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お姉ちゃんは心配性
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和弘の一日は、母親にたたき起こされるところから始まる。
「もう、あんたはいつまで寝よんの!」
勢いよくカーテンが開き、日の光がベッドに降り注ぐ。思わずタオルケットで顔を覆う。
「まぶしい……」
抵抗もむなしくタオルケットを剥ぎ取られる。それでも目を開けたくなくて、枕に顔を押しつけるが、
「お姉ちゃん、今日はもう学校行く言うとるちゃ」
母親の一言は寝ぼけた頭を覚醒させるには十分だった。
慌てて着替えてランドセルと校帽をひっつかみ一階に降りると、姉はダイニングテーブルで英単語帳をめくっているところだった。
「和弘くん、おはよう」
「姉ちゃん、待たんね!」
和弘は朝食をほぼ丸呑みし、洗面所で顔を洗って歯を磨き、再び姉の前に立った。
食卓にはもう一人分の朝食が用意されている。手つかずのところをみると、秀樹はまだ寝ているのだろう。だが早食い早歩きの兄のことだから、小学校に着くまでには追いつくのも毎朝のことだ。
「姉ちゃん! 行こ!」
「髪の毛すいたと? ボサボサやないの……」
姉の言葉が終わる前に玄関で靴を履いている。髪をとかすつもりはさらさらなさそうだ。
「……しょーんなかね」
呆れたように、しかしそんな弟が愛らしいのかまんざらでもなさそうな表情で姉は席を立つ。
「いってきます!」
「いってきます」
「いってらっしゃい。二人とも気ぃつけてね」
母親に見送られ、二人で家を出た。心なしか、姉の歩調がいつもより速い。
「今日から期末テストやけん、ちょっと急ぐばい」
「うん。……じゃあ兄貴もテスト?」
「そうやけど……」
大丈夫なんかあいつは、と言いたげに顔を曇らせた。
姉と兄は、和弘が通う鉄善小学校のすぐ隣りにある鉄善中学校に通っている。成績が良くて優等生の姉は三年生、素行不良で問題児の兄は二年生。
「姉ちゃん、高校どこ受けるんか決めた?」
「鉄善高校かな。うちから一番近いけん」
福岡県立鉄善高校は、鉄善中からさらに歩いて五分ほどの距離で、自宅から徒歩で通学できる。
「じゃあ来年も一緒に登校できるっちゃね!」
素直に喜ぶ弟は裏腹に、姉の内心は複雑だった。和弘も来年は六年生、難しい年頃だ。さすがに高校生の姉と一緒に登校するのを嫌がってもおかしくない。それをいったら、今でも嫌がられても不思議ではないのだが……。
(こういうことできるのも、今のうちだけかもしらん)
(それにしても、秀樹のヤツ、何しとーと……)
もう一人の弟が気になって振り返る。姉に釣られて和弘もそれに倣う。
遠くから秀樹が脇目も振らずこちらに向かってきている……。
かと思うと、あっという間に追いついた。
「兄ちゃん、おはよう」
和弘の挨拶にも無言を貫き通す。一見すると関心がないようだが、秀樹は秀樹なりに弟をかわいく思っていることは、和弘自身も姉も承知の上だ。
美人で頭のいい姉と喧嘩が強くて怖いもの知らずの兄を和弘が自慢に思っていること、姉弟三人で登校したがっていることを知っているからこそ、秀樹は行きたくもない学校に渋々ながらも毎朝登校しているのだ。
(素直じゃなかね、こいつは)
「何、見よんかちゃ」
機嫌悪そうにじろりと睨まれたが、
「別に……。今日は遅刻したくないけ、早よ行くっちゃよ」
二人の弟を急かして、歩くスピードをさらに早めた。
そういう自分も、遅刻ギリギリまで和弘を待つ、弟に甘い姉であることは自覚しているのだった。
病室で私を出迎えたのは、ベッドで穏やかに眠る和弘と、それを傍らで見守っている秀樹だった。
朝から家にいないと思ったら、ここに来ていたのか。
示し合わせたわけではないが、秀樹は平日に、私は授業のない土日に和弘を見舞っていたので、今まで病院でかちあったことはなかったのに。
何というタイミングの悪さだ。
