旧版:失われし神々の系譜
吹雪が吹き荒れる雪原を、二つの人影が疾走する。
一つはベータ星メラクのハーゲン、もう一つはイプシロン星アリオトのフェンリルだ。
ハーゲンはフレアを両腕で抱き上げ、フェンリルは走りながらも絶えず周囲を警戒している。
「離してハーゲン!!お姉様が!!」
「それは出来ません…フレア様…ヒルダ様のご命令なのです」
フレアが必死に訴えかけるが、ハーゲンは苦渋の表情で首を横に振った。
「それに、ヒルダ様の傍にはジークフリートがいます。フレア様も、彼の力はご存じでしょう?」
ハーゲンは、フレアに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
事実、アルファ星ドゥベのジークフリートは、神闘士の中でも最強と謳われる実力者だ。
「だ、だけど……」
それでも尚、フレアの表情は硬く険しい。
「フレア様……っ!!」
ハーゲンはフレアの様子に胸を痛めるが、突如感じた小宇宙に警戒を強める。
暗く、だが激しい殺意と熱気を孕んだ小宇宙――
その正体は、フレアを襲う狂闘士だ。
「もう追いついたか…フェンリル!!」
「分かっている!!」
ハーゲンの声に応じ、フェンリルが小宇宙を高め、ある一点に技を放つ。
「ウルフ・クルエルティ・クロウ!!」
鋭い狼の爪を連想させるような、フェンリルの拳が空を裂く。
だがその拳は、一閃された真紅の光にかき消された。
「往生際が悪いんだよ……大人しく俺に殺されるんだな」
出現させた真紅の爪に舌を這わせる、その人物は……聖域を襲撃した蠍座のカルディアだ。
「誰が貴様のような奴に……!!フレア様には、指一本触れさせないぞ!!」
フレアを降ろし、己の背に庇いながら、ハーゲンはカルディアを鋭く睨みながら、小宇宙を高める。
「おうおう、見上げた忠誠心だなぁ?」
カルディアは嘲笑いながら、その指先をハーゲンへと向ける。
「なら…せいぜい守ってみやがれ!!」
―スカーレットニードル!!―
「ユニバース・フリージング!!」
カルディアの爪先から放たれた真紅の閃光を、ハーゲンの凍技が迎え撃つ。
絶対零度に近い凍気に、スカーレットニードルの閃光はかき消された。
「ちっ…凍技の使い手か」
「この程度で終わると思うな!!」
舌打ちをするカルディアに、ハーゲンは凍技を放った時とは異なる質の小宇宙を高める。
「グレート・アーデント・プレッシャー!!」
突き出された両腕から繰り出される灼熱の炎が、雪原を穿ちながらカルディアに襲い掛かる。
「ちっ……!!」
カルディアはその場を跳躍し、炎の拳を回避する。
だが、それがハーゲンの狙いだった。
「っ……!!」
「かかったな!!」
カルディアの背後から、フェンリルが拳を繰り出す。
「ウルフ・クルエルティ・クロウ!!」
「っが!!」
フェンリルの拳が、カルディアを捉える。
片膝を付いて着地をするカルディアに、フェンリルとハーゲンは警戒を解かずに拳を構える。
「……成る程、少しはやるみたいだな?」
立ち上がるカルディアの身体は……無傷だった。
「無傷だと……!?」
「くっ……!!」
「残念だったな……お前等の攻撃は、俺には効かない」
カルディアは薄く笑みを浮かべると、無造作に人差し指を向ける。
その方向には――フレアがいた。
「フレア様!!」
カルディアの狙いに気付いたハーゲンは、カルディアとフレアの間に割って入った。
瞬間、ハーゲンの身体に、真紅の閃光が無造作に穿たれる。
「ぐぁああああ!!」
「ハーゲン!!」
その場に崩れるように倒れるハーゲンに、フレアが駆け寄る。
