こんな世界があってもいいのかもしれない

《夏祭り》




ぬうくんの暮らすのどかな田舎にも夏の風が吹き抜ける季節がやってきました。でも今日は朝から太陽がギラギラと照りつけているのでとても爽やかな日とは言えません。その中をぜえぜえと息を切らしながら坂道を登るひとつの人影がありました。

「はぁ…ひぃ…つ、疲れたぁ」
「んもう、だからそんなスイカなんて買うのよそうって言ったでしょぉ」
「でも、甘くて美味しそうだったから」

少しでも負担を減らそうとしているのか、いつもは真の肩や頭の上に乗っているいずぬが珍しく自分で歩きながら真に小言をいいます。目的地の前に立ち寄った野菜の直売所で、つい予定外のものを買う真に不満をもらしますが、冷やして後でみんなで食べようと笑顔で言われてはもう何もいえません。
ふたりが丘の上にたどり着くと、待ちきれないのかぬうくんが家の外に出ていました。

「真くんといずぬ!いらっしゃい~!」
「ちょっとぉ。ゆうくんでさえ呼んでないのに呼び捨てにしないでよぉ」
「あはは、まぁまぁいずぬさん。ごめんね、これのせいで遅くなっちゃった」
「ぬう!おっきいスイカ!」

お邪魔します、と真といずぬは靴を揃えてぬうくんのお家にあがります。

「泉さん、久しぶり」

ぬうくんがスイカを冷やす準備をしている間、真が居間に置いてある写真の中の人物に話し掛けます。いずぬはぬうくんを手伝ってくると声を掛け、邪魔をしないようにそっと傍を離れました。




「騎士とか王子って言われていた人にはちょっとまぬけで似合わないかもしれないけど」
「ぬう?」

真は来る前に手に入れたナスに割り箸を刺しながら笑います。一緒に作ろうと言われ、なにがなんだかよく分からないまま見様見真似でぬうくんもきゅうりに割り箸を刺して遊びました。手足が生えてなんだかへんてこな生き物みたいだなぁとぬうくんは思いました。


―――


「これなんの音ぉ」

照りつける太陽が沈み冷えたスイカを食べ終えた頃、ドンドンと外から太鼓を叩く音が聞こえ、怯えたいずぬが真の手をぎゅっと握ります。

「ぬう!今日おまつりのひ!」

祭囃子の音に気づいたぬうくんが窓を開けると、いつもは暗い神社に賑やかな明かりが灯っているのが見えました。

ぬうくんはお祭りが大好きです。

今まで名前の無かったぬうくんがはじめて泉と過ごした夏のある日、今日はお祭りに行くよと手作りの浴衣を着せられたことを思い出します。まだこころを開かないぬうくんの為でしょうか。普段は人混みを避けて暮らす泉にしては珍しく、ぬうくんを連れてたくさんの出店の前を歩きました。何か欲しいものがあったら遠慮しないで言ってよねと泉はぬうくんに優しく声を掛けます。でも慣れない人混みに怯えたぬうくんは首をふるふると横に振るだけでした。そんな時です。一陣の風が吹き抜け、ちりりんと鈴のような音が聞こえぬうくんは顔を上げました。

「はい、いらっしゃい」

そこは風鈴のお店でした。ゆらゆらと音を立てながら揺れるまあるいガラスにぬうくんは不思議と目が離せなくなりました。

「どれが良いの?」
「…きんぎょ」

ぬうくんは遠慮がちに赤い金魚の描かれた風鈴を指さします。泉はお金を払いそれを受け取るとぬうくんに手渡しました。ぬうくんは嬉しさのあまりくるくるとはしゃぎ回ります。

「落としちゃダメだよぉ」

ガシャン。言われた矢先でした。ぬうくんは向かい側から歩いて来た人とぶつかって風鈴を落としてしまいました。粉々に割れた金魚を見てぬうくんの目に大きな水たまりが出来ます。

「ぬ…ぬわぁあああん!!」

ぬうくんは欲しかった風鈴が割れて悲しいのではありません。泉に買って貰ったものを割ってしまい、せっかく買ってあげたのにと自分に呆れた泉がぬうくんを手放すのではないかとぬうくんは悲しさのあまりわんわんと泣きました。そんなぬうくんを泉は優しく抱きあげます。また来年買ってあげるとぬうくんに約束をして、泉は代わりに綿あめをぬうくんに与えました。ところが次の年も、その次の年も神社の祭りに風鈴の店が来ることは無かったので、その約束は永遠に叶うことはありませんでした。





「おまつりぃ?こんな夜に太鼓なんか叩いてめいわ…」
「へぇ、お祭りかぁ。ねぇ、みんなで行ってみようよ」
「え”っ!?」
「ぬう!行く~~~」
「こんな夜に危ないよぉ。神社なんか行ったら幽霊が出るかもしれないよぉ」

お祭りをこわいものだと思っているのか、いずぬがぎゃあぎゃあと騒ぎます。しかしお祭りが楽しみなぬうくんには聞こえていません。ぬうくんはいそいそと箪笥の中から浴衣を取り出しました。

