こんな世界があってもいいのかもしれない

にぎやかな町の、広場からはるか遠く離れたふかい森の中に、一軒のおおきな館がぽつんとそびえ立っています。そのうつくしい白亜の館にはちいさな女の子とお世話係の青年たちが暮らしていました。女の子の父親は国でも有名な大層なお金持ちでしたが、海を飛び越えるほど忙しく、そのせいでなかなか自分の家に帰れません。大好きな父親に会えない女の子は、悲しみに暮れながら覚えたばかりのつたない文字で手紙を書きました。
お父様、今年のお誕生日には帰ってきてくださいますよね?
女の子は毎日、毎日、立派な淑女になる為の勉強をしながら手紙の返事が来るのを待ちました。いいこにしていればそれを見ていた神さまがきっと自分のもとへ父親を帰してくれるだろうと思っていたからです。

そうしてお誕生日の当日、青年たちが女の子のために館で盛大なパーティーを開いていると、外からトントンと風のようにドアを叩く音が聞こえました。女の子は父親が帰って来たと喜びながら玄関のほうへと走り出します。ところが扉の向こうに立っていたのは自分の誕生日を祝う父親ではなく、大きな木箱を持った町の役人でした。役人は女の子の傍に立っていた眼鏡をかけた青年に落とさないようにと木箱を手渡すと、そそくさと馬車に乗り込み暗い森の中へと消えてしまいました。女の子は今日のためにと新調した真新しいドレスの裾をぎゅっと握り締め、涙をこらえます。同封されていた手紙には離れていても愛してると、ひと言メッセージが書かれています。それを見た女の子はとうとう我慢が出来なくなり、しゃっくりをあげて泣き出してしまいました。女の子が寂しくないようにと、父親が毎年自分の代わりにプレゼントを贈ることを知っているからです。
お嬢様、今年のプレゼントもきっと気に入りますよ。心配した青年が微笑みながら受け取った木箱を女の子に手渡します。すると、どうでしょう。女の子は涙をひっこめ、代わりにきゃあきゃあと高い声を上げました。木箱の中から、まぶしいお日様のような毛並みの仔犬が勢いよく飛び出して来たからです。仔犬はぺろぺろと女の子の顔を挨拶がわりに舐めました。きゃあ、くすぐったいわ。すっかり機嫌のよくなった女の子は自分が泣いていたことも忘れて仔犬を抱き上げます。マタン、新しい子よ。仲良くしてあげてね。女の子は暖炉の前で眠っていた猫に声をかけますが、猫は興味がないとでも言いたげにしっぽを振るとふたたび背中を丸めてしまいました。こうして、女の子がお誕生日を迎える度に白亜の館には新しい家族が増えていくのでした。



