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午後三時の自室。
私は一人で左腕につけられた切り傷に手当てをしていた。
同僚と見回り中、昼間から酒を飲んで暴れていた男をなだめようとしたところを刀で斬りつけられてしまったからだ。
幸い傷は浅く、同僚がすぐに取り押さえてくれたおかげで被害は私だけで済んだ。
とはいえ。
「やらかしたなぁ……」
ため息にも近い声で油断した自分を責める。
人前だし、相手は市民だ。同僚もいるし大事にはならないだろう。そんな気持ちで対応した結果がこのざまだ。
傷こそは浅いが気持ちはまるで大怪我を負ったように重く沈んでいく。
……しかしいつまでも落ち込んでいられないのが真選組隊士。
気持ちを切り替える為にも手早く傷口を消毒して包帯に手を伸ばしたその時だった。
だん、だん、と廊下からやけに大きめの足音が近づいてくる。床が抜けてしまうんじゃないかと思うほどの軋む音が廊下に響いていた。
足音が目の前まで迫ったその瞬間。音がぴたりと自室の前で止んだ。
私は息を呑んで襖の方を振り向く。
人は確かにいるが誰かまでは分からない。向こうからも私の姿は全く見えてないはずなのにまるでその動きを分かっているようなタイミングで襖から声が届く。
「入るよ」
私が返事をする前に襖が勢いよく開かれ、すぐにすぱんっ、といい音を立てて閉じられた。
呆然とする私をよそにずかずかと自室に入ってきたのはいつもより険しい表情を浮かべている山崎先輩だった。
「せ、せんぱい」
「怪我見せて」
先輩の様子に気圧されながらも言われるがままおずおずと左腕を先輩の前に差し出す。左腕の傷は出血こそ止まってはいたがまだ痛々しい。
先輩に左腕をじっくりと眺められると人差し指で傷口を労わるように撫でられた。
「聞いたよ。酔っ払いにやられたんだってね」
「は、はい……あの、先輩……?」
私の言葉を無視した先輩はそのまま更に指を傷口の上で二、三度往復させると今度は私の腕を掴み──傷口に爪を食い込ませた。
四本の指の爪が傷口に押し込まれる。傷口とは反対側に添えられた先輩の親指も腕に穴が開きそうなほど食い込む。
止まっていた血はじわじわと滲み出ては畳に垂れていき点々と赤黒い跡を残す。
咄嗟に逃げようとした瞬間、先輩はそれを見越していたのかすぐに私の右手を絡め取るように握ってその場に繋ぎ止める。
痛みで悲鳴を上げている左腕は離してもらおうともがいても余計に先輩の爪が傷口に食い込むだけで抜け出せる気配は全くなかった。
「せ、んぱ……っ」
「何で俺以外に傷つけられてるの」
仕事でミスをした私を叱る時と全く同じ声色で先輩が話しかけてくる。
優しくも、絶対に言い訳も言い逃れも許さないあの声で。こんな状況なのにその声を聞くだけで自分が悪かったのかもしれないという罪悪感が押し寄せる。
何か言わなきゃ。謝らなきゃ。そう思うも私の喉は呻き声しか出してくれない。
先輩は声をかき消すように更にまくしたてる。
「俺、前にも言ったよね?真選組である前に君は女性。立派な制服を着ても腕に自信があっても男の前ではただのカモだって。まさかもう忘れた?」
「い、いえ、そんな事は、」
「じゃあこれは何?なんで斬られてんの?」
「それは、私が、ゆ、油断してて……!」
「ふぅん」
「い、ぁ……っ……!」
ギリギリと腕が握られる。爪が傷口に押し込まれ腕からは更に血が溢れていく。
左腕はドクドクとまるで心臓が移動したかのように脈打ち、溢れた血は先輩の手や袖を汚しながら畳へと垂れ落ちる。
「こんな綺麗な腕にもし傷が残ったらどうすんの」
「きず、は、」
「分かってる。鳩羽も隊士だからそんな事気にしてられないよね」
「い、いた、い、いたい、です、っ」
「それでも俺は気にしちゃうよ」
「ま、って、せんぱ、い、やめて」
「もし酔っ払いからの傷が鳩羽の腕に残ったら……」
「せんぱい……!!」
「……上書きしなきゃ」
ぐちゅり、と嫌な音を立てながら先輩は傷口に埋めた指をそのまま内側へ折り曲げた。
より一層強い痛みが私を襲い、繋がれてる方の右手は痛みを逃すように力が入ってしまう。
