花山夢
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三が日
【1月1日】
「三枝さーん」
「はい?」
「振袖って何歳まで着るもんでしたっけ」
「最近では、30過ぎても未婚だったら振袖を着られる方もいると聞きますが…私どもの時分では、24、5歳くらいまででしたねえ」
「ふーん(じゃあ来年も着ていいのかな)」
「はい、できましたよ。鏡でご覧になってください」
「わあ、ありがとうございます(やれやれ、終わった)」
「次は御髪です」
「はい…(まだあったか…)」
花山家の正月は着物で迎えるのが習わしである。
志信が初めてこの家で正月を迎えた時は、浴衣以外の着物を着るのは初めてだったことも手伝って「着せられている感」満載。帯が苦しくて着付けが終わった直後から「早く脱ぎたい」と思っていた。そして当時小学生だった花山が紋付き袴を着て堂々としているのを見て、「けっ、このお坊ちゃんが」と心の中で毒づいたものだった。
あの時は花山の父母もいて、志信と花山はまだ子供だった。
今は二人だけになった。志信は就職し、花山は高校生と花山組二代目組長というよくわからない二足の草鞋を履いている。
「それでは…あけましておめでとうございます」
客間で正座で向かい合った花山と志信、そして女中頭の三枝が頭を下げた。
いつもは賑わしい家中だが、女中たちの多くは正月休みを取っており、組の者たちも三が日はよほどのことがない限り来なくていいと言ってある。
「…お年玉は」
「あるわけないでしょ。あんたの方が稼いでるんだし」
「…冗談だ」
お雑煮とおせちを食べ、近所の神社に初詣でに行く。
近所とは言えど、仮にも組長が護衛もつけずに歩くのはいささか無防備な気もするが、花山なら撃たれても死なないだろう、と志信は勝手に思っている。寧ろ自分の方が流れ弾に当たって死ぬかもしれないが、その時は花山が身を挺して守ってくれるだろう、とこれまた勝手に決めつけている。
それにしても、と横目でちらりと花山を見た。
昔は態度のでかいガキだと思ってのに、今は、今は…。
(あ~~、着物似合うなあ!!)
三秒と見られず、視線を逸らす。朝からまともに花山の顔が見られない。
すれ違う近所の人達から声をかけられるが、恥ずかしくて顔を上げられない。
「何でずっと下向いてるんだ?」
「…着物だと歩きにくいの」
この地域の氏社である小さな神社には、他の家族連れがばらばらと初詣でに来ていた。
手水舎で手と口を清め、賽銭箱に賽銭を入れる。財布の小銭入れには1円玉と500円玉しかなかったので、ここはけちらずに500円にしておいた。花山はいつもの如く万札を1枚突っ込んでいた。
(小銭持ち歩く習慣ないんだろうな…)
新年早々呆れながらも、鈴鐘を鳴らして二拝二拍。
(えーと、今年も良い年でありますように。それと、薫が無茶な喧嘩して死にませんように。それと…)
隣りの花山はもう祈願と最後の一拝を済ませている。志信もあわてて
(今年も薫と一緒にいられますように!)
最後の祈願と雑な一拝。
「長かったな」
「あんたが短いんだよ」
何を祈ったのか聞きたかったが、自分に同じ質問を返されると困るので聞かないことにした。
2年前だったか、範馬勇次郎完膚なきまでに敗北したことは木崎から聞いていたが、勇次郎に勝てますようにと神頼みするような男ではない。
組の安泰と、自分のこと…留年しませんように、とかだろうか?
