一時間の君との距離

色には意味が宿っている。


「これどうしたの?」

お花なんか飾って珍しいね。そう言って帰宅するなりダイニングに彩られた白のブーケを見付けてあげる声に、夕食の準備をしていた手を一旦止めて出迎える。

「撮影で余ったから貰ってきたんだ。花瓶がなかったからコップでしか活けれないのが残念だけど」
「でもきれいだよ」

切り揃えられた茎がガラスの底に深く沈んでいる姿を、椅子を引いて青のフレーム越しに物珍し気に眺めている。

何の撮影かは聞かないんだ。

なにか言いたげな視線に気付いたのか、紫陽花と言えばさ、すっごい雨の日に泉さんとふたりで帰った時にきれいな紫陽花を見付けて一緒に眺めたよね。突然の思い出話に、ちいさく花びらのように笑いながらガクの部分を傷つけないようにそっと指で戯れて遊んでいる。

そうだ。同じ季節のあの雨の日。

君が濡れて風邪をひかないようにと傘を差し出したつもりなのに。結局ちいさな傘で一緒に帰って結局肩を濡らしてしまったのだ。
記憶に残るのは、雨に濡れて少しくすんだ菖蒲色。
紫陽花は土壌の性質により色が決まるという。酸性が高いほど青色になり、アルカリ性だとピンクの花が色付く。
いまここに咲いているのは、色素を持たず何色にも染まらない白の紫陽花。

「ねぇ、ゆうくんは何色の紫陽花が好き?」

突然の質問にう~んと少し唸って、君の口から出た答えは。

「僕は……」





「どうしたの泉ちゃん。そんなに浮かない顔をして」

ドアが締まり、人が居なくなったのを見計らったタイミングで声を掛けられる。相変わらずというか、歳下の癖に子供の頃から周りを見るのが上手い。だからなるくんにはゆうくんのことを話せるのかな。

「…そんなに顔に出てる?」

「見れば分かるわ。ちょっと前まで念願叶って遊木くんと幸せ同棲生活が始まるんだってあんなに幸せピンク色のオーラ出してたじゃない。今の泉ちゃんには淀んだ色しか見えないわ。ねぇ?本当にどうしちゃったってわけ?」

簡単に見破られてしまったポーカーフェイスに、何処か心のうちを話してしまいたかったのかもしれない。踏み込むことのない優しさに、誰にも相談出来なかった浅ましい感情をぽつり、ぽつりと静かに洩らす。

嫉妬して貰いたかったのかもしれない。わざとらしくジューンブライドの撮影で使ったブーケを持ち帰って、目のつく場所に置いたりして。
朝、おはようと眠る君を起こすようにカーテンを開けて。お互い仕事に行って。君の匂いのする家に帰って。一緒に食事を取って。おやすみのキスをして抱き締めて眠る。それだけで幸せな筈だったのに。一緒に暮らすうちに欲が、生まれた。

もっと自分を求めて欲しいという醜い欲が。

学生の頃一緒に眺めた紫陽花の花言葉は、辛抱強い愛だという。いつまでもまっさらで濁りのない君の綺麗な顔が、嫉妬の色に染まるのを見れば満足するのだろうか。本当にそんなもので自分は幸せを得られるのだろうか。

雨はとっくに上がったはずなのに、なぜだか曇って空が晴れない。







「紫陽花、元気なくなっちゃったね」

くったりと項垂れた花の前で沈む声がする。黄土色に変わり始めた茎は、もう幾ら新鮮な水を与えても吸うことはないだろう。

「そうだね。そろそろ棄てようか」

そうだ、完全に腐って枯れ果てる前に棄ててしまおう。こんなものは、早く棄ててしまった方がいい。

「あ、ちょっと待って!」

処分しようした手を阻まれる。代わりにしゅるりとブーケを束ねていたものを外す音がした。左手を出してと言われ、差し出した腕に巻きつけられたのは、結ばれた純白のリボン。

「何かまではよくは分からないけど泉さん不安なんでしょ。もうすぐさ、僕たち一緒に暮らし始めてから三ヶ月経つよね。だから今度のお休み一緒に指輪でも選びに行こうよ。
あ、お金ないからあまり高いものは買えないけど。…泉さん?」

震える腕で細い肩を抱き締める。

自分はなんて馬鹿なんだろう。君はこんなにあたたかい色をしているのに。目に見える色や形にこだわって、俺は全然見えていなかったんだ。

紫陽花は、土に含まれる酸性度によって生まれる色が変わるという。まるで移り変わり行く人のこころのように。いつか離れてしまうのではないかという耐え難い不安を、離れないよと結んでくれた君の唇をそっと塞ぐ。

一緒に育てていこうよ。そう眩く笑って君が選んでくれたのは。
パートナーを認め合うという意味を持つ、白の紫陽花。




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