「そげん顔せんでもええやろ」
そう言われて、心の中が顔に出ていることに気づいた。
今更、秀樹と話すことなどない。十年以上ひとつ屋根の下で暮らしているが、会話どころか挨拶すらまともに交わしたこともない。
会話したのは今まで二回。一度目は中学二年の時に不良達から助けてくれた時。二度目は数週間前の和弘の病室で。
「和弘くん、寝とるとね」
寝顔を覗き込み、誰に言うでもなく呟く。
「リハビリ終わって病室 に戻った途端、すこーんと寝よったっちゃ。……昨日の夜は夢見が悪かったみたいや」
「……」
私が見舞った時にも何度か、夜眠れなかったとこぼすことがあった。
気丈に振る舞っていても、内心はそうでもないことは想像に難くない。
歩行を奪われたという受け入れがたい現実。慣れない入院生活。毎日同じ訓練を繰り返すリハビリ。もしかしたらもう二度と歩くことなどできないのではという不安……。
和弘が背負ったものはあまりに大きくあまりに過酷だった。
そして、弟の境遇に胸を痛め、毎週末見舞いに訪れることしかできない己の無力さに歯がゆくなる。
改めて和弘の寝顔を見やる。その瞳は閉じているが、きょろきょろと目玉が動いているのが瞼越しに見て取れる。確か、レム睡眠の時はこんなふうに眼球が動くと聞いたことがある。せめて今はいい夢を見ているとよいのだけれど。
私はベッドの向こう側に置かれているソファーに腰をおろした。ベッドの傍らにある椅子に座っている秀樹にじろりと視線を向ける。
「そういえば、あんた、目は……」
あの日、秀樹も左眼に怪我を負ったことを今更思い出したのだ。失明は免れたと父が言っていたような気もするが。
「医者が言うには、あと数ミリ傷が下やったら失明やったと。今はこの通り、しっかり見えとるっちゃ」
「へえ、そりゃ残念ばい」
白々しい会話はすぐに終わり、しばらく無言が続いた。
沈黙を破ったのは秀樹の方だった。
「頼みがある」
真剣な面持ちで秀私を見つめている。
その瞳はあの日と違って、光が灯っている。
だからせめて、頼みの内容くらいは聞いてやろうと思ったのだ。
「何ね、急に改まって」
「和弘の前では、仲のいい三人きょうだいのふりしてくれんか」
「……は?」
藪から棒とはまさにこのことか。
「あんた、何言いよっと?」
「……俺はあんたのことを姉貴ち思ったことはねえっちゃ。俺ん兄弟は……和弘だけちゃ」
私の困惑をよそに、秀樹は訥々と語り出す。
「ずっとそう思っとったけど、あの日、病室 で三人揃った時、和弘が嬉しそうにしててな」
それは私も何となく気づいていた。あの日、リンリンくんと和弘の後輩を名乗る少年―そう、岡島くんだ―が帰った後、『三人揃うの、久しぶりやな』と和弘が呟いたのを聞いたからだ。
「それから俺が先に退院して、初めて見舞いに行った時『姉ちゃんは一緒やないんか』ち聞かれて、初めて気がついたっちゃ。和弘 は、俺とあんたが仲良くなるのを望んでる」
「……」
「俺達は普通のきょうだいとは違うことは、百も承知っちゃ。やけど」
秀樹は両手を膝の上におき、深々と頭を下げた。
「頼むわ、姉ちゃん」
「……」
私は秀樹の懇願に、いいとも嫌だとも答えることができないでいた。
しばらくして和弘が目を覚ました。
まだ夢見心地なのか、そのまま天井を見つめていたが、自分が入院していることを思い出したように『あ、そうか……』と呟いた。
「和弘」
秀樹が呼ぶと、一度そちらに顔を向けたが、すぐに天井の方に戻した。
「夢、見とった」
頭の中に残った映像をゆっくり思い起こすように、言葉に置き換えていく。
「俺、小学生で……、朝、姉ちゃんと一緒に学校に行く途中で、そしたら兄貴が後ろから追いかけてきて……」
和弘の見たという夢の内容に、私は少なからずショックを受けた。
確かに夢の通り、和弘が五年生になるまでは二人で登校していた。しかしその間、秀樹が追いかけてきたことなど、三人で登校したことなど一度もなかったのだ。
和弘よ。
その夢はお前が望んでいた光景だったのか?
