いろいろ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
無題
「ああああっっ!!!」
「ああああっっ!!!」
「ああああっっ!!!」
女のよがり声は外まで響いている。
「……幸子さん、声でけーなあ……」
滑皮は誰にいうでもなく、独りごちた。店の外で待機している自分にも聞こえているのだから、隣りの商店にも筒抜けだろう。まだ午前中だというのに、近隣もたまったものではない。
1階が店、2階がママの幸子の住居、場末のスナックによくある。幸子がケツ持ちのヤクザの――滑皮の兄貴分、熊倉の――愛人なのも、よくあることだ。
幸子とは二、三度店で飲んだ時に会っただけだ。いかにも男好きのする顔の女だった。年齢は幾つなんだろうか?熊倉の妻 より若く見えるが、女は化粧で誤魔化せるから……。
『雅子、お前夜勤明けで疲れてるだろ? 早く寝ろや』
『すみません、失礼します』
数時間前の、熊倉夫妻のやりとりがふっと頭をよぎった。
何気ない会話だが、熊倉から妻への労りが込められていた。
(お袋は、親父からあんなふうに優しくしてもらったこと、あったんだろうか)
親や配偶者からの暴力・虐待を受けていると、相手の顔色を常に窺ったり、相手の機嫌を損ねることを極端に恐れるようになる。滑皮の母親がまさにそうだった。
熊倉の妻は謙虚で慎ましい女性だが、そういう卑屈さは全く感じられない。いつだったか、熊倉から『これでもなァ、俺は女房に手ェあげたことは一度もねえんだぞ』と聞かされたことがあったが、あながち嘘ではないようだ。
熊倉の家には、滑皮の家にないものがたくさんあった。仲のいい父と母。掃除の行き届いた清潔な部屋。あったかくておいしい食事。食事を落ち着いて食べられる空間。堅気である滑皮家より、ヤクザの熊倉家の方がよっぽど健全な家庭なのは、何という皮肉だろうか。
滑皮にとって暴力は日常だった。家の中で父親に殴られるうちに、家の外で殴る側に回るようになるには、そう時間はかからなかった。加えて、『クソ親父の息子なんだから、俺もクズなんだ』という自己肯定感の低さが『クズなんだから、何やったっていいんだ』と自暴自棄と凶暴性を引き起こし、やがて地元では『絶対に逆らってはいけない』と呼ばれるまでになった。
熊倉と出会っていなかったら、どうなっていただろうか。
悶主陀亞連合の先輩だった獅子谷に誘われるがままにシシックに入社して、今頃は金勘定に勤しんで……。
「ああああああっっっ!!!!!」
一際大きい喘ぎ声がこだまして、滑皮の空想はおしまいになった。
熊倉は一仕事終えて、スナック幸子の勝手口から出てきた。
「おう。次は紀美江のとこ向かえ」
「はい」
別の愛人の家に向かって車を走らせる。
「兄貴、2時間後にサンバービィとかいう洋服ブランドの役員、吉澤敬純とのアポが入っていますのでよろしくお願い致します」
リマインドがてらにこの後の予定を告げる。紀美江の家に行ったら、吉澤との約束に間に合わないかもしれない。この場合は『どうします?』と尋ねるより事実を伝えるだけに留めておく方が覚えがいいことは折り込み済みだ。
「お、ちゃんと覚えてるじゃん、優秀優秀」
熊倉はさも覚えているかのような口ぶりだが、果たしてどうだろうか。でも、本当のことはどうだっていい。ヤクザはハッタリ効かせてナンボの生き物、相手に『そう』思わせればそれでいいのだ。
「言われる前に動くのが当たり前の世界だ。お前は見込みがあるぞ、滑皮」
『見込みがある』
褒められると嬉しくなる。当たり前のことだが、これまでの滑皮の人生にはその『当たり前』の経験が欠落していた。
熊倉が優しいだけの人間ではないことは身に染みて理解している。それでも、表の世界では到底生きていけない自分を、裏の世界に導き育て直してくれている。
「先に第一ホテルに向かえ」
「はい」
頭の中の地図で目的地を変更する。瞬時に最短のルートを導き出し、アクセルを踏み込んで加速した。
「ああああっっ!!!」
「ああああっっ!!!」
「ああああっっ!!!」
女のよがり声は外まで響いている。
「……幸子さん、声でけーなあ……」
滑皮は誰にいうでもなく、独りごちた。店の外で待機している自分にも聞こえているのだから、隣りの商店にも筒抜けだろう。まだ午前中だというのに、近隣もたまったものではない。
1階が店、2階がママの幸子の住居、場末のスナックによくある。幸子がケツ持ちのヤクザの――滑皮の兄貴分、熊倉の――愛人なのも、よくあることだ。
幸子とは二、三度店で飲んだ時に会っただけだ。いかにも男好きのする顔の女だった。年齢は幾つなんだろうか?
