君とつくる物語り
【たった二人の世界】
おいで、と呼ばれて膝の上に座る。パラりと捲られた本の中で親に捨てられたちいさな兄妹が手を繋いで森の中をさ迷っている。ちょうどお菓子の家を見つけたところで呼ばれてしまった。続きはまた今度ねと、本を閉じ手を繋いで撮影に戻る。
先に手を離したのはどっちだったかな。よく、思い出せない。
【日常崩壊寸前】
目を閉じて。いつだって別世界に連れて行ってあげるから。そう言ってちいさな君によく本を読んであげたね。久しぶりにこれ読んで欲しいな。僕のお気に入り。そんなささやかなリクエストが嬉しくて。少しでも忙しい日常から君を連れ出してあげる。
凭れた肩から本を捲る音と共に聴こえるのは、君の寝息。
【自分のモノには名前を書きましょう。】
森のなかをパンの屑を落としながら歩く。大丈夫、ふたり一緒に帰れるよ。不安げなちいさな手を握って、その後は…。
夢を見ていた。目を開くと先程まで寄りかかっていた君の姿は消えていて。代わりに手のひらに君の残した悪戯の痕跡を見付ける。
笑顔で名前が笑ってさ。本当、サインまでかわいいよね。
【図書室の猫】
運命の赤い糸のように、とは言えないけれど。それでも情報という名の糸を辿れば君の元へ導いてくれるのはけっこう簡単で。人気のない図書室でペンの音を懸命に走らせてるノートを後ろから覗き込む。
「猫…」
「うわぁ！」
歪なしっぽがさらにぐにゃっと曲がる。
落書きしてる場合じゃないんじゃないの。ゆうくん、今回のテスト相当やばかったみたいだし。てっきり泉さんは関係ないです、そう言われると思いきや、俯く君の姿がなんだか可哀想で。どこが分からないのと椅子を引いて隣に座る。このまま離れないように見えない糸で縛り付けられたら良いのに。
【絶対絶命】
放課後の静かな教室で紙の上を走るペンの音が響いている。残っているのは数人だけ。大体同じ顔ぶれ。いわゆる追試組。でも今日の僕はちょっと違う。いつもは渋るペン先が止まることなく動いている。絶対絶命のピンチを救ってくれたのは意外な人物で。普段からああなら良いのに。ねぇ、おにいちゃん。
【結論はとうに出ている】
運命の赤い糸みたいだなって思ってしまったから。きっと、猫の首輪みたいに僕のことも捕まえる気なんだ。残念だけど僕はまだ捕まる気はないよ。でも待っててあげる。もし繋いだ糸が解れたとしても、この赤いマフラーを辿って僕のこと何度でも見つけてくれるでしょ。
だから、安心して行ってらっしゃい。
【きっと、それで正解】
バイクの排気音に思わず振り向いて夜道を急ぐ。今までの距離の方がおかしかったんだよね。じゃないと僕だけがこんな気持ちになるの変でしょ。指で何度もなぞった生徒手帳のページを捲って、様子を聞くだけだからと送ってみれば。返ってきたのは表情豊かな顔と動くハート。やっぱり間違えたかも。
【嘘、だったりして】
帰国したその日の夜、偶然仕事帰りのゆうくんと出会った。今日この後予定は？と聞くと特には、とぽつりと呟くので少し強引に手を引いて近くのレストランに入り、ふたりで束の間の夕食を楽しんだ。帰ってきて早々、ゆうくんに会えるなんて俺は本当に運が良い。
「瀬名先輩、昨日真に会えましたか」
「会えたけど、なんで？」
「真、昨日瀬名先輩が帰ってくるの知って、仕事終わってからずっと事務所で待ってたんですよ」
「……」
「あれ…？」
【おいていかないで】
想像していた以上の不安さに、バランスを崩して時々溺れそうになれけれど。そんな時は君の言葉を想い出す。そうすれば必死にもがいてまた息が吸えるから。ほら、デートするんでしょ。少し照れた君の横顔。約束覚えててくれたんだね。おいていかれないようにステップ刻んで君の隣に歩いて並ぶ。