「姉ちゃんが来とるちゃ」
「え?」
半分寝ぼけ眼で室内に視線を泳がす。ソファーに座る私と目が合った。
「……え!? 姉ちゃん!? 何で!? あ、そうか、今日土曜か」
一気に目が冴えたようだ。
幸い私の動揺を気取られていない。内心胸をなでおろした。
「お母さんとかしわめしのおにぎり作ったけん、持ってきたとよ」
足下に置いたバッグから、おにぎりが入ったタッパを取り出し、蓋を開けて中を見せてやる。
「まじか! ちょーだい!」
飛び上がらんばかりに喜ぶ様子に思わず笑みがこぼれた。和弘が喜ぶと私も嬉しいのだ。
お前が望むというのなら、私のとるべき道は自ずと決まる。
その笑顔のまま、私は秀樹の方を向いた。
「秀樹、あんたも食べり?」
「もう、あんたはいつまで寝よんの!」
勢いよくカーテンが開き、日の光がベッドに降り注ぐ。思わずタオルケットで顔を覆う。
「まぶしい……」
抵抗もむなしくタオルケットを剥ぎ取られる。それでも目を開けたくなくて、枕に顔を押しつけるが、
「お姉ちゃん、今日はもう学校行く言うとるちゃ」
母親の一言は寝ぼけた頭を覚醒させるには十分だった。
慌てて着替えてランドセルと校帽をひっつかみ一階に降りると、姉はダイニングテーブルで英単語帳をめくっているところだった。
「和弘くん、おはよう」
「姉ちゃん、待たんね!」
和弘は朝食をほぼ丸呑みし、洗面所で顔を洗って歯を磨き、再び姉の前に立った。
食卓にはもう一人分の朝食が用意されている。手つかずのところをみると、秀樹はまだ寝ているのだろう。だが早食い早歩きの兄のことだから、小学校に着くまでには追いつくのも毎朝のことだ。
「姉ちゃん! 行こ!」
「髪の毛すいたと? ボサボサやないの……」
姉の言葉が終わる前に玄関で靴を履いている。髪をとかすつもりはさらさらなさそうだ。
「……しょーんなかね」
呆れたように、しかしそんな弟が愛らしいのかまんざらでもなさそうな表情で姉は席を立つ。
「いってきます!」
「いってきます」
「いってらっしゃい。二人とも気ぃつけてね」
母親に見送られ、二人で家を出た。心なしか、姉の歩調がいつもより速い。
「今日から期末テストやけん、ちょっと急ぐばい」
「うん。……じゃあ兄貴もテスト?」
「そうやけど……」
大丈夫なんかあいつは、と言いたげに顔を曇らせた。
姉と兄は、和弘が通う鉄善小学校のすぐ隣りにある鉄善中学校に通っている。成績が良くて優等生の姉は三年生、素行不良で問題児の兄は二年生。
「姉ちゃん、高校どこ受けるんか決めた?」
「鉄善高校かな。うちから一番近いけん」
福岡県立鉄善高校は、鉄善中からさらに歩いて五分ほどの距離で、自宅から徒歩で通学できる。
「じゃあ来年も一緒に登校できるっちゃね!」
素直に喜ぶ弟は裏腹に、姉の内心は複雑だった。和弘も来年は六年生、難しい年頃だ。さすがに高校生の姉と一緒に登校するのを嫌がってもおかしくない。それをいったら、今でも嫌がられても不思議ではないのだが……。
(こういうことできるのも、今のうちだけかもしらん)
(それにしても、秀樹のヤツ、何しとーと……)
もう一人の弟が気になって振り返る。姉に釣られて和弘もそれに倣う。
遠くから秀樹が脇目も振らずこちらに向かってきている……。
かと思うと、あっという間に追いついた。
「兄ちゃん、おはよう」
和弘の挨拶にも無言を貫き通す。一見すると関心がないようだが、秀樹は秀樹なりに弟をかわいく思っていることは、和弘自身も姉も承知の上だ。
美人で頭のいい姉と喧嘩が強くて怖いもの知らずの兄を和弘が自慢に思っていること、姉弟三人で登校したがっていることを知っているからこそ、秀樹は行きたくもない学校に渋々ながらも毎朝登校しているのだ。
(素直じゃなかね、こいつは)
「何、見よんかちゃ」
機嫌悪そうにじろりと睨まれたが、
「別に……。今日は遅刻したくないけ、早よ行くっちゃよ」
二人の弟を急かして、歩くスピードをさらに早めた。
そういう自分も、遅刻ギリギリまで和弘を待つ、弟に甘い姉であることは自覚しているのだった。
病室で私を出迎えたのは、ベッドで穏やかに眠る和弘と、それを傍らで見守っている秀樹だった。
朝から家にいないと思ったら、ここに来ていたのか。
示し合わせたわけではないが、秀樹は平日に、私は授業のない土日に和弘を見舞っていたので、今まで病院でかちあったことはなかったのに。
何というタイミングの悪さだ。
「そげん顔せんでもええやろ」
