一時間の君との距離

茹だるような寝苦しさに思わず目を覚ました。おそらく今日だけでけっこうな量の汗を含んでいるであろう、掛けているタオルケットをそっと引き剥がす。
暑さが苦手と言うわりには体に悪いからという理由で、エアコンの冷房をあまり好まない人物はすやすやと夢のなか。こんな蒸し暑い部屋でよく眠れるよね。僕はもっとクーラーの効いた涼しい場所で眠りたいのに。もうソファーで寝ようかなぁ。規則正しく上下する寝息に、じっと疎むような視線を送ってみる。

「あ~痒いっ」

骨が出っ張った踝のあたりに出来た、小さくぽつっと熱を持った赤い斑点に手を伸ばす。どうやら忘れていたむず痒さまで一緒に目を覚ましてしまったようだ。



つい数日前、浴衣を着て花火大会の会場で歌番組の収録をした。履き慣れない草履で踊るのも苦労したけど、一番厄介だったのは海辺潜んでいた薮蚊だ。暗がりのなかで眩しいスポットライトに照らされた僕達は、虫除けスプレーも虚しく格好の餌食になり、今でもそのしつこさに悩まされている。




花火大会といえば今でも記憶に残るのは。

あの日、いまと同じように蒸し暑かった真夏の夜空に咲いた大輪のスターマインの花。
今でこそ大きな会場にそこそこ呼ばれるようになったけれど、その頃の僕は地方の小さなステージに立つのもやっとで。皆に置いていかれないように必死な僕は突然泣き出したこの人の涙の意味もわからず、そのぐちゃぐちゃした感情も受けとめることが出来なかった。
まだ若かった僕たちはぶつけた感情の先に何があるのがわからず、夜空に轟く音と海を照らす眩い色に互いにただ笑いあうことで夏をやり過ごした。それがまさか寝室を共有する関係になるとは思ってもいなかったけれど。

「ねぇ、あの時僕の笑顔を最高の値で買い取ってくれるって言ってたけれど、僕の人生も買い取ってくれる?」
「…ん」

気持ち良さそうに眠っている顔がなんだか悔しくて、鼻を摘んで遊んでいると閉じていた瞼から透きとおった海の色が開いた。

「あ、ごめん起こしちゃった」
「どうしたのゆうくん…眠れないの?」
「暑いし、痒いし眠れないよ。もぅ」

どうしても我慢出来なくて爪を立てて掻きむしると、跡が残るから駄目だよと止められてしまった。暑さにイライラしていた僕は頬を膨らませてちょっとだけ意地悪を言ってみる。

「じゃあ泉さんがなんとかして」
「しょうがないなぁ。かわいいゆうくんの頼みなら」

僕のわがままなんて全然効いていないみたいで、泉さんはひとしきり微笑んで僕の足首にキスをしてから踝にある赤い斑点に舌を這わせはじめた。

「どう?痒くないでしょ」
「ん…でもなんだか変な感じがする」

虫に刺された場所じゃなくて、身体の奥がむずむずするような。目を閉じてそんなことを思っていたらいつの間にか寝巻きのハーフパンツを捲られていて、剥き出しの太ももに足元にいたはずの唇が吸い付いている。

「ちょっと。そんなところ刺されてないんだけど」
「ゆうくんのデリケートな肌に痕を付けた責任は、俺が生涯をかけてとるから安心してよ」

この人、いつから起きてたんだろう。
あまりの恥ずかしさに固まる僕に、このまま続きしても良い?と熱の籠った瞳で訴えている。この火照った身体ではもう眠れないの知っている癖に。

「…クーラーつけてくれるならいいよ」

僕の汗の匂いに引き寄せられた意地悪なこの人が、赤い斑点を増やすことが分かっているから、僕は苦し紛れにそう条件を出すしかなかった。


どうせ今夜は熱帯夜。まだまだ眠れそうにない。






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