第参章
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お昼時の陽射しが、浅草の町を明るく照らしている。空はどこまでも青く、雲一つない。私は法被の袖を軽くまくり、いつものように一人で歩き出す。朝の警備とは違い、昼の街は活気に満ちている。人のざわめき、店の呼び込み、子供たちの笑い声が、まるでこの町の鼓動のように響き合う。
道通りは人で溢れ、買い物袋を提げた主婦や、新聞を手にぶつぶつ呟きながら歩く壮年、隙間を縫って駆け回る子供たちで賑わっている。駄菓子屋の前では、少女たちがアイスを手にキャッキャと笑い合っている。私は小さく微笑み、通りをゆっくり見渡す。異常はないか、いつもより少しだけ鋭く目を配る。
商店街に入ると、魚屋の大将が「いらっしゃい!」と威勢のいい声を張り上げる。焼き魚の香ばしい匂いが漂い、つい腹が鳴りそうになる。隣の肉屋からは、焼きたての肉の香りが誘惑してくる。昼時だもの、仕方ない。でも、私はグッと堪えて歩みを進める。任務中だ。
雷門前に差し掛かると、喧騒が少し遠のく。ゴミ箱のそばで、灰色の猫がのんびり昼寝をしている。私と目が合うと、まるで「なんだよ、静かにしろよ」と言いたげにじっと睨んでくる。思わず小さく笑ってしまう。異常なし。と、その時、門番の火消しが声をかけてきた。
「お嬢、今日は外の巡回か?」彼は棒飴を口にくわえ、のんびりした口調で言う。
私は軽く頷き、答える。「まあね。この前、浅草でちょっとした騒動があったでしょ? 外から妙な奴が入ってこないように、念のため目を光らせてるんだ」
火消しは棒を指で弾き、ニヤリと笑う。「そりゃ助かる。最近、また妙な噂が流れてるんだよ。ほら、火事場泥棒の…なんだっけ、小学生だっけ?」
私は眉を上げ、訂正する。「火事場強盗の女学生、じゃない?」
「ああ、そうそう、それ!」 火消しは手を叩いて笑う。「さすが、お嬢。よく知ってるな」
「書類を漁ってたら、そんな事件の報告がいくつかチラッと目に入ってね」私は肩をすくめる。「その女学生、自作自演の放火疑惑があるって話だったけど…どうなんだろう」
火消しは飴を口の中で転がし、目を細める。「それが、ちょっと違うらしいんだ。門の前でいろんな奴に話を聞いてたらさ、被害者たちが言うには、火事の瞬間を自分たちでバッチリ目撃してるんだと。で、逃げ道を探してる最中に、その火事場強盗が颯爽と現れてな。金を取る代わりに、ちゃんと助けてくれるらしい」
「へえ…」 私は思わず呟く。興味が湧いてくる。
「しかもよ、」火消しは声を潜め、まるで秘密を共有するように続ける。「皇国の特殊消防隊より早く現場に現れるんだと。まるで火事が起きるのを前もって知ってるみたいに、な」
私は腕を組んで考える。火事の現場に現れる女学生。金銭を要求しつつも、確かに人を助ける。放火の疑惑はあるが、被害者たちは火事の発生を確かに目撃している。偶然か、それとも…。
突然、雷門の向こう、皇国の方からけたたましいサイレンが響き渡る。
遠くの方で特殊消防隊のマッチボックスが、建物と建物の間を走り抜けるのが見えた。
「なんだ、なんだ⁉︎」とその音に火消しは驚いて飴を落としそうになる。
「あのマッチボックス……第8の」私は皇国の方へ目をやる。
「絵馬!」背後から私の名を呼ぶ声。振り返ると、紺炉が息を切らして駆け寄ってくる。