「ふ…フレア様…来ては駄目です……!!」
「で、でも…ハーゲンが……!!」
「貴女をお守りする事が、私の役目です……!!」
フレアの肩をやんわりと押し、ふらふらと立ち上がるハーゲンだが、カルディアは構わずに真紅の爪を向ける。
「なら、仲良く死んでもらおうか……っ!!」
カルディアの右手が、勢い良く弾かれる。
「あぁ…生きの良い狼がいたんだったな?」
ジロリと、カルディアの向ける視線の先には、フェンリルがいた。
「フレア様を守れと、ヒルダ様に命じられた……オレも、その命を全うするまで!!」
「へぇ…?じゃあ、お前から始末してやるよ」
「やれるものなら、やってみろ!!」
フェンリルの小宇宙が高まる。
ヘッドパーツからゴーグルが出現し、フェンリルの目元を覆う。
「ノーザン群狼拳!!」
無数に襲い掛かる狼を連想させる拳が、繰り出される。
だが――カルディアは妖しく嗤うと、真紅の爪を一閃させる。
「――!!」
カルディアに拳が届く前に、フェンリルの身体に蠍座の軌道が穿たれた。
「がぁあああああ!!」
「フェンリル!!」
「良い声じゃねぇか……」
フェンリルの悲鳴に、カルディアはうっとりと目を細める。
「安心しろ、最後のアンタレスはまだ撃ってねぇ……もっと楽しみたいからなぁ」
「貴様……!!」
蠍座の、十四の軌跡を穿たれたフェンリルは、その場に倒れた。
そして、最後の一発―アンタレスを撃ち込まれれば、フェンリルの命は――
倒れているフェンリルの頭を、カルディアは無造作に踏みつける。
「ぅぐ……!!」
「そこで見ているんだな?お前等の大切なフレア様が、殺される所をな」
カルディアは、ハーゲンとフレアをゆっくりと指差す。
「フレア様!!」
ハーゲンはフレアを守るべく、その背に庇い両腕を広げる。
真紅の閃光が、カルディアから放たれようとしたその時――!!
オォーン……!!
「何だ…?遠吠え?」
顔を顰めるカルディアの足元で、フェンリルが唸るように呟いた。
「…ギン…グ…?…アテナの…聖闘士…が…此処に……?」
「っ!!」
その呟きに、カルディアは顔色を変える。
「アイツ等、もう来たのか……!?」
慌てて、カルディアはスカーレットニードルを繰り出そうとしたが、その腕に鎖が素早く巻きついた。
「っ!?」
「それ以上、彼等を傷付ける事は許さないよ!!」
その延長には、鎖を握り締める瞬の姿があった。
「てめぇ……!!」
憎悪の眼差しを向けるカルディアに、イオが素早く追い討ちをかける。
「バンパイアインヘイル!!」
「っ!!」
カルディアは真紅の爪を一閃させ、鎖を断ち切りイオの拳を回避して距離を取った。
「海闘士も来たのか…面倒だな」
鎖を払いのけ、舌打ちをするカルディアだが、次の瞬間目を見開く。
その目には、フェンリルを抱えハーゲンとフレアの元に運んだ、ミロの姿が映されていた。
「フェンリル……!!」
「お前等、下手に動くな…特にコイツは…スカーレットニードルを十四発も受けたのだ。意識を保っているのがやっとの状態だろう」
ミロは真紅の爪を出現させ、フェンリルとハーゲンへと向ける。
「ミロ……!?」
驚きの表情を浮かべる瞬に、ミロは言い放つ。
「…先ずは、二人の傷を治す。すまないが……」
「……!!」
ミロの意図を理解した瞬は、頷きカルディアに向き合う。
「時間稼ぎ、という訳か……?」
「そういう事だ」
瞬の横に、イオが並ぶ。
「生意気な真似を!!」
カルディアはスカーレットニードルを二人に目掛けて放つが、真紅の閃光は、全て鎖に弾かれた。
「何……!?」
