君とつくる物語り
ゆうくんが失声症になった。
心因性のものなのか原因は分からないが本人は筆談で意外と元気そうにしている。それともうひとつ。
「ぬう」
俺の家のゆうくんのぬいぐるみが喋るようになった。ぬうぬうと短い足で歩いてきた時は驚きのあまり俺まで声が出なくなるところだった。普段は枕元に飾っているだけのぬいぐるみが俺の方に近付いてくる。
「ぬう~」
固まった俺の足元でゆうくんの形を真似たぬいぐるみが転んだ。間抜けなところまで本人とそっくりで思わず手を差し伸べてしまう。
綿なので片手で持てるが、なんとなく両手で拾い上げた。ぬうぬうと泣いている丸い顔を改めて観察してみる。正直、ゆうくんはこんなブスじゃないし似ても似つかないなと思う。でも。
「もしかしてゆうくんなの…?」
「ぬ?」
言葉が通じているのかは分からないがぬいぐるみは不思議そうに首を傾げた。あ、泣き止んだ。よく考えれば本人は存在するのだからぬいぐるみになるわけがない。むしろこれは夢なのかもしれない。そうだ。ゆうくんの声が出ないのも、ぬいぐるみが動くのもきっと夢だ。朝になればすべて元に戻っているはず。それに精神的に疲れているのかはやく眠りたい。ぬいぐるみのゆうくんだから…うぅんと…俺はぬいぐるみをベッドの中に入れてそっと呟いた。
「おやすみぃ…ぬうくん」
「ゆうくぅぅぅううんん!!!!」
朝、マスク姿で登校するゆうくんを捕まえて人気の無い場所へと引きずり込んだ。驚いたゆうくんは『なにか用?』と手早く打ち込んだスマホの画面をかざしてくる。やっぱりまだ声は戻ってないらしい。
「ちょっとゆうくんこれ見て!!」
鞄からぬいぐるみを取り出してみせると、ゆうくんはうげっと凄く失礼な顔をしたがそれに構っている余裕はない。
『僕のぬいぐるみがどうかしたの?』
「ゆうくんの声が出なくなってから代わりに喋るようになったの!ねぇぬうくん!…あ、あれ?なんで?なんで喋らないのぬうくんっ!!」
ぬうぬうと人の顔に乗って俺を朝起こしてきたぬうくんは、シンと静まり返ってただのぬいぐるみの振りをしている。必死にぬうくんを揺さぶる俺の様子にあわあわと慌てるゆうくんは予鈴が鳴るや否や『なんだかよく分からないけどじゃあ僕はこれで!』と行ってしまった。何故かいつもより足が早くて追いつけない。
「あ、待ってゆうく~~~ん!!」
ひとり取り残された俺は物言わぬぬいぐるみを見つめた。
「…ちょっとぉ。なんで黙ってるの」
ぬうくんはクレーンゲームの景品だ。なんとなくゆうくんがいる気がして立ち寄ったゲーセンで見付けた子だった。本人はいなかったけど狭いガラスケースのなかにたくさん積まれたゆうくんのぬいぐるみの中で、つぶらな瞳のこの子が欲しいなと思った。慣れないゲームをしたおかげで実はぬうくんは結構お高い子だったりする。
「ぬう~」
どうやらぬうくんは俺と二人きりの時しか動かないらしい。始めは少し不気味だと思っていたが、ベッドの上でちょこまかと動き回る姿は何だか小動物みたいで愛くるしかった。手を差し出すとぬうぬうと頬を擦り寄せてくる。
「ふふっ。可愛い」
本物のゆうくんもこんなふうに甘えてくれれば良いのに。
ここ最近、いや声を喪う前からゆうくんが何だかいつも以上に素っ気ない気がしていた。思い起こせばゆうたくんの手伝いをした時に鉢合わせた頃からかもしれない。あの後なぜか二人とも機嫌が悪くなっちゃったんだけど、未だに何でか理解できないんだよねぇ。
「声を喪ったなんてまるで人魚姫みたい…」
人間の王子様に恋をして、人間の足と引き換えに声を喪った人魚姫。結局恋が実らず最後は泡になって消えるんだっけ。でもどっちかっていうと隠していたナイフを捨てて泡になるのはゆうくんじゃなくて俺の方じゃないかな…なんて思いながらつんつんと指先で柔らかい綿の腹をつつくとぬうくんはぬうぬうと喜んだ。
「じゃあ俺家でぬうくんが待ってるから」
放課後の校内ボランティアを終えると急いで帰りの支度をして学校を飛び出た。残された奴らが何か言ってるけど俺には聞こえない。
