第参章
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ガラガラと詰所の戸が開く音が響いた。私は自室の布団に横になって、ぼんやりと朝の光を浴びていたが、その音に思わず身を起こした。畳の上に置いた槍伸縮型が、朝の光を受けて鈍く光っている。詰所は普段静かなものだが、今日の朝はどこか空気が違う気がした。
「お邪魔します」
その声は聞き覚えがあった。男の声。低く、落ち着いているが、どこか硬質な響きを持つ。第8特殊消防隊、桜備大隊長の声だ。私は布団を跳ね除け、急いで法被を羽織った。階段を降りる足音が、自分の心臓の鼓動と重なる。彼がこんな朝早く、わざわざ第7小隊の詰所に来るなんて、ただごとじゃない。
階段を下りきると、開け放たれた戸の向こうに桜備大隊長の姿が見えた。長身で、黒いスーツに身を包んだ彼は、まるで影が実体を持ったかのようにそこに立っていた。詰所の土間に立つ紺炉に向かって丁寧に頭を下げていた。
「これはこれは、第8の大隊長さんじゃねェか」紺炉の声は穏やかだが、どこか探るような鋭さがあった。「こんな朝っぱらから、第7の詰所に何の用だ?」
桜備大隊長は一瞬、視線を落とした。だが、すぐに顔を上げ、紺炉をまっすぐ見つめた。その瞳には、普段の冷静さとは違う、微かな熱のようなものが宿っていた。
「第7小隊に、俺個人としてお願いがあって来ました」
その言葉に、私は階段の陰で息を呑んだ。彼の言う「お願い」とは何か?
紺炉が口を開いた。「詳しい話は、部屋でしようぜ。絵馬!」彼の声が詰所に響く。「そこにいるんだろ?悪りィが、若を部屋から呼んできてくれ」
「承知!紺炉の部屋で良い?」
「おう」紺炉は短く答えた。桜備がふと私の方を向いた。
「絵馬、おはよう。急に来て悪いな」
「いえいえ。私、今から紅丸を連れてきます。紺炉について、部屋で待っていてください」私は彼の視線を避けるように踵を返し、階段を駆け上がった。紅丸の部屋は二階の突き当たり。この時間帯はまだ寝ているだろう。私の足音が詰所の廊下に響く中、頭の中では桜備の「お願い」という言葉が反芻していた。
私は襖に手をかけ、わずかに軋む音を立てながら、ゆっくりと部屋に足を踏み入れた。畳の上に敷かれた座布団に腰を下ろすと、かすかに漂う日向の匂いが鼻をついた。部屋の隅には、手入れの行き届いた消防装備の刀が静かに置かれている。その刃の冷たい光が、朝の薄暗い部屋に不思議な重みを加えていた。私の隣で、紅丸が胡座をかいて座った。彼の鋭い目が、向かいに正座する桜備大隊長をじっと見据えている。桜備大隊長の姿勢は整然としているが、その背筋の硬さは、どこか緊張を隠しているように見えた。
紅丸が、いつものぶっきらぼうな口調で切り出した。
「絵馬から聞いたが、俺たちにお願いしてェことってのは何だ?」
彼はこういう回りくどい話が嫌いだ。だが、その目の奥には、桜備大隊長の意図を探ろうとする鋭い光があった。だが、彼がただの短気な男でないことは、私がよく知っている。彼はいつも、言葉の裏に隠された真実を見抜こうとする。
桜備大隊長は一瞬、視線を畳に落とした。まるで言葉を選ぶように。だが、すぐに顔を上げ、落ち着いた声で答えた。
「絵馬小隊長から聞いているかと思いますが、昨日の第4についてです」
「簡潔に頼むぜ。余所者の話なんざ、俺は興味ねえ」
その言葉に、桜備大隊長の額にうっすらと汗が浮かんだ。「そ、そうですか」彼は小さく咳払いをして、声を整えた。「それなら、改めて。シンラから聞いた話と……絵馬小隊長」
桜備大隊長の視線が私に向けられた。その目は、穏やかだが、どこか底知れぬ深さを持っている。「昨日の第4の出来事を、もう一度、ここで話してくれないか?」