「悪いけど、貴方の…スカーレットニードルの特徴は、ミロから聞いています」
チェーンによる陣を展開させ、瞬が真っ直ぐにカルディアを見据える。
『お前達に話しておこう…スカーレットニードルは、相手の身体に蠍座の十五の軌跡を撃ち込む技。その軌道となる場所を守れば、この技の威力の殆どは防げる』
瞬は、此処に来る直前に交わしたミロの言葉を思い出す。
『瞬…お前のアンドロメダのチェーンの防御力ならば、その場所を守る事は可能だろう』
ミロは、自分ならどうスカーレットニードルを撃つか、二人の身体を指差しその場所を指摘した。
『十二宮で、ムウもスカーレットニードルを受けていた…俺も、もしムウにスカーレットニードルを撃つなら、同じ場所を撃っている…先代蠍座の技と、俺の技を全く同じものだと考えるなら……この場所だけは、何としてでも守れ』
「イオ……彼の攻撃は、僕に任せて」
瞬は、鎖を握り締めながら静かにイオに告げる。
「……では、存分に攻撃に専念が出来るな」
かつて瞬と戦ったイオは、その鎖の力を十分理解している。
(敵として戦ったが…味方になると、こうも心強いとはな)
イオは薄く笑みを浮かべ、存分に小宇宙を高める。
「ちっ…厄介だが、これを使うか」
カルディアの小宇宙の質が、変化する。
――小宇宙の熱が、急激に上昇した。
カルディアの足元の雪が、その熱で急速に溶けてゆく。
「油断するな、二人共!!」
(何だあの熱は…心臓から!?)
ハーゲンとフェンリルを治療しながら、ミロは焦りの表情を浮かべる。
そう……カルディアの心臓から、凄まじいまでの熱が放たれ、真紅の爪へと集束しているのだ。
「さぁ…せいぜい良い声で啼けよぉ!!」
カルディアの狂爪が、瞬とイオに向けられる。
―――
デスマスクとシャカ、ソレントが訪れたのは、アスガルドの森の手前だった。
そのまま森へ突き進もうとした三人だったが、この場で止まったのには理由がある。
――巨人の如く体躯を持った、神闘士が倒れていたのだ。
「これは……!!」
デスマスクは、慌てて小宇宙を高め積尸気を展開させる。
――そう、彼の魂はマニゴルドの積尸気冥界波によって、肉体から離れようとしていたのだ。
「間に合えよ…!!積尸気冥界波!!」
デスマスクは、逆に積尸気冥界波を利用して魂を引き寄せる。
――やがて、青白い魂が、彼の身体へ吸い込まれるように消えて行った。
「まだ引き戻せる範囲で助かったぜ……」
「恐らく…地上代行者の祈りの小宇宙が、この者の魂を留めていたのだろう」
デスマスクの横で、シャカが言った。
「だが、あと少し遅ければ……」
「間に合っただけ良かったって事だな……」
肉体に魂が戻った事を確認し、デスマスクは森の奥へと視線を向ける。
「先代の蟹座は奥に居るのは間違い無いだろうが……妙な小宇宙を感じないか?」
「…ふむ…亡霊とはまた違う…精霊、に近い気質の小宇宙を感じるな」
シャカがそう呟いた時、倒れていた神闘士が「う…」と呻き声を上げて意識を覚醒させた。
「お、気が付いたか?」
「お前達は……?」
デスマスク達は、神闘士に手短に自己紹介と現状を説明する。
「そうか、お前達が黄金聖闘士と…海皇の……」
「トール、だったな?寝起きで悪いが、この先で誰が戦っているんだ?」
デスマスクの言葉に神闘士――トールは森の奥へと視線を向ける。
「この先の森はアルベリッヒの領域だ。奴は大地の精霊を使役し、一帯の植物を自在に操る事が出来る」
「っ…だとしたら不味いぞ」
トールの言葉に、デスマスクはさっと表情を変える。
「どういう事だ?」
