こんな世界があってもいいのかもしれない

《別れ》


ぬいぐるみのぬうくんには人間のお兄ちゃんがいます。ぬうくんは優しいお兄ちゃんのことが大好きでしたが、お兄ちゃんが最近仕事が忙しくて構ってくれないのですっかりご機嫌ななめです。

「ごめんねぇぬうくん。仕事先に連れて行くわけには行かないからさ」

代わりにこれを置いて行くから、とお兄ちゃんは自分に似せて作ったぬうくんよりも小さな人形を与えます。

「ぬぅっ!!(バシッ)」

ぬうくんはこんなもの要らないと手で弾きます。お兄ちゃんは一瞬悲しそうな顔をしましたが、優しくぬうくんの頭を撫でました。

「今日はぬうくんの好きな苺のケーキを買って帰るから。じゃあね。行ってきます」

素直になれないぬうくんは最後までお兄ちゃんに行ってらっしゃいの言葉が言えませんでした。

ところが夜になってもお兄ちゃんは帰って来ません。ぬうくんは待ちました。ぬうくんが暗い部屋で人形を抱えながら待っていると玄関のドアを叩く音が聞こえました。

(いずみさんかえってきた!)

ぬうくんが急いでドアを開けるとそこにはお兄ちゃんではなく知らない男の人が立っています。

「ぬ?」

ぬうくんは誰だろうと首をかしげます。

「…ぬうきまことくんだね。私は役場の者だけど、今日、君の持ち主の瀬名泉くんが事故で亡くなったよ。泉くんが待っているから一緒に来てくれるかな」

「ぬう…??」

ぬうくんには男の人がなにを言っているのかよく分かりませんでしたが、お兄ちゃんが待っていると聞いて喜んで街まで降りました。






《お仕事》

朝、ぬうくんは鳥の声と寒さで目を覚まします。そして人形に朝の挨拶をします。

「…いずみさんおはよぅ」

お腹のすいたぬうくんは朝ごはんを食べようと米袋の中身を漁ってみますが、幾ら漁ってみてもお米は少しもありませんでした。

「ぬ…おこめない」

ぬうくんは街まで働きに出る仕度をします。

泉を街まで迎えに行ったぬうくんはあの後ぬいぐるみの保護施設に預けられました。この世界ではぬいぐるみも働くことができます。ぬうくんはひとりで生きていけると説得をしてお家に帰って来ました。
生きていくためにはたとえぬいぐるみでもお金が必要です。

小高い丘に住んでいるぬうくんは鳥さんにどんぐりを渡して街まで連れて行って貰います。街まで着くと鳥さんはぬうくんを空から落としました。

「ぬう~~~~」

べしょっと地面に突き落とされたぬうくんは痛くて泣きそうになりますが、これからお仕事を探さないといけないので泣いている暇はありません。

人通りの多いにぎやかな場所に本日のお仕事を手伝ってくれる人を募集する紙がたくさん貼った伝言板があります。仕事を求める人間からぬいぐるみまでたくさんの人達が群れているため、小さなぬうくんは紙を見ることすら出来ません。

「ぬっ!ぬっ!」

ぬうくんはぴょんぴょんと跳ねたり、人混みの中をかき分けて前に出ようとしますがすぐにはじき飛ばされてしまいます。その隣には同じように弾かれた赤い前髪を束ねたぬいぐるみの姿がありました。

