貴方には敵わない
紅と黒の刀身を持つ剣が、真っ直ぐに振り下ろされる。
その刃は、黄金の鎧を容易く引き裂き、左肩から深々と、身体を切断せんばかりに裂いてゆき、夥しい量の鮮血が――
「――!!?」
星矢は、飛び跳ねるように勢い良く身体を起こした。
(…また、あの夢か……)
星矢は溜め息をつくと、窓の外を見やる。
時間は深夜……星空を背景に、月がまだ淡い輝きを放っている。
「………はぁ」
肺の空気が空になるまで、深い溜め息をつくが、己の胸を締め付ける感情を拭う事が出来ない。
「………」
星矢はちらりと、己の横で眠っている玄武に視線を向ける。
ほんの数時間前、「一緒に寝たい」という我が儘と共に、枕を持って部屋に乱入してきた星矢を、玄武は呆れながらも受け入れてくれた。
『寝ている間に蹴ったりするなよ……?』
『大丈夫だって、昔よりは寝相良くなったんだぜ?』
そんな会話をしながら、眠りに付いた筈だったのだが……。
玄武が生死の境を彷徨ったあの日から、度々見るようになった悪夢――
その夢を見る度に、星矢は恐怖に苛まれるようになった。
夢のように、もし玄武が命を落としていたら――
「…玄武……」
その考えを拭うように、星矢はそっと、眠る玄武の頬に触れた。
日に焼けた褐色の肌から、掌に温もりが伝わる。
(大丈夫…玄武は…此処にちゃんといる……)
自分にそう言い聞かせ、星矢はゆっくりと玄武の頬から手を離した。
「…ん……?」
その直後…長い睫毛が震え、玄武がうっすらと目を開けた。
「ぁ…ごめん…起こしたか?」
「…星矢……?」
まだ意識が覚醒していないのだろう…ぼんやりとした眼差しで、玄武が星矢を見上げる。
「…何か、あったのか……?」
「な、何でも無いよ……まだ真夜中だから、寝た方が良いぞ?」
「………」
意識が完全に覚醒した玄武は、身体を起こすと星矢をじっと見つめた。
「…貴方の嘘は分かり易い。だが、言いたくないなら、無理して言わなくても良い……」
深い翡翠の瞳が、夜の闇を受けて碧く輝いている。
「…玄武……」
その視線を受け、暫く沈黙していた星矢だったが……不意に、玄武の名を呟く。
「何だ?」
「……ごめん」
そう呟くと、玄武の胸元へ顔を埋めた。
「っ!?」
「……少しだけ、こうさせてくれ」
――星矢の肩が、小さく震えている。
その事に気付いた玄武は、そっと星矢の肩を抱き寄せる。
「……ごめん」
星矢の手が、玄武の背にすがるようにまわされる。
「……星矢」
「……不安になるんだ」
震える声で、星矢が呟くように言う。
「…もし…玄武があのまま死んだら…って…そう考えると…夢にも…何度も出て来て……」
「……っ」
玄武は、星矢を抱き締めると、その耳元で囁く。
「…星矢…俺が最初に目覚めた時…貴方が俺に言った言葉を覚えているか?」
「…あぁ……」
星矢は小さく頷いた。
玄武が目覚めた時、彼の手を握りながら、星矢は告白をしたのだ。
「『これからは、ずっと傍にいてほしい』…貴方は俺にそう言ってくれた…その後、俺が言った言葉も覚えているか?」
「…忘れる訳ないだろう……?」
星矢は顔を上げ、鳶色の瞳で玄武を見つめる。
「『俺も、ずっと貴方と共にいたい』…そう言ってくれた時…凄く嬉しかった……」
「その言葉を、嘘にするような事は絶対にしない」
――玄武が目覚めた時、最初に見たのは…今にも零れそうな程に、瞳に涙を溜めた星矢だった。
「……俺はもう、貴方を置いて何処にも行かない」
そして、星矢を泣かせるような事もしない――
玄武はその言葉と共に、星矢を抱き締める手に力を込めた。
「玄武……」
星矢は嬉しそうに目を細めると、玄武の首元へすり寄る。
「…ありがとう、玄武……」
「俺は貴方の恋人なんだ……それぐらいは当然だろう?」
玄武の言葉に、星矢は僅かに頬を赤く染めた。
「…恋人、だったらさ…このまま…寝ても良いか……?」
「……ふふっ。分かった、それが貴方の望みなら」
玄武は星矢を抱いたまま、ベッドへ横になる。
「…夢は夢だ…俺は、此処に居る……」
「…うん……」
心地良い温かさの玄武の体温を感じ、星矢は徐々に微睡みへ誘われる。
「…おやすみ…玄武……」
「おやすみ…星矢……」
軽い口付けを交わし、星矢は玄武に身を委ねる形で眠りに入った。
「……もう寝たのか」
すぅ…と、胸の中で小さく寝息を立てる星矢を見ながら、玄武は苦笑する。
そっと髪を撫でるが、星矢は起きる気配を見せず…それどころか、気持ち良さそうに口元に笑みを浮かべた。
こうして寝顔を見ると、彼がかつて神殺しの天馬星座だった伝説の聖闘士とは思えない…いや、自分よりももっと幼い子供のようにも見える。
「げんぶ……」
「っ……!!」
星矢の口から零れた言葉に、玄武は一瞬目を見開いた。
だが、星矢は起きた訳ではない…少しの間もぞもぞと身じろぐが、再び寝息が聞こえてくるまで時間は掛からなかった。
「全く…本当に子供のようだな……」
本人が聞いたら、間違いなく怒るだろう…その様子を容易に想像した玄武は、苦笑を浮かべた。
星矢の髪を再び撫でる内に、玄武も自分の瞼が徐々に重くなってゆくのを感じた。
「…おやすみ星矢…良い夢を……」
額に口付けを送り、玄武は星矢の髪に顔を埋めるような形で眠りにつくのであった。
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