「ぬぃ?」

今まで気付きませんでしたが、浴衣の内側に住所と名前が書かれたアップリケが縫い付けられていました。ぬうくんはそれを見て首を傾げました。






――――


「ぬう~~!!はやくはやくぅ!」

チョコバナナを持ったぬうくんがカランコロンと小さな下駄を鳴らしながら後ろにいる真達に手を振ります。

「ぬうくんちょっと待って!あんまりはしゃぐと迷子になっちゃうよ」
「ねぇゆうくん。これはぁ?」
「これはね、射撃と言って…」

祭りの雰囲気にも慣れてきたのか、あまり乗り気じゃなかったいずぬもあれはこれはと真の手をせわしく引っ張り目を輝かせています。

「あ!いちご飴!」

ぬうくんは大好きないちご飴を見付けて走り出しました。

「おじさん、3つくださいな」
「あいよ」

ひとつは自分の分。あとのふたつは真といずぬの分でした。

「真く~ん!…あれぇ??」

いちご飴を持ったぬうくんが笑顔で振り向きます。ところが後ろにいたはずの真達の姿が見当たりません。いつの間にかはぐれてしまったのでしょうか。ぬうくんは元来た道を急いで戻りますが真達を見つけることが出来ませんでした。

「ぬうぅ…」

ドンドン、ひゃららと祭囃子の音が鳴り響きます。ざわざわと愉しげな声が聴こえるなか、ぬうくんはぽつんとひとり佇みます。ぬうくんはなんだかひとりぼっちになった気分でした。

「ぬうくんまたひとりになっちゃった…」

じわっと溢れそうになる目元を浴衣の袖でごしごし拭っていると、ぬうくんの視界にひらりと1匹の青い羽根の蝶が現れました。

「ぬう?」

蝶はぬうくんの周りをひらひらと回って慰めると、こっちだよとぬうくんを誘います。

「ちょうちょさんまってぇ」

ぬうくんは夢中になって蝶を追いかけます。その時です。ちりりん。やわらかい風が吹き、ぬうくんの耳に懐かしい鈴の音が聴こえます。

「はい、いらっしゃい」

ちりりん。ちりりん。ゆらゆらと揺れる朝顔やスイカのなかに混じって真っ赤な金魚が泳いでいます。泉さんに買ってもらったのと同じきんぎょだ!ぬうくんは嬉しくてしばらく金魚をぼぅっと眺めていましたが、ハッと思い立ったように首に下げているがま口のお財布を開きました。

「いちまい、にまい……お金たりない…」

巾着のなかに入ったくじのおもちゃや、手に持ったいちご飴を思い出します。ぬうくんは久しぶりのお祭りにはしゃいで大事なお小遣いをほとんど使ってしまいました。
せっかくきんぎょに会えたのに。ぬうくんが諦めて肩を落としていると、今まで空を舞っていた蝶がぬうくんの胸元に止まりました。そこはちょうど裏にアップリケの縫われた場所でした。

「ぬぅ?…あっ!」

ぬうくんは思い出しました。

「良い?もし俺とはぐれて迷子になったらこのアップリケを人には見せるんだよ。あと困ったらここを開けてみて」

記憶のなかの泉がぬうくんに語りかけます。ぬうくんは1箇所だけ縫われていないところを開きました。そこには小さく折られたお札が数枚入っていました。それはぬうくんのお金と合わせても充分にお釣りのくる金額でした。ぬうくんは金魚を指さします。

「すいません~!あのあかいきんぎょのください」
「はい、ちいさなお客さんどうぞ。落とさないようにね」
「あ~!こんなところにいたぁ!ちょっとぉ、急にいなくなってゆうくんを困らせないでよねぇ!」

ぬうくんが風鈴を受け取っていると、走って来たのでしょうか。息を切らしたいずぬが隣に現れました。

「なぁに?それが欲しかったの?」
「ぬう!」

ぬうくんのきんぎょ!笑顔で風鈴を鳴らすぬうくんにいずぬは呆れましたが、また居なくなると困るのでぬうくんの手をぎゅっと握ります。ぬうくんはいずぬに買ったいちご飴を渡しました。いずぬはそれを受け取ると無言でぺろぺろと舐めました。

「いずぬさん、ぬうくん!こっちこっち!」
「あっ!ゆうくん~~!!こいつ見つけたよぉ」
「急に居なくなるから心配したよ」
「ぬぅ…ごめんなさい。あのね、これ真くんに…」

ぬうくんは申し訳なさそうに真を見つめると巾着にしまっていたいちご飴を取り出しまし。真はくれるの?ありがとうとお礼を言ってぬうくんの頭を撫でます。そしてぬうくんの胸元に止まっている青い蝶の存在に気付きました。

「きれいな蝶だね」

真が目を細めて指で蝶にそっと触れると、蝶は青い輝く羽根をふわりと広げて空へと昇りはじめました。

「ちょうちょさんありがとう~!!」


ぬうくんは蝶の姿が見えなくなるまでちいさな手を振り続けます。ちりりん。ちりりん。優しい風鈴の音が夏の夜空に響きました。





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