その際に先輩の手の甲に私の爪が刺さってしまうがそれでも先輩はお構いなしに私の傷口を広げ続けていく。
止めて欲しくて先輩を見上げると、先輩だって痛いはずなのにどういう訳か口元は三日月の様な弧を描いていた。
「え……?」
「爪立てて可愛い……俺にも痕残してくれるの?」
「ちが、っ、あ……っ……!?」
「いいよ、もっと握って」
笑っている先輩に目を見開く間にも、先輩は私が握り返す力を確かめるようにさらに傷口を広げる。
先輩から与えられる痛みは刀に斬られた時よりも熱く、溢れ続ける血と燃えるような熱さが全身を支配していく。
「ねぇ、今何考えてる?」
「っ、……あ……ぐっ……」
「痛くて何も考えられない?」
「は……は、い……っ……」
「じゃあ今は俺の事だけ考えてる?」
「いっ……はい……だ、から……もう、は、なし、て……」
「だーめ。まだこのまま」
「ひぎっ……!?あっ、や、だっ……ぁ……!!」
傷口の奥へ沈められていた指がゆっくりと引き伸ばされる。
それだけでも意識が遠のきそうな程の激痛が走るのに、あろうことか先輩はそのまま爪を九十度曲げようと手をねじり始めた。
皮膚は引っ張られ、斬られてない所まで傷を広げるように指が動き、鋭い痛みが腕を走り続け意識が薄れていく。
脂汗をかきながら手先の力が徐々に抜けて両腕が落ちそうになると、先輩はそれを引き留めるように腕を掴んだまま私を自分の胸元へ引き寄せた。
そこでやっと先輩は左腕から手を離し、そのまま私を優しく抱きしめた。
「……もし腕に傷が残ったらさ、鳩羽にとってそれは誰につけられた傷になるのかな」
耳元で先輩の声が聞こえる。まだ体に残る痛みに意識を奪われ上手く返事が出来ない。
声が出せず肩で息をしている私の様子を見た先輩は、まだ繋いだままの手を力強く握りしめた。
今度は先輩の爪が私の右手の甲に突き刺さる。
うめき声を漏らすと返事の催促をするように爪を更に突き立てられ手に力がこめられる。
「もう一回聞くね。この傷、誰のせいでつけられた?」
「っ……ぁ……せ、せん、ぱい……です……!」
「酔っ払いじゃなくて?」
「ち、がい、ます……!」
「うん。正解」
指の骨が軋むほど握られたその瞬間――ぱっと右手が解放された。
力の入らない両腕はすぐに垂れ落ち、痛みから解放された事により緊張の糸が解け全身の力も抜け落ちていく。
先輩は私を抱きしめたまま、私の背中に腕を回すとあやすように優しく背中を叩き始めた。
──────
「汚れちゃったね」
子供のように泣きじゃくる私を暫く黙って見守っていた先輩が急に呟く。
え、と思わず声を出すと先輩は手で畳を小さくトントンと叩いた。
先輩が叩いた所に目を向けると赤黒い染みがまるで事件現場のように畳にこびりついていた。
「次、誰かに傷つけられたらこれより……畳一枚まるまる汚れるくらいもっと痛い目に合わせるから」
「っ!?や……やだ……!」
「うん、俺も嫌だよ。だから今後は俺と二人で仕事しよう?そしたら俺が鳩羽の事守れるし」
「え……でも、今は同僚たちと仕事しろって命令が……」
「いーからいーから。それに、痛いのは嫌でしょ?」
「…………は、い」
「だよね?……よし、じゃあそろそろちゃんと手当しよっか」
先輩は泣いている私と汚れた畳を交互に見て小さく笑うと机の上にある消毒液と脱脂綿を手に取る。
私は先輩の胸元からそっと身を離し、左腕を差し出す。
先輩が手際よく消毒を行う様子を見て、ここで私は初めて傷が最初よりも深く抉れていることに気付いてしまった。
あれほど容赦なく私を傷つけた手が今は壊れ物でも扱うように腕へ包帯を巻いていく。
痛みを与え続けてきた手と私の為に包帯を巻こうとしてるこの手が同じだとは正直思えない。
それでも彼の右手にべっとりとついた私の血と、左手についた私の爪痕が同一人物であることをハッキリと証明していた。
穏やかな表情で私の腕に包帯を丁寧に巻く先輩。その優しさと穏やかさが今の私にとって、先ほどまでの痛みなんかよりもずっと恐ろしかった。
午後三時半の自室。
部屋には私のすすり泣く声と包帯の擦れる音だけが静かに響いていた。