「…瀬名先輩なにかanimalでも飼い始めたのでしょうか?」
「家でゆうくんでも飼ってるんじゃない?ちっちゃなお人形にしてさぁ」
「んもう、凛月ちゃんったらぁ。冗談が過ぎるわよ。でも最近の泉ちゃん遊木くんにも全然絡みに行ってないみたいだし変なのよねぇ…その遊木くんもまだ声が戻ってないらしいし」
「そういえば私、瀬名先輩が学校でぬいぐるみとtalkしている場面を見たという噂を聞きました」
三人は同時に顔を見合わせた。
「ただいまぁぬうくん。良い子にしてた?」
「ぬう~~」
編み込みの籠の中からぴょこりとぬうくんが頭を出す。本当はこんなところに閉じ込めたくないけど、前に帰ってきたらベッドの隙間に挟まったぬうくんが泣いていたので仕方ない。学校は俺が我慢出来ないから連れて行けないし。初日に授業中動かないぬうくんをぼうっと眺めてたらクラスの奴らに見つかって大変だった事を思い出す。くそぅ、あいつらめ!誰だって好きな子のぬいぐるみくらい持ってるでしょ。
あれからゆうくんは更に距離が離れたというか、顔を合わせるだけで視線を逸らして逃げ出してしまうようになった。まぁ、本人も声が出なくて辛いだろうし、無理に追いかけるのも悪いから我慢してたけどそろそろゆうくん不足で俺が限界だ…。せめて飴なら貰ってくれるかなと思って、喉に良さそうな物を幾つか買ってみた。すっきりしたミント味と爽やかなレモン味と甘いはちみつ味の飴をぬうくんの前に並べる。
「ねぇ、ぬうくん。ゆうくんにあげるならどれが良いと思う?」
「ぬう~…」
ぬうくんはうろうろと飴の間を行ったり来たりして、最終的にはちみつ入りの飴のまえにぴたりと止まった。
「ぬう!」
ぬうくんは自分が選んだ飴をくるくると撫で回している。
「なぁに?ゆうくんの声が治るおまじないでもかけてくれてるのぉ?」
「ぬう!」
「ぬうくんと俺の気持ちのこもった飴ならゆうくんも喜んでくれるよね」
「ぬう~~」
フェルトで出来たぬうくんの頭を撫でると、ぬうくんは気持ち良さそうに鳴いた。
物語に出てくる王子様は、結局最後まで人魚姫の正体に気付くことが出来なかった。俺ならそんなことはないのに。だって俺にはぬいぐるみの声も聞こえるのだから。
その日の夜はぬうくんを抱き締めて眠った。命の宿ったぬうくんはほんのり温かい気がした。
放課後久しぶりにゆうくんを捕まえた。相変わらずの痛々しいマスク姿だ。せっかくの綺麗な顔が隠れて勿体ない。
『なに?レッスンがあるから急ぐんだけど』
表情はよく見えないけどゆうくんの目が睨む様な、すごく不機嫌なことだけは分かる。それに負けじと俺はポケットからはちみつの飴玉を幾つか取り出した。ゆうくんにあげると伝えると、一瞬ゆうくんは驚いた顔をしてからゆっくりとマスクを外した。久しぶりにゆうくんの顔を見た気がする。
「昨日ゆうくんの声がはやく治るようにってぬうくんが選んでくれたんだ」
遠慮がちに伸ばしていたゆうくんの手がぴたりと止まる。その手がスマホに戻ってしまったかと思うと『やっぱりいらない』と無情な返事を告げられた。
「えっ、ど、どうして?」
『最近泉さんが僕のぬいぐるみに夢中だって噂で聞きました。やっぱり泉さんはゆうたくんみたいな弟や、可愛がるだけの人形の方が良いんだ』
「ゆうくん何を言ってるの?ゆうく…」
ゆうくんはスマホをその場に投げ捨てると、声にならない叫びをあげながら俺の胸を勢いよくぽかぽかと叩いてきた。
『 …!!』
一生懸命何かを伝えようと口をはくはく動かしているが、ゆうくんの、心の声が聞こえない。
「痛い痛いっ!ゆうくんちょっと落ち着いて。ゆうくん…っ!!」
ゆうくんの瞳が何だか泣きそうで、苦しそうで。それをどうにか止めてあげたくて俺は叩いていた腕を掴むと、そのまま胸の中に引き寄せてゆうくんの唇を塞いだ。ビクリと一瞬だけ体を震わせ、動きが止まったゆうくんの口の中に飴玉を放り入れると、ゆうくんは大人しくそれを舐めた。