【どこまでも行くよ】
白く霞がかった雲が風に靡いて、見上げた青の色があまりにも綺麗だったから。このどこまでも広がる空は、群青色の瞳のあの人にも届くのだろうか。時々、足元に向かい風が吹き抜けることがあると思うけれど、いつか追い風になること願いながら。
そっちの空は今何色ですか。僕の想いよ、風に届いて。
【幸せになってよ】
溶けちゃうから早く口を開けてよ。茹だるような熱の眼差しに、君は笑いながら食べかけのアイスを差し出して。戸惑いがちに君の幸せをひと口だけ分けて貰う。本当は全部食べてしまいたいけれど、そんなことは出来ないから。
その甘やかさにどうにかなってしまいそうだと自分を押さえつける熱い、夏の日。
【アンビバレンス】
指し伸ばされた手に掴まらないようにと、するすると水のように通り抜けて。その手が行き場を失って、諦めかけた時にわざと振り向いて近付くんだ。泣いてるの。泣かないで。濡れた頬を指で拭ってキスをして慰めてあげる。おかしいでしょ？泣かせたのは僕なのにさ。
この涙も、笑顔も、全部全部僕のもの。
【恋、拾いました】
どんなに疎まれようとも、君の落とした欠片を拾って集めた。馬鹿な自分はまた繋げてくっつければ元に戻れると思っていたから。でも駄目だったみたい。だって形が全然違う。泉さん、本当に気付いてないの。前を歩いていた君が微笑みながら振り向く。
恋を、拾いました。君の大事な恋を、拾いました。
【この、リア充が】
不意打ちに目の前で重なる唇に最初の頃は驚いた。文化の違いは理解していたつもりだったけれど、堂々とした恋人同士の触れ合いは正直羨ましい。日本にいる普段なかなか素直になれない想い人も、この開放的な地ならば人前で手を繋ぐことくらいは許してくれるかな。そんな淡い期待を抱いてひとり、歩く。
【サービストーク】
綺麗、かわいい、好き、愛してる。幾ら言葉で示しても「リップサービスなんでしょ」とあしらう唇に、それならばと唇ごと熱を押し付ける。ほら、今度はしっかり伝わったでしょ俺の気持ち。だって君は抵抗する素振りすら見せない。本当は分かってるくせに、素直になれない君はやっぱりかわいい。
【しゃらっぷ、きすみー！】
自分から仕掛けたくせに。視線すら合わせてくれないから。猫のように自分から擦り寄ってみた。誤魔化すような饒舌が嘘みたいに一瞬で止まって。ゆっくりと、重なる唇に瞼を閉じる。僕だって緊張してるんだよ。お互い仕掛けた時限爆弾にさ。ドキドキと、鼓動が混ざり合って。ああ、熱い。破裂しそう。
【諦めきれない】
跡、付けないでと捩る耳元で、俺が帰る頃には消えるから大丈夫だよと囁けば。君は一瞬傷付いた瞳をして、瞼を閉じて受け入れるから。その気持ちごと食らい付いて、薄い皮膚にわざと所有物の跡を残す。夢も、君も、どちらも手放す気はない強欲な男でごめんね。だから君も、もっと俺を望んでみせて。
【香水】
鈍感なま～くんは気付いてないかもしれないけどさ。俺は気付いちゃったんだよね。ゆうくんからイタリア帰りの男の匂いがすることに。ご丁寧に首筋に所有物の跡まで付けちゃってさ。如何にもセッちゃんのやりそうなことだ。独占欲の強い男の相手は大変だね。でもゆうくんもわざとそれ見せてるんでしょ。
【よくもそんな恥ずかしい台詞を】
衣装のせいかな。俺が蝶になる夢を見たんだって。面白いね。どんな蝶だったと聞けば青い羽根の綺麗な蝶だと言う。一緒に飛びたかったな。つまんない。なんでも自分は花で動けなかったらしい。でも、泉さんがおいしそうに蜜を求めて来るのは嬉しかったな。随分と大胆な花だね。そうやって俺を誘うんだ。
【あなたと一緒にいたいんだもん】
