一時間の君との距離
タラップを踏んで降りるとそこは香料が混ざり合ったような、母国ともイタリアとも違うエキゾチックな匂いが立ち籠めていた。からりと晴れた青空はちょうど雨量の少ない乾季の時期で撮影するにはベストなシーズンだ。
「ふぅ~やっと着いたぁ」
遅れて慣れない長時間のフライトから解放された間の伸びた声と、カンカンと降り立つ軽やかな足音が聴こえる。少し、緊張してるかな。整った横顔をそっと覗き見る。無理も無い。だって今回は本格的な久しぶりのモデルの依頼のはずだ。
事務所に話が来たのは昔、キッズモデル時代に世話になった人物からだった。大人になった君たちを撮ってみたいと、わざわざ南国のリゾート地まで指定して。勿論俺は二つ返事で了承したし、なるくんも、同じく。
問題はゆうくんの方だった。幾らアイドルとしてグラビア撮影はしていても、モデルとしてのブランクがある彼はどう思うのだろう。最近は少しづつだが、やっとカメラのレンズを克服してきたと聞く。そんな彼が仲間と離れて、初めての異国の地で不安にならないだろうか。まぁ、その分俺がしっかりとゆうくんを支えてあげれば良いとその時はそう思っていた。
そんな心配は必要ないと露ほども知らずに。
「ねぇ、ゆうくんは?」
「あらぁ泉ちゃん気が利くわねぇ。真ちゃんならちょっと外に出てくるってお散歩に行ったわよぉ」
「はぁ?」
水滴で手が冷える前にと、貸し切ったヴィラの中で目当ての髪色を必死に探すが見当たらず、仕方ないので馴染みの顔に声を掛けたらこれだ。
「なるくん、これあげる」
「ありがとう。ちょうど喉が乾いてたのよねぇ」
本当はなるくんにあげるつもりじゃなかったんだけど。如何にも写真映えしそうな、カラフルな花とオレンジが添えられたグラスを押し付ける。あんまり過保護すぎると嫌われちゃうわよぉ、おにいちゃん。二本刺さったストローのうちの一本を優雅に啜る声が背中に聴こえたが、構わずに撮影後の興奮でざわつくラグジュアリーな空間を飛び出した。
潮風の柔らかな匂いが高揚した肌を優しく撫で付ける。まだ、こころも身体も小さく幼かったあの頃。いつかふたりで手を繋いで、この窮屈な鳥籠から抜け出して広い海を一緒に渡りたいと願っていた。まぁ、その願いは今回意図せずに叶った訳だけれど。
カメラの前に立つゆうくんはやっぱり天性の才能の持ち主だ。
誰よりも綺麗に羽ばたく翼があるのに勿体ないと、忘れていた嫉妬心を呼び起こす程に。
でもあの頃と違うのは。
感情の無い人形のような瞳に魂を吹き込んだのは、自分とは違う道を選んで歩き出したゆうくん自身の願いと、夢。その笑顔が、歌声が、人を感動させることを知っているから、俺は離れた場所でも君をこころから応援することが出来るのだ。
それこそ誰よりも、強い想いで。
波の音に引き寄せられて歩いていると、日暮れに染まったオレンジ色の砂をビーチサンダルで蹴って遊んでいる人影を見付けて声を掛けた。
「こら、こんな所にひとりでいたら危ないでしょ。襲われちゃうよ」
「ありゃ。もう見つかっちゃった。大丈夫だよここプライベートビーチだって言ってたし。それに、そんな事する人ひとりしかいないし」
撮影時のオーラは何処へ行ったのやら。悪戯が見つかった子どもみたいな顔でころころ笑ってるけど、ゆうくんは全然分かってない。東洋人にしては珍しいすらりと伸びた手足や、果実のようにみずみずしく、舐めたら甘い味のしそうな少年特有の魅惑的なその水着姿に目を奪われていた人物は俺以外にもたくさんいたということに。もっと危機感を持って欲しいんだけど。やっぱり不安かも。少し俯いていると、ゆうくんのお日様みたいな匂いがふわっと顔を覗き込んでくる。
「ねぇ泉さん。僕ちゃんと出来てた?頑張ったからご褒美欲しいんだけど…」
キラキラと潤んだ甘い瞳のお強請りを断れるはずもなく。はいはい、かわいいゆうくんの要望はなんでしょうと問い正せば、返ってきたのはアイスの重なった写真の興奮気味にかざされたスマホの画面。
「アイスが食べたい!ここのお店の!」
どうやら現地に来る前に得意のネットで調べたゆうくんは、撮影後真っ先に店に行ったらしいが言葉が通じず結局買えずじまいで、海でひとり黄昏れていたらしい。
そう言えば。実は以前ゆうくんから珍しく連絡が来たかと思えば、しばらくお土産は買わなくて良いから気を使わないで欲しいと意外な言葉だったのを思い出す。もしかして撮影の為に減量でもしてたのと聞けば、恥ずかしそうにこくりと頷く姿にため息ひとつ。
まぁ、喜ぶ顔があんまりにもかわいいからつい遠いフィレンツェからせっせと働きアリのように砂糖の固まりを貢いた俺の責任でも有るけど。いいよ、行こうと溢れる笑顔もひとつ付けると、異国の匂いにあてられたのか珍しく大胆に握られる手に、早く早くと急かされる。俺としてはもっとふたりでロマンチックに海のサンセットを楽しみたいんだけど。
