正岡子規/文豪とアルケミスト
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「鴎外さん!」
夕食も済み文豪たちが三々五々散っていく中、手に「助手」の札を持った志賀君に呼び止められた。
名簿ナンバー順に回っている助手当番。それを知らせる札を手渡される。
「明日は俺の番だったか」
受け取り、礼を言って立ち去ろうとした。
「実は、司書が鴎外さんのこと呼んでまして」
「何?」
今日中に、一度司書室へ顔を出して欲しいとのことだった。
「失礼する」
司書室の扉を開けた俺の視界に入ってきたのは、数々の実験道具に真剣に向き合う司書の姿だった。
なるほど、と一人納得する。医者の自分に手伝いを求めているのだろう。
「ああ、森先生」
実験の手を止め、こちらを見上げる彼女。
「お待ちしておりました」
色鮮やかな試薬が、錬金術のきらびやかさを物語る。
「先生の助手は明日からなのに、申し訳ありません」
「いや、構わんさ」
事実上、夕食で助手の交代が行われている節はある。
「それで、これは何をしている?」
ごぽ、と怪しげな薬が煙を吐いた。
「肉体を若返らせる薬ですよ」
彼女がこともなさ気に言う。驚いた。
「まさか貴方が、そんな俗物的な研究をしているとは」
「いけませんか?」
「いいや、俺たちは貴方に何か物申せる立場ではない」
かなり冷たい言葉になったが、実際反対するつもりはなかった。多少驚いたのは確かだが、それ以上のものはない。むしろ古来からの人類の夢、その一端を手助けできると思えば――
「子供になった正岡先生となら、何の問題もなく手を繋げると思いまして」
「は?」
俺の思索は、全く理解できない司書の言葉に遮られた。
「『怪しげな研究で怪我をしてもらっては困る』と言っていたはずだが?」
俺は今、司書からこの研究の目的を聞き、司書を正座させ、司書に説教している。
それなのに全く意に介していない司書は、先程までの真面目な実験の目つきからふにゃりとほころんだ笑顔になっていた。
想い人を語る笑顔、ああ結構だ。だがなんで俺が聞かねばならん。
「だから森林太郎先生をお呼びしたんじゃないですか」
このアルケミストは、正岡殿と自然に手を繋ぎたい、ならばどうすればいいか、正岡殿を少年か幼児まで若返らせてしまえばいい、つまり若返り薬が必要だ、などと呆れた理屈でもってこの実験を行っていたのだ。
「ああ可笑しい、先生ったら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」
箸が転んでも面白い年ごろの少女のように、司書はからからと笑っている。なのに、
「さっさと思いを告げろと、何度も言っているだろう!」
そう告げれば
「嫌ですよ正岡先生にバレるのだけは絶対嫌です!」
血相を変えて俺に訴える。
「正岡殿と恋人になりたいのか何なのかはっきりさせろ!」
「えええ……難しいこと言わないでくださいよ……」
何より、この人ならばそんな不純な動機で若返り薬など作ってしまいかねないのが恐ろしい。
「貴方は、全く、頭がいいのか悪いのか……」
「良くなければ特務司書に抜擢されていませんので!」
正しい。ほとほと困るが正しい。
「貴方という人物は……全く……」
額に手を当てため息をついてしまった。
「で? 森先生は私の恋路を助けてくれるんですか?」
期待に満ちた目で聞いてくる。実験器具を指さし、「助けてくれるでしょう? さあ若返り薬を作りましょう!」という顔で。
助けるのはやぶさかではないが、しかしいくら優秀な研究者でも若返り薬を作るのには膨大な時間がかかるだろう。
頭はいいが頭の悪い敬愛するアルケミストに、そんなことをさせる気にならなかった。
だから、言ったのだ。
「正岡殿なら、頼めば手ぐらい繋いでくれるだろう……」
「はい?」
今度豆鉄砲を食らったような顔をしたのは司書だった。
* * *