熱のせいなのか。泉さん、傍にいてよと、珍しく手に頬を擦り寄せる姿に。どこにも行かないから安心してよと呟けば。やっと潤んだ瞳を閉じて寝息をたてる顔にそっと胸を撫で下ろす。心細いのかな。弱った時だけじゃなくて、普段からもっと甘えていいんだよ。頑張り過ぎる君へ。あまり無茶はしないでね
【二人だけの王様ゲーム】
オフは家でゆっくりと過ごしたいのに。珍しく外食したいと君は言う。じゃあ、こうしよう。棒に印を付けて同時に引くよう促す。なんだか王様ゲームみたいと笑う君の元には、目立つ王様の証。
さぁ、御命令をどうぞ。騎士宜しく跪けば、やっぱり泉さんのご飯が食べたいなんてかわいい命令、断れないよね。
【物仕掛けと色仕掛け】
まったくさ。良い御身分だよね。自分は優雅にお風呂に入って、仕事終わりで疲れてる俺を使い走りにするなんてさ。美味しそうにアイスを頬張る君の、まだ濡れた髪を丁寧に拭き上げる。その代わり、今日はたっぷりサービスするから。その言葉、忘れてないよね。バニラ味の唇を引き寄せて舌で舐める。甘い。
【隣との距離】
カーテンの隙間から射し込む朝の光が眩しくて。隣で眠る呼吸音にふっと目を覚ます。綺麗な寝顔。震える長い睫毛の隅々まで至近距離で見つめて。思い出すだけでも熱に溶けそうだ。昨日の君は、とろけるアイスのように甘かったので。ゆっくりと寝させてあげよう。素肌が冷えないようにそっと抱き締める。
【弁慶狙いのローキック】
その場は爪が食い込むほど強く握って耐えるしかなかった。迷惑をかけたのは事実で。記事を揉み消すのにどれだけ苦労したか分かっているから。もう、君は帰って来てるだろうか。意気地無しの足に、心の中で向こう膝を蹴飛ばして重い扉を開く。
おかえりなさいと出迎える、君の隣困ったような笑顔が、辛い。
【最終手段】
こんなにゆっくり過ごせたのは久しぶりだな。せっかくだからと休みを合わせて海のバカンスへ。からりと晴れた空の下を歩いて。どうしても行きたい所があると導かれたのは、陽射しに煌めく彩りのステンドグラス。海の見えるチャペルって本気だったんだ。
少し緊張の汗をかいた手を握り返してあげる。
【時間よ止まれ】
少し無理をさせちゃったかな。寝息を立てる髪をそっと撫でる。もう最終日前日なのに、部屋に戻ってから狂ったようにベッドで求め合った。
俺は男で。ゆうくんも男で。それでも、昼間訪れた教会は祝福してくれた気がするから。
時計の足音が現実を知らせるように忍び寄ってくる。夢くらい見させてよ。
【死ぬまでの君を全てください】
君はいつでも俺を殺せるようにナイフを後ろ手に隠し持って、俺はいつでも一緒に死ぬための毒の小瓶を持っている。この秘密の情事は世間では決して認められないかもしれない。声を奪われ、足までも奪おうとしている俺の手を、それでも君は握ってくれるんだね。
全部棄てて、一緒に泡になって消えようか。
【どうでもいいよ、そんなこと】
じわじわと流れ込む毒を、もっと頂戴と唇を貪り合う。泉さんがこの毒で僕を殺そうとしていることは知っている。きっと泡になって一緒に消えるつもりなんだろうけれど。どうでもいいだなんてそんなこと世間は許してくれない。だからせめて。
僕のナイフは王子様を縛り付ける縄を切るためにある。
【ひねくれた告白】
僕には勿体ないくらいのたくさんの愛を貰っているのに。いつも泣かせてばかりでごめんね。でも泉さんだって狡いんだ。だから最後にふたりでさよならのキスをしよう。ひねくれた僕の愛情受け取ってくれる？
おかしいね。いつもは甘いはずの唇がこんなに苦いだなんて。視界が滲んで顔がよく見えない。
【何を今更、】
