こんな世界があってもいいのかもしれない


大好きなあの子に自分のどこが好きなのかと聞いたら、きれいな空に似た髪と瞳と答えたので。

あの子のいぬ間に家を飛び出した。





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「ぬぅ?」
「おそいっ。疲れてるんだからはやく開けて」

列車を乗り継いで、暗がりの道を越えて。やっとたどり着いた旅先のドアから出迎えたのは、眠っていたのか相変わらずのふぬけた声。まぁるい葉っぱみたいな目をしぱしぱさせながらもうひとりの影をきょろきょろと探している。

「ゆうくんならいないよ」
「ぬぅ??」
「家出して来た」

だからしばらくここに泊めて。何を言われたのかまだよく分かっていない寝ぼけ顔の家主を差し置いてさっさと家の中へと上がる。久しぶりの自然の空気はきれいだけど、土のにおいはやっぱり慣れないし、靴が汚れるからきらい。

疲れた。すごく疲れた。


がさがさとリュックから着替えを取り出す。おれはぬいぐるみだから大切なものはそんなにない。今持ってるものはゆうくんが俺のために選んでくれたお気に入りの服と、残り少ないお小遣いだけ。でもめんどくさい事に人間みたいに歩くと疲れるし、動けばお腹も空く。ごとんごとん、列車に揺られながらひとりでずっと考えてみた。


どうしておれはちいさな綿のぬいぐるみなんだろう。

どうせ作るなら人間そっくりに作ってくれれば良かったのに。そうしたら、ゆうくんが無理をして屈まくても手を繋いで歩けたかもしれないのに。

部屋に大事そうに飾られている写真を睨みつけていると「ぬうぅううううう!!?」と玄関からおおきな声が聞こえたので、負けないくらいの声でうるさいと怒鳴ってやった。




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昨日の疲れなのか久しぶりにぐっすり眠れた気がする。朝、目が覚めた時にはあいつの姿はもうなかった。置き手紙には『いずぬへ おしごといってくる』のぐにゃぐにゃ踊った文字。

「……へったくそな字ぃ」

これに比べたらおれの方が少しなら漢字も書けるしパソコンだっていじれる。まぁ、プログラムの個体差もあるだろうけど。だいたい、持ち主のいないぬいぐるみがひとりぼっちで暮らすなんて馬鹿げてる。ゆうくんとふたりきりの生活を邪魔されるのはイヤだけど、でもゆうくんがどうしてもこいつを引き取りたいって言うからさ。だからおれは仕方ないからゆうくんの好きにすれば良いよって言ってあげたのに。それなのにこいつはこの家が好きだからってそんな理由でせっかくのゆうくんの誘いを断った。運良く保護して貰った施設だって飛び出したって聞くし。

ばっかじゃないの。もっと楽に生きていけるのに。ひとりはさみしいはずなのに。


本当に、ばっかみたい。

人間の真似なんかして、ばかみたい。




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「ほんとうにいずぬもいくの?」
「うん。なんか文句でもある?」

何にもない田舎道を散歩するのも飽きたし、今日は市街に働きに出ると言うこいつに着いて行くことにした。確かに住んでる家から少しは栄えてるかもしれないけど、ゆうくんと暮らしている場所に比べたら本当に何にもないつまらない街。今日は働き先のケーキの新商品のチラシを配るらしい。まぁ、マスコット的なあんたに似合ってるんじゃない?そう言って鼻で笑うと春の新作と書かれたシフォンケーキの紙をごっそり渡された。春らしく桜の花びらがところどころに散りばめられている。

「…なに」
「ぬぅ、いずぬもおてつだい♬︎」
「え?……ちょっとぉ!おれはやらないからぁ、あっ!こら待てっ!」


ぬうくんあっちで配ってくる!陽気な声が見えなくなってしまった。こんなの渡されても困るんだけど。ああっもう、やっぱり着いて来なきゃ良かった。とりあえず店の前でぼうっと立っていると店を訪れた人間の親子が来たので、恥ずかしいけどチラシを差し出してみた。

「…どうぞぉ」
「ありがとう。うわぁあ…!ママ、みて!すっごくきれいなぬいぐるみ!」
「まぁ本当にこの辺じゃ見掛けないくらいのきれいな子ね。お店のお手伝い?偉いわねぇ」


都会では自分と同タイプを見掛けたこともあるから特に気にしていなかったけれど、どうやらここではおれは珍しいぬいぐるみらしい。その後もきれいだ、家にも欲しいと訪れた客がこぞって褒めてくれるので、なんだか持ち主のゆうくんまで褒められたような気分になった。でもそんな誇らしげな気持ちは、たった一瞬で崩れてしまった。


「あっ!見て見てあの子、もしかしてKnightsシリーズの子じゃない?」
「あれでしょ?確かモデルの瀬名泉をイメージして作ったってすっごい高いブランド品のやつ」
「私、泉くんのファンだったなぁ~。芸能界引退したって聞いたけど今頃なにしてるんだろう?もしかしてこの田舎に居たりとか」
「いや、それはないっしょ~」