(10年近く一緒に住んでるけど、何考えてるのか未だにわかんない…)
花山は幼い頃から口数が少なく、表情の変化も乏しい。悩みや困ったことがあると一人でじっと考え込み、志信に話す時にはだいたい結論が出た後だったりする。
(木崎さんにはいろいろ相談してるみたいだけど…。二学期の三者面談も、最初に木崎さんに話したみたいだし)
三者面談は一応保護者である志信が行くことになったが、これから先、学校や勉強のことまで木崎に任せるわけにもいかない。
来年の今頃は大学受験の話も出てくるだろう。さすがにそれはないと思いたいが、花山のことだ。勝手に願書を出して受験して、合格通知が来て初めて「大学に行く」と言ってくることも大いにありうる(高校の編入試験がまさにそうだった)。
(これからは学校のこと、ちょくちょく聞いた方がいいのかな…)
(あんまりしつこいとうるさく思われるかな)
(でも、こっちから聞かないと全然話してくれないし…)
家に帰るまで、甥の今後について頭を悩ませていた。
【1月2日】
午前中は花山の親分である藤木組組長、秋田の家に挨拶に行った。昨年は花山一人だったが、今年は志信も付いて行く。
志信は組関連の集まりに出たがらない。最初の方は一応場にいても、30分ほどで早々に退散するのが常だったので、志信から「私も一緒にご挨拶に行っていい?」と聞かれた時は、花山も驚いた。
客間に通されて、秋田が来るのを待った。花山は昨日と同じ紋付き袴、志信は訪問着を着ている。
秋田は開口一番
「何でぇ、女づれっていうからてっきり女 かと思ったら、あんただったか!」
と、歯切れのいい江戸弁で志信をからかった。
「ご無沙汰しております」
志信が秋田と会うのは、花山の母の葬儀以来だった。
しばらく話をしてそろそろお暇を、という時に、志信は改まって秋田の方に向き直った。
「薫も何分若輩ですが、秋田様に目をかけていただいて本当に感謝しております」
秋田も花山も、おや、という顔で志信を見る。
「その、私が口を挟むことではありませんが、もし私が男だったら私が組長になるべきところを、まだ10代の薫にその責を負わせてしまって、心苦しく思っております。…どうか花山組を、薫のことをよろしくお願いいたします」
三つ指をついて、深々と頭を下げた。
「顔上げな」
秋田は少し神妙な面持ちだった。
「…あんたの気持ち、よおーくわかった。こいつの命は俺が預かってるから、悪いようにはしねえよ」
「ありがとうございます」
「顔上げなって言ったそばから下げるんじゃねえよ」
そう言うと秋田はハハッと快活に笑った。
志信もつられて口元を緩めたが、花山は一人、笑っていなかった。
「そんなふうに思ってたのか」
帰りの車中で唐突に花山から話しかけられ、志信は「何が?」と間抜けな返事。
「男だったら組長になってたって…」
「ああ、それか。…組長にはならなくても、あんたのこと助けてやれたかなって」
「…そうか」
花山はそれっきり黙りこんだ。
花山が組の跡目を継ぐと木崎から聞かされたのは、既に跡目相続の盃が終わった後のことだった。
『…え?』
『薫はまだ中学生ですよ?』
『ふつう、社長が死んでも中学生の息子が次の社長にならないですよね。他の取締役とか、親会社の人間とか、人いっぱいいるじゃないですか。それなのに何で…』
志信は一方的に木崎を攻めた。今さら木崎に言ったところで何も変わらないのはわかっていたが、言わずにはいられなかった。遊びたい盛りの年頃なのに、大人達に代わって組を背負わされた花山のことを考えると、遣り切れなかった。
『薫を組長にするくらいなら』
私にすればよかったのに、と言いそうになり、はっとした。
極道の世界は究極の男社会だ。女である志信が組長に就任することはもちろん、組について口を挟むことも許されない。
それに、仮に意見したとしても。
父親、つまり花山の祖父から認知されていなかったっということは、自分はもともとこの家に存在しない人間だったのだ。
花山の両親も、組の幹部達も、三枝も、自分のことを知らなかったのだ。もしかしたら、父親も知らなかったのではないか。
(蚊帳の外どころか、家の中にも入れてもらえてなかったんじゃない)
花山の組長襲名によって、志信は花山家での自分の立場を思い知らされた。
組のことについてどうこういう権利も資格もない。自分には、決まったことを黙って受け入れる以外の選択肢はないのだと。
その夜、志信は珍しく晩酌した。花山も付き合わされた。
酒に弱い志信は缶ビール一本を空ける頃には上機嫌になり、決まって花山のことを「薫ちゃーん」と呼ぶ。そして大して面白くもないことを言ってげらげら笑い、花山の背中をばしばしと叩くのだ。
「ねえねえ、これグシャッてやってよ」
ビールの空き缶を渡されたので、潰してコロコロと丸めてやると「あははは、すごーい!」と腹を抱えて笑い転げた。
ひとしきり笑うと「あーあ」と大きく息を吐いて、座っているソファーの背もたれに身を預けると、志信は黙ってしまった。
カチ、カチと時計の針の音がリビングに響く。
もうこのくらいにしておけと言おうとした時、志信が口を開いた。
「私が男だったら、薫に組のことなんかさせなくて、好きなことさせてあげられたのに…」
顔を背け、志信は続けた。
「中学も最後まで行って、高校だって…」
「高校は今行ってる」
「おばさんのお葬式だってあんたが喪主やって…。私があんたのおじいちゃんとおばあちゃんの娘だったら、そんなことまでさせなかったのに…」
声が震えている。鼻をすする音が聞こえた。
「ごめん…」
袖で目元を拭った。
志信が泣いている。
そう思った瞬間、花山は志信の肩を抱き寄せようとしたが、次の瞬間に「叔母と甥なのだから、それはまずいのでは」と思い直し躊躇する。
しょうがなく、行き場を失った右腕を引っ込めた。
「組のことは俺が後を継ぐと思ってたからいいんだ。それに、志信が男だと…」
「困る」と言いそうになってその言葉を飲み込んだ。
(何で困るんだ…?)
