君とつくる物語り

静かな防音室に水の濡れた音がする。
薄くしっとりとした唇に優しく吸い上げられたかと思うと、歯列を割り無理矢理侵入してきた舌に絡めとられた。生き物のように口の中を這う感覚と、ぴちゃぴちゃといやらしい水音が鼓膜を刺激する。身体の神経が一箇所に集中して、鼻で上手く息が出来ない。頭がくらくらして酸欠になりそうだ。やや苦しくなって、自分を抱き寄せる肩を叩いた。ゆっくりと焦らすように離れた口から唾液の糸が伝う。汚れた口元を拭い、荒い呼吸を整えてから目の前の相手を睨んだ。

「…これもイタリア仕込みのキスなの?」

「まさか。今どき挨拶でキスなんかしないよぉ。これは恋人との再会のキス。」

僕と泉さんは恋人じゃないでしょ、といつもの様に突き放すと、濁りの無い澄んだ水のような瞳が自信ありげに笑う。きっと、この綺麗な色は花の都と呼ばれる芸術の地によく似合ってる。

「本当は俺の事が好きでたまらないくせに」

もっと素直になりなよ、なんてどの口が言うのか。突然目の前に現れたかと思うと、手を掴まれこの懐かしい部屋に押し込まれた。さながら式の途中で花嫁を攫う映画のワンシーンのようだったが、花嫁役が自分では見ている側にはさぞ滑稽な姿に映ったことだろう。

「泉さん少し離れただけなのに変わったね」

「ゆうくんも変わったよ。…何だか大人っぽくなった」

ほんの数週間離れていただけなのに、彼からは見知らぬ異国の匂いが微かに漂っている。それが何だか知らない人みたいで、視線を逸らすと手を掴まれた。忠誠を誓う騎士のようにそっと唇を落とされる。確か手の甲へのキスは尊敬の意味もあるんだっけ。なんてどこか他人事のようにぼんやり考えた。

「あの時の事を許してもらおうだなんて今更思わないけど…向こうでひと回り大きく成長したら、今度はこんなところに閉じ込めないで広い世界にゆうくんを連れ去りに来るよ」

だから期待して待っていて、と笑う彼に素直になれない僕はどうしても素っ気ない態度を取ってしまう。

「それより先に僕の方から外へ出ちゃうかもね」

「それでも俺は嬉しいけど」

普段は棘だらけの彼の心が、自分だけには嘘偽りのない姿を見せてくれる。優越感に満たされる心を見られたくなくて「もう会場に戻らないと」と言いながら僕は部屋を飛び出した。

いつか、遠くない未来に彼の隣でランウェイを歩く自分の姿があっても良いのかもしれないと想いを描きながら。


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