「…僕の好きなはちみつ味だ。おいしい…」
「ゆうくんっ!声が…」
「あれ…?ほんとだ…」
良かったとゆうくんをここぞとばかりに抱きしめる。しばらく放心状態だったゆうくんは大人しく俺に抱かれていたが、ふと何かに気付くと勢い良く俺を突き飛ばした。
「いやぁぁぁあ!!さっきどさくさに紛れて僕にキ、キスしたでしょ!?」
「だってゆうくんが泉さん抱きしめて!キスして!って目で訴えてきたから。」
「してない!してないからっ!!」
顔を真っ赤にして逃げようとするゆうくんを力を込めてもう一度捕まえる。
今度はその声を聞き逃さないように。
「残念だけど俺には目を見るだけでゆうくんがなにを伝えたいか分かっちゃった。しっかりと受け止めるから。だからゆうくんも声に出して俺に聞かせて?」
君が泡になって消えないようにナイフでもなんでも俺は受け入れるから。
「ぬうくん~~~!!ぬうくんのおまじないのおかげでゆうくんの声が出るようになったよぉ!」
帰宅してすぐにぬうくんに報告する。きっとぬうくんも一緒に喜んでくれるはずだ。でもおかしい。いつもならぬうぬうと嬉しそうに聞こえるはずのかわいらしい声が聞こえない。
「ぬうくん…?寝てるの?ぬうくん?」
籠を開けると、中にはくったりとしたぬうくんがいた。いくら揺さぶってみても動かない。今度は立たせようとしてみたらぬうくんの重い頭がこてんと、前のめりに倒れてしまった。心臓がバクバクして言葉にするのが怖い。きっとゆうくんもこんな気持ちだったんだろうか。
「そっかぁ…元に戻っちゃったんだねぇ。」
両手で大切に抱えてベッドの枕の横に寝かせてあげる。ぬうくんの好きな場所だ。もう俺のベッドのうえをちょこまかと走り回ったり、転んだりすることもないんだね。
昨日、一生懸命ゆうくんのためにおまじないをかけてくれた優しくてちょっとドジな綿で出来た天使の姿を思い出す。
愛おしい小さなぬいぐるみにありがとうと告げると、かわいいぬうくんの口元がちょっと笑った気がして俺も一緒に微笑んだ。
心因性のものなのか原因は分からないが本人は筆談で意外と元気そうにしている。それともうひとつ。
「ぬう」
俺の家のゆうくんのぬいぐるみが喋るようになった。ぬうぬうと短い足で歩いてきた時は驚きのあまり俺まで声が出なくなるところだった。普段は枕元に飾っているだけのぬいぐるみが俺の方に近付いてくる。
「ぬう~」
固まった俺の足元でゆうくんの形を真似たぬいぐるみが転んだ。間抜けなところまで本人とそっくりで思わず手を差し伸べてしまう。
綿なので片手で持てるが、なんとなく両手で拾い上げた。ぬうぬうと泣いている丸い顔を改めて観察してみる。正直、ゆうくんはこんなブスじゃないし似ても似つかないなと思う。でも。
「もしかしてゆうくんなの…?」
「ぬ?」
言葉が通じているのかは分からないがぬいぐるみは不思議そうに首を傾げた。あ、泣き止んだ。よく考えれば本人は存在するのだからぬいぐるみになるわけがない。むしろこれは夢なのかもしれない。そうだ。ゆうくんの声が出ないのも、ぬいぐるみが動くのもきっと夢だ。朝になればすべて元に戻っているはず。それに精神的に疲れているのかはやく眠りたい。ぬいぐるみのゆうくんだから…うぅんと…俺はぬいぐるみをベッドの中に入れてそっと呟いた。
「おやすみぃ…ぬうくん」
「ゆうくぅぅぅううんん!!!!」
朝、マスク姿で登校するゆうくんを捕まえて人気の無い場所へと引きずり込んだ。驚いたゆうくんは『なにか用?』と手早く打ち込んだスマホの画面をかざしてくる。やっぱりまだ声は戻ってないらしい。
「ちょっとゆうくんこれ見て!!」
鞄からぬいぐるみを取り出してみせると、ゆうくんはうげっと凄く失礼な顔をしたがそれに構っている余裕はない。
『僕のぬいぐるみがどうかしたの?』
「ゆうくんの声が出なくなってから代わりに喋るようになったの!ねぇぬうくん!…あ、あれ?なんで?なんで喋らないのぬうくんっ!!」