名を呼ばれ、私は思わず背筋を伸ばした。私は深呼吸して、記憶を整理しながら口を開いた。
「承知です。私は桜備大隊長の依頼で、アーサーと共にシンラの護衛として第四特殊消防所に向かいました。そこで、暴走するシンラと対峙することになりました。第四のアーグ大隊長、パーン中隊長、そして第六のアーグ中隊長がすでに現場にいました。シンラの暴走は、おそらく”アドラリンク”の影響によるものだと思います。それと同時に、第4の隊員数名が、地下で遭遇した白装束のハウメアに操られているようでした。私とアーサーは、第4の隊員一名とパーン中隊長と協力し、なんとかシンラの暴走を抑え込みました。これが、昨日の第4の出来事の概要です」
言葉を終えると、部屋に重い沈黙が落ちた。桜備大隊長は私の顔をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。「話してくれてありがとう、絵馬小隊長」
私は咄嗟に頭を下げた。紅丸は黙ったまま、腕を組んで桜備を睨んでいる。彼の指が、座布団の端を無意識に摘まんでいるのが見えた。紅丸も、何かを感じているのだ。顔を上げると、今度は桜備大隊長の口が再び開いた。
「シンラから聞いた話によると、第4のことに加え、新たな”アドラバースト”の持つ者の誕生もあるそうです」
紅丸の目が、鋭さを増した。「大まかな内容は分かった。それで、それがお願いと何の関係がある?」紅丸の声は低く、まるで相手を試すようだった。
桜備大隊長は一瞬、目を閉じた。まるで覚悟を決めるように。そして、力強く答えた。「伝導者の目的は、新たな”アドラーバースト”の持ち主の確保が狙いです。我々は、その者を守り、伝導者を叩くために、第7小隊の力を借りたい。他の小隊と一致団結して、奴らに立ち向かうための要請です!」
「それがお前のお願いか?」
「はい!」と桜備大隊長は膝の上で拳を握り直し、力強く頷いた。その目は、まるで炎のように燃えている。
だが、紅丸は即座に答えた。「俺は参加しねェ」
その言葉に、桜備大隊長の顔が一瞬凍りついた。だが、彼はすぐに冷静さを取り戻し、静かに尋ねた。
「その理由を、聞いても?」
「お前ら第8とは盃を交わした仲だから、話は聞いてやる。だが、余所の隊が絡むとなると話は別だ。俺が信用してるのは、第8だけだ」紅丸の声は、まるで刃のように鋭かった。
「そうですか……」桜備大隊長は視線を下げ、静かに呟いた。その声には、どこか少し諦めのような響きがあった。
「おいおい、第8の大隊長さんよ。ちょっと勘違いしてねェか?」突然、紅丸の隣に座っていた紺炉が口を開いた。彼の声は、いつも通りの口調だが、どこか底に重みがある。桜備大隊長が「え?」と顔を上げる。
「若が、参加しないだけで要請を無視するってわけじゃねェよ」紺炉はニヤリと笑った。その笑顔は、まるで何か企むような光を帯びていた。
桜備大隊長が戸惑ったように呟く。「それは、どういう……?」
突然、紅丸の手が私の肩にそっと置かれた。その感触は、意外なほど優しかった。「盃を交わした兄弟の頼みを無下にする気はねェ。だから、俺の代わりに絵馬を向かわせる。戦力なら、絵馬で十分だろ」
私は一瞬、言葉を失った。だが、すぐに気持ちを切り替え、桜備大隊長に向き直った。「桜備大隊長、私に任せてください!」私は拳で胸を軽く叩き、決意を示した。
「絵馬もこう言ってる。それでいいか?」紅丸の声には、どこか挑戦的な響きがあった。
桜備大隊長は一瞬、私と紅丸を交互に見つめた。やがて、ゆっくりと頷いた。「はい、ありがとうございます。よろしく頼むな、絵馬!」
「合点承知!」私は胸を張って答えた。