「あっ!いさぬくん!」
「よぅまこと!いいしごとあったか?」
「うぅん…ない」

いさぬくんはぬうくんのお友達です。いさぬくんは家族のために働きに出ているしっかり者のぬいぐるみでした。

その時大きな風が吹きました。伝言板の紙がひらひらとぬうくん達の元へ舞い降ります。ぬうくん達はその紙を必死に集めました。今日はお仕事ふたつげっとです。

「じゃ~なまこと。こんどあそぼうぜ!」
「ぬぅ!いさぬくん、またね」

ぬうくんはまず1件目の仕事先に行きます。そこではお庭の草むしりとお花の水やりを頼まれました。小さなからだでぬうくんは草まみれになりながら頑張りました。

2件目のお仕事は学校の給仕の仕事でした。できるだけきれいな服装で来るようにと書かれていたのに現れたのは草まみれのぬいぐるみだったので、人間の青葉先生は困りましたがぬうくんに小さなかっぽう着を被せて誤魔化すことにしました。優しい青葉先生はぬうくんにお賃金と一緒に、給食で余ったお米とおにぎりを持たせてくれました。

お腹の空いたぬうくんはさっそくおにぎりを食べながら夕暮れの道を米袋を引きずりながら歩いて帰ります。

「ぬうくんきょうもがんばった!」

ぬうくんの頑張りに応えるように優しい風がさぁっと吹き抜けました。





《出会い》


「こんな所にぬいぐるみがいるなんて珍しいね。あんたどこの子?」

突然の雨に大きな木の下で雨宿りをしようとした泉は小さなぬいぐるみが震えているのを見付けて声をかけます。ぬいぐるみは答えません。

(タグ付いてる…。)

命の吹き込まれたぬいぐるみは持ち主が役場に届け出を出してからタグを切って初めて正式なぬいぐるみとなります。

「どうせ工場から抜け出して来たんでしょ?」

ぬいぐるみはびくっと震えます。その姿は泥で薄汚れていました。

「俺と同じだねぇ」

「…ぬ?」

「俺もさぁ、守りたいものが沢山あったんだけど結局何にも守れなくて、全部捨ててこんな所まで逃げて来ちゃったんだよね」

「ぬぅ?」

ぬいぐるみは何を言ってるか分からないといった感じで泉を見つめます。

(あ…ちょっとゆうくんに似てるかもしれない)

「雨が上がったらさ…俺の家においでよ。お風呂入れてあげる」

「ぬ…」

ぬいぐるみはこくんと小さく頷きました。

後日ぬうきまことと名付けられたぬうくんは正式に泉のぬいぐるみになりました。







《お手紙》


「ただいまぁ」

学校でのお仕事の後、図書室で青葉先生に文字の書き方を教えて貰ったぬうくんはさっそく練習をしようと筆記用具の入ったお道具を探します。普段ぬうくんは使う事がなかったので探すのになかなか苦労しました。

「おどうぐばこ~あった!…ぬ?」

フタを開けると文字の綴られた紙とクレヨンで描かれた下手くそな絵が出てきました。

「ぬ…くへ…きぃよぅ…」


(ぬうくんそろそろ文字の練習をしようか)

(ぬうくんしない!)

(どうして?)

(ぬうくんしゃべれるからもじかけなくていい)

(確かにさ、言葉で直接伝えることはとっても大切なことだよ。でもね、言葉を紙に残すことでその時の気持ちが残るなんて魔法みたいで素敵じゃない?あっ、こらぬうくん!)

(ぬうくんつまんないからえかく)

(…へったくそな絵だねぇ)


『ぬうくんへ きょうは なにをして あそびましたか』

『ぬうくんへ やさいも のこさず たべようね』

『かわいい ぬうくんへ おとうとに なってくれて ありがとう』


ぬうくんのまぁるいおめめからぽつりぽつりと小さな雨が降ります。

「いずみさん…ぬうくんもじよめるようになったよ。すごい?」

ぬうくんはその日からたくさん文字を練習しました。いつか泉さんにお手紙が出せますようにと気持ちを込めて。






《お迎え》


「はじめまして。君がぬうくん?」

「ぬぅ?」

ぬうくんは首をかしげます。呼び鈴にぬうくんはドアを開けるとそこには金髪で眼鏡をかけた若い男の人がいました。その肩にはグレーの髪色のぬいぐるみが乗っていて、じろりと鋭い目つきでぬうくんを睨んでいます。ぬうくんは怯えてドアを閉めようとしました。

