これもひとつの愛のカタチ
木々に囲まれ草が生い茂る人里離れた森の中を、マコトは歓喜の音を小鳥のように口ずさみながら軽い足取りで駆け抜けた。
野ばらの垣で衣服を傷付けないように避け、辿り着いた古びた木製の扉を音をたてぬよう開くが、どうしても軋んだ耳障りな音が響いてしまう。
「……ゆうくんおかえり。どこに行ってたの?」
「イズミさん起きてたんだ。おはよう」
「俺はどこに行ってたのか聞いてるんだけど。まさかまた人間のところじゃないよねぇ」
造り物のアイスブルーの瞳がマコトを出迎える。その宝石の瞳は怒りの色を宿してはいるが、マコトの髪に付着した木の葉屑に気付くと手で優しく払い除けた。
マコトは暫し思考を停止させてから、ごめんなさいと素直に頭を下げる。自分が悪い事をしている自覚は少しばかりあるらしい。
イズミとマコトは人間と見間違う程に精巧に造られた機械人形だ。元は観賞用の物言わぬただの人形だったが、ある日、錬金術により戦争で死んだ兄弟の魂があてがわれた。
甦った息子たちに夫婦は喜び、ふたりを大層可愛がるが、その命が人形よりも先に尽きてしまうのは致し方ない事だった。
程なくして人形の兄弟は新しい領主の家に渡ることとなった。兄弟の美しさは街でも評判で、少年愛好家として有名な領主は満足気にイズミとマコトの頬を撫でた。
その夜、マコトは裸で自分に覆い被さる動かない領主と、血がべっとりと付いた花瓶を持つイズミの顔を見比べた。なにが起きたのか状況が理解出来ていないマコトの手を掴むとイズミは屋敷に火を放ちふたりで逃げた。
もう百年以上も前の話なので、元より少し感情の欠陥のあるマコトはあまり覚えていない。歳をとらない人形の兄弟は同じ場所にはとどまれないので、領土を越えては人気の無い場所でひっそりと暮らした。
それでも兄弟はしあわせだった。特に兄のイズミは、人として生きていた頃から弟のマコトに特別な感情を抱いていたので、ふたりで永遠の時を過ごせればそれで良かった。
ところが、ある日突然、マコトが『人間になりたい』と言い出した。
近頃イズミの寝ている間にこっそりと抜け出しては人間の子どもと遊んでいるようだった。
マコトは善と悪の区別がつかなく、あまり人間を疑わない。子どもならまだ良い。
ただ、大人に正体がバレると何をされるか分からないので、イズミは頑なに忠告をした。それでもマコトはたびたび外に行ってしまうのだ。
「ゆうくんは俺を捨てて人間になるつもりなんだ…俺はこんなにゆうくんを愛してるのにっ!!」
感情が抑えられなくなったイズミは一度マコトを乱暴に壊した事がある。そのせいでマコトの硝子の眼球にヒビがはいり、今では特殊な補助レンズがないと何も見えない状態だ。
「いい?何度も言うけど人間なんて汚くて醜い生き物で、永遠に美しい俺たちとは何もかも違うんだから。ゆうくんは綺麗なお人形。なんにも考えなくていいんだよ…」
イズミは人工皮膚で出来たマコトのやわらかい頬を愛おしげに撫でた。
「でも…」
ぴくりとイズミの手が止まり、代わりに声が低くなる。
「…言うことが聞けないなら今度は足を切り落とす。それならどこにも行けないでしょ」
「じゃあその前に僕が寝ているイズミさんの心臓(動力部)をナイフで突き刺すよ」
足を失っては堪らないと売り言葉に買い言葉でつい歯向かってしまい、マコトは内心焦った。下手したら今度は体をバラバラにされかねない。衣類の下に隠された継ぎ接ぎの腕を思い出す。痛覚はないので、多少体を壊されても平気だが、今の自分にはまだやるべきことがある。
だが、てっきり怒り狂うと思っていたイズミが存外大人しいのでマコトは不思議に思った。