例えば、このソファー。座り心地が良くて一緒に選んだ物。でも今はぽっかりと隙間が空いている。至る所に残る君の存在に、修理出来ない程の大きな穴が空いて。慣れることのない虚しさに項垂れていると、部屋に響く着信音。何を今更、説教でもする気か。画面の名前に少し苛立ちながら通話ボタンを押す。
【宛先のない手紙】
月日が流れるのはとても早いもので。足元から崩れ落ちないように、目まぐるしい日々に踏みとどまるしかなかった。息苦しさに窒息しそう。そんな時、ふっと過ぎる淡い記憶。
自分から手放したくせに。自分勝手で、未練たらしい。
でも、せめて、こころの中で宛のない手紙を送ることを許して下さい。
【嘘、だったかもしれない】
僕が生涯恋をするのは、ただひとり。
白い、大聖堂のようなステンドグラスから射し込む光が眩しくて思わず目を細めた。
鮮やかなガラスには、産まれた赤子の頭を撫でるイエスの絵が描かれている。世間の声と同じように自分には無理なのだと。責められている気がして、深く深呼吸をしてざわつく胸を整えた。
事務所からこの話が来た時は正直、嫌だと思ってしまった。我儘かもしれないけれど例え雑誌の撮影でも、あの人以外と祭壇の前には立ちたくなかったから。でも、たくさんの人たちに迷惑を掛けてしまった自分には断る資格なんて無い。この依頼も、事務所が僕についたイメージを払拭する為に受けたものなのは言われなくても分かっている。
夏の旅行で訪れた異国のチャペルを思い出す。正装もしていないし、祝福してくれる人も誰も居なかったけれど。僕の。いや、ふたりの。幸せだったひとときの夢。
それにしても遅い。メイクもすべて終わりスタッフにここで座って待っているようにと、温かみのある木目調の椅子に案内されてからだいぶ時間が経っている。神様はなんて残酷なんだろう。神聖なこの場所に独りでいると後悔の念で気が狂いそうになる。もっとはやく手放してあげれば良かったのかな。そうしたらふたりで暗い海に沈む事もなかったのに。これも、大切な人を傷つけた僕に与えられた罰なのかもしれない。
その時、ひろい空間に扉の開く音がした。
夢かと思った。だって、振り向いた先には。
「嘘…嘘だよ」
「嘘じゃないよ」
もう二度と会わないと。ふたりで誓った筈なのに。固い大理石の床に靴音を響かせながら、揃いの純白のタキシードを身に纏った彼が自分の元へと近付いて来る。
「珍しい人物から電話が来てさ。…これ、ゆうくんにって預かってきた」
「手紙…？」
手渡された、シンプルな白の封を開く。涙が。涙が溢れてうまく読むことが出来なかった。そこに記されていたのは、見慣れた文字の。こころから信頼する仲間たちの、言葉。
『ウッキ～！ワカメさんの束縛が嫌になったらいつでも実家に帰っておいでよ！』
『遊木。俺達がついてるから安心して自分の道を進め』
『真。しあわせにな』
「…アイツら、俺のとこもだけど、認めないと全員で辞めるって事務所に掛け合ったんだって。馬鹿だよねぇ。下手したら全員ダメになるかもしれないのにさ。…でも、俺はその気持ちに答えたいと思う」
ゆうくんはどう？なんてちいさく微笑む彼の指が濡れた頬に触れる。そんなの、決まってる。決まってるよ。
僕には元より欠けているモノが多かった。あまり愛情を貰えなかったからだと思う。そんな僕は試すように、わざと手を離したり、こころを砕いて欠片を落とした。その度に、どんなちいさな欠片でも拾って僕を見つけてくれたね。恋が、溺れて呼吸が出来なくなるほど、こんなに苦しいものだとは思わなかった。
それでも、僕はこの人の優しい手を選びたい。例え誰かを傷付けることになったとしても、何度でも恋をして、どこまでも一緒に歩いていきたい。どこまでも。どこまでも。
永遠の愛を誓う祭壇の前で、互いの手を取り合う。神様の前でゆっくりと唇が重なる瞬間、ふたりを祝福するかのように鐘が鳴り響いた。