春の風が吹いて通りすがりの女の子達の笑い声が遠くなる。代わりにとてとてとチラシを抱えたあいつが戻ってきた。

「ぬぅ!いずぬすごい!」

ばかみたい。

「ぬうくんいっしょうけんめい配ったけどぜんぜんもらってくれなかった!」

ばっかみたい。

「いずぬすごい!すごい!」

ばかみたい。いい気になって、ばかみたい。

「……うるさいっ!!」
「ぬう?」
「本当はそんなこと思ってないくせに!お前だっておれのこと…っ」
「いずぬ?どうしたのいずぬ??あっ、いずぬ!!」

こいつにだけは泣いた顔を見られたくなくて、チラシを投げて走りだす。お前だって、死んだあいつにおれが似てるからそう思ってるだけのくせに。気づかないようにしていた。ゆうくんが時々おれの名前を間違えて呼ぶのを気づかないふりをしてきた。だって認めてしまったら。不良品のおれの価値なんか完全になくなってしまうから。

「……っ!」

視界があいつの下手くそな文字みたいにぐにゃぐにゃ歪んで足がもつれた。転ぶなんてこんなかっこわるい姿、絶対にゆうくんには見せられない。こんな埃だらけの汚い姿なんか。

「あっ…」
「いずぬ~~!ぬう!?いずぬ足ケガしてる!」
「どうしよう…きれいじゃないと…きれいじゃないとゆうくんの傍にいられないのに…」

擦りむいた膝から飛び出た綿を見て声が震える。おれにはもう、ゆうくんが本当に好きなあいつに似た見た目だけしか取り柄がないのに。

「いずぬ、だいじょうぶ。これみて!」

なにが大丈夫だ。お前なんかに慰められたくない。そう言ってやろうと、顔を上げて睨みつけてやろうと思った。でもあいつの捲った服の下から出てきた、お腹の大きな縫い痕を見て声が出なかった。

「ぬうくん鳥さんとなかよくなろうと思って木に登ったらおちてケガしちゃったの。びっくりして泣いてたら泉さんがすぐに来てくれて、このキズはぬうくんにしかない、ぬうくんが生きてるしょうこだよってやさしくなでてくれたの。だからぬうくん、このキズすき。泉さんのお家も、ともだちもいるこの街もぜんぶぜんぶだいすき!」




『ゆうくんはさぁ、おれのどこが好きなの』
『どうしたの急に?』
『いいから答えて』
『う~んそうだなぁ……強いて言うならきれいなお空みたいな髪と瞳かなぁ。あとは毎日僕を起こしてくれたり、寂しくないように一緒に寝てくれたり、弱虫な僕を守ってくれたり、僕のために四つ葉のクローバーを探してくれたり……』
『多すぎぃ』
『全然多くないしこれからもっともっと増えていくよ。だって、僕といずぬさんはこれからもずっと一緒にいるんだから』


「うっ……うわぁぁぁあん…!!ゆうくん…ゆうくぅん…!!」
「いずぬ!?どうしたの?いずぬ~!」

心配そうなまぬけ顔が覗き込む。けどそんなの気にしないでみっともなく声をあげて泣いた。ゆうくんが好きだと言っていた空に向かって泣いた。
晴れているはずの空がぽつりと顔を濡らして、汚れた土埃を洗い流してくれた。





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「ぬうくんお手紙ありがとう。はいこれ、前に美味しいって言ってくれたクッキー」
「ぬう!真くんありがとう」

いつの間に知らせたのか、次の日ゆうくんが迎えに来た。眠れていないのかたった数日の間なのに少し窶れた気がする。

「いずぬさんは元気にしていた?」
「いずぬおしごと手伝ってくれた!チラシくばるのじょうずだった!」
「へぇ、あのいずぬさんが」
「あとケガした」
「えっ」

余計なことまで言ってくれて。でもこれ以上ゆうくんの顔色が悪くなるのは見たくないから隠れるのはやめる事にした。

「…別に、ちょっとほつれただけだし、すぐに縫って貰ったから大丈夫」
「良かった…いずぬさん。一緒にお家に帰ろう?」
「うん」

外に出ると少し馴染んだやわらかい土のにおいがした。元気に手を振るあいつがどうしてここを離れないのか、全部じゃないけど少しだけ分かった気がする。



「お仕事したって本当?」
「うん。おれけっこうチラシ配りの才能あるかも。今まではそんなこと絶対にやろうと思わなかったけど。だから…ゆうくん、あのさ」
「ん?」
「おれ、ゆうくんのために何かしたい」

今まではゆうくんの傍にいられれば良いと思ってた。それで良いと思っていた。でも違った。おれは、おれにしか出来ないことを見つけてゆうくんをしあわせにしてあげたい。人間に比べたら出来ることは少ないかもしれないけれど、おれはゆうくんのぬいぐるみとして一緒に生きていきたい。


それが旅の末に出したおれの答え。





「じゃあさっそくだけど一緒に手を繋いで貰っちゃおうかな」
「ええっ、そんなことで良いのぉ?」
「うん。いずぬさんがまた家出しないようにしっかり手を繋いで捕まえておかないとね」


ゆうくんは笑っているけどやっぱり屈んで歩きづらそうだった。空を見上げるのも良いけど、もっとこっちを見て欲しい。
おれのは精一杯の背伸びをして、ぎゅっとゆうくんの手を握り返した。


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