「…先代の蟹座の技は、冥界波だけじゃねぇって事だ。精霊も霊体である事に変わりは無いから、早く行かないと最悪の事になるぞ」
訝しむトールに、デスマスクがそう告げた瞬間――
森の奥が、青白い炎に包まれた。
「何っ!?」
「あれは……!?」
ソレントが息を呑む横で、シャカは驚きの声を上げる。
「まさか、鬼火……!?」
「ちっ…先に行くぞ!!」
そう言い残し、デスマスクはその場で瞬間移動を行う。
「君も動けるか?」
「あ、あぁ」
シャカはトールが頷いた事を確認すると、ソレントにも言葉を掛ける。
「私達も急ぐぞ…先代の蟹座は、一筋縄ではいかない男とみて間違いないだろう」
―――
周囲の木々が、青白い炎に包まれ、音を立て燃え盛る。
その様子は、木々に宿っていた精霊達の叫びを聞き、嘲笑うようにもみえる。
「馬鹿な…こ、こんな事が……!?」
アルベリッヒは、青ざめた表情でその光景を見る事しか出来なかった。
「中々面白い技じゃねぇか?俺じゃなかったら危なかったかもな」
嘲笑を浮かべながら、アルベリッヒの眼前に現れたのはマニゴルドだ。
「……で?それだけなのか?」
「な、なめるな!!」
アルベリッヒは腕を胸の前で交差させると、両腕を高く掲げる。
「アメジスト・シールド!!」
微細な紫水晶を含んだ、小宇宙の奔流がマニゴルドに放たれる。
「おわ……!?」
「この紫水晶へ閉じ込めてやる!!」
マニゴルドの身体が、徐々にアルベリッヒに引き寄せられる。
焦りの表情を浮かべたマニゴルドに、アルベリッヒは勝利を確信した……だが、
「……なんてな」
「っ!?」
瞬間、マニゴルドはアルベリッヒとの距離を一瞬の内につめる。
――その右手には、青白い光が集束していた。
「積尸気魂葬破!!」
アルベリッヒの腹部に命中した掌底から、凄まじい爆発が生じる!!
「ぐぁああああ!?」
受け身を取る事も出来ずに、アルベリッヒは地面に叩き付けられた。
「…な…何だ…今のは……」
「種明かししてやろうか?」
身体を起こそうとしたアルベリッヒの腹部を、マニゴルドは無造作に踏み付ける。
「ぐっ!?」
「どの道、テメェは此処で死ぬけどな……」
マニゴルドの脚に、徐々に力が込められる。
「あ、がは……!!」
アルベリッヒが力無く、マニゴルドの足首を掴む。
「悪足掻きはやめるんだな……」
マニゴルドがそう言った瞬間――アルベリッヒは見た。
その背後から、弧を描いて襲い掛かる五本の紫電の軌跡を。
「っ!?」
すんでの所で、マニゴルドは躱しすぐさま距離を取る。
「そこの神闘士、まだ生きてるか?」
爪先に、紫電を纏わせたデスマスクが、マニゴルドから視線を外さずに訊ねた。
「な…黄金聖闘士……!?」
「声が出るなら、まだ生きてるって事か」
突如現れたデスマスクに、マニゴルドは舌打ちをした。
「ちっ…もうこっちに来たのか」
「アルベリッヒ!!」
そこへ、回復したトールと、シャカとソレントが合流をする。
「さぁ、多勢に無勢ってのはこの事じゃねぇのか?」
「確かにそうかもなぁ……」
だが、と…マニゴルドは不敵な笑みを浮かべる。
「『俺』の目的は、お前達と戦う事じゃねぇからな」
「っ…ならば何が目的だ!?」
巨大な戦闘斧、トールハンマーを向けながら、トールが声を荒げる。
「決まってんだろ?俺達の目的は…オーディーンの地上代行者さ」
マニゴルドがそう言った瞬間――
凄まじい小宇宙が、大地を揺るがした。
「っ!?何だ、この小宇宙は……!?」
かつてない規模の小宇宙に、ソレントは驚愕の表情を浮かべる。
「これは…ワルハラ宮から!?馬鹿な!?ヒルダ様の御傍にはジークフリートが居るのだぞ!?」