ぬうぬうと人の顔に乗って俺を朝起こしてきたぬうくんは、シンと静まり返ってただのぬいぐるみの振りをしている。必死にぬうくんを揺さぶる俺の様子にあわあわと慌てるゆうくんは予鈴が鳴るや否や『なんだかよく分からないけどじゃあ僕はこれで!』と行ってしまった。何故かいつもより足が早くて追いつけない。
「あ、待ってゆうく~~~ん!!」
ひとり取り残された俺は物言わぬぬいぐるみを見つめた。
「…ちょっとぉ。なんで黙ってるの」
ぬうくんはクレーンゲームの景品だ。なんとなくゆうくんがいる気がして立ち寄ったゲーセンで見付けた子だった。本人はいなかったけど狭いガラスケースのなかにたくさん積まれたゆうくんのぬいぐるみの中で、つぶらな瞳のこの子が欲しいなと思った。慣れないゲームをしたおかげで実はぬうくんは結構お高い子だったりする。
「ぬう~」
どうやらぬうくんは俺と二人きりの時しか動かないらしい。始めは少し不気味だと思っていたが、ベッドの上でちょこまかと動き回る姿は何だか小動物みたいで愛くるしかった。手を差し出すとぬうぬうと頬を擦り寄せてくる。
「ふふっ。可愛い」
本物のゆうくんもこんなふうに甘えてくれれば良いのに。
ここ最近、いや声を喪う前からゆうくんが何だかいつも以上に素っ気ない気がしていた。思い起こせばゆうたくんの手伝いをした時に鉢合わせた頃からかもしれない。あの後なぜか二人とも機嫌が悪くなっちゃったんだけど、未だに何でか理解できないんだよねぇ。
「声を喪ったなんてまるで人魚姫みたい…」
人間の王子様に恋をして、人間の足と引き換えに声を喪った人魚姫。結局恋が実らず最後は泡になって消えるんだっけ。でもどっちかっていうと隠していたナイフを捨てて泡になるのはゆうくんじゃなくて俺の方じゃないかな…なんて思いながらつんつんと指先で柔らかい綿の腹をつつくとぬうくんはぬうぬうと喜んだ。
「じゃあ俺家でぬうくんが待ってるから」
放課後の校内ボランティアを終えると急いで帰りの支度をして学校を飛び出た。残された奴らが何か言ってるけど俺には聞こえない。
「…瀬名先輩なにかanimalでも飼い始めたのでしょうか?」
「家でゆうくんでも飼ってるんじゃない?ちっちゃなお人形にしてさぁ」
「んもう、凛月ちゃんったらぁ。冗談が過ぎるわよ。でも最近の泉ちゃん遊木くんにも全然絡みに行ってないみたいだし変なのよねぇ…その遊木くんもまだ声が戻ってないらしいし」
「そういえば私、瀬名先輩が学校でぬいぐるみとtalkしている場面を見たという噂を聞きました」
三人は同時に顔を見合わせた。
「ただいまぁぬうくん。良い子にしてた?」
「ぬう~~」
編み込みの籠の中からぴょこりとぬうくんが頭を出す。本当はこんなところに閉じ込めたくないけど、前に帰ってきたらベッドの隙間に挟まったぬうくんが泣いていたので仕方ない。学校は俺が我慢出来ないから連れて行けないし。初日に授業中動かないぬうくんをぼうっと眺めてたらクラスの奴らに見つかって大変だった事を思い出す。くそぅ、あいつらめ!誰だって好きな子のぬいぐるみくらい持ってるでしょ。
あれからゆうくんは更に距離が離れたというか、顔を合わせるだけで視線を逸らして逃げ出してしまうようになった。まぁ、本人も声が出なくて辛いだろうし、無理に追いかけるのも悪いから我慢してたけどそろそろゆうくん不足で俺が限界だ…。せめて飴なら貰ってくれるかなと思って、喉に良さそうな物を幾つか買ってみた。すっきりしたミント味と爽やかなレモン味と甘いはちみつ味の飴をぬうくんの前に並べる。
「ねぇ、ぬうくん。ゆうくんにあげるならどれが良いと思う?」
「ぬう~…」
ぬうくんはうろうろと飴の間を行ったり来たりして、最終的にはちみつ入りの飴のまえにぴたりと止まった。
「ぬう!」
ぬうくんは自分が選んだ飴をくるくると撫で回している。
「なぁに?ゆうくんの声が治るおまじないでもかけてくれてるのぉ?」
「ぬう!」
「ぬうくんと俺の気持ちのこもった飴ならゆうくんも喜んでくれるよね」
「ぬう~~」