「イズミさん…?」
「ゆうくんに殺されるならそれも良いかなって一瞬思ったけど…」
頬を撫でていた優しい手がマコトの細い腰をそっと、抱き寄せる。
「こんなドジで間抜けなゆうくんひとりでは
心配で置いていけないよねぇ」
額をこつんと合わせるとそのままマコトのやわらかな紅色の唇に自分の唇を重ねた。
ふたりは時々肌を合わせ人間の真似事をする。それこそ『つがい』のように。生殖機能を持たない彼らには無意味な行為だけれども、それでも、どこかあたたかく、心地良ちがよかった。
マコトが庭の薔薇の手入れをしている時、一羽の青い鳥と出逢った。
「うわぁ…!機械人形の方とは珍しいですね」
「ぼくのこと人間じゃないって分かるの?」
「もちろん。こう見えても昔、魂移しの魔法を使っていたので」
青い鳥の正体は魔法使いで、マコトと魔法使いはすぐに打ち解け仲良くなった。魔法使いの家に招待されたマコトは、案内された地下の図書館で古びた一冊の錬金術の本を見つけた。魔法使いは気に入ったなら差し上げますよ、とマコトに本を差し出した。
それからマコトはイズミに隠れて本を読み、苦手な勉強をたくさんした。どうやら魂の依り代は若ければ若いほど良いらしい。
今日も練習をして失敗してしまったけど、それでもぐちゃぐちゃだったものが、少しずつ形になっている気がしてマコトは喜んだ。
イズミは隠そうとしているが、近ごろイズミの眠る時間が長くなっていることにマコトは気付いていた。
──イズミさんが完全な眠りにつく前に、ふたりで一緒に人間になるんだ。何度も魂を移し変えて永遠に。ふたりでずっと永遠に。
それと、イズミさんと触れ合うとドキドキと高鳴るこの感情の正体が何なのかを知るために、僕は…人間になりたい。
マコトは目を瞑り、血で汚れた両手を隠すようにイズミの背中に手を回し、その存在を確かめるように、きつく抱きしめた。
野ばらの垣で衣服を傷付けないように避け、辿り着いた古びた木製の扉を音をたてぬよう開くが、どうしても軋んだ耳障りな音が響いてしまう。
「……ゆうくんおかえり。どこに行ってたの?」
「イズミさん起きてたんだ。おはよう」
「俺はどこに行ってたのか聞いてるんだけど。まさかまた人間のところじゃないよねぇ」
造り物のアイスブルーの瞳がマコトを出迎える。その宝石の瞳は怒りの色を宿してはいるが、マコトの髪に付着した木の葉屑に気付くと手で優しく払い除けた。
マコトは暫し思考を停止させてから、ごめんなさいと素直に頭を下げる。自分が悪い事をしている自覚は少しばかりあるらしい。
イズミとマコトは人間と見間違う程に精巧に造られた機械人形だ。元は観賞用の物言わぬただの人形だったが、ある日、錬金術により戦争で死んだ兄弟の魂があてがわれた。
甦った息子たちに夫婦は喜び、ふたりを大層可愛がるが、その命が人形よりも先に尽きてしまうのは致し方ない事だった。
程なくして人形の兄弟は新しい領主の家に渡ることとなった。兄弟の美しさは街でも評判で、少年愛好家として有名な領主は満足気にイズミとマコトの頬を撫でた。
その夜、マコトは裸で自分に覆い被さる動かない領主と、血がべっとりと付いた花瓶を持つイズミの顔を見比べた。なにが起きたのか状況が理解出来ていないマコトの手を掴むとイズミは屋敷に火を放ちふたりで逃げた。
もう百年以上も前の話なので、元より少し感情の欠陥のあるマコトはあまり覚えていない。歳をとらない人形の兄弟は同じ場所にはとどまれないので、領土を越えては人気の無い場所でひっそりと暮らした。
それでも兄弟はしあわせだった。特に兄のイズミは、人として生きていた頃から弟のマコトに特別な感情を抱いていたので、ふたりで永遠の時を過ごせればそれで良かった。