「正岡殿なら、思いを告げなくとも頼めば手ぐらい繋いでくれるだろうと言ったんだ」
司書の顔は戻らない。
「え……え?」
わたわたと混乱していた。
「もちろん、突然手を繋ぎたいと言っては不審がられる。しかしこの季節だ、寒空の下冷えた手を持ち出せば、正岡殿なら手ぐらい簡単に繋いでくれるだろう」
司書は、俺の話を聞けているのかわからなかった。
「正岡先生に……正岡先生は……頼めば手を繋いでくれる……」
その推測を反芻するのに精一杯のようだったから。
研究の楽しさや実験の仮説を証明する面白さによって上気していた司書の頬が、恋によってまた赤みを増す。
「ど、どうしましょう先生……私、どうやって正岡先生と寒空の下歩けば」
なんだ、意外としっかり話を聞いているじゃないか。この状態の彼女ならば大丈夫だろう。
「そこまで面倒みきれん」
名残惜しそうに白衣を引っ張られた。やめろ。
「今日の助手の仕事はこれでいいか。俺は明日潜書もあるからな」
やれやれと、司書室を出ていこうとした。
「待って……待ってください……」
「これ以上人の恋路を助ける気はないぞ」
「実験の後片付けを手伝ってください……」
振り返れば、いまだごぽごぽと白煙を生み出し続ける謎の液体。
この特務司書は、本当に存外冷静だと改めて思った。
* * *
実験器具を片付け、司書室を出たのはそれからしばらくたってからだった。
バタンと扉をしめ、はあ、とため息をつく。明日に備えて早く寝なくては。
「森さん」
しかし、廊下を曲がったところで俺を呼び止める者がいた。
「漱石殿」
こころなしか、顔に疲れが見える。
「申し訳ないが、漱石殿の頼みでも薬は出せない」
「いえ、そうではなく」
真顔で否定される。
「正岡のことで少し相談が」
先程までの司書との話が浮かんだが、それを振り払い相談に集中する。
俺だって、正岡殿のあの嫌な咳は気がかりだったのだ。
十秒後、「正岡が司書さんのことを好きと言いだしまして」と言われ、俺は漱石殿をひっつかんで司書室に駆け込むことになる。
了
夕食も済み文豪たちが三々五々散っていく中、手に「助手」の札を持った志賀君に呼び止められた。
名簿ナンバー順に回っている助手当番。それを知らせる札を手渡される。
「明日は俺の番だったか」
受け取り、礼を言って立ち去ろうとした。
「実は、司書が鴎外さんのこと呼んでまして」
「何?」
今日中に、一度司書室へ顔を出して欲しいとのことだった。
「失礼する」
司書室の扉を開けた俺の視界に入ってきたのは、数々の実験道具に真剣に向き合う司書の姿だった。
なるほど、と一人納得する。医者の自分に手伝いを求めているのだろう。
「ああ、森先生」
実験の手を止め、こちらを見上げる彼女。
「お待ちしておりました」
色鮮やかな試薬が、錬金術のきらびやかさを物語る。
「先生の助手は明日からなのに、申し訳ありません」
「いや、構わんさ」
事実上、夕食で助手の交代が行われている節はある。
「それで、これは何をしている?」
ごぽ、と怪しげな薬が煙を吐いた。
「肉体を若返らせる薬ですよ」
彼女がこともなさ気に言う。驚いた。
「まさか貴方が、そんな俗物的な研究をしているとは」
「いけませんか?」
「いいや、俺たちは貴方に何か物申せる立場ではない」
かなり冷たい言葉になったが、実際反対するつもりはなかった。多少驚いたのは確かだが、それ以上のものはない。むしろ古来からの人類の夢、その一端を手助けできると思えば――
「子供になった正岡先生となら、何の問題もなく手を繋げると思いまして」
「は?」
俺の思索は、全く理解できない司書の言葉に遮られた。
「『怪しげな研究で怪我をしてもらっては困る』と言っていたはずだが?」
俺は今、司書からこの研究の目的を聞き、司書を正座させ、司書に説教している。
それなのに全く意に介していない司書は、先程までの真面目な実験の目つきからふにゃりとほころんだ笑顔になっていた。
