スヴニールな時間を貴方に


ようこそいらっしゃいました。

秘密の合図に最上級の笑顔で出迎える。
時おり訪れるこの御方は僕らのちいさなお姫さまにとって、それはそれはとても大切なお客さまで。だから僕もその特別なお客さまが現れた際は丁寧におもてなしをして差し上げるんだ。

さて、お客さま。今日はどう過ごされていきますか?







今宵も騒がしい夜が更けて、静かな朝を迎えたはずなのに。そんな穏やかな白亜の城に突如響き渡る散らばるガラス音と、悲鳴。

「お嬢さま!?」

来客の出迎えの準備をしていた手を止めて、声の方角を計算しながら走り出す。確か今はマタンが付いているはずなんだけど。一体なにがあったのだろうか。
書斎に辿り着きノックもせずにドアを急いで開くと、そこには既に怪訝な表情の執事長が腕を組んで立っていた。そして視線の先には、腰を抜かして脅えるお嬢さまを抱き抱えているマタンと、確か中世の時代に作られた陶器の猫…だったものの残骸。


「状況を説明しろ副執事長」
「はっ」

体は小さくとも怒気を含んだ執事長の声はどんな賊よりも恐ろしくて。
後から駆けつけたミディとソワレも同じく息を呑んでこの悲惨な状況を見守っている。それもその筈だ。この部屋には先代の集めた貴重な本とともに、時間を止めたアンティークが一緒に眠っている。お嬢さまが特にお気に入りの場所でもあるのだけど、きっと僕が生涯を掛けても手にすることが出来ないであろう貴重な価値がたくさん詰まった部屋で。けれど、執事長はそんな理由で怒っているわけではない。

「目を離すなんてお前らしくない。お嬢さまが怪我でもされたらどうするつもりだったんだ!」
「申し訳ありません」
「違うの!マタンを驚かせようとした私が悪いの。だから怒らないでオーロージュ」

頭を下げるマタンを涙目の天使が必死に庇う。どうやらテーブルの下に隠れていたお嬢さまが立ち上がった際に、猫が暴れて落ちてしまったみたいだけど。僕は窓に揺れるカーテンのレースと、泥の付いた不自然な足跡の正体に気付いてしまった。

「待ってください!マタンは…」
「ニュイ」

余計なことを言うなと。強い視線に睨まれてぐっと出掛かった言葉が詰まる。

「はぁ…心配してこっちの寿命が縮まるのでかくれんぼも大概にして下さいお嬢さま。マタン、この事はお嬢さまに免じて不用意な事故として処理はするけど、部屋の掃除と後で報告書を持って俺の部屋に来ること。いいな?」

ここは破片が飛び散って危ないので向こうに行きましょうと、何度もマタンの方を振り向こうとするお嬢さまをミディ達が宥めながらドアが閉めて去る音がする。僕は完全に自分達以外の気配が消えたことを確認してから、今まで閉じていた口を勢いよく開いた。

「マタン…!どうして本当のことを言わないんですか?あなたもお嬢さまもどちらも悪くな…」
「煩い」
「ちょっ…マタ…んんっ」

黙れと、苛立った荒々しいキスで唇を塞がれる。こうするとマタンの舌に翻弄されて僕が大人しくなるのを彼はよく知っているから。

「…あんたがお嬢さまの大事な友達だって言ったんでしょ」
「え?」

なに驚いた顔してるのと、至近距離で睨まれる。確かに、言った憶えがあるかも。



天気が良いからと外に行きましょうと。

お嬢さまに誘われてマタンとふたりで護衛をしていたあの日。ガサガサと草を掻き分け近づく不審な音に警戒した僕らの前に現れたのは、ふわふわの毛並みとふわふわの長いしっぽだった。突然の来客にお嬢さまはすっかり夢中になってしまい、動物に触ったなんてバレたらオーロージュに叱られるわ。このことは三人の秘密よと天使の笑顔で口封じまでされてしまった。なにか爆発物でも仕掛けられたら危険だと、お嬢さまが寝ている間に処理しようとするマタンに、学校にも行けないお嬢さまの初めてのお友達だ。居なくなったら悲しむよと僕が彼に言ったんだっけ。

きっとお嬢さまに会いに来た例のお客さまが窓から現れて、仲間だと思って近付いた陶器の冷たさに驚いて逃げ出したんだと思うけど。

「あんの目付きの悪いクソ猫…お嬢さまに罪を擦り付けたあげくに俺の評価まで落とすなんて。今度現れたら絶対にとっちめてやる」
「あはは…」

そんなことを言うけど、僕は時々覗かせる彼のその優しさが結構好きだったりする。銀の月明かりのようなふわふわの毛並みと不遜な態度が似ているからと、お嬢さまとふたりでこっそりマタンと呼んでいることは黙っておこう。


マタンに見つかる前に僕のところへおいで。そろそろ来る頃だろうと君の為においしい食事を用意していたんだ。そして、今頃君のことを心配している泣き顔の天使の元にこっそりふたりで会いに行こう。

僕はそんなプティフリポン(いたずらっ子)を誘き寄せるために、缶の蓋を開けるのだった。

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