「それに…向こうには、カミュ達が加勢に行った筈だ!!」
トールとデスマスクが、焦りの表情を浮かべる。
「残念だったな…アスガルド最強の神闘士でも、絶対零度の使い手でも、『あの方』には敵わないだろうな」
「あの方だと……?」
マニゴルドの言葉に、シャカは眉根を寄せるが、ハーデス達の話を思い出した。
「…!!やはり、先代の水瓶座には……!!」
「何だ、もう知ってたのか?」
シャカはマニゴルドに、言葉を投げかける。
「今ワルハラ宮に居るのは、先代水瓶座ではなく、アレスの『四凶』だという事か?」
「そうさ…肉体はまだ復活していないが、力は完全に戻っている。俺達は未だに意識だけの存在だがな」
マニゴルドは、薄く笑みを浮かべ、更に続ける。
「あの方は『炎』を束ね、『混乱』を司る者。あの方の炎は、あらゆるものを焼き尽くすのだからな」
「炎と…混乱……」
(炎の使い手ならば、彼等の相性は最悪だろう)
そのシャカの考えを見透かしたかのように、マニゴルドは嘲笑う。
「無駄だ、あの方は四凶の中でも最強と謳われている」
「何!?」
その言葉に、誰もが驚愕した。
「聖域の雑魚共を、一瞬にして葬ったのだからな……」
マニゴルドは、その者の名を口にする。
「我等『炎』を総べる方、キュドモス様の力の前では、お前達など足元にも及ばない」
そして、マニゴルドの手に再び鬼火が集束する。
「ちっ…シャカ、ソレント、そこの二人を頼む!!」
そう言い放ち、デスマスクはマニゴルドと対峙した。
―――
神殿の廃墟に、美しい竪琴の調べが響き渡る。
瓦礫にもたれ掛り、その調べを奏でているのは、神闘士エータ星ベネトナーシュのミーメだ。
だが、そのミーメに襲い掛かる人影があった。
「ライトニングプラズマ!!」
その正体はレグルスだ。
ミーメ目掛けて、無数の光速拳が放たれる!!
光速拳は直撃したかのように見えたが……ミーメの姿は霞のように消えてしまい、その背後にあった瓦礫を粉砕するだけとなった。
「くそっ……!!」
「何処を狙っている?私は此処だ」
舌打ちをしたレグルスの目の前に、竪琴を携えたミーメが音も無く現れる。
「闇雲に拳を撃つな。奴の琴の音…幻覚を見せる効果がある」
レグルスの背後から、デフテロスが声を掛ける。
「分かってる……っ!!」
渋々頷くレグルスだったが、すぐさまミーメから距離を取る。
――同時に、ミーメの手指先が、二人に向かって宙を撫でるように動かされる。
ただそれだけの動きだが……まるで、琴の弦を連想させるような美しい軌道を描きながら、ミーメの放った光速拳が二人に襲い掛かった。
「光速拳の使い手か……」
レグルスに次いで、デフテロスもその場を跳躍するように光速拳を回避した。
――だが、そのデフテロスの背後に迫る、影があった。
「デフテロス!!」
レグルスが声を荒げるが、デフテロスは見透かしていたように、腕を払うようにして背後の影に殴り掛かる。
「っ!!」
影も腕を一閃させ、デフテロスに一撃を与える。
デフテロスは無傷だったものの、その勢いでヘッドパーツが弾き飛ばされてしまう。
「……ちっ」
デフテロスは危なげなく着地をすると、背後を向いて影を一瞥する。
だが、影は受け身を取ると、瞬時に瓦礫へ姿を隠した。
一瞬だけ、姿を見たデフテロスが見たのは……真白の鎧だった。
「神闘士がもう一人いたのか」
「……勘違いをしない事だ」
影が、声を発する。
「俺はあくまで影の神闘士……そこにいるミーメとは違い、正規の神闘士ではない」
「……影?」
一瞬、デフテロスの瞳が揺らいだように見えたが、すぐ虚ろな紺色の瞳に戻ってしまう。