想い人を語る笑顔、ああ結構だ。だがなんで俺が聞かねばならん。
「だから森林太郎先生をお呼びしたんじゃないですか」
このアルケミストは、正岡殿と自然に手を繋ぎたい、ならばどうすればいいか、正岡殿を少年か幼児まで若返らせてしまえばいい、つまり若返り薬が必要だ、などと呆れた理屈でもってこの実験を行っていたのだ。
「ああ可笑しい、先生ったら鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」
箸が転んでも面白い年ごろの少女のように、司書はからからと笑っている。なのに、
「さっさと思いを告げろと、何度も言っているだろう!」
そう告げれば
「嫌ですよ正岡先生にバレるのだけは絶対嫌です!」
血相を変えて俺に訴える。
「正岡殿と恋人になりたいのか何なのかはっきりさせろ!」
「えええ……難しいこと言わないでくださいよ……」
何より、この人ならばそんな不純な動機で若返り薬など作ってしまいかねないのが恐ろしい。
「貴方は、全く、頭がいいのか悪いのか……」
「良くなければ特務司書に抜擢されていませんので!」
正しい。ほとほと困るが正しい。
「貴方という人物は……全く……」
額に手を当てため息をついてしまった。
「で? 森先生は私の恋路を助けてくれるんですか?」
期待に満ちた目で聞いてくる。実験器具を指さし、「助けてくれるでしょう? さあ若返り薬を作りましょう!」という顔で。
助けるのはやぶさかではないが、しかしいくら優秀な研究者でも若返り薬を作るのには膨大な時間がかかるだろう。
頭はいいが頭の悪い敬愛するアルケミストに、そんなことをさせる気にならなかった。
だから、言ったのだ。
「正岡殿なら、頼めば手ぐらい繋いでくれるだろう……」
「はい?」
今度豆鉄砲を食らったような顔をしたのは司書だった。
* * *
「正岡殿なら、思いを告げなくとも頼めば手ぐらい繋いでくれるだろうと言ったんだ」
司書の顔は戻らない。
「え……え?」
わたわたと混乱していた。
「もちろん、突然手を繋ぎたいと言っては不審がられる。しかしこの季節だ、寒空の下冷えた手を持ち出せば、正岡殿なら手ぐらい簡単に繋いでくれるだろう」
司書は、俺の話を聞けているのかわからなかった。
「正岡先生に……正岡先生は……頼めば手を繋いでくれる……」
その推測を反芻するのに精一杯のようだったから。
研究の楽しさや実験の仮説を証明する面白さによって上気していた司書の頬が、恋によってまた赤みを増す。
「ど、どうしましょう先生……私、どうやって正岡先生と寒空の下歩けば」
なんだ、意外としっかり話を聞いているじゃないか。この状態の彼女ならば大丈夫だろう。
「そこまで面倒みきれん」
名残惜しそうに白衣を引っ張られた。やめろ。
「今日の助手の仕事はこれでいいか。俺は明日潜書もあるからな」
やれやれと、司書室を出ていこうとした。
「待って……待ってください……」
「これ以上人の恋路を助ける気はないぞ」
「実験の後片付けを手伝ってください……」
振り返れば、いまだごぽごぽと白煙を生み出し続ける謎の液体。
この特務司書は、本当に存外冷静だと改めて思った。
* * *
実験器具を片付け、司書室を出たのはそれからしばらくたってからだった。
バタンと扉をしめ、はあ、とため息をつく。明日に備えて早く寝なくては。
「森さん」
しかし、廊下を曲がったところで俺を呼び止める者がいた。
「漱石殿」
こころなしか、顔に疲れが見える。
「申し訳ないが、漱石殿の頼みでも薬は出せない」
「いえ、そうではなく」
真顔で否定される。
「正岡のことで少し相談が」
先程までの司書との話が浮かんだが、それを振り払い相談に集中する。
俺だって、正岡殿のあの嫌な咳は気がかりだったのだ。
十秒後、「正岡が司書さんのことを好きと言いだしまして」と言われ、俺は漱石殿をひっつかんで司書室に駆け込むことになる。
了