これはそんな遠い異国の、ちょっと変わった執事たち(バトラー)の物語り。









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ハッハッハッ。じりつく太陽に見守られながら長い廊下を、1匹の仔犬が舌を出して走っています。春のひだまりをいっぺんにかき集めたようなふわふわの毛並みは本当はとても美しいものでしたが、いまは土ぼこりですっかりすすけた色をしていました。おまけに磨いたばかりの廊下は黒い足跡だらけ。きっと見つかったらこっぴどく叱られることでしょう。ですが仔犬はそれどころではありません。なにせ急いでいるものですから。
「すみません、おくれました!」
「おそい。時間厳守がここのルールでしょ」
目的地にたどり着いた仔犬、ニュイはぎろりと光る瞳ににらまれ、思わずしっぽを丸めてきゅうんと鼻を鳴らします。ぴかぴかの銀食器のように冷たくも美しい血統書付きのこの猫の名はマタン。ニュイよりも先にこの館にいる先輩で、ニュイの教育係です。
「それで?外でなにして遊んでたの?」
「遊んでなんかいません。ぼくは落とし穴を掘っていたんです!」
あきれるような視線にニュイも負けじと吠えます。外の見回り(おさんぽ)をして、あやしいものが侵入しないように穴を掘る。それがニュイのここに来てからの過ごし方でした。ですがせっかく苦労して掘った穴は、翌日にはきれいに埋めなおされていることをニュイは知りませんでした。ふしぎだなぁと思いながらも、次の日も、次の日も、ニュイは夢中で穴を掘りました。
「あのさぁ……」
「まぁまぁ、その辺にしておいてやろう。ニュイ、呼ばれた理由はわかるな?」
本当のことを教えようとしたマタンの横から声を掛けるものがいました。雪のようにしろいからだに、真っ赤なおめめが特徴的なうさぎのオーロージュです。とても愛くるしい見た目をしていますが、みんなをまとめあげるリーダー的存在でいちばんの古株なこともあり、マタンも彼には逆らえません。
「ふふっ、穴掘りも楽しいかもしれませんがセクシーに歌を歌うのも楽しいですよ」
今度はうえから声がします。長い脚で器用に鍵を外すと、金の鳥かごから一羽の青い鳥、ミディが羽根を広げます。彼がひとたび歌いだしますと窓に雌鳥たちが集まってくるので、マタンはその度に目を光らせては鬱陶しいとミディを追い回しました。
「まったく、困ったものたちだ。あまり騒がしくするとお嬢様に気付かれるであろう?」
生真面目な性格のポニー、ソワレが大きなため息をつきます。真っ直ぐに切りそろえられたしっぽが特徴で、ちいさなお嬢様は彼の艶やかな毛並みと背中にまたがるのが大好きでした。ソワレもまた、お嬢様を落とさないように野を駆けるのが好きでした。
ここは動物小屋、、、ではなくお嬢様の広いお部屋の一室です。実はここに集められた動物たち。お嬢様の父親が寂しくないようにと、動物を愛するお嬢様に贈ったものでしたが、お嬢様が大好きな動物たちはなぜだか自分たちのことをお嬢様を守る勇敢な執事(バトラー)だと思い込んでいました。
「いいかお前ら。今夜は満月だ。あいつが現れるぞ」
こほん、とひとつ咳をしてオーロージュが話を進めます。眠っている人間たちは知りませんが、この白亜の館は夜になりますとなんともおそろしい魔物が現れるのです。
そのために、バトラーたちは満月の夜が近付きますと作戦を立てるためにこうして集まるのでした。ですが、今宵の敵は今まで以上に手強く、太陽が傾いてもいっこうにいい案が浮かびません。そうこうしていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえバトラーたちはいっさいに散ります。そしてそこに失礼しますと、銀の髪の美しい青年が現れ、頭を下げて部屋に入るなり逃げ遅れたニュイをひょいと捕まえるのでした。
「やっぱりここにいた。こんなに汚して」
どうやら青年は黒い足跡を辿ってここまで来たようでした。
「ああっどうか降ろしてください!ぼくにはまだやるべきことがあるんです!」
きゃいん!きゃいん!部屋には連れ去られるニュイの空しい声だけがひびきます。残されたバトラーたちはこれからお湯の張った桶に入れられ容赦なく泡ぜめにされるであろう哀れなニュイをただ見送るのでした。








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ざわざわと草花が風に揺れ、寝静まった白亜の館に森のふくろうが首をまわしながら夜の訪れを知らせます。月明かりに照らされたお嬢様の寝顔を窓からじっと見つめる黒い影がありました。黒い影はそのままするりと煙突に消えると、白亜の館にいとも簡単に侵入してきたではありませんか。
「くくく……今宵こそ純潔の生き血を貰うとするかのう」
現れたのは1匹のこうもりでした。こうもりは黒い羽根を広げお嬢様の周りをぐるぐると旋回すると、そのまま首すじに降り立ちようとします。その時です。
「それ以上お嬢様に近づくと許さないよ!」
ベッドの中に隠れていたマタンの鋭い爪がこうもりに襲いかかります。ところが空を切ったように手応えがありません。こうもりは天井にぶら下がりながら、背中の毛を逆立てたマタンを見てあざけた声で笑いました。
「相も変わらず元気なバトラーたちよ」
息をひそめて隠れていたバトラーたちが次々と現れてはこうもりをじりじりと追い立てます。