「ミーメ、奴は俺が相手をする。手出しは不要だ」
「バド、何故貴方が……!?」
レグルスと対峙しながら、ミーメが声を上げる。
「奴はシドを倒した相手だ…俺がやる」
その影…バドの声には、怒りが孕んでいた。
「……分かりました」
ミーメは、竪琴の弦を弾く。
「貴方の相手は私がしましょう」
「さっさと終わらせてやる……!!」
レグルスとミーメの、光速拳がぶつかり合う。
「それで…貴様一人で俺の相手をするのか?」
「そうだ……」
バドの爪が、ぎらりと光る。
「貴様だけは、俺が討つ!!」
瞬時に間合いをつめ、バドが拳を繰り出す。
「暗黒・バイキング・タイガー・クロウ!!」
虎の牙の如く、鋭い光速の拳が空を裂きながら、デフテロスへと襲い掛かる。
だが――
「…その顔…成る程、さっきの奴とは双子だったのか」
「何っ!?」
じわりと、デフテロスの周囲に闇が滲む。
その闇の正体はアナザーディメンション…デフテロスは、バドに気付かれないよう自分の身体を異次元へ潜めていたのだ。
「残念だったな」
デフテロスのいる異次元空間に、バドの拳は届いていなかった。
「…それに…どうやら、俺の出る幕は無いようだ」
「どういう意味だ――」
バドがそう言った瞬間、
背後から、小宇宙が爆ぜる。
その小宇宙の質は、バドが今までに感じた事が無い程異質なものだった。
「っ!?」
後ろを顧みたバドは、言葉を失った。
「み、ミーメ……!?」
つい先程まで、レグルスと対峙していたミーメが、神闘衣が引き裂かれ、傷だらけで倒れていたのだ。
そのすぐ傍で、レグルスがミーメを見下ろしていたが…その瞳は……
「…!?奴の目……」
虚ろな水色の瞳ではなく、鈍い金色だった。
「手間をかけさせやがって……」
口調も、荒々しいものへと変化していた。
「戯れも程々に……それは本来の肉体では無いのですから」
「俺を本気にさせたのはこれだ」
レグルスだけでなく、デフテロスの口調も、変化する。
「何が起きている……!?」
身構えるバドを見て、レグルスが金色の瞳をすっと細める。
「『俺達』の事、教えてやろうか?」
「な、何……!?」
ただし…と言葉を続けるレグルスの唇が、妖しく弧を描く。
「その代償は、お前の命だ!!」
「っ!?」
レグルスから放たれる小宇宙に、バドは戦慄する。
「そうはさせるか!!」
レグルスの攻撃を阻んだのは、突如として現れたシドの拳だった。
「し、シド……!?」
「どうやら、間一髪だったようだな」
目を見開くバドの前に、カノンとアイオリアが現れる。
「レグルスの目の色と小宇宙……城戸邸の時とはまるで違う」
倒れているミーメを背に庇いながら、一輝がレグルスに警戒の眼差しを向ける。
「聖域の援軍、か……」
レグルスが、憎しみを込めた眼差しでアイオリアを睨む。
「その聖衣に、その雷の小宇宙…『奴』と同じか……」
「…?何を言っている」
レグルスの言葉に、アイオリアは警戒しながらも訝しむ。
「お前は手を出すな……獅子座だけは、俺が殺す」
「……」
その言葉に、デフテロスは大人しく後ろへ下がる。
「随分余裕じゃないか?」
「青銅聖闘士、黄金聖闘士にポセイドンの海闘士、死に損ないの神闘士…この程度の敵、肩慣らしにもならん」
レグルスはカノンに向け、不敵な笑みを浮かべる。
「へぇ…?じゃあ、お前は『四凶』の一人だったりするのか」
「……」
カノンの言葉に、レグルスは笑みを消す。
「四凶の一人は当時の獅子座に倒されたらしいからな……確か、『災難』だったか」
「……そこまで知っているなら、隠す必要も無いな」