おいで、と呼ばれて膝の上に座る。パラりと捲られた本の中で親に捨てられたちいさな兄妹が手を繋いで森の中をさ迷っている。ちょうどお菓子の家を見つけたところで呼ばれてしまった。続きはまた今度ねと、本を閉じ手を繋いで撮影に戻る。
先に手を離したのはどっちだったかな。よく、思い出せない。
【日常崩壊寸前】
目を閉じて。いつだって別世界に連れて行ってあげるから。そう言ってちいさな君によく本を読んであげたね。久しぶりにこれ読んで欲しいな。僕のお気に入り。そんなささやかなリクエストが嬉しくて。少しでも忙しい日常から君を連れ出してあげる。
凭れた肩から本を捲る音と共に聴こえるのは、君の寝息。
【自分のモノには名前を書きましょう。】
森のなかをパンの屑を落としながら歩く。大丈夫、ふたり一緒に帰れるよ。不安げなちいさな手を握って、その後は…。
夢を見ていた。目を開くと先程まで寄りかかっていた君の姿は消えていて。代わりに手のひらに君の残した悪戯の痕跡を見付ける。
笑顔で名前が笑ってさ。本当、サインまでかわいいよね。
【図書室の猫】
運命の赤い糸のように、とは言えないけれど。それでも情報という名の糸を辿れば君の元へ導いてくれるのはけっこう簡単で。人気のない図書室でペンの音を懸命に走らせてるノートを後ろから覗き込む。
「猫…」
「うわぁ！」
歪なしっぽがさらにぐにゃっと曲がる。
落書きしてる場合じゃないんじゃないの。ゆうくん、今回のテスト相当やばかったみたいだし。てっきり泉さんは関係ないです、そう言われると思いきや、俯く君の姿がなんだか可哀想で。どこが分からないのと椅子を引いて隣に座る。このまま離れないように見えない糸で縛り付けられたら良いのに。
【絶対絶命】
放課後の静かな教室で紙の上を走るペンの音が響いている。残っているのは数人だけ。大体同じ顔ぶれ。いわゆる追試組。でも今日の僕はちょっと違う。いつもは渋るペン先が止まることなく動いている。絶対絶命のピンチを救ってくれたのは意外な人物で。普段からああなら良いのに。ねぇ、おにいちゃん。
【結論はとうに出ている】
運命の赤い糸みたいだなって思ってしまったから。きっと、猫の首輪みたいに僕のことも捕まえる気なんだ。残念だけど僕はまだ捕まる気はないよ。でも待っててあげる。もし繋いだ糸が解れたとしても、この赤いマフラーを辿って僕のこと何度でも見つけてくれるでしょ。
だから、安心して行ってらっしゃい。
【きっと、それで正解】
バイクの排気音に思わず振り向いて夜道を急ぐ。今までの距離の方がおかしかったんだよね。じゃないと僕だけがこんな気持ちになるの変でしょ。指で何度もなぞった生徒手帳のページを捲って、様子を聞くだけだからと送ってみれば。返ってきたのは表情豊かな顔と動くハート。やっぱり間違えたかも。
【嘘、だったりして】
帰国したその日の夜、偶然仕事帰りのゆうくんと出会った。今日この後予定は？と聞くと特には、とぽつりと呟くので少し強引に手を引いて近くのレストランに入り、ふたりで束の間の夕食を楽しんだ。帰ってきて早々、ゆうくんに会えるなんて俺は本当に運が良い。
「瀬名先輩、昨日真に会えましたか」
「会えたけど、なんで？」
「真、昨日瀬名先輩が帰ってくるの知って、仕事終わってからずっと事務所で待ってたんですよ」
「……」
「あれ…？」
【おいていかないで】
想像していた以上の不安さに、バランスを崩して時々溺れそうになれけれど。そんな時は君の言葉を想い出す。そうすれば必死にもがいてまた息が吸えるから。ほら、デートするんでしょ。少し照れた君の横顔。約束覚えててくれたんだね。おいていかれないようにステップ刻んで君の隣に歩いて並ぶ。