「あっ、ちょっと待って!…少しだけ僕の話を聞いて欲しいな」

肩のぬいぐるみは怖かったが、眼鏡の青年の縋るような瞳と手土産の菓子につられてぬうくんはしぶしぶ家の中にお客さんを招き入れました。青年は遊木真といい、どうやら泉の昔の知り合いのようでした。

「泉さん突然居なくなったと思ったら、こんな所に一人で…道理で見付からない筈だよ」

真は知人から泉の失踪を聞き得意の情報収集で居場所を掴もうとしましたが、泉を見付けたのはくしくもこの田舎で数年前に青年が事故死したという情報からでした。

黙って話を聞いていたぬうくんが突然立ち上がります。

「いずみさんひとりじゃない!ずっとぬうくんといっしょにいたもん!」

「そうだったね。ごめんね」

興奮して声を荒らげるぬうくんに真は優しい声で話しかけます。

「ねぇぬうくん。君さえ良ければなんだけど、ぬいぐるみの君がこの家にひとりで暮らすのは大変でしょ。もし良かったら僕のところに来ない?」

真はぬうくんの小さな手を握ろうと手を差し伸べますが、ぬうくんはその手を思いっきり噛み付きました。真は痛みに少し声を上げました。

「ぬうくんいかない!ぬうくんずっとここにいる!…いずみさんのおうちにずっといる!!」

「こいつ…!ゆうくんになにするのさっ!」

真の肩に乗っていたぬいぐるみはぴょんと飛び降りるとぬうくんを突き飛ばしました。

「こらっ!いずぬさん!乱暴はダメだよ」

だってぇと文句を言う興奮したぬいぐるみをポケットの中に無理やりしまうと、真は倒れたぬうくんを優しく抱き起こしました。その手にはうっすらと血が滲んでいました。

「ごめんねぬうくん。今日は帰るけどまた来るね」

ぬうくんは寂しそうなその背中が見えなくなるまでただ呆然と見送ることしか出来ませんでした。

「…ぬ…ぬぅわぁぁああん!!ああぁああん!!」

いずみさんの傍にいたのは自分なのに。
この家にはいずみさんの温もりがまだ残っているのに。

なぜだか分からないけどぬうくんは悔しくて泣きました。今まで我慢していた分、久しぶりに声を上げて泣きました。

「…おなかすいた」

たくさん泣いたら何だかお腹が空いたので、ぬうくんは貰った菓子を食べることにしました。中にはクッキーが入っていました。

「おいしい」

綺麗にラッピングされたクッキーはとても美味しかったけれど、それでもぬうくんには泉の焼いてくれたクッキーの方が何倍も美味しく感じました。懐かしい味が恋しいなぁと思いながらぬうくんはさくさくとクッキーを食べ続けました。





《お誕生日》

「いずみさん。ぬうくんあのいちごののったケーキがたべたい」

久しぶり二人で賑やかな街まで降りて買い物をしていると、通りがかった店の甘い匂いにつられてぬうくんが呟きます。一緒に暮らしてからだいぶ経った頃、自己主張の乏しく大人しかったぬいぐるみは最近すっかり我儘になり泉の頭を悩ませていました。泉は原因が自分のせいだと理解していました。ぬうくんの喜ぶ顔が見たくてあれが食べたい、これがしたいと言われるがままに泉が喜んで世話を焼いて甘やかした結果、今ではお願いすればなんでも叶えてくれるとぬうくんはすっかり思い込んでいるからです。値段の問題ではありません。育て方の問題です。
そろそろ何とかしなければならないと泉は心を鬼にして、キラキラと輝く瞳に言い放ちました。

