第参章
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シンラとアーサーに別れを告げ、浅草の詰所に帰還した私は、防火靴を脱ぎ、玄関の板敷に腰を下ろした。ひんやりとした木の感触が背中に染み、畳の香りが鼻をくすぐる。仰向けに寝転がると、静寂が辺りを包み、まるで時間が止まったかのようだ。天井の梁に目を細め、今日一日の出来事をなぞる――シンラのアドラバーストの暴発、断片的に蘇る過去の光景、こちらに手を差し伸べる女の姿。胸の奥でざわめくのは、記憶の欠片だ。
「アドラリンクした時の洗礼、か……」アーグ大隊長が私に投げかけた言葉を、そっと呟く。口に出すことで、その言葉が現実の重みを持つような気がした。
アーグ大隊長の言う通り、私は過去にアドラリンクしたことがあるのだろう。頭の奥にちらつくのは、幼い頃の私とハウメアの記憶だ。どこで出会ったのか、場所も時間も定かではない。ただ、彼女の手を強く握っていた感触だけが、鮮明に残っている。それに――。
指が自然と腰ポーチの槍伸縮型に触れる。硬い感触を確かめるように、そっと表面を撫でた。この槍もまた、過去と繋がっている。リヒトの調査でわかったこと――この槍は灰島で作られ、そこには白装束の一人、Dr.ジョヴァンニが関わっていた。そして、彼もまた、過去の私とどこかで交錯していた。断片的な記憶が、まるで一本の糸で縫い合わされているかのように、私の中で絡み合う。
「全部、繋がってるんだ……」私は小さく呟き、目を閉じ、冷たい板敷に熱い思考を預ける。
「またこんなとこで寝転がってんのか」突然、頭上から声が降ってくる。
目を開けると、紺炉がこちらを見下ろしていた。両肩にはヒカゲとヒナタがちょこんと座っている。
「ウシシシ! 風邪引くぞ、絵馬ーー!」ヒカゲとヒナタが無邪気に笑う。
「ただいま」と私は小さく呟き、ゆっくり体を起こして胡座をかいた。紺炉を見上げる。「シンラの護衛、終わったよ」
紺炉はヒカゲとヒナタをそっと板敷に下ろし、眉を寄せる。「なんか歯切れが悪ぃな。何かあったか?」
私は一瞬、言葉を選んだ。「シンラが第4で急に暴走しちゃって……」
「なんだと?」紺炉の声に驚きが滲み、目が鋭くなる。
「第4の奴らがシンラにいちゃもんでも言ったんじゃねぇのか」
「……まぁ、それももしかしたらあるかもね。取り敢えず、シンラは自分で膝蹴りを顔にくらって、鼻血を出したくらいで済んだ」
「そうか」と紺炉は小さく息を吐き、肩の力を緩めた。
「ゲロブサひょっとこだーー!」「みっともねェーー顔してるぞ」ヒカゲとヒナタがくるくると私の周りを回りながら、からかうように笑う。
「よさねぇか、お前ェら」と紺炉が呆れたように言うと、ふっと私に視線を向ける。「ほら、絵馬」と手を差し伸べてきた。
その手を取って立ち上がる。紺炉の掌は大きく、温かかった。
「お勤めご苦労さん。食堂で紅丸が待ってるぞ」
紺炉に手を引かれながら、私は食堂へと足を進めた。
味噌汁の香りが鼻をくすぐった。紅丸が目の前で椀を手に持ち、こちらに鋭い視線を投げかける。「あいつに何か言われたのか?」椀を口に運びながら、彼の声は低く響いた。
「アーグ大隊長に?」私は椀を手に、聞き返した。
「ああ」
「天使を見たのか、って」私は静かに言葉を紡いだ。
「てんし?」紺炉が首をかしげ、箸を止めた。「なんだそりゃあ?」
「神様の使い、ってことだよ」私は淡々と答えた。
「バカみてェな話だな」紅丸が鼻で笑い、味噌汁を啜る音が一瞬だけ食堂に響く。
「で、絵馬はなんて答えたんだ?」紺炉が好奇心を隠さずに尋ねてくる。
「何も」私は首を振った。「ただ……地下で私は白装束と交戦した話、したよね」
「あぁ、してたな」紺炉が頷く。「見たこともない光景や、誰かの声、異様に鮮明な感覚が次々と脳裏に流れ込んできた、って話だろ」
「その記憶、嘘じゃないかもしれない」私の声は、思ったより小さかった。
「は?絵馬、急に何をーー」紺炉が目を丸くするけど、私は彼を遮った。
「私、小さい頃の記憶が曖昧なところがあって」言葉が口をついて出る。紅丸の視線が私を捉えるのが分かるけど、私は椀を見つめたまま続けた。
「最初は、歳をとるにつれ、幼い頃の記憶はあまり覚えていないもんだと思っていた……。けど、もしかしたら記憶の何処かを消されていたんじゃないかって」
紅丸の目が、静かに、だが鋭く私を捉えた。「どうしてそう思う?」彼の声は低く、まるで私の本心を引きずり出すようだった。
私は腰ポーチの槍伸縮型に視線を落とした。「第8のリヒトさんにこの槍を調べてもらったの。そしたら、この武器が灰島で製作されていたことがわかった。そして、灰島には白装束の一人、Dr.ジョヴァンニが関わってた。私が浅草で生活していた時には、すでにこの槍を持っていた。だからーー」
「だから、その時期と関係してるんじゃねェかって思ったわけだな」紅丸が低い声で続ける。「でも、絵馬、言ってたじゃねェか。その記憶も嘘かもしれない、って」
「言ったよ。でも……」私は言葉を切り、椀をテーブルに置いた。
「絵馬、その記憶が拭いきれねェのか?」紺炉がこちらを見つめる。真剣な眼差しに、私は小さく頷いた。
「消された記憶の真実を知りたい」私は二人をまっすぐ見つめた。「だから――」
「絵馬」紅丸が私の名を呼び、言葉を遮った。
彼は立ち上がり、グイッと私の右腕を掴む。顔が近づき、息がかかるほどの距離で彼の目が私を捉える。
「おめェの好きなように動け。だが、必ずここに帰れ。いいな」
紅丸の手が離れると同時に、彼の指が私の額に軽くデコピンを弾いてきた。痛みより、温もりが胸に響いた。こんな彼の仕草、いつ以来だろう。私は小さく笑い、頷いた。「わかったよ、紅丸」