フェルトで出来たぬうくんの頭を撫でると、ぬうくんは気持ち良さそうに鳴いた。
物語に出てくる王子様は、結局最後まで人魚姫の正体に気付くことが出来なかった。俺ならそんなことはないのに。だって俺にはぬいぐるみの声も聞こえるのだから。
その日の夜はぬうくんを抱き締めて眠った。命の宿ったぬうくんはほんのり温かい気がした。
放課後久しぶりにゆうくんを捕まえた。相変わらずの痛々しいマスク姿だ。せっかくの綺麗な顔が隠れて勿体ない。
『なに?レッスンがあるから急ぐんだけど』
表情はよく見えないけどゆうくんの目が睨む様な、すごく不機嫌なことだけは分かる。それに負けじと俺はポケットからはちみつの飴玉を幾つか取り出した。ゆうくんにあげると伝えると、一瞬ゆうくんは驚いた顔をしてからゆっくりとマスクを外した。久しぶりにゆうくんの顔を見た気がする。
「昨日ゆうくんの声がはやく治るようにってぬうくんが選んでくれたんだ」
遠慮がちに伸ばしていたゆうくんの手がぴたりと止まる。その手がスマホに戻ってしまったかと思うと『やっぱりいらない』と無情な返事を告げられた。
「えっ、ど、どうして?」
『最近泉さんが僕のぬいぐるみに夢中だって噂で聞きました。やっぱり泉さんはゆうたくんみたいな弟や、可愛がるだけの人形の方が良いんだ』
「ゆうくん何を言ってるの?ゆうく…」
ゆうくんはスマホをその場に投げ捨てると、声にならない叫びをあげながら俺の胸を勢いよくぽかぽかと叩いてきた。
『 …!!』
一生懸命何かを伝えようと口をはくはく動かしているが、ゆうくんの、心の声が聞こえない。
「痛い痛いっ!ゆうくんちょっと落ち着いて。ゆうくん…っ!!」
ゆうくんの瞳が何だか泣きそうで、苦しそうで。それをどうにか止めてあげたくて俺は叩いていた腕を掴むと、そのまま胸の中に引き寄せてゆうくんの唇を塞いだ。ビクリと一瞬だけ体を震わせ、動きが止まったゆうくんの口の中に飴玉を放り入れると、ゆうくんは大人しくそれを舐めた。
「…僕の好きなはちみつ味だ。おいしい…」
「ゆうくんっ!声が…」
「あれ…?ほんとだ…」
良かったとゆうくんをここぞとばかりに抱きしめる。しばらく放心状態だったゆうくんは大人しく俺に抱かれていたが、ふと何かに気付くと勢い良く俺を突き飛ばした。
「いやぁぁぁあ!!さっきどさくさに紛れて僕にキ、キスしたでしょ!?」
「だってゆうくんが泉さん抱きしめて!キスして!って目で訴えてきたから。」
「してない!してないからっ!!」
顔を真っ赤にして逃げようとするゆうくんを力を込めてもう一度捕まえる。
今度はその声を聞き逃さないように。
「残念だけど俺には目を見るだけでゆうくんがなにを伝えたいか分かっちゃった。しっかりと受け止めるから。だからゆうくんも声に出して俺に聞かせて?」
君が泡になって消えないようにナイフでもなんでも俺は受け入れるから。
「ぬうくん~~~!!ぬうくんのおまじないのおかげでゆうくんの声が出るようになったよぉ!」
帰宅してすぐにぬうくんに報告する。きっとぬうくんも一緒に喜んでくれるはずだ。でもおかしい。いつもならぬうぬうと嬉しそうに聞こえるはずのかわいらしい声が聞こえない。
「ぬうくん…?寝てるの?ぬうくん?」
籠を開けると、中にはくったりとしたぬうくんがいた。いくら揺さぶってみても動かない。今度は立たせようとしてみたらぬうくんの重い頭がこてんと、前のめりに倒れてしまった。心臓がバクバクして言葉にするのが怖い。きっとゆうくんもこんな気持ちだったんだろうか。
「そっかぁ…元に戻っちゃったんだねぇ。」
両手で大切に抱えてベッドの枕の横に寝かせてあげる。ぬうくんの好きな場所だ。もう俺のベッドのうえをちょこまかと走り回ったり、転んだりすることもないんだね。
昨日、一生懸命ゆうくんのためにおまじないをかけてくれた優しくてちょっとドジな綿で出来た天使の姿を思い出す。
愛おしい小さなぬいぐるみにありがとうと告げると、かわいいぬうくんの口元がちょっと笑った気がして俺も一緒に微笑んだ。