ところが、ある日突然、マコトが『人間になりたい』と言い出した。
近頃イズミの寝ている間にこっそりと抜け出しては人間の子どもと遊んでいるようだった。
マコトは善と悪の区別がつかなく、あまり人間を疑わない。子どもならまだ良い。
ただ、大人に正体がバレると何をされるか分からないので、イズミは頑なに忠告をした。それでもマコトはたびたび外に行ってしまうのだ。
「ゆうくんは俺を捨てて人間になるつもりなんだ…俺はこんなにゆうくんを愛してるのにっ!!」
感情が抑えられなくなったイズミは一度マコトを乱暴に壊した事がある。そのせいでマコトの硝子の眼球にヒビがはいり、今では特殊な補助レンズがないと何も見えない状態だ。
「いい?何度も言うけど人間なんて汚くて醜い生き物で、永遠に美しい俺たちとは何もかも違うんだから。ゆうくんは綺麗なお人形。なんにも考えなくていいんだよ…」
イズミは人工皮膚で出来たマコトのやわらかい頬を愛おしげに撫でた。
「でも…」
ぴくりとイズミの手が止まり、代わりに声が低くなる。
「…言うことが聞けないなら今度は足を切り落とす。それならどこにも行けないでしょ」
「じゃあその前に僕が寝ているイズミさんの心臓(動力部)をナイフで突き刺すよ」
足を失っては堪らないと売り言葉に買い言葉でつい歯向かってしまい、マコトは内心焦った。下手したら今度は体をバラバラにされかねない。衣類の下に隠された継ぎ接ぎの腕を思い出す。痛覚はないので、多少体を壊されても平気だが、今の自分にはまだやるべきことがある。
だが、てっきり怒り狂うと思っていたイズミが存外大人しいのでマコトは不思議に思った。
「イズミさん…?」
「ゆうくんに殺されるならそれも良いかなって一瞬思ったけど…」
頬を撫でていた優しい手がマコトの細い腰をそっと、抱き寄せる。
「こんなドジで間抜けなゆうくんひとりでは
心配で置いていけないよねぇ」
額をこつんと合わせるとそのままマコトのやわらかな紅色の唇に自分の唇を重ねた。
ふたりは時々肌を合わせ人間の真似事をする。それこそ『つがい』のように。生殖機能を持たない彼らには無意味な行為だけれども、それでも、どこかあたたかく、心地良ちがよかった。
マコトが庭の薔薇の手入れをしている時、一羽の青い鳥と出逢った。
「うわぁ…!機械人形の方とは珍しいですね」
「ぼくのこと人間じゃないって分かるの?」
「もちろん。こう見えても昔、魂移しの魔法を使っていたので」
青い鳥の正体は魔法使いで、マコトと魔法使いはすぐに打ち解け仲良くなった。魔法使いの家に招待されたマコトは、案内された地下の図書館で古びた一冊の錬金術の本を見つけた。魔法使いは気に入ったなら差し上げますよ、とマコトに本を差し出した。
それからマコトはイズミに隠れて本を読み、苦手な勉強をたくさんした。どうやら魂の依り代は若ければ若いほど良いらしい。
今日も練習をして失敗してしまったけど、それでもぐちゃぐちゃだったものが、少しずつ形になっている気がしてマコトは喜んだ。
イズミは隠そうとしているが、近ごろイズミの眠る時間が長くなっていることにマコトは気付いていた。
──イズミさんが完全な眠りにつく前に、ふたりで一緒に人間になるんだ。何度も魂を移し変えて永遠に。ふたりでずっと永遠に。
それと、イズミさんと触れ合うとドキドキと高鳴るこの感情の正体が何なのかを知るために、僕は…人間になりたい。
マコトは目を瞑り、血で汚れた両手を隠すようにイズミの背中に手を回し、その存在を確かめるように、きつく抱きしめた。