏡をかけた青年がいた。彼が口を開く。
「いや、間に合っている」
「火縄中隊長、お疲れ様です」
第8特殊消防隊の中隊長、武久 火縄。そして、中隊長の近くにいた少女が、こちらに近づいて来て笑顔で私に敬礼する。
「絵馬さん、待っていましたよ」
「茉希一等消防官、シスターアイリスも」
魔女のような帽子を被る茉希が微笑み、彼女の少し後ろにいるアイリスと目が合った。アイリスも私に微笑み返す。私は二人の顔を見てホッと安心したが、ある事を思い出して火縄中隊長に慌てて尋ねた。
「状況は!?電車から黒煙が上がっていたのが上空から見えましたが……」
「ああ、”焔ビト”が出現し、今から駅内に突入して鎮魂しに行くところだ」
「そうでしたか」
私は駅の方向に目を向ける。そこでは、恐怖に駆られた人々が、駅内から外へと一斉に逃げ出している姿が見えた。状況を把握し、私の中で意志が固まる。
「絵馬 十二!いつでも行けます!!」
その言葉に、桜備大隊長が力強く頷いた。
「よしっ!いくぞお前ら!!」
その合図で、私たちは”焔ビト”がいる駅内へと突入した。煙と炎の中で、胸に使命を抱え、私たちはまるで真っ白な光の中へと飛び込むように勇敢に足を踏み入れた。周囲の混乱にもめげず、私は集中し、その瞬間を迎える覚悟を決めた。
「特殊消防隊だ!!道を開けなさい!!ほらッ!!どけどけ!!」
桜備大隊長が先陣を切り、人混みを掻き分けて進んでいく。その背中は頼もしく、周囲の混乱を少しでも鎮めようとしている。続く茉希がその後を追っている。私は、民間人に声をかけながら、できる限りの距離を保たせるよう進む。
「民間人は退がって!ここは危険です‼︎もっと下がってて!!!」
強い口調で促しながら、桜備大隊長と茉希の後を追い、私は周囲の人々を”焔ビト”から遠ざけようと必死に呼びかけた。私の後ろには、火縄中隊長とアイリスがついてきている。
「道を開けて!シスターが通ります!!」
「すみません……すみません……」
火縄中隊長に誘導で歩くアイリスは、心なしか不安げな面持ちだ。
「シスターこっちです」と私はアイリスに右手を差し出す。
「ありがとうございます」
と彼女が私の手をしっかりと掴んだ瞬間、安堵の感情が少しだけ心に広がる。
一緒に階段を登り始めたその時、突然、耳をつんさぐような叫び声が響き渡った。
「があぁぁあああぁ!!!」
階段を登り切った先には、一体の"焔ビト"が放声を上げて立ちはだかっていた。混乱した空気が一瞬にして変わり、戦いの覚悟が私たちの心に宿る。
「”焔ビト”を確認!各員、戦闘・鎮魂体制!」
「了解!!」
桜備大隊長が高らかに命じる。皆が一斉に体制を整え、緊張感が場に満ちていく。その時、私は視界の隅に学生服を着た少年の姿が映った。
「桜備大隊長!あそこに少年が一人残っています」
私は分かりやすく指で示す。桜備大隊長は少年を目視で確認し、即座に頷いた。
「分かった。…………君!こんな所にいないで、早く下がって!」
桜備大隊長は少年の方へ近づき、優しくも強い口調で声をかける。腕を伸ばし、少年を後ろへ避難させようと促す。
そして、私の方に振り向き、指示を出した。
「絵馬、この少年を安全な場所まで誘導してくれ!」
「承知です!君、こっちだよ」と声をかけ、私は少年について来るように促した。
桜備大隊長に指示された私は、少年を安全な場所へ誘導する。しかし、その途中で火縄中隊長が何かに気づいたように、少年の顔をじっと見つめ始めた。
「あれ?君は……」
「火縄中隊長?」と私は思わず呟いたが、緊迫した状況の中で、その声は微かに消えた。
