一時間の君との距離


『ゆうくんメモリアル』


余程急いでいたのか、普段から整理整頓を心掛けている筈の、ちょっと潔癖気のある彼にしてはベッドの上は驚くほど雑多に乱れていて。そのなかに僕の名前が記されたポツリと寂しそうな忘れ物がひとつ。
かわいそうに。あの人に置いて行かれたの。その重みを手に取って、少し古びた表紙を撫でて慰めてあげる。発見したのが僕で良かったよ。だって、もしこんなものを部屋の人に見られでもしたら、恥ずかしくてきっと明日から衣更くんの顔が上手く見れない。
少し幼さの残る《ゆうくん》の四文字を、辿るように指でなぞる。泉さんが僕の写真を集めていることは知っていた。でもそれは再会してからの話で、こんなに小さな頃からアルバムを作っているとは思わなかったんだ。

人の物を勝手に触るのはいけないことなのは分かっているけれど。好奇心に負けた僕はしばらく表紙とにらめっこした後、厚い表紙に手を掛けた。どきどきと、緊張に心臓が跳ねる。隠れた行為は、まるで人のこころを覗くようだ。

でも僕は知りたかった。普段僕には見せない、隠れされた泉さんのこころが。



《あたらしい子がはいりました。なまえはゆうきまことくん。えがおはちょっとぎこちないけれどてんしみたいにかわいい子です。いろいろとおしえてあげたいなとおもいました》

これは試し撮りのものだろうか。初めて現場に入った時の記憶はあまり無い。頼りない瞳をしたちいさな僕と、慣れた笑顔を浮かべるちいさな泉さんが手を繋いで並んでいる。ポラロイド写真の横に添えられた文字を見て驚いた。まさか当時の泉さんのコメント付きだとは思わなかったから。今でも泉さんは会えないからと僕の誕生日に手紙を送ってくれたりする。几帳面というか、こういうところは昔から変わらないのかもしれない。それがなんだか可笑しくてくすりと笑いながら次々とページを捲る。


《ゆうくんもだいぶなれてきてさいきんはおれのことをおにいちゃんとよんでくれます。おとうとができたみたいでうれしい》

まだ固いけれど必死に表情を作っている僕がいる。まだこの時は自分が頑張ればお母さんが喜んでくれると思っていた頃だ。他にも優秀な子はたくさんいたのになぜか泉さんは僕に優しかった。もしかしたらライバルだと思われていなかったのかもしれないけど。


《化粧なんかぜったいにしない!!》


力強く書かれた文字に思わず笑ってしまった。男の子だってキレイになりたいとキャッチコピーの書かれた当時のパンフレットが挟んである。ふたりセットでの仕事が増えて、小学生の男の子向けの化粧品の撮影をした時のものだ。可笑しいよね。今じゃ泉さん化粧は得意なのに。僕も少し教えて貰えば良かったかな。



《最近ゆうくんの元気がない。ママと何かあったのかな。おれが側にいてあげないと》


捲る手がとまる。

感情のない偽りの笑顔。僕は過去の写真を見れない理由を思い出した。
夢を見ても仕方ないと。どうせ叶うことのない家族の夢なんか見続けても仕方ないと、気付いてしまった自分を見るのが辛いから。
僕の気持ちとは裏腹に、その人形の様な微笑みが良いと、一時期仕事では泉さんを抜く勢いで評価されるようになった。でもそんなものは全然嬉しくなかった。深い海の底にいるみたいに空気が重く、苦しいのに誰も気付い
てくれない。助けて。必死に叫ぶのに誰にも声が届かない。聴こえる筈が無かった。だって僕はその時声を出すとこも出来なくなっていたから。いっそ形のないものに溶けて消えていなくなりたい。



《ずっと一緒にいるって約束したのに》


うそつき、と。言葉の隣には一度破かれてぐしゃぐしゃになった僕の写真がテープで綺麗に貼り直されている。僕はもう造りものの笑顔すら上手く浮かべることが難しくなって。繋いだ手を離し、暗い海に泉さんをひとり残してモデルを辞めた。こころ優しい彼は僕の写真を引き裂きながら涙を流しただろうか。いや、逃げ出した僕を軽蔑したのかもしれない。

だって再会した時、彼は昔と違って冷たかったから。




少し間が空いて、ページが新しい季節へと移り変わる。こんな写真いつから撮っていたんだろう。黒いフレームの眼鏡を掛けた、真新しい制服を着て期待と不安の入り交じったちょっと俯き加減な僕。もう写真に対するコメントは書かれていなくて、代わりに撮影日の日付けが記されている。
相変わらず隠し撮りばかりだけど眼鏡が今のフレームと同じものに変わった頃から、自分でも分かるくらい柔らかい表情をするようになったと思う。



劇的に変わったのは、二年の夏の頃だ。

あの花火の夜、僕の後ろ向きな背中を嘘でも良いから幸せに笑って見せてよと、泉さんが笑って教えてくれたから。だから例え美しい思い出とはいえなくても、僕は冷えた水の底から手を伸ばして本当の笑顔を手に入れることが出来たんだ。

ほら、その証拠に陽だまりを背景に微笑む僕の写真にはひと言、《笑顔》の二文字が書かれている。





バタバタと近付く足音が聴こえる。どうやら迷子のアルバムを探しに持ち主が戻って来たみたい。

「…見たの?」
「うん。」

ドアが勢い良く開くと同時に視線を見交わした。部屋に流れる、暫しの沈黙。

「…っっこれは俺の大事な物で…!幾らゆうくんに言われても、絶対に手放したりしないからっ!!」
「誰も取り上げるなんて言ってないでしょ。それより泉さん、時間大丈夫?」

はい、とアルバムを差し出す。時計と僕の顔を交互に見比べて、泉さんは奪うようにアルバムを掴んで部屋を飛び出した。

「人の物勝手に覗いた悪い子はお詫びとして今度デートして貰うからね!」
「…よく言うよ、そっちなんか人の寝顔まで盗撮してる癖に」

偶然か神様のイタズラか。本当ならば間に合わなかった筈の背中を見送って、ぶつぶつと再び閉じた扉に不満の言葉を投げつける。

これから青い空を飛び立つ彼は、最後のページにこっそりと書かれたメッセージにいつ気付くだろうか。見付けたその時、泉さんはどんな表情をするのかな。笑ってくれるかな。いや、もしかしたら泣き顔の方かもしれない。
きっと気付いた彼は僕からの答えの行方を必死に探そうとするだろうけれど。ちょっと勿体ぶって、答え合わせは次のデートの時までお預けに取っておこう思う。


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