花山は心の中で首を捻った。
志信が部屋に戻った後も、花山は一人で飲み続けた。
(あいつがあんなふうに考えてたなんて全然気づかなかった)
『私が男だったら』
『私があんたのおじいちゃんとおばあちゃんの娘だったら』
あの時、何と言えばよかったのか。
(そんなこと、お前のせいじゃないのに)
(お前は悪くないって言ってやればよかった)
志信が泣いているとわかった時、なぜ抱き寄せようとしたのか。
どうして志信が男だと困るのか。
いくら考えても頭の中はまとまらない。花山は諦めて酒を呷った。
【1月3日】
朝起きて洗面所に向かうところで志信とすれ違った。
「…おはよう」
志信はそっけなく言うと、そそくさと歩いて行った。昨晩のことがあったからか、少しよそよそしく感じる。
しかし昨晩に限らず、酒の席で羽目を外しすぎると翌日は恥ずかしいのかそっけなくなるのはよくあることだった。
酒の席のことを翌日に引っ張るくらいなら最初から飲みすぎなければいいのに、と思いながら、
(何で志信が男だと困るかって)
(男からあんなに絡まれるのは勘弁だからな)
それらしい理由を見つけて自分を納得させた花山だった。
【1月1日】
「三枝さーん」
「はい?」
「振袖って何歳まで着るもんでしたっけ」
「最近では、30過ぎても未婚だったら振袖を着られる方もいると聞きますが…私どもの時分では、24、5歳くらいまででしたねえ」
「ふーん(じゃあ来年も着ていいのかな)」
「はい、できましたよ。鏡でご覧になってください」
「わあ、ありがとうございます(やれやれ、終わった)」
「次は御髪です」
「はい…(まだあったか…)」
花山家の正月は着物で迎えるのが習わしである。
志信が初めてこの家で正月を迎えた時は、浴衣以外の着物を着るのは初めてだったことも手伝って「着せられている感」満載。帯が苦しくて着付けが終わった直後から「早く脱ぎたい」と思っていた。そして当時小学生だった花山が紋付き袴を着て堂々としているのを見て、「けっ、このお坊ちゃんが」と心の中で毒づいたものだった。
あの時は花山の父母もいて、志信と花山はまだ子供だった。
今は二人だけになった。志信は就職し、花山は高校生と花山組二代目組長というよくわからない二足の草鞋を履いている。
「それでは…あけましておめでとうございます」
客間で正座で向かい合った花山と志信、そして女中頭の三枝が頭を下げた。
いつもは賑わしい家中だが、女中たちの多くは正月休みを取っており、組の者たちも三が日はよほどのことがない限り来なくていいと言ってある。
「…お年玉は」
「あるわけないでしょ。あんたの方が稼いでるんだし」
「…冗談だ」
お雑煮とおせちを食べ、近所の神社に初詣でに行く。
近所とは言えど、仮にも組長が護衛もつけずに歩くのはいささか無防備な気もするが、花山なら撃たれても死なないだろう、と志信は勝手に思っている。寧ろ自分の方が流れ弾に当たって死ぬかもしれないが、その時は花山が身を挺して守ってくれるだろう、とこれまた勝手に決めつけている。
それにしても、と横目でちらりと花山を見た。
昔は態度のでかいガキだと思ってのに、今は、今は…。
(あ~~、着物似合うなあ!!)