『雅子、お前夜勤明けで疲れてるだろ? 早く寝ろや』
『すみません、失礼します』
数時間前の、熊倉夫妻のやりとりがふっと頭をよぎった。
何気ない会話だが、熊倉から妻への労りが込められていた。
(お袋は、親父からあんなふうに優しくしてもらったこと、あったんだろうか)
親や配偶者からの暴力・虐待を受けていると、相手の顔色を常に窺ったり、相手の機嫌を損ねることを極端に恐れるようになる。滑皮の母親がまさにそうだった。
熊倉の妻は謙虚で慎ましい女性だが、そういう卑屈さは全く感じられない。いつだったか、熊倉から『これでもなァ、俺は女房に手ェあげたことは一度もねえんだぞ』と聞かされたことがあったが、あながち嘘ではないようだ。
熊倉の家には、滑皮の家にないものがたくさんあった。仲のいい父と母。掃除の行き届いた清潔な部屋。あったかくておいしい食事。食事を落ち着いて食べられる空間。堅気である滑皮家より、ヤクザの熊倉家の方がよっぽど健全な家庭なのは、何という皮肉だろうか。
滑皮にとって暴力は日常だった。家の中で父親に殴られるうちに、家の外で殴る側に回るようになるには、そう時間はかからなかった。加えて、『クソ親父の息子なんだから、俺もクズなんだ』という自己肯定感の低さが『クズなんだから、何やったっていいんだ』と自暴自棄と凶暴性を引き起こし、やがて地元では『絶対に逆らってはいけない』と呼ばれるまでになった。
熊倉と出会っていなかったら、どうなっていただろうか。
悶主陀亞連合の先輩だった獅子谷に誘われるがままにシシックに入社して、今頃は金勘定に勤しんで……。
「ああああああっっっ!!!!!」
一際大きい喘ぎ声がこだまして、滑皮の空想はおしまいになった。
熊倉は一仕事終えて、スナック幸子の勝手口から出てきた。
「おう。次は紀美江のとこ向かえ」
「はい」
別の愛人の家に向かって車を走らせる。
「兄貴、2時間後にサンバービィとかいう洋服ブランドの役員、吉澤敬純とのアポが入っていますのでよろしくお願い致します」
リマインドがてらにこの後の予定を告げる。紀美江の家に行ったら、吉澤との約束に間に合わないかもしれない。この場合は『どうします?』と尋ねるより事実を伝えるだけに留めておく方が覚えがいいことは折り込み済みだ。
「お、ちゃんと覚えてるじゃん、優秀優秀」
熊倉はさも覚えているかのような口ぶりだが、果たしてどうだろうか。でも、本当のことはどうだっていい。ヤクザはハッタリ効かせてナンボの生き物、相手に『そう』思わせればそれでいいのだ。
「言われる前に動くのが当たり前の世界だ。お前は見込みがあるぞ、滑皮」
『見込みがある』
褒められると嬉しくなる。当たり前のことだが、これまでの滑皮の人生にはその『当たり前』の経験が欠落していた。
熊倉が優しいだけの人間ではないことは身に染みて理解している。それでも、表の世界では到底生きていけない自分を、裏の世界に導き育て直してくれている。
「先に第一ホテルに向かえ」
「はい」
頭の中の地図で目的地を変更する。瞬時に最短のルートを導き出し、アクセルを踏み込んで加速した。
4/4ページ