ある満月の夜のことです。見回りをしていたオーロージュはくちの周りをまっかに染めた食後のこうもりにばったり出くわします。あわてたバトラーたちはそれから彼をお嬢様をねらう吸血こうもりだと判断しました。みんな元から思い込みがはげしいですからね。ところがこうもりの本来の目的はお嬢様の首すじではなく、キッチンにある熟れたトマトに齧りつくことでした。こうもりの正体はなんとトマト泥棒でした。こうもりはそんなまじめなバトラー達をからかうのが面白くて仕方ありません。長生きをしているとそういうこともあるのです。
「やぁっ!」
ソワレが後ろ足で蹴りかかります。ですが自慢の脚でも上空のこうもりには届きませんでした。
「幼い少女を襲うのはいささかセクシーな行動ではありませんね」
今度は羽根を広げたミディが軽やかに舞います。こうもりはミディの羽を難なくかわすと、鮮やかなバラの生けてある花瓶の横に降り立ちました。
「おりぇをなにも出来ないうさぎだと思うなよ!」
勢いのあまり噛んでしまいましたが、オーロージュのすばしっこさと跳躍力はバトラーのなかでもぴかいちです。オーロージュはぴょん、ぴょんと跳ねながらこうもりを追いかけますが、棚にぶつかった拍子に花瓶が倒れてしまいました。ばしゃり。ちょうど真下でおろおろと見ていたニュイは水をかぶってしまいました。ニュイはぶるぶるとからだを振り、部屋全体を見渡します。こうもりは上へ下へとまるで遊ぶように自由自在に飛び回り、なかなか捕まえることすらできません。いったいどうすればこのこうもりの隙をつくことが出来るのか。ニュイは水で冷えた頭で考えました。
「ぼくに考えがあります!」
ニュイは失礼しますと、勢いよく跳んでソワレの背中に乗りました。ソワレはぎょっと驚いて目を見開きましたが、なにか理由があるのだろうとニュイを振り落とすことはありませんでした。
「マタンはぼくのうえに乗ってください。オーロージュはマタンのうえに」
いつもは気弱なニュイの命令にマタンとオーロージュも驚きましたが、素直にニュイの判断にしたがうことにしました。
「ソワレはぼくの指す方向に走ってください。まずは実体を捕まえるんです」
「了解した」
ソワレが床を蹴り、ニュイの支持のもと走りだします。いったいなにをするつもりなのかと、突然現れた動物のタワーにこうもりも興味津々で羽根をぱたつかせました。もしお嬢様がこの4匹の影を見ていたら、おそろしい怪物かと思いこみ卒倒してしまうことでしょう。ニュイは鼻を鳴らし、闇に紛れるこうもりの匂いをたどりながら落ちないように必死に踏ん張ります。ここで自分が落ちてしまえば、マタンとオーロージュまで怪我をしてしまうかもしれないからです。
「いまです!」
「はぁっ!」
ニュイが吠えると同時にマタンが飛びます。こうもりはマタンの攻撃を器用にかわします。しかし、さらにうえから降ってきた別の影に気づくことは出来ませんでした。見事な連携により、オーロージュはついにこうもりの実体を捕らえることが出来たのです。
「しまった……!」
「ミディっ!!」
「お覚悟をっ」
ミディの鋭いくちばしがこうもりに狙いをさだめて急降下していきます。しかしミディのくちばしはこうもりのからだを掠めることが出来ませんでした。
「うぅん……なぁに…?」
あまりの騒がしさに、眠っていたお嬢様が目を覚ましてしまったからです。バトラーたちはぴたりと動くのをやめ、いっさいに寝たふりをします。
「ゆめ……」
お嬢様はまぶたをこするとふたたび眠りにつきました。緊迫した空気を破るように、こうもりが愉快、愉快、と羽根を動かします。
「バトラーの諸君よ、満月の夜にまた遊ぼうぞ」
せっかく捕らえたこうもりは、ふたたび煙突のなかへと消えてしまいました。辺りには霧のようなこうもりの笑い声だけが残りました。
「くっ…!逃げられてしまった。我の足がもう少し早ければっ…!」
ソワレがくやしげに窓の外を見上げます。
「そんなことないぞ。お前は重いおれたちを乗せてあいつのところまで立ち向かってくれたんだから。でも今回は本当に惜しかったな。これもニュイのおかげだな」
「え、ぼくですか?」
「ええ、あの状況ですばらしい判断でした。どうですかオーロージュ。彼を作戦担当に任命しては?」
オーロージュとミディはニュイに作戦担当になることを勧めました。ソワレも異議なしとニュイを称えます。ニュイは耳を伏せながらちらりとマタンの顔を見つめました。ドジで役立つでいつも怒られてばかりいる自分が、彼に認めてもらえるとは思わなかったからです。
「……いいんじゃないの。やってみなよ、作戦担当」
いままで黙っていたマタンが三日月のようにほほえみます。ニュイはなんだか胸のすくような気持ちになりました。こうしてニュイは作戦担当になったのです。