「中隊長!何やっている!!」
「はっ、すいません!」
桜備大隊長に叱責され、火縄中隊長は慌てて少年から目を逸らし、桜備大隊長の後に続いて再び任務に集中する。私は少年の方へ向き直り、声をかけた。
「君、ごめんけど、もう少し後ろに下がって!」
そう言いながら、少年を”焔ビト”からできるだけ遠ざけるように誘導する。やがて、十分な距離が確保できたと確認し、安堵の息をつく。防火服のボタンを外し、肩にかけ直すと、腰ベルトから槍伸縮型を取り出した。
その時、桜備大隊長がアイリスに視線を向け、冷静な声で指示を出した。
「シスター、祈りを始めてください」
「はい!」
アイリスはその言葉に応え、祈りの姿勢に入り、静かにその声を紡ぎ始めた。
「炎ハ魂ノ息吹……黒煙ハ魂ノ解放……」
私は槍の先端を地面に向け、素早く絵を描く。精神を集中させ、その瞬間を待つ。
「踊れ!火虎!!」
叫びが響き渡ると、描かれた絵から炎をまとった大虎が地面から現れ、"焔ビト"へと駆け出していった。
「スゲェ……地面から虎が出てきた!?」
少年の驚きの声が、背後から明瞭に聞こえてくる。その声に一瞬振り向くが、目の前の状況から目を離すことはできなかった。
火虎は、火縄中隊長が放った特殊消化弾で泡だらけになった"焔ビト"に目掛けて猛突進し、一気に噛みついて動きを抑え込む。
「があああぁぁあ」
"焔ビト"は悲痛の叫びを上げ、近くにいた桜備大隊長へと炎を放とうとする。しかし、茉希が一歩前に出てその炎を防いだおかげで、桜備大隊長に届くことはなかった。
「灰ハ灰トシテ……其ノ魂ヲ……炎炎ノ炎ニ帰セ」
アイリスの祈りの言葉が、鎮魂に静かな力をもたらす。桜備大隊長は、コア殲滅用パイルバンガーを手に取り、火虎によって抑え込まれている"焔ビト"のコアに目掛けて一撃を放った。パイルバンガーから放たれたその一撃が、"焔ビト"のコアを貫き、破壊する。その瞬間、”焔ビト”は灰となり、跡形もなく消えていった。
それと同時に、火虎は炎の百合へと変化し、"焔ビト"と共にその姿を消してしまった。
「ラートム……」
アイリスの祈りが、静寂をもたらしながら、第8特殊消防隊の戦闘・鎮魂の終わりを告げた。私は、一息ついて心の底からほっと胸を撫で下ろす。
「はぁー……終わった」
と呟いたその時、突然、ガコン!!という音が天井から響き渡る。顔を上げると、炎に包まれた蛍光灯がアイリスの頭上に迫っているのに気づいた。
「アイリス!」と叫びながら、急いで彼女の名前を呼ぶ。その瞬間、私の背後にいた少年が炎をまとい、驚くべき速さでアイリスの元へと駆け出していくのが視界に映った。
彼は足から炎を発し、お姫様抱っこでアイリスを救い、蛍光灯の落下を回避させた。瞬時に、火縄中隊長によって粉砕された蛍光灯が地面に崩れ落ちる。その光景を目にした私は、少年がアイリスを助ける際に能力を使うのを目撃し、これが初めて少年が能力者であることを知った。粉砕した蛍光灯の近くには、少年が走った跡と思われる焦げた足跡が連なり、地面に道を作っていた。
「能力者だったのか、あの少年……って、ハッ!いかん、いかん」と心の中で思いながら、急いで彼がいる場所へと走った。
少年はアイリスを地面にゆっくりと下ろし、火縄中隊長に向かって敬礼をし、明確な声で言った。
「はい、申し遅れました。本日から第8特殊消防隊に配属されました。第三世代消防官、森羅 日下部です!!!」
避難誘導していた少年は、今日から第8特殊消防隊に配属される新人隊員、森羅 日下部であることを理解した。心の中で、驚きと共に、彼のこれからの活躍を期待せずにはいられなかった。