ヒロインの名前
お姉ちゃんは心配性
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週末の度に和弘の見舞いに博多まで出向いている。今日で何回目になるだろうか。入院したばかりの頃は梅雨の真っ最中だったが、今は刺すような日差しの中、ツクツクボウシの鳴き声が響き渡る。
停留所で病院行きのバスを待っている時だった。ふいに、反対側の歩道を歩いている少年と目が合った。背は高く、スキンヘッドの厳つい容貌だが、毎日自宅 を出入りする組員達に比べればかわいらしいものだ……などと思っていたら、少年はすたすたと道路を横断してこちら側にやって来るではないか。
はて、博多もん に知り合いはいないはずだが……?
「あの……、カー坊のお姉さんですよね?」
声をかけられてやっと思い出した。和弘の入院先に駆けつけたときに病室にいた少年達の片割れだった。
「ああ、あの時の……。えーと……」
「林倫太郎です。リンリンち呼んでください」
「ああ、そうそう、リンリンくん」
私の記憶力は和弘にまつわることに全振りしているため、それ以外のことがどうも頭に入ってこない。
「お見舞いですか?」
「うん。和弘くん、リハビリがんばってるとよ。そうそう、病院の食事がおいしくないっち文句言うとるけ、今日はかしわめしば作って……」
「あの……」
「何?」
「この前から思ってたんですが、お姉さんは博多に住んどったとですか?」
リンリンくんは、北九州に住んでいながら博多弁が抜けない私の言葉に疑問を持ったようだ。当然と言えば当然だ。
「……私、和弘くんと母親が違うんよ」
「……」
リンリンくんはしまったという顔をして黙ってしまった。
ごめんね、気を遣わせてしまって。
「小さい頃は母親と博多に住んどってね、七歳の時に真島の家に引き取られたとよ」
「……」
「和弘くんと初めて会った日のことは、今でも覚えとーよ……」
和弘は三歳だった。突然自分の前に現れた姉の存在を理解していなかったのだろう。義母に『カー君、お姉ちゃんにご挨拶しなさい』と促されても不思議そうに私の顔を見上げていた。
目があった瞬間、その圧倒的な弟力 に私は打ちのめされた。そうだ、あの時、確かに私は一度死んだのだ。
この子が弟。
私の弟。
その事実が体内の細胞一つ一つに刻み込まれていくのをはっきりと感じ取りながら、私は甦った。
和弘に会うまでの私は私でなかった。
人類の永遠のテーマ、自分という人間は何のために産まれてきたのか。七歳の少女でありながら悟った。
和弘の姉になるためだ。
「ローラ……、秀樹さんともその時初めて会ったとですか?」
昔話かと思いきや臨死体験が始まってしまったので、これは堪らんと無理矢理に話題を変えたのだが。
「……秀樹?」
お姉さんの纏う空気が瞬時に氷点下に達したのを肌で感じた。どうやら俺はまた地雷を踏んでしまったようだ。
「あいつは昔から無口で不気味な奴やったとよ……。和弘くんが産まれた時から一緒のくせに、ろくに相手もせんで、そのくせ私が和弘くんに構ってたらものすごい顔で睨んできよったわ……」
恍惚の境地から一転、端正な顔を歪めて忌々しそうに言葉を吐き出す。弟を溺愛する似た者同志に思えるが、当人達は反目しあっていたようだ。
しかしすぐに、でも、と悲しげに目を伏せた。
「あの時、和弘くんが川に飛び込んだんは、秀樹に認められたいと思ってたからやろうね」
俺は橋の上に残されたので、二人の間にどんなやりとりがあったかは知らない。だが、荒れ狂う濁流の中で本当の『兄弟』になったことは、その後の二人の様子を見れば明らだった。
「秀樹があげん感じやったけん、代わりに私が目一杯かわいがってたつもりやったけど、……やっぱり男兄弟には敵わんね」
お姉さんは寂しそうな笑みを浮かべた。
その姿に心を動かされない男がいるだろうか?