「駄目。ぬうくん朝からおやつ沢山食べたでしょ。だから今日はもう甘いもの禁止」

「ぬ…ぬう~~~~!!!!!」

「泣いても駄目!帰るよ!」

まさか断られると思っていなかったのか、店の前でわんわんと泣くぬいぐるみの大きな声に人が集まって来きたので、泉は帽子を深く被り直して足早に街から離れました。


ふわふわのスポンジに甘い生クリームがデコレーションされた苺のケーキといえば子供の頃の泉にとっては特別な食べ物でした。キッズモデルの仕事上、普段から甘い物を制限していたので食べて良いのは自身の誕生日とクリスマスだけと決めていました。

家に帰ってからも毛布にくるまり泣き続けるぬうくんに困った泉は、あのケーキは特別な日にしか食べられないものだと嘘を教えました。

「…じゃあぬうくんはいつあのケーキがたべられるの?」

「もうすぐ俺の誕生日だからその時一緒に食べようか」

「ぬう!いずみさんのたんじょうび!たのしみ~」

きっとこの子は誕生日が何なのか理解していないだろう。それでもさっきまで泣いていたのが嘘のように喜ぶ姿を見て、たまには自分の誕生日を祝うのも悪くないかもしれないと泉は思いました。11月2日のカレンダーの日付けにぬうくんが分かりやすいようにと丸印を付けておいたら、いつの間にか隣にクレヨンでかわいい苺の絵が描かれてるのを見て泉は微笑みました。


子供の頃は沢山の人に祝われていたはずなのに、気付いたら周りの大切な人達は皆離れて泉の前から消えていました。傷付いた人達を守ってあげられなかった自分が嫌で、泉は全てを捨ててこの寂れた街来ました。そして大切なあの子に少し似たぬいぐるみに出逢いました。
顔の周りをクリームまみれにして、たんじょうのケーキってすごくおいしいね!と喜ぶこのぬいぐるみだけは今度こそ守り抜きたいと泉は自身の誕生日に強く願いました。

久しぶりに食べたケーキは今の自分には甘過ぎたので、代わりに向かいの皿に乗った苺を摘んで泉は自分の口の中に放り入れます。

「あっ!ぬうくんのいちご!」

ぬうくんは最後にとっておいた好物の苺を奪われて声を上げました。

「今日は俺の誕生日だから苺は貰うね」

泉は大人げなく声を出して楽しそうに笑いました。






《いずみさんへ》



ほら耳をすませてごらん 鈴の音がきこえてくるでしょう

それは 天使のあしおと しあわせの音色

きっと あなたのそばにも おとずれる

すてきなプレゼントをもって おとずれる




♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜



「めり~くりすます!めり~くりすます!おいしいくりすますケーキはいかがですか?」

今日は楽しいクリスマス。街に賑やかな歌が鳴り響くなか、ぬうくんはサンタの格好をしてケーキの売り子をしていました。
リンリンリン♬︎ ぬうくんは小さなおててでいっしょうけんめい鈴を鳴らします。オーナーさんからはがんばったら好きなケーキをあげると言われたのでぬうくんは寒空のした大好きな苺のケーキを貰うためにがんばりました。

「ちいさなサンタさん。クリスマスのケーキをひとつくださいな」

「ぬぅ!ありがとうございます」

優しそうなご婦人がぬうくんに声をかけます。ぬうくんは喜んで声の方へ振り向きます。その隣にはぬうくんと同じくらいのぬいぐるみの男の子がいました。

「ぼく、このケーキがいい~!」
ぬいぐるみの男の子は嬉しそうにチョコレートのケーキを指さしました。

「よいくりすますを~」

ぬうくんがケーキを手渡すとぬいぐるみの男の子はありがとう!とお礼をいい婦人と微笑みながら手を繋いで帰って行きました。

「…さむぅい」
ぬうくんはふたりの姿が見えなくなるまで手を振ったあと、赤くなった小さな手に白い息を吹きかけて暖めました。


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「ただいまぁ」

雪でできた綿帽子をぶるぶるとはらっていると、ぬうくんは玄関のドアに一枚のポストカードが挟まっているのを見つけました。


『ぬうくんへ 近々また遊びに行きます。』

それは先日訪れた真から送られたものでした。ぬうくんは一瞬むっとしてポストカードをぽいっと投げ出しましたが、裏に描かれたゆきだるまの絵が気に入ったので部屋に飾ることにしました。