その代わり敷地内にある海の見えるチャペルを探すのに付き合って貰うから。
そう伝えればゆうくんはアイス食べた後ならね!と笑うのだった。
「ふぅ~やっと着いたぁ」
遅れて慣れない長時間のフライトから解放された間の伸びた声と、カンカンと降り立つ軽やかな足音が聴こえる。少し、緊張してるかな。整った横顔をそっと覗き見る。無理も無い。だって今回は本格的な久しぶりのモデルの依頼のはずだ。
事務所に話が来たのは昔、キッズモデル時代に世話になった人物からだった。大人になった君たちを撮ってみたいと、わざわざ南国のリゾート地まで指定して。勿論俺は二つ返事で了承したし、なるくんも、同じく。
問題はゆうくんの方だった。幾らアイドルとしてグラビア撮影はしていても、モデルとしてのブランクがある彼はどう思うのだろう。最近は少しづつだが、やっとカメラのレンズを克服してきたと聞く。そんな彼が仲間と離れて、初めての異国の地で不安にならないだろうか。まぁ、その分俺がしっかりとゆうくんを支えてあげれば良いとその時はそう思っていた。
そんな心配は必要ないと露ほども知らずに。
「ねぇ、ゆうくんは?」
「あらぁ泉ちゃん気が利くわねぇ。真ちゃんならちょっと外に出てくるってお散歩に行ったわよぉ」
「はぁ?」
水滴で手が冷える前にと、貸し切ったヴィラの中で目当ての髪色を必死に探すが見当たらず、仕方ないので馴染みの顔に声を掛けたらこれだ。
「なるくん、これあげる」
「ありがとう。ちょうど喉が乾いてたのよねぇ」
本当はなるくんにあげるつもりじゃなかったんだけど。如何にも写真映えしそうな、カラフルな花とオレンジが添えられたグラスを押し付ける。あんまり過保護すぎると嫌われちゃうわよぉ、おにいちゃん。二本刺さったストローのうちの一本を優雅に啜る声が背中に聴こえたが、構わずに撮影後の興奮でざわつくラグジュアリーな空間を飛び出した。
潮風の柔らかな匂いが高揚した肌を優しく撫で付ける。まだ、こころも身体も小さく幼かったあの頃。いつかふたりで手を繋いで、この窮屈な鳥籠から抜け出して広い海を一緒に渡りたいと願っていた。まぁ、その願いは今回意図せずに叶った訳だけれど。
カメラの前に立つゆうくんはやっぱり天性の才能の持ち主だ。
誰よりも綺麗に羽ばたく翼があるのに勿体ないと、忘れていた嫉妬心を呼び起こす程に。
でもあの頃と違うのは。
感情の無い人形のような瞳に魂を吹き込んだのは、自分とは違う道を選んで歩き出したゆうくん自身の願いと、夢。その笑顔が、歌声が、人を感動させることを知っているから、俺は離れた場所でも君をこころから応援することが出来るのだ。
それこそ誰よりも、強い想いで。
波の音に引き寄せられて歩いていると、日暮れに染まったオレンジ色の砂をビーチサンダルで蹴って遊んでいる人影を見付けて声を掛けた。
「こら、こんな所にひとりでいたら危ないでしょ。襲われちゃうよ」
「ありゃ。もう見つかっちゃった。大丈夫だよここプライベートビーチだって言ってたし。それに、そんな事する人ひとりしかいないし」
撮影時のオーラは何処へ行ったのやら。悪戯が見つかった子どもみたいな顔でころころ笑ってるけど、ゆうくんは全然分かってない。東洋人にしては珍しいすらりと伸びた手足や、果実のようにみずみずしく、舐めたら甘い味のしそうな少年特有の魅惑的なその水着姿に目を奪われていた人物は俺以外にもたくさんいたということに。もっと危機感を持って欲しいんだけど。やっぱり不安かも。少し俯いていると、ゆうくんのお日様みたいな匂いがふわっと顔を覗き込んでくる。
「ねぇ泉さん。僕ちゃんと出来てた?頑張ったからご褒美欲しいんだけど…」
キラキラと潤んだ甘い瞳のお強請りを断れるはずもなく。はいはい、かわいいゆうくんの要望はなんでしょうと問い正せば、返ってきたのはアイスの重なった写真の興奮気味にかざされたスマホの画面。
「アイスが食べたい!ここのお店の!」
どうやら現地に来る前に得意のネットで調べたゆうくんは、撮影後真っ先に店に行ったらしいが言葉が通じず結局買えずじまいで、海でひとり黄昏れていたらしい。
そう言えば。実は以前ゆうくんから珍しく連絡が来たかと思えば、しばらくお土産は買わなくて良いから気を使わないで欲しいと意外な言葉だったのを思い出す。もしかして撮影の為に減量でもしてたのと聞けば、恥ずかしそうにこくりと頷く姿にため息ひとつ。
まぁ、喜ぶ顔があんまりにもかわいいからつい遠いフィレンツェからせっせと働きアリのように砂糖の固まりを貢いた俺の責任でも有るけど。いいよ、行こうと溢れる笑顔もひとつ付けると、異国の匂いにあてられたのか珍しく大胆に握られる手に、早く早くと急かされる。俺としてはもっとふたりでロマンチックに海のサンセットを楽しみたいんだけど。
その代わり敷地内にある海の見えるチャペルを探すのに付き合って貰うから。
そう伝えればゆうくんはアイス食べた後ならね!と笑うのだった。