「カー坊のヤツ、言うてましたよ。小学生の時、近所の神社の賽銭泥棒の濡れ衣を着せられた時のこと」
リボンのアジトで酒盛りした時にお互いの兄弟の話題になった。『ちょっと……いや、ほーと変わっとるところもあるけど』と前置きした上でカー坊は語ったのだ。
「親からも『お前の日頃の行いが悪いから疑われるんや』ち突き放されたのに、お姉さんだけは信じてくれて、救われたって」
すまん、カー坊。誰にも言うなと口止めされたけど、この人の悲しそうな顔は見たくないと思ってしまったのだ。
「やけん、お姉さんがカー坊を大事に思ってることはちゃんと伝わってると思います」
「……あの子は周りから頭下げられて育ってきたけん、打算抜きでつきあってくれる友達ができるか心配やったけど……、腹の割った話できる相手がおったとね」
お姉さんの表情に明るさが戻った。
「リンリンくん、和弘くんの側におってくれて、ありがとうね」
微笑みを向けられ、柄にもなくときめきを覚えてしまったのもつかの間、
「賽銭泥棒……、それにしても懐かしか話やね。あれは和弘くんが小二の十月……」
事件の詳細を聞かされる羽目になってしまった。
「それで、私は唯一の目撃者である『黒いモップみたいな犬の飼い主』を探すことにしたんよ…」
話の佳境に差し掛かったところで、病院行きのバスが来た。話し足りないのかお姉さんは少し残念そうな顔になったが、弟に会える嬉しさが勝ったのか意外とあっさりとバスに乗り込む。
「リンリンくん、それじゃあ」
窓ごしにひらひらと手を振られ、つられて俺も振り返す。
小さくなっていくバスを見送っていると、毒気に当てられたような疲労感がどっと押し寄せてきて、耐え切れずにバス停のベンチにへたりこんだのだった。
停留所で病院行きのバスを待っている時だった。ふいに、反対側の歩道を歩いている少年と目が合った。背は高く、スキンヘッドの厳つい容貌だが、毎日
はて、
「あの……、カー坊のお姉さんですよね?」
声をかけられてやっと思い出した。和弘の入院先に駆けつけたときに病室にいた少年達の片割れだった。
「ああ、あの時の……。えーと……」
「林倫太郎です。リンリンち呼んでください」
「ああ、そうそう、リンリンくん」
私の記憶力は和弘にまつわることに全振りしているため、それ以外のことがどうも頭に入ってこない。
「お見舞いですか?」
「うん。和弘くん、リハビリがんばってるとよ。そうそう、病院の食事がおいしくないっち文句言うとるけ、今日はかしわめしば作って……」
「あの……」
「何?」
「この前から思ってたんですが、お姉さんは博多に住んどったとですか?」
リンリンくんは、北九州に住んでいながら博多弁が抜けない私の言葉に疑問を持ったようだ。当然と言えば当然だ。
「……私、和弘くんと母親が違うんよ」
「……」
リンリンくんはしまったという顔をして黙ってしまった。
ごめんね、気を遣わせてしまって。
「小さい頃は母親と博多に住んどってね、七歳の時に真島の家に引き取られたとよ」
「……」
「和弘くんと初めて会った日のことは、今でも覚えとーよ……」
和弘は三歳だった。突然自分の前に現れた姉の存在を理解していなかったのだろう。義母に『カー君、お姉ちゃんにご挨拶しなさい』と促されても不思議そうに私の顔を見上げていた。
目があった瞬間、その圧倒的な
この子が弟。
私の弟。
その事実が体内の細胞一つ一つに刻み込まれていくのをはっきりと感じ取りながら、私は甦った。
和弘に会うまでの私は私でなかった。
人類の永遠のテーマ、自分という人間は何のために産まれてきたのか。七歳の少女でありながら悟った。
和弘の姉になるためだ。
「ローラ……、秀樹さんともその時初めて会ったとですか?」
昔話かと思いきや臨死体験が始まってしまったので、これは堪らんと無理矢理に話題を変えたのだが。
「……秀樹?」
お姉さんの纏う空気が瞬時に氷点下に達したのを肌で感じた。どうやら俺はまた地雷を踏んでしまったようだ。
「あいつは昔から無口で不気味な奴やったとよ……。和弘くんが産まれた時から一緒のくせに、ろくに相手もせんで、そのくせ私が和弘くんに構ってたらものすごい顔で睨んできよったわ……」
恍惚の境地から一転、端正な顔を歪めて忌々しそうに言葉を吐き出す。弟を溺愛する似た者同志に思えるが、当人達は反目しあっていたようだ。
しかしすぐに、でも、と悲しげに目を伏せた。
「あの時、和弘くんが川に飛び込んだんは、秀樹に認められたいと思ってたからやろうね」
俺は橋の上に残されたので、二人の間にどんなやりとりがあったかは知らない。だが、荒れ狂う濁流の中で本当の『兄弟』になったことは、その後の二人の様子を見れば明らだった。
「秀樹があげん感じやったけん、代わりに私が目一杯かわいがってたつもりやったけど、……やっぱり男兄弟には敵わんね」
お姉さんは寂しそうな笑みを浮かべた。
その姿に心を動かされない男がいるだろうか?
「カー坊のヤツ、言うてましたよ。小学生の時、近所の神社の賽銭泥棒の濡れ衣を着せられた時のこと」
リボンのアジトで酒盛りした時にお互いの兄弟の話題になった。『ちょっと……いや、ほーと変わっとるところもあるけど』と前置きした上でカー坊は語ったのだ。
「親からも『お前の日頃の行いが悪いから疑われるんや』ち突き放されたのに、お姉さんだけは信じてくれて、救われたって」
すまん、カー坊。誰にも言うなと口止めされたけど、この人の悲しそうな顔は見たくないと思ってしまったのだ。
「やけん、お姉さんがカー坊を大事に思ってることはちゃんと伝わってると思います」
「……あの子は周りから頭下げられて育ってきたけん、打算抜きでつきあってくれる友達ができるか心配やったけど……、腹の割った話できる相手がおったとね」
お姉さんの表情に明るさが戻った。
「リンリンくん、和弘くんの側におってくれて、ありがとうね」
微笑みを向けられ、柄にもなくときめきを覚えてしまったのもつかの間、
「賽銭泥棒……、それにしても懐かしか話やね。あれは和弘くんが小二の十月……」
事件の詳細を聞かされる羽目になってしまった。
「それで、私は唯一の目撃者である『黒いモップみたいな犬の飼い主』を探すことにしたんよ…」
話の佳境に差し掛かったところで、病院行きのバスが来た。話し足りないのかお姉さんは少し残念そうな顔になったが、弟に会える嬉しさが勝ったのか意外とあっさりとバスに乗り込む。
「リンリンくん、それじゃあ」
窓ごしにひらひらと手を振られ、つられて俺も振り返す。
小さくなっていくバスを見送っていると、毒気に当てられたような疲労感がどっと押し寄せてきて、耐え切れずにバス停のベンチにへたりこんだのだった。