私は一人で左腕につけられた切り傷に手当てをしていた。
同僚と見回り中、昼間から酒を飲んで暴れていた男をなだめようとしたところを刀で斬りつけられてしまったからだ。
幸い傷は浅く、同僚がすぐに取り押さえてくれたおかげで被害は私だけで済んだ。
とはいえ。
「やらかしたなぁ……」
ため息にも近い声で油断した自分を責める。
人前だし、相手は市民だ。同僚もいるし大事にはならないだろう。そんな気持ちで対応した結果がこのざまだ。
傷こそは浅いが気持ちはまるで大怪我を負ったように重く沈んでいく。
……しかしいつまでも落ち込んでいられないのが真選組隊士。
気持ちを切り替える為にも手早く傷口を消毒して包帯に手を伸ばしたその時だった。
だん、だん、と廊下からやけに大きめの足音が近づいてくる。床が抜けてしまうんじゃないかと思うほどの軋む音が廊下に響いていた。
足音が目の前まで迫ったその瞬間。音がぴたりと自室の前で止んだ。
私は息を呑んで襖の方を振り向く。
人は確かにいるが誰かまでは分からない。向こうからも私の姿は全く見えてないはずなのにまるでその動きを分かっているようなタイミングで襖から声が届く。
「入るよ」
私が返事をする前に襖が勢いよく開かれ、すぐにすぱんっ、といい音を立てて閉じられた。
呆然とする私をよそにずかずかと自室に入ってきたのはいつもより険しい表情を浮かべている山崎先輩だった。
「せ、せんぱい」
「怪我見せて」
先輩の様子に気圧されながらも言われるがままおずおずと左腕を先輩の前に差し出す。左腕の傷は出血こそ止まってはいたがまだ痛々しい。
先輩に左腕をじっくりと眺められると人差し指で傷口を労わるように撫でられた。
「聞いたよ。酔っ払いにやられたんだってね」
「は、はい……あの、先輩……?」
私の言葉を無視した先輩はそのまま更に指を傷口の上で二、三度往復させると今度は私の腕を掴み──傷口に爪を食い込ませた。
四本の指の爪が傷口に押し込まれる。傷口とは反対側に添えられた先輩の親指も腕に穴が開きそうなほど食い込む。
止まっていた血はじわじわと滲み出ては畳に垂れていき点々と赤黒い跡を残す。
咄嗟に逃げようとした瞬間、先輩はそれを見越していたのかすぐに私の右手を絡め取るように握ってその場に繋ぎ止める。
痛みで悲鳴を上げている左腕は離してもらおうともがいても余計に先輩の爪が傷口に食い込むだけで抜け出せる気配は全くなかった。
「せ、んぱ……っ」
「何で俺以外に傷つけられてるの」
仕事でミスをした私を叱る時と全く同じ声色で先輩が話しかけてくる。
優しくも、絶対に言い訳も言い逃れも許さないあの声で。こんな状況なのにその声を聞くだけで自分が悪かったのかもしれないという罪悪感が押し寄せる。
何か言わなきゃ。謝らなきゃ。そう思うも私の喉は呻き声しか出してくれない。
先輩は声をかき消すように更にまくしたてる。
「俺、前にも言ったよね?真選組である前に君は女性。立派な制服を着ても腕に自信があっても男の前ではただのカモだって。まさかもう忘れた?」
「い、いえ、そんな事は、」
「じゃあこれは何?なんで斬られてんの?」
「それは、私が、ゆ、油断してて……!」
「ふぅん」
「い、ぁ……っ……!」
ギリギリと腕が握られる。爪が傷口に押し込まれ腕からは更に血が溢れていく。
左腕はドクドクとまるで心臓が移動したかのように脈打ち、溢れた血は先輩の手や袖を汚しながら畳へと垂れ落ちる。
「こんな綺麗な腕にもし傷が残ったらどうすんの」
「きず、は、」
「分かってる。鳩羽も隊士だからそんな事気にしてられないよね」
「い、いた、い、いたい、です、っ」
「それでも俺は気にしちゃうよ」
「ま、って、せんぱ、い、やめて」
「もし酔っ払いからの傷が鳩羽の腕に残ったら……」
「せんぱい……!!」
「……上書きしなきゃ」
ぐちゅり、と嫌な音を立てながら先輩は傷口に埋めた指をそのまま内側へ折り曲げた。
より一層強い痛みが私を襲い、繋がれてる方の右手は痛みを逃すように力が入ってしまう。
その際に先輩の手の甲に私の爪が刺さってしまうがそれでも先輩はお構いなしに私の傷口を広げ続けていく。