【どこまでも行くよ】
白く霞がかった雲が風に靡いて、見上げた青の色があまりにも綺麗だったから。このどこまでも広がる空は、群青色の瞳のあの人にも届くのだろうか。時々、足元に向かい風が吹き抜けることがあると思うけれど、いつか追い風になること願いながら。
そっちの空は今何色ですか。僕の想いよ、風に届いて。
【幸せになってよ】
溶けちゃうから早く口を開けてよ。茹だるような熱の眼差しに、君は笑いながら食べかけのアイスを差し出して。戸惑いがちに君の幸せをひと口だけ分けて貰う。本当は全部食べてしまいたいけれど、そんなことは出来ないから。
その甘やかさにどうにかなってしまいそうだと自分を押さえつける熱い、夏の日。
【アンビバレンス】
指し伸ばされた手に掴まらないようにと、するすると水のように通り抜けて。その手が行き場を失って、諦めかけた時にわざと振り向いて近付くんだ。泣いてるの。泣かないで。濡れた頬を指で拭ってキスをして慰めてあげる。おかしいでしょ？泣かせたのは僕なのにさ。
この涙も、笑顔も、全部全部僕のもの。
【恋、拾いました】
どんなに疎まれようとも、君の落とした欠片を拾って集めた。馬鹿な自分はまた繋げてくっつければ元に戻れると思っていたから。でも駄目だったみたい。だって形が全然違う。泉さん、本当に気付いてないの。前を歩いていた君が微笑みながら振り向く。
恋を、拾いました。君の大事な恋を、拾いました。
【この、リア充が】
不意打ちに目の前で重なる唇に最初の頃は驚いた。文化の違いは理解していたつもりだったけれど、堂々とした恋人同士の触れ合いは正直羨ましい。日本にいる普段なかなか素直になれない想い人も、この開放的な地ならば人前で手を繋ぐことくらいは許してくれるかな。そんな淡い期待を抱いてひとり、歩く。
【サービストーク】
綺麗、かわいい、好き、愛してる。幾ら言葉で示しても「リップサービスなんでしょ」とあしらう唇に、それならばと唇ごと熱を押し付ける。ほら、今度はしっかり伝わったでしょ俺の気持ち。だって君は抵抗する素振りすら見せない。本当は分かってるくせに、素直になれない君はやっぱりかわいい。
【しゃらっぷ、きすみー！】
自分から仕掛けたくせに。視線すら合わせてくれないから。猫のように自分から擦り寄ってみた。誤魔化すような饒舌が嘘みたいに一瞬で止まって。ゆっくりと、重なる唇に瞼を閉じる。僕だって緊張してるんだよ。お互い仕掛けた時限爆弾にさ。ドキドキと、鼓動が混ざり合って。ああ、熱い。破裂しそう。
【諦めきれない】
跡、付けないでと捩る耳元で、俺が帰る頃には消えるから大丈夫だよと囁けば。君は一瞬傷付いた瞳をして、瞼を閉じて受け入れるから。その気持ちごと食らい付いて、薄い皮膚にわざと所有物の跡を残す。夢も、君も、どちらも手放す気はない強欲な男でごめんね。だから君も、もっと俺を望んでみせて。
【香水】
鈍感なま～くんは気付いてないかもしれないけどさ。俺は気付いちゃったんだよね。ゆうくんからイタリア帰りの男の匂いがすることに。ご丁寧に首筋に所有物の跡まで付けちゃってさ。如何にもセッちゃんのやりそうなことだ。独占欲の強い男の相手は大変だね。でもゆうくんもわざとそれ見せてるんでしょ。
【よくもそんな恥ずかしい台詞を】
衣装のせいかな。俺が蝶になる夢を見たんだって。面白いね。どんな蝶だったと聞けば青い羽根の綺麗な蝶だと言う。一緒に飛びたかったな。つまんない。なんでも自分は花で動けなかったらしい。でも、泉さんがおいしそうに蜜を求めて来るのは嬉しかったな。随分と大胆な花だね。そうやって俺を誘うんだ。
【あなたと一緒にいたいんだもん】