「第8の大隊長から緊急要請だ!絵馬、行けるか?」
「合点承知!」 私は即座に頷き、火消しに振り返る。
「話、ありがとう。その女学生、ひょっとしたらこの火事現場に現れるかもしれない。ちょっと調べてくるよ」
火消しはニヤリと笑い、飴を奥歯で噛む。「お嬢なら、すぐ嗅ぎつけるだろ。楽しみにしとくぜ」
私は小さく頷き、紺炉に向き直る。右手を高く掲げ、腰のベルトから槍伸縮型を取り出す。その刃を空に振ると、まるで筆で線を引くように、一筋の光が走る。
「踊れ!火鳥‼︎」
空中に炎が現れ、瞬く間に大鳥の姿を形作る。燃え上がる翼が光と熱を放ち、羽ばたきながら私を背に乗せる。私は紺炉に一瞥をくれる。
「じゃあ、行ってくる。帰ったら、私の好きなモノ、用意してくれたら嬉しいな」
「ああ、気をつけろよ!」 紺炉が叫ぶ。
火鳥が力強く羽ばたき、私は風を切って空へ飛び立つ。眼下に広がる浅草の町並みを見下ろしながら、胸に湧き上がるのは、この火事の裏に、あの女学生がいるのかと言う思いだった。
空から見下ろす皇国の街は、あちこちから黒煙が立ち上り、炎の舌が建物をかじるように揺れている。火鳥の背に乗る私は、風を切りながら目を凝らす。
「広範囲の火災だ……。第8の皆はどこに?」
言葉を呑み込むように、左側から不気味な唸り声が響く。ゴウゥゥゥ。音の方向へ視線を向けると、炎の渦が猛烈な勢いでこちらへ迫ってくる。私は咄嗟に火鳥から飛び降り、重力に身を任せて頭から街へと落下する。
「なんだ、あの炎の渦? どこから来た?」
落下しながら、煙と炎の隙間を縫うように目を走らせる。一瞬、角のようなものが生えた“焔ビト”の影がちらりと見えた気がしたが、すぐに濃い煙に飲み込まれる。確証はない。だが、あの不自然な炎の動きは、ただの火事じゃない。
「チッ、見失ったか。仕方ない、あの“焔ビト”のいた方向へ急ぐしかなさそう」
煙の中で体をひねり、姿勢を整える。腰のベルトから槍伸縮型を引き抜き、その刃を空に振り上げる。一筋の光が弧を描く。
「踊れ!火猪‼︎」
空中に現れた炎が、瞬く間に巨大な猪の姿を形作る。ズシンと大地を揺らすような音を立て、火猪が現れる。私はその背を滑るように滑り、地面に着地する。熱を帯びた空気が頬を焼く。
「ありがとう、火猪」
火猪はゆっくりと頷いた。
その時、反対側の通りから悲鳴が響く。「キャアアアアア‼︎こないでッ‼︎」
「だ、だ、誰かーー‼︎」
視線を向けると、恐怖に顔を歪めた人々が押し寄せてくる。その背後には、ゆらめく炎に包まれた二体の“焔ビト”が迫っていた。
「火猪!」
私の声に応じ、火猪が円形の炎の壁へと姿を変える。炎は熱を放ちながらも、奇妙な安心感を与える光を帯びていた。
「皆さん、この炎の壁の中に入って! 私の能力です、安心してください!」
人々は一瞬、戸惑ったように立ち止まる。誰かが呟く。「こんな時に…原国主義の浅草の人間が、なんでここに?」
私は小さく息をつき、苛立ちを抑えて叫ぶ。
「今そんなこと気にしてる場合ですか? それとも、後ろの“焔ビト”に焼かれたいんですか?」
その言葉に、群衆は押し黙り、次々と炎の壁の中に逃げ込む。私は全員が入ったのを横目で確認し、壁の前に立つ。槍の先を“焔ビト”に向け、静かに息を整える。
「鎮魂が終わるまで、絶対に壁から出ないでください。火傷しますよ」
そう言い放ち、私は“焔ビト”へと駆け出した。