ざわり、とうねる小宇宙にレグルスの髪が僅かに逆立つ。
「俺は『災難』を束ね『恐慌』を司るデイモス……」
怒りに染まった金色の瞳が、真っ直ぐにアイオリアを射貫く。
「あの時、獅子座から受けた一撃…忘れた事などない……この恨み、貴様の命で贖ってもらうぞ!!」
「アイオリア!!」
レグルスの…否、デイモスの拳が、アイオリアに襲い掛かる。
「全員下がれ!!」
アイオリアも、右腕に雷を纏わせ迎え撃った。
「ライトニング…ボルト!!」
雪原に、雷が轟く――
―――
「っ…ぐ……」
ぐらりと、ジークフリートの身体が傾く。
「ジークフリート!!」
ヒルダは、片膝を付き、荒く呼吸をするジークフリートの元へと駆け寄ろうとしたが、ジークフリートがそれを制止した。
「ヒルダ様…来ては…なりません……!!」
「…よく持ち堪えたな……だが、それが限界のようだな」
デジェルが紅と碧の瞳を細める。
「主と共に死ぬ事が出来るのであれば、本望だろう?」
「……!!」
デジェルはゆっくりと、ヒルダとジークフリートに手を向ける。
「これで終わりだ――」
指先に、炎が集束する――
「フリージングコフィン!!」
「……!!」
その瞬間、デジェルの身体が氷の棺に閉じ込められる。
「ジークフリート、ヒルダ、無事か!?」
「お前は……!!」
氷河が、二人の元へと駆け付ける。
「成る程…アテナの援軍か……」
氷の棺から、デジェルの声が響いた。
「カミュ……!!」
「……やはり、私の凍技は通用しないという事か」
ジークフリート達を庇うように、カミュと氷河がデジェルの前に立ちはだかる。
「当然だ、『私』にはこの程度の凍技……南風のようなもの」
氷の棺を内側から割り、デジェルが左右で色の異なる双眸でカミュを見据える。
「……!?」
そのデジェルの瞳を見たシジフォスは、息を呑んだ。
「その瞳は……」
「……先代射手座か」
デジェルはシジフォスを一瞥すると、カミュに視線を戻した。
「お前達ならば、『私』の正体は、既に気付いているんじゃないのか?」
「……アレスの四凶、か」
カミュの言葉を聞いた瞬間、デジェルは紅に染まる右目を一瞬だけ細める。
「…いかにも、私はアレス様に仕える四凶……『炎』を束ね、『混乱』を司る者だ」
「炎と、混乱……お前はやはり、キュドモスか」
カミュの言葉を聞いた瞬間、デジェルから炎の小宇宙が立ち上る。
「そこまで分かっているなら、話は早い……」
「っ……!!」
「カミュ、此処は俺が!!」
小宇宙を高めた氷河は、両の掌を合わせ天高く掲げる。
「…ほう…その小宇宙……貴様も絶対零度の使い手か」
「……師カミュより授かりし、水瓶座最大の奥義…その身に受けるが良い!!」
氷河の小宇宙の影響を受け、彼の周囲に存在する空気中の水分が凍結し、煌めく結晶となる。
「オーロラ…エクスキューション!!」
デジェルに――否、キュドモスに目掛け、氷河が放った絶対零度の凍気の奔流が襲い掛かる。
「この技を受けるのは、何度目だろうな……」
キュドモスは、すっと右手の掌を向けると、その右手を支えるように、左手で右手の手首を掴む。
「教えてやろう……私には、」
――絶対零度の凍技など、通用しない。
「――!?」
呟くように、静かに放たれた言葉に、カミュは目を見開く。
「アイザック、先代射手座を!!」
「っ!?」
カミュはアイザックに素早く言うと、自身も小宇宙を高める。
(間に合ってくれ――!!)
キュドモスの掌に、炎が集束する。
―フレイム・テンペスタ―
凄まじい熱量を孕んだ炎の嵐が、周囲の全てを呑み込んだ。