熱のせいなのか。泉さん、傍にいてよと、珍しく手に頬を擦り寄せる姿に。どこにも行かないから安心してよと呟けば。やっと潤んだ瞳を閉じて寝息をたてる顔にそっと胸を撫で下ろす。心細いのかな。弱った時だけじゃなくて、普段からもっと甘えていいんだよ。頑張り過ぎる君へ。あまり無茶はしないでね
【二人だけの王様ゲーム】
オフは家でゆっくりと過ごしたいのに。珍しく外食したいと君は言う。じゃあ、こうしよう。棒に印を付けて同時に引くよう促す。なんだか王様ゲームみたいと笑う君の元には、目立つ王様の証。
さぁ、御命令をどうぞ。騎士宜しく跪けば、やっぱり泉さんのご飯が食べたいなんてかわいい命令、断れないよね。
【物仕掛けと色仕掛け】
まったくさ。良い御身分だよね。自分は優雅にお風呂に入って、仕事終わりで疲れてる俺を使い走りにするなんてさ。美味しそうにアイスを頬張る君の、まだ濡れた髪を丁寧に拭き上げる。その代わり、今日はたっぷりサービスするから。その言葉、忘れてないよね。バニラ味の唇を引き寄せて舌で舐める。甘い。
【隣との距離】
カーテンの隙間から射し込む朝の光が眩しくて。隣で眠る呼吸音にふっと目を覚ます。綺麗な寝顔。震える長い睫毛の隅々まで至近距離で見つめて。思い出すだけでも熱に溶けそうだ。昨日の君は、とろけるアイスのように甘かったので。ゆっくりと寝させてあげよう。素肌が冷えないようにそっと抱き締める。
【弁慶狙いのローキック】
その場は爪が食い込むほど強く握って耐えるしかなかった。迷惑をかけたのは事実で。記事を揉み消すのにどれだけ苦労したか分かっているから。もう、君は帰って来てるだろうか。意気地無しの足に、心の中で向こう膝を蹴飛ばして重い扉を開く。
おかえりなさいと出迎える、君の隣困ったような笑顔が、辛い。
【最終手段】
こんなにゆっくり過ごせたのは久しぶりだな。せっかくだからと休みを合わせて海のバカンスへ。からりと晴れた空の下を歩いて。どうしても行きたい所があると導かれたのは、陽射しに煌めく彩りのステンドグラス。海の見えるチャペルって本気だったんだ。
少し緊張の汗をかいた手を握り返してあげる。
【時間よ止まれ】
少し無理をさせちゃったかな。寝息を立てる髪をそっと撫でる。もう最終日前日なのに、部屋に戻ってから狂ったようにベッドで求め合った。
俺は男で。ゆうくんも男で。それでも、昼間訪れた教会は祝福してくれた気がするから。
時計の足音が現実を知らせるように忍び寄ってくる。夢くらい見させてよ。
【死ぬまでの君を全てください】
君はいつでも俺を殺せるようにナイフを後ろ手に隠し持って、俺はいつでも一緒に死ぬための毒の小瓶を持っている。この秘密の情事は世間では決して認められないかもしれない。声を奪われ、足までも奪おうとしている俺の手を、それでも君は握ってくれるんだね。
全部棄てて、一緒に泡になって消えようか。
【どうでもいいよ、そんなこと】
じわじわと流れ込む毒を、もっと頂戴と唇を貪り合う。泉さんがこの毒で僕を殺そうとしていることは知っている。きっと泡になって一緒に消えるつもりなんだろうけれど。どうでもいいだなんてそんなこと世間は許してくれない。だからせめて。
僕のナイフは王子様を縛り付ける縄を切るためにある。
【ひねくれた告白】
僕には勿体ないくらいのたくさんの愛を貰っているのに。いつも泣かせてばかりでごめんね。でも泉さんだって狡いんだ。だから最後にふたりでさよならのキスをしよう。ひねくれた僕の愛情受け取ってくれる？
おかしいね。いつもは甘いはずの唇がこんなに苦いだなんて。視界が滲んで顔がよく見えない。
【何を今更、】