止めて欲しくて先輩を見上げると、先輩だって痛いはずなのにどういう訳か口元は三日月の様な弧を描いていた。
「え……?」
「爪立てて可愛い……俺にも痕残してくれるの?」
「ちが、っ、あ……っ……!?」
「いいよ、もっと握って」
笑っている先輩に目を見開く間にも、先輩は私が握り返す力を確かめるようにさらに傷口を広げる。
先輩から与えられる痛みは刀に斬られた時よりも熱く、溢れ続ける血と燃えるような熱さが全身を支配していく。
「ねぇ、今何考えてる?」
「っ、……あ……ぐっ……」
「痛くて何も考えられない?」
「は……は、い……っ……」
「じゃあ今は俺の事だけ考えてる?」
「いっ……はい……だ、から……もう、は、なし、て……」
「だーめ。まだこのまま」
「ひぎっ……!?あっ、や、だっ……ぁ……!!」
傷口の奥へ沈められていた指がゆっくりと引き伸ばされる。
それだけでも意識が遠のきそうな程の激痛が走るのに、あろうことか先輩はそのまま爪を九十度曲げようと手をねじり始めた。
皮膚は引っ張られ、斬られてない所まで傷を広げるように指が動き、鋭い痛みが腕を走り続け意識が薄れていく。
脂汗をかきながら手先の力が徐々に抜けて両腕が落ちそうになると、先輩はそれを引き留めるように腕を掴んだまま私を自分の胸元へ引き寄せた。
そこでやっと先輩は左腕から手を離し、そのまま私を優しく抱きしめた。
「……もし腕に傷が残ったらさ、鳩羽にとってそれは誰につけられた傷になるのかな」
耳元で先輩の声が聞こえる。まだ体に残る痛みに意識を奪われ上手く返事が出来ない。
声が出せず肩で息をしている私の様子を見た先輩は、まだ繋いだままの手を力強く握りしめた。
今度は先輩の爪が私の右手の甲に突き刺さる。
うめき声を漏らすと返事の催促をするように爪を更に突き立てられ手に力がこめられる。
「もう一回聞くね。この傷、誰のせいでつけられた?」
「っ……ぁ……せ、せん、ぱい……です……!」
「酔っ払いじゃなくて?」
「ち、がい、ます……!」
「うん。正解」
指の骨が軋むほど握られたその瞬間――ぱっと右手が解放された。
力の入らない両腕はすぐに垂れ落ち、痛みから解放された事により緊張の糸が解け全身の力も抜け落ちていく。
先輩は私を抱きしめたまま、私の背中に腕を回すとあやすように優しく背中を叩き始めた。
──────
「汚れちゃったね」
子供のように泣きじゃくる私を暫く黙って見守っていた先輩が急に呟く。
え、と思わず声を出すと先輩は手で畳を小さくトントンと叩いた。
先輩が叩いた所に目を向けると赤黒い染みがまるで事件現場のように畳にこびりついていた。
「次、誰かに傷つけられたらこれより……畳一枚まるまる汚れるくらいもっと痛い目に合わせるから」
「っ!?や……やだ……!」
「うん、俺も嫌だよ。だから今後は俺と二人で仕事しよう?そしたら俺が鳩羽の事守れるし」
「え……でも、今は同僚たちと仕事しろって命令が……」
「いーからいーから。それに、痛いのは嫌でしょ?」
「…………は、い」
「だよね?……よし、じゃあそろそろちゃんと手当しよっか」
先輩は泣いている私と汚れた畳を交互に見て小さく笑うと机の上にある消毒液と脱脂綿を手に取る。
私は先輩の胸元からそっと身を離し、左腕を差し出す。
先輩が手際よく消毒を行う様子を見て、ここで私は初めて傷が最初よりも深く抉れていることに気付いてしまった。
あれほど容赦なく私を傷つけた手が今は壊れ物でも扱うように腕へ包帯を巻いていく。
痛みを与え続けてきた手と私の為に包帯を巻こうとしてるこの手が同じだとは正直思えない。
それでも彼の右手にべっとりとついた私の血と、左手についた私の爪痕が同一人物であることをハッキリと証明していた。
穏やかな表情で私の腕に包帯を丁寧に巻く先輩。その優しさと穏やかさが今の私にとって、先ほどまでの痛みなんかよりもずっと恐ろしかった。
午後三時半の自室。
部屋には私のすすり泣く声と包帯の擦れる音だけが静かに響いていた。
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