そう言われて、心の中が顔に出ていることに気づいた。
今更、秀樹と話すことなどない。十年以上ひとつ屋根の下で暮らしているが、会話どころか挨拶すらまともに交わしたこともない。
会話したのは今まで二回。一度目は中学二年の時に不良達から助けてくれた時。二度目は数週間前の和弘の病室で。
「和弘くん、寝とるとね」
寝顔を覗き込み、誰に言うでもなく呟く。
「リハビリ終わって
「……」
私が見舞った時にも何度か、夜眠れなかったとこぼすことがあった。
気丈に振る舞っていても、内心はそうでもないことは想像に難くない。
歩行を奪われたという受け入れがたい現実。慣れない入院生活。毎日同じ訓練を繰り返すリハビリ。もしかしたらもう二度と歩くことなどできないのではという不安……。
和弘が背負ったものはあまりに大きくあまりに過酷だった。
そして、弟の境遇に胸を痛め、毎週末見舞いに訪れることしかできない己の無力さに歯がゆくなる。
改めて和弘の寝顔を見やる。その瞳は閉じているが、きょろきょろと目玉が動いているのが瞼越しに見て取れる。確か、レム睡眠の時はこんなふうに眼球が動くと聞いたことがある。せめて今はいい夢を見ているとよいのだけれど。
私はベッドの向こう側に置かれているソファーに腰をおろした。ベッドの傍らにある椅子に座っている秀樹にじろりと視線を向ける。
「そういえば、あんた、目は……」
あの日、秀樹も左眼に怪我を負ったことを今更思い出したのだ。失明は免れたと父が言っていたような気もするが。
「医者が言うには、あと数ミリ傷が下やったら失明やったと。今はこの通り、しっかり見えとるっちゃ」
「へえ、そりゃ残念ばい」
白々しい会話はすぐに終わり、しばらく無言が続いた。
沈黙を破ったのは秀樹の方だった。
「頼みがある」
真剣な面持ちで秀私を見つめている。
その瞳はあの日と違って、光が灯っている。
だからせめて、頼みの内容くらいは聞いてやろうと思ったのだ。
「何ね、急に改まって」
「和弘の前では、仲のいい三人きょうだいのふりしてくれんか」
「……は?」
藪から棒とはまさにこのことか。
「あんた、何言いよっと?」
「……俺はあんたのことを姉貴ち思ったことはねえっちゃ。俺ん兄弟は……和弘だけちゃ」
私の困惑をよそに、秀樹は訥々と語り出す。
「ずっとそう思っとったけど、あの日、
それは私も何となく気づいていた。あの日、リンリンくんと和弘の後輩を名乗る少年―そう、岡島くんだ―が帰った後、『三人揃うの、久しぶりやな』と和弘が呟いたのを聞いたからだ。
「それから俺が先に退院して、初めて見舞いに行った時『姉ちゃんは一緒やないんか』ち聞かれて、初めて気がついたっちゃ。
「……」
「俺達は普通のきょうだいとは違うことは、百も承知っちゃ。やけど」
秀樹は両手を膝の上におき、深々と頭を下げた。
「頼むわ、姉ちゃん」
「……」
私は秀樹の懇願に、いいとも嫌だとも答えることができないでいた。
しばらくして和弘が目を覚ました。
まだ夢見心地なのか、そのまま天井を見つめていたが、自分が入院していることを思い出したように『あ、そうか……』と呟いた。
「和弘」
秀樹が呼ぶと、一度そちらに顔を向けたが、すぐに天井の方に戻した。
「夢、見とった」
頭の中に残った映像をゆっくり思い起こすように、言葉に置き換えていく。
「俺、小学生で……、朝、姉ちゃんと一緒に学校に行く途中で、そしたら兄貴が後ろから追いかけてきて……」
和弘の見たという夢の内容に、私は少なからずショックを受けた。
確かに夢の通り、和弘が五年生になるまでは二人で登校していた。しかしその間、秀樹が追いかけてきたことなど、三人で登校したことなど一度もなかったのだ。
和弘よ。
その夢はお前が望んでいた光景だったのか?
「姉ちゃんが来とるちゃ」
「え?」
半分寝ぼけ眼で室内に視線を泳がす。ソファーに座る私と目が合った。
「……え!? 姉ちゃん!? 何で!? あ、そうか、今日土曜か」
一気に目が冴えたようだ。
幸い私の動揺を気取られていない。内心胸をなでおろした。
「お母さんとかしわめしのおにぎり作ったけん、持ってきたとよ」
足下に置いたバッグから、おにぎりが入ったタッパを取り出し、蓋を開けて中を見せてやる。
「まじか! ちょーだい!」
飛び上がらんばかりに喜ぶ様子に思わず笑みがこぼれた。和弘が喜ぶと私も嬉しいのだ。
お前が望むというのなら、私のとるべき道は自ずと決まる。
その笑顔のまま、私は秀樹の方を向いた。
「秀樹、あんたも食べり?」