「いずみさん、ぬうくん苺のケーキもらえたよ」

ぬうくんはいそいそと向かいに座わらせた人形にも小さくケーキを切り分けます。

「いずみさんはこっち。ぬうくんは苺のほう!…ぬ…ぬわっくちっ!!」

ぬうくんから大きなくしゃみがでました。どうやら一日中外にいたので風邪をひいてしまったようです。ぬうくんは今まで病気をしたことがなかったのでたとえ体調が悪くてもそれがなんなのかよく分かりませんでした。

「ぐしゅ…。ぬうくんがんばったから今年はサンタさん来てくれるかなぁ…?」

ぬうくんはずずっと鼻を啜りながら人形に問いかけました。人形は答えませんでした。


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「…ぬうぅ…さむいよぅ。からだがさむい
よぅ…」

その日の夜、疲れがたまっていたぬうくんはとうとう熱を出してしまいました。ベッドの中でからだを震わせながら、苦しくてぼんやりとした暗闇のなかでぬうくんは必死に名前を呼びます。

「いずみさんっ…さむいよぅいずみさんっ…」

ぬうくんはぽろぽろと涙を流しながら意識を失いました。



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「ぬう?ここどこ?」

気づくとそこは真っ白な雪の草原でした。でも不思議と寒さは感じません。ぬうくんがきょろきょろと辺りを見渡すとあのポストカードに描かれたゆきだるまがぴょんぴょんと跳ねていました。

「あ、ゆきだるま!まって~~」

ゆきだるまは時々振り返りながらぬうくんを誘うようにぴょんぴょんと雪の中を跳ねて移動します。ぬうくんはなんとなくですが、このゆきだるまがどこかへ連れて行ってくれるのだろうと思い追いかけました。

ぴょんぴょん ぴょんぴょん

ゆきだるまはぴたっと跳ねるのをやめて、ただの動かないゆきだるまになりました。
導かれた先にはどこか見覚えのある大きな木が立っていました。
そしてその木の下に佇む人影を見つけてぬうくんは声を上げました。

「…いずみさぁぁああんっ!!!」

ぬうくんは走り出しました。

そこにいたのはぬうくんがずっと焦がれて、会いたくて、たまらなかった泉の姿でした。


いずみさぁん!


雪に足をとられながらぬうくんは短い手足で必死に泉の元へと走り寄ります。


いずみさぁん!


ぬうくんはふらつくからだで最後のちからを振り絞って走ります。


いずみさぁん!

いずみさぁん!

いずみさぁん!



『 ぬうくん 』

「ぬわぁぁああん!!ああああん!!」

ぬうくんは広げられた胸の中に飛び込みました。凍えたこころとからだが大好きな腕に抱き締められて温められてゆきます。それは久しぶりの温もりでした。ぬうくんの目からはじわりとあたたかい涙の雫がこぼれます。

「いずみさぁん…ぬうくんもう疲れたよぅ」

泉は黙って微笑みながらぬうくんの頭を撫でます。

「ぬうくんっ、わがまま言わないでいい子になるから…やさいも食べるし、おべんきょうもするから…だからっ」


「ぬうくんおいていかないでぇ…」


ぐじゅぐじゅと鼻を啜りながらぬうくんが懸命にお願いします。けれど泉は微笑むだけで何も言いません。

「いずみさん…?」

ぬうくんは不安になって顔をあげハッとしました。はらはらと舞い落ちる雪の結晶が徐々に泉の姿をぬうくんの前から奪っていくのが分かったからです。

「いずみさんまってぇ…ぬうくんまだいずみさんにたくさんお話したいことがあるのっ」


感謝の言葉も、後悔も、こころを持った孤独なぬいぐるみに家族のしあわせを教えてくれた大切なあなたに伝えたいことがまだまだたくさん残っている。


「なぁに?いずみさん。きこえないよぅ」

薄れゆく姿の中、泉の口元が動き何かを伝えようとしていますがその声はぬうくんには聞こえません。でもその表情がとても優しいものだったので、ぬうくんも一緒に微笑みました。