三秒と見られず、視線を逸らす。朝からまともに花山の顔が見られない。
すれ違う近所の人達から声をかけられるが、恥ずかしくて顔を上げられない。
「何でずっと下向いてるんだ?」
「…着物だと歩きにくいの」
この地域の氏社である小さな神社には、他の家族連れがばらばらと初詣でに来ていた。
手水舎で手と口を清め、賽銭箱に賽銭を入れる。財布の小銭入れには1円玉と500円玉しかなかったので、ここはけちらずに500円にしておいた。花山はいつもの如く万札を1枚突っ込んでいた。
(小銭持ち歩く習慣ないんだろうな…)
新年早々呆れながらも、鈴鐘を鳴らして二拝二拍。
(えーと、今年も良い年でありますように。それと、薫が無茶な喧嘩して死にませんように。それと…)
隣りの花山はもう祈願と最後の一拝を済ませている。志信もあわてて
(今年も薫と一緒にいられますように!)
最後の祈願と雑な一拝。
「長かったな」
「あんたが短いんだよ」
何を祈ったのか聞きたかったが、自分に同じ質問を返されると困るので聞かないことにした。
2年前だったか、範馬勇次郎完膚なきまでに敗北したことは木崎から聞いていたが、勇次郎に勝てますようにと神頼みするような男ではない。
組の安泰と、自分のこと…留年しませんように、とかだろうか?
(10年近く一緒に住んでるけど、何考えてるのか未だにわかんない…)
花山は幼い頃から口数が少なく、表情の変化も乏しい。悩みや困ったことがあると一人でじっと考え込み、志信に話す時にはだいたい結論が出た後だったりする。
(木崎さんにはいろいろ相談してるみたいだけど…。二学期の三者面談も、最初に木崎さんに話したみたいだし)
三者面談は一応保護者である志信が行くことになったが、これから先、学校や勉強のことまで木崎に任せるわけにもいかない。
来年の今頃は大学受験の話も出てくるだろう。さすがにそれはないと思いたいが、花山のことだ。勝手に願書を出して受験して、合格通知が来て初めて「大学に行く」と言ってくることも大いにありうる(高校の編入試験がまさにそうだった)。
(これからは学校のこと、ちょくちょく聞いた方がいいのかな…)
(あんまりしつこいとうるさく思われるかな)
(でも、こっちから聞かないと全然話してくれないし…)
家に帰るまで、甥の今後について頭を悩ませていた。
【1月2日】
午前中は花山の親分である藤木組組長、秋田の家に挨拶に行った。昨年は花山一人だったが、今年は志信も付いて行く。
志信は組関連の集まりに出たがらない。最初の方は一応場にいても、30分ほどで早々に退散するのが常だったので、志信から「私も一緒にご挨拶に行っていい?」と聞かれた時は、花山も驚いた。
客間に通されて、秋田が来るのを待った。花山は昨日と同じ紋付き袴、志信は訪問着を着ている。
秋田は開口一番
「何でぇ、女づれっていうからてっきり
と、歯切れのいい江戸弁で志信をからかった。
「ご無沙汰しております」
志信が秋田と会うのは、花山の母の葬儀以来だった。
しばらく話をしてそろそろお暇を、という時に、志信は改まって秋田の方に向き直った。
「薫も何分若輩ですが、秋田様に目をかけていただいて本当に感謝しております」
秋田も花山も、おや、という顔で志信を見る。
「その、私が口を挟むことではありませんが、もし私が男だったら私が組長になるべきところを、まだ10代の薫にその責を負わせてしまって、心苦しく思っております。…どうか花山組を、薫のことをよろしくお願いいたします」
三つ指をついて、深々と頭を下げた。
「顔上げな」
秋田は少し神妙な面持ちだった。
「…あんたの気持ち、よおーくわかった。こいつの命は俺が預かってるから、悪いようにはしねえよ」
「ありがとうございます」
「顔上げなって言ったそばから下げるんじゃねえよ」
そう言うと秋田はハハッと快活に笑った。
志信もつられて口元を緩めたが、花山は一人、笑っていなかった。
「そんなふうに思ってたのか」
帰りの車中で唐突に花山から話しかけられ、志信は「何が?」と間抜けな返事。
「男だったら組長になってたって…」
「ああ、それか。…組長にはならなくても、あんたのこと助けてやれたかなって」
「…そうか」