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さて、森のふくろうもぐっすりと寝静まった頃。疲れたバトラーたちの寝息に混じり、きぃと扉の開く音が聞こえ、警戒心の強いマタンの青い瞳が光ります。
「こんな時間にどこに行く気?」
「ぼく、もういちど見回りに行ってきます」
いつもなら夜風がガラス戸にいたずらをするだけで怯えるニュイでしたが、作戦担当になったことで自信があふれでるようでした。マタンは止めるわけでもなくあくびをひとつかみ殺すと、ふたたび眠りにつきました。

ふんふんと、鼻を鳴らしてニュイが向かった先はキッチンでした。無意識でしたが、どうやらたくさん動き回ったせいでお腹が空いたようでした。ニュイがキッチンにたどり着くと、なにやら人の話し声が聞こえます。誰かいるのでしょうか。
「今日こそふたりでキッチンに現れるトマト泥棒を捕まえましょう」
「そうだねぇ。……でも、待ってるだけじゃ時間を持て余すから」
「あっ……だめです、マタン」
(マタン?)
部屋にいるはずのマタンがなぜキッチンにいるのだろう。ふしぎに思ったニュイは、頭でドアを押し退け、なかをそっとのぞきます。するとどうでしょう。ふたりの青年が抱き合いながら互いのくちを重ねているではありませんか。ニュイはしばらくじっと黙って見つめました。先に視線に気付いた眼鏡をかけた青年は驚き、うひゃっと情けない声をあげました。
「まさかトマト泥棒の犯人って……」
なんのことだかさっぱり分からないニュイはくぅんと首を傾げます。もうひとり中にいたのは昼間ニュイを無理やり洗った青年でした。なぜかこの青年はすぐにニュイの居場所を突き止めるのです。マタンと同じ毛色の、冷たい表情のこの青年をニュイはどことなく苦手に感じていました。マタンと呼ばれた青年はニュイに近づくと手を伸ばします。ニュイはまた桶に入れられるのではないかとびくびく震えました。
「この子はそんなことしないよ。ほら、口止め料。それを食べたら部屋におかえり」
青年はニュイの頭を優しく撫でると、薄切りの上等な干し肉をニュイに与え、ぱたりと扉を閉めてしまいました。干し肉に夢中なあまり、ていよく追い出されたことにニュイは気付いていません。ニュイは先ほど見た扉の向こう側の光景をこう考えました。あのふたりのように、この干し肉を誰かと一緒に食べたらきっともっと美味しくなるに違いない。ニュイはしっぽを振り、干し肉を咥えながら元きた道を戻りました。
「やれやれ、今夜はご馳走にありつけなさそうじゃのう」
ニュイのことが心配でこっそり跡をつけてきた長いしっぽの影がゆらゆら揺れるのをこうもりは微笑みながら見届けると、ばさりと羽根を広げ夜の闇へと飛び去っていきました。

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