雨やどり
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それはまだ私が神様を信じなかった頃。
9月のとある木曜日、その日は一日社外の研修で、午後4時には終わりいつもより早く帰れてラッキー、などと上機嫌で駅に向かっているところに雨が降ってきた。
天気予報では雨マークなど出ておらずもちろん傘の用意もない。最初は小降りだろうと高をくくっていたがいよいよ本降りになってきた。この辺りは住宅街で、気軽に軒先を借りれそうな建物はない。鞄を頭上にかざして雨をしのいでいたが、服も濡れてきて、駅に着くまでのあと5分持ちこたえられるか……。
と、民家の間にぽつんと佇む、小さな鳥居が目に入った。
申し訳程度のお社がある。
よし、ここにお邪魔させてもらおう。
私は境内に足を踏み入れ、雨をやり過ごすことにした。
ハンカチで濡れた頭や服、鞄の水滴をぬぐい、一向に止む気配のない雨を眺めていた。
ふと、鳥居の前で誰かがこちらを見ていることに気がついた。その風貌の異様さに、私の視線は嫌でもその人物に固定された。
離れていてもわかるくらいの、顔に刻まれた大きな疵跡。白いスーツに包まれた、人並外れた巨躯。ビニール傘を差してはいるものの、その身を雨から守るには小さすぎて、肩から下はずぶ濡れた。
明らかに普通のーー堅気の人間ではない。
男がこちらに向かってゆっくりと歩き出す。私は金縛りにでもあったように身じろぎもせず、立ちすくむしかなかった。それは恐怖というより、ただただ彼のその圧倒的な存在感と迫力に気圧されているだけだった。
男は私の目の前で立ち止まり、傘を閉じて私に差し出した。
その目的をとらえあぐね、ぽかんと傘を見つめる。しばらくしてやっと「私に使えと言いたいのだろうか?」と思い至る。
「えッ、あッ……」
遠慮とかお礼とか言うべきことはあるだろうに、言葉を詰まらせて傘と男を交互に見比べることしかできない。
そうだ、濡れた体を拭いてあげないと、と気づき、ハンカチを取り出そうと鞄の中を闇雲に引っ掻き回す。こういう時に限って探し物は出てこない……。
空しい探索は、男に右腕を掴まれたことによって中断した。思わず顔を上げると、ばっちりと目が合った。目は口程に物を言うとはよくいったもので、俺のことは気にしなくていい、とその目が物語っている。
今日初めて会った、見ず知らずの人間に触れられたというのに、不思議と嫌悪感はわかない。掴まれた腕はゆっくり持ち上げられ、鞄から出てきた右手にそっと傘を握らせてくれた。男の手は無数の傷が刻まれていて、雨に濡れたせいか少しひんやりとしていた。
男は何も言わずに私に背を向けて、のしのしと境内を後にする。
「あの!」
とっさに呼び止めてしまった。
しかしそのあとに続ける言葉が見つからない。
男はゆっくりと振り返り、大したことじゃないさと言うように目を細めた。そして再び歩き出し、雨の中に消えていった。
我に返った時にはもう雨はやんでいた。
どれくらいの間、ここでぼんやりしてしまっていたのだろうか。
のろのろと頭を左右に動かすと、古びた賽銭箱が目に入った。
一目惚れだとか運命の人だとか、ロマンチックなことには無縁だと思っていたけれど。
ここは苦しい時だけの神頼み。
虫が良すぎることはわかっている。
それでも、小銭を賽銭箱に投げ入れて、手を合わせて願わないわけにはいかなかった。
最後にくれたやさしい眼差しを思い描きながら。
どうか、もう一度あの人に会えますように、と。
9月のとある木曜日、その日は一日社外の研修で、午後4時には終わりいつもより早く帰れてラッキー、などと上機嫌で駅に向かっているところに雨が降ってきた。
天気予報では雨マークなど出ておらずもちろん傘の用意もない。最初は小降りだろうと高をくくっていたがいよいよ本降りになってきた。この辺りは住宅街で、気軽に軒先を借りれそうな建物はない。鞄を頭上にかざして雨をしのいでいたが、服も濡れてきて、駅に着くまでのあと5分持ちこたえられるか……。
と、民家の間にぽつんと佇む、小さな鳥居が目に入った。
申し訳程度のお社がある。
よし、ここにお邪魔させてもらおう。
私は境内に足を踏み入れ、雨をやり過ごすことにした。
ハンカチで濡れた頭や服、鞄の水滴をぬぐい、一向に止む気配のない雨を眺めていた。
ふと、鳥居の前で誰かがこちらを見ていることに気がついた。その風貌の異様さに、私の視線は嫌でもその人物に固定された。
離れていてもわかるくらいの、顔に刻まれた大きな疵跡。白いスーツに包まれた、人並外れた巨躯。ビニール傘を差してはいるものの、その身を雨から守るには小さすぎて、肩から下はずぶ濡れた。
明らかに普通のーー堅気の人間ではない。
男がこちらに向かってゆっくりと歩き出す。私は金縛りにでもあったように身じろぎもせず、立ちすくむしかなかった。それは恐怖というより、ただただ彼のその圧倒的な存在感と迫力に気圧されているだけだった。
男は私の目の前で立ち止まり、傘を閉じて私に差し出した。
その目的をとらえあぐね、ぽかんと傘を見つめる。しばらくしてやっと「私に使えと言いたいのだろうか?」と思い至る。
「えッ、あッ……」
遠慮とかお礼とか言うべきことはあるだろうに、言葉を詰まらせて傘と男を交互に見比べることしかできない。
そうだ、濡れた体を拭いてあげないと、と気づき、ハンカチを取り出そうと鞄の中を闇雲に引っ掻き回す。こういう時に限って探し物は出てこない……。
空しい探索は、男に右腕を掴まれたことによって中断した。思わず顔を上げると、ばっちりと目が合った。目は口程に物を言うとはよくいったもので、俺のことは気にしなくていい、とその目が物語っている。
今日初めて会った、見ず知らずの人間に触れられたというのに、不思議と嫌悪感はわかない。掴まれた腕はゆっくり持ち上げられ、鞄から出てきた右手にそっと傘を握らせてくれた。男の手は無数の傷が刻まれていて、雨に濡れたせいか少しひんやりとしていた。
男は何も言わずに私に背を向けて、のしのしと境内を後にする。
「あの!」
とっさに呼び止めてしまった。
しかしそのあとに続ける言葉が見つからない。
男はゆっくりと振り返り、大したことじゃないさと言うように目を細めた。そして再び歩き出し、雨の中に消えていった。
我に返った時にはもう雨はやんでいた。
どれくらいの間、ここでぼんやりしてしまっていたのだろうか。
のろのろと頭を左右に動かすと、古びた賽銭箱が目に入った。
一目惚れだとか運命の人だとか、ロマンチックなことには無縁だと思っていたけれど。
ここは苦しい時だけの神頼み。
虫が良すぎることはわかっている。
それでも、小銭を賽銭箱に投げ入れて、手を合わせて願わないわけにはいかなかった。
最後にくれたやさしい眼差しを思い描きながら。
どうか、もう一度あの人に会えますように、と。