花山はそれっきり黙りこんだ。
花山が組の跡目を継ぐと木崎から聞かされたのは、既に跡目相続の盃が終わった後のことだった。
『…え?』
『薫はまだ中学生ですよ?』
『ふつう、社長が死んでも中学生の息子が次の社長にならないですよね。他の取締役とか、親会社の人間とか、人いっぱいいるじゃないですか。それなのに何で…』
志信は一方的に木崎を攻めた。今さら木崎に言ったところで何も変わらないのはわかっていたが、言わずにはいられなかった。遊びたい盛りの年頃なのに、大人達に代わって組を背負わされた花山のことを考えると、遣り切れなかった。
『薫を組長にするくらいなら』
私にすればよかったのに、と言いそうになり、はっとした。
極道の世界は究極の男社会だ。女である志信が組長に就任することはもちろん、組について口を挟むことも許されない。
それに、仮に意見したとしても。
父親、つまり花山の祖父から認知されていなかったっということは、自分はもともとこの家に存在しない人間だったのだ。
花山の両親も、組の幹部達も、三枝も、自分のことを知らなかったのだ。もしかしたら、父親も知らなかったのではないか。
(蚊帳の外どころか、家の中にも入れてもらえてなかったんじゃない)
花山の組長襲名によって、志信は花山家での自分の立場を思い知らされた。
組のことについてどうこういう権利も資格もない。自分には、決まったことを黙って受け入れる以外の選択肢はないのだと。
その夜、志信は珍しく晩酌した。花山も付き合わされた。
酒に弱い志信は缶ビール一本を空ける頃には上機嫌になり、決まって花山のことを「薫ちゃーん」と呼ぶ。そして大して面白くもないことを言ってげらげら笑い、花山の背中をばしばしと叩くのだ。
「ねえねえ、これグシャッてやってよ」
ビールの空き缶を渡されたので、潰してコロコロと丸めてやると「あははは、すごーい!」と腹を抱えて笑い転げた。
ひとしきり笑うと「あーあ」と大きく息を吐いて、座っているソファーの背もたれに身を預けると、志信は黙ってしまった。
カチ、カチと時計の針の音がリビングに響く。
もうこのくらいにしておけと言おうとした時、志信が口を開いた。
「私が男だったら、薫に組のことなんかさせなくて、好きなことさせてあげられたのに…」
顔を背け、志信は続けた。
「中学も最後まで行って、高校だって…」
「高校は今行ってる」
「おばさんのお葬式だってあんたが喪主やって…。私があんたのおじいちゃんとおばあちゃんの娘だったら、そんなことまでさせなかったのに…」
声が震えている。鼻をすする音が聞こえた。
「ごめん…」
袖で目元を拭った。
志信が泣いている。
そう思った瞬間、花山は志信の肩を抱き寄せようとしたが、次の瞬間に「叔母と甥なのだから、それはまずいのでは」と思い直し躊躇する。
しょうがなく、行き場を失った右腕を引っ込めた。
「組のことは俺が後を継ぐと思ってたからいいんだ。それに、志信が男だと…」
「困る」と言いそうになってその言葉を飲み込んだ。
(何で困るんだ…?)
花山は心の中で首を捻った。
志信が部屋に戻った後も、花山は一人で飲み続けた。
(あいつがあんなふうに考えてたなんて全然気づかなかった)
『私が男だったら』
『私があんたのおじいちゃんとおばあちゃんの娘だったら』
あの時、何と言えばよかったのか。
(そんなこと、お前のせいじゃないのに)
(お前は悪くないって言ってやればよかった)
志信が泣いているとわかった時、なぜ抱き寄せようとしたのか。
どうして志信が男だと困るのか。
いくら考えても頭の中はまとまらない。花山は諦めて酒を呷った。
【1月3日】
朝起きて洗面所に向かうところで志信とすれ違った。
「…おはよう」
志信はそっけなく言うと、そそくさと歩いて行った。昨晩のことがあったからか、少しよそよそしく感じる。
しかし昨晩に限らず、酒の席で羽目を外しすぎると翌日は恥ずかしいのかそっけなくなるのはよくあることだった。
酒の席のことを翌日に引っ張るくらいなら最初から飲みすぎなければいいのに、と思いながら、
(何で志信が男だと困るかって)
(男からあんなに絡まれるのは勘弁だからな)
それらしい理由を見つけて自分を納得させた花山だった。