「いずみさん、あのね」


ぬうくんは泉が消える最後の瞬間まで話し掛けました。あの日、言えなかった気持ちを今度は伝えられるようにたくさんたくさんお話しました。



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「いずみさぁん」

「おれはいずみじゃないよ」

「…ぬぅ??」

「ゆうくん~こいつ目ぇ覚ましたよぉ」

うなされていたぬうくんが目を覚ますと、そこにはグレーの髪色をしたいつぞやの鋭い目つきのぬいぐるみがぬうくんの顔を覗き込んでいます。

「いずぬさん見ていてくれてありがとう。あぁ良かったぁ~このまま目覚まさなかったらどうしようかと思ってたよ」

なぜか家に真までいるのでぬうくんは首を傾げました。どうやら家を訪れた際に返事がなく、不審に思った真が窓を覗くとぬうくんが赤い顔をして倒れていたのを発見して看病までしてくれたようです。

「熱は下がったみたいだね。食欲はある?」

ぬうくんはなんだかよく分からないけどお腹が空いたのでこくりと頷きました。

「お粥なら食べられるかな。はい、あーん」

真は湯気のたつお粥にふぅふぅと息を吹きかけて冷ますと、そのままぬうくんのおくちにスプーンを運びました。ぬうくんは素直に受け入れてお粥をひとくち食べます。

「ぬぅ。おいしい」

「あっ、ずるい!ゆうくんおれにもあ~んしてぇ!」

「もう、いずぬさんはお兄ちゃんでしょ?」

「えぇ~」

仲良くじゃれ合うふたりの姿をみて少し羨ましいなぁとぬうくんは思いました。そんなぬうくんの視線に気付いたのか、真は優しい眼差しでぬうくんの方に向き直ります。

「雪が溶けて、春が来たら僕のところに遊びに来て欲しいな。君に泉さんの育った街を見せてあげたいんだ」

ぬうくんはいずみさんの街みてみたい!と笑って応えました。



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雪山に元気な声が響きます。すっかり元気になったぬうくんは同じ工場で作られたぬいぐるみたちと仲良くお外で遊んでいました。
みんなでソリ滑りをしたり、ゆきだるまを作ったりとぬうくんたちは互いの雪まみれのまぬけな姿に笑い合いました。


「うぉっ!まこと?どうした?」

突然前を歩いていたぬうくんが立ち止まったので、顔をぶつけたいさぬくんが不思議そうに声をかけます。


ぬうくんは雪をかぶった大きな木を見上げました。その木はぬうくんと泉の出会った想い出の木でした。

雨の日も、風の日も、うららかな陽気の日も、夏の日差しが照りつける日も、落ち葉を奏でながら遊ぶ日も、さみしさに泣きながら帰る日も、その木はいつでもぬうくんのことを見守っていました。

「…ぬうくんいずみさんにおてがみかく!」

ぬうくんは持っていた木の棒で雪に文字を書き始めました。

「いずみさんってあのワカメのひと?よぉしぬっき~はげんきだよ☆っておれもかこっと」
「おれもかかせてもらおう」
「ならおれもかくっきゃないな」


星のタグの元にうまれた4人の小さなぬいぐるみたちが広い雪のキャンバスにそれぞれ思い思いの言葉を綴ります。

「いずみさん!ぬうくんおともだちできたよ!」

ぬうくんは青い空に向かってお手紙を書きました。

『いずみさんへ』


大好きな泉さんにこころを込めて。想いが届きますように。


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