例えば、このソファー。座り心地が良くて一緒に選んだ物。でも今はぽっかりと隙間が空いている。至る所に残る君の存在に、修理出来ない程の大きな穴が空いて。慣れることのない虚しさに項垂れていると、部屋に響く着信音。何を今更、説教でもする気か。画面の名前に少し苛立ちながら通話ボタンを押す。
【宛先のない手紙】
月日が流れるのはとても早いもので。足元から崩れ落ちないように、目まぐるしい日々に踏みとどまるしかなかった。息苦しさに窒息しそう。そんな時、ふっと過ぎる淡い記憶。
自分から手放したくせに。自分勝手で、未練たらしい。
でも、せめて、こころの中で宛のない手紙を送ることを許して下さい。
【嘘、だったかもしれない】
僕が生涯恋をするのは、ただひとり。
白い、大聖堂のようなステンドグラスから射し込む光が眩しくて思わず目を細めた。
鮮やかなガラスには、産まれた赤子の頭を撫でるイエスの絵が描かれている。世間の声と同じように自分には無理なのだと。責められている気がして、深く深呼吸をしてざわつく胸を整えた。
事務所からこの話が来た時は正直、嫌だと思ってしまった。我儘かもしれないけれど例え雑誌の撮影でも、あの人以外と祭壇の前には立ちたくなかったから。でも、たくさんの人たちに迷惑を掛けてしまった自分には断る資格なんて無い。この依頼も、事務所が僕についたイメージを払拭する為に受けたものなのは言われなくても分かっている。
夏の旅行で訪れた異国のチャペルを思い出す。正装もしていないし、祝福してくれる人も誰も居なかったけれど。僕の。いや、ふたりの。幸せだったひとときの夢。
それにしても遅い。メイクもすべて終わりスタッフにここで座って待っているようにと、温かみのある木目調の椅子に案内されてからだいぶ時間が経っている。神様はなんて残酷なんだろう。神聖なこの場所に独りでいると後悔の念で気が狂いそうになる。もっとはやく手放してあげれば良かったのかな。そうしたらふたりで暗い海に沈む事もなかったのに。これも、大切な人を傷つけた僕に与えられた罰なのかもしれない。
その時、ひろい空間に扉の開く音がした。
夢かと思った。だって、振り向いた先には。
「嘘…嘘だよ」
「嘘じゃないよ」
もう二度と会わないと。ふたりで誓った筈なのに。固い大理石の床に靴音を響かせながら、揃いの純白のタキシードを身に纏った彼が自分の元へと近付いて来る。
「珍しい人物から電話が来てさ。…これ、ゆうくんにって預かってきた」
「手紙…？」
手渡された、シンプルな白の封を開く。涙が。涙が溢れてうまく読むことが出来なかった。そこに記されていたのは、見慣れた文字の。こころから信頼する仲間たちの、言葉。
『ウッキ～！ワカメさんの束縛が嫌になったらいつでも実家に帰っておいでよ！』
『遊木。俺達がついてるから安心して自分の道を進め』
『真。しあわせにな』
「…アイツら、俺のとこもだけど、認めないと全員で辞めるって事務所に掛け合ったんだって。馬鹿だよねぇ。下手したら全員ダメになるかもしれないのにさ。…でも、俺はその気持ちに答えたいと思う」
ゆうくんはどう？なんてちいさく微笑む彼の指が濡れた頬に触れる。そんなの、決まってる。決まってるよ。
僕には元より欠けているモノが多かった。あまり愛情を貰えなかったからだと思う。そんな僕は試すように、わざと手を離したり、こころを砕いて欠片を落とした。その度に、どんなちいさな欠片でも拾って僕を見つけてくれたね。恋が、溺れて呼吸が出来なくなるほど、こんなに苦しいものだとは思わなかった。
それでも、僕はこの人の優しい手を選びたい。例え誰かを傷付けることになったとしても、何度でも恋をして、どこまでも一緒に歩いていきたい。どこまでも。どこまでも。
永遠の愛を誓う祭壇の前で、互いの手を取り合う。神様の前でゆっくりと唇が重なる瞬間、ふたりを祝福するかのように鐘が鳴り響いた。
