正岡子規/文豪とアルケミスト
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「だって、正岡先生は私のこと好きじゃないじゃないですか……!!」
正岡先生が目をみはった。ああそんなに確信してたんだ、って顔。
知ってます、知ってますよ。
というより、それくらいわかるのだ。先生から見ればただの小娘である私にも、自分に向けられている感情が恋愛的な意味での好意じゃないってことぐらい。
一瞬、ぐ、と言葉を詰まらせた正岡先生が、私をフォローするために口を開いた。
「司書さんのことは信頼してるし、司書さんが俺たちの司書で良かったと本当に俺は思ってるぞ!」
叫ぶように、問いただすように。
ああまた泣いてしまう。
「あ゛り゛がと゛う゛ござい゛ま゛す゛!」
正岡先生にすがりついて、正岡先生の胸の中でわんわん泣いた。
あなたのことが好きですと抱きついて、その答えが俺はお前を信頼していると。
告白に対する答えとして、これが断られた以外のなんだというのだろう。
たとえ嘘でも恋愛感情での好きだなんて言ってくれないまっすぐさが、身を切るようにつらい。
告白して振られた相手の胸に泣きすがるのが、たまらなくみっともない。
でも、そんなまっすぐで優しいところが好きなんだと思うと泣けて泣けて、この人を好きで良かったと、でもせめてこの人をこれ以上困らせないよう一人で泣きたかったと、様々な感情が洪水のように溢れて一歩も動けなかった。
* * *
特務司書として働き始めた当初はまさか、自分が恋愛沙汰のど真ん中に居座ることになるなんて、思ってもみなかった。
いや正確に言えば、自分が文豪の一人に恋してしまったという、ただそれだけのことだったけど。
アルケミストとしての教育を受けてきた自分は、失礼ながら近代の文豪たちについて詳しい方ではなかった。
彼らについての勉強は特務司書となることが決まってから始めたものの、図書館で先生方と信頼や敬意を相互に抱く良好な関係を無事築くことができ、仕事の上でもそれなりに成果を上げていたと思う。
そんな日々の中で、気がついたら正岡先生を目で追うようになっていたのはいつからだったか。
思い出せる限りで最初に正岡先生を意識したのは、先生が初めて自分の助手についたときだ。
図書館の助手は指名制当番制半々で、その時はたまたま自分が先生を指名したのだ。
上からの命令で、慣れないパーティーなんかに参加したその日。図書館に辿りつきながらも疲れてエントランスの階段に座り込んでいたところで声をかけてくれたのが正岡先生だった。
「司書さーん。明日の助手なんだけど、夏目のやつ甘いもん食いすぎて体調悪いから休ませてくれって……司書さんも具合悪そうだな」
自分は疲れているだけですから、と立ち上がりながらも「代わりに誰を助手にするか?」という先生の質問に頭を働かせられるほどの気力は残っていなかった。
だから、目の前の人に頼んだ。
「じゃあ正岡先生にお願いしてもいいですか」
お? と、先生はほんの少し驚いたような、期待通りのような顔をする。
「まだ助手やってらっしゃらなかったでしょう」
実は正岡先生は、転生して少したったころ子供たちとの草野球で骨折して、最近まで潜書もしていなかった。
助手だってできるはずがない。
あの森先生にすら「俺たちの身体が潜書以外で怪我をするとはな」と言われたぐらいだ。
あとから転生してきた夏目先生の方が潜書も助手回数も多いのが、先生たちの間での格好の話題だった。
「どうです? やっていただけます?」
先生は、ニカッと笑った。
「手伝いが必要か? よっしゃ、お兄さんが一肌脱ぐぜ」
待ってましたと言わんばかりの笑顔だった。
その笑顔と言葉に、なぜか、ドキッとしたのを覚えている。
* * *
それ以降、またあれを言って欲しくて正岡先生の助手当番が日々の楽しみのうちのひとつになった。
助手でなくても、館内で先生を見かけると嬉しくなった。
自分の特務司書としての能力が足らず悔しさに打ち震えたときも、隣で励ましてくれたのは正岡先生だった。
この頃にはもうすでに、自分が正岡先生を好きだなんてことは自覚していたと思う。
自然と正岡先生の著作に手を伸ばすことが増え、しかしその中で悲しいかな悟ってしまった。
先生は、私のことを恋愛対象として見ていない。
正岡先生は前世で生涯独身であり、その作品の中にも恋愛をうたったものは多くない。
それでも惚れてしまった手前、それら数少ない恋愛もの中心に先生の作品を読み漁り、気づいたのだ。
自分は正岡先生に、ここに描かれているような女性とは違う扱いをされている。
気づいたとき、それはそれはショックだった。
いや、薄々気づいていたものが著作を読むことで確信に変わってしまい、ただひたすら心が苦しくなったと言った方が正しいか。
それでも特務司書としての仕事は待ってくれないし、本の侵食もおさまるわけじゃない。
心にぽっかり穴を空けて、以前は嬉しかった正岡先生の姿を見るたびに心をズキズキ痛めながら、図書館で働き続けていた。
* * *
転機は、「指定した文豪三人とともに、政府主催のパーティーへ参加すること」との命令がくだったときだ。
ただでさえパーティーといえば前回参加の疲れた思い出しかないし、あの日以来始まった正岡先生への一方的な思いも一緒に蘇って心がざわつく。
なお悪いことに、指定された文豪の中にその正岡先生がいるという不運も重なった。
なんでも今回参加するお偉いさんの中に夏目先生のファンがおり、ならば残り二人は同じ余裕派の先生方を、ということらしい。
どうして夏目先生一人で許してくれないのか、本当に理解ができない。
おそらく、国が持つ転生技術の高さを見せつける生きた宣伝素材は、一人では足りないが四人以上も多すぎる、ということなのだろう。
その上、パーティーに参加するため正装した先生方は、ほんとうに格好良かった。
ため息が出るくらい、様になっていた。
さらによりにもよって、正岡先生に用意されているのが結婚式で着るような白タキシード。ただひたすらこのめぐり合わせを恨んでしまう。
正岡先生は、子供たちとの草野球で骨折した人だなんて信じられないくらい、ばっちり着こなして格好良かった。
それでも、中身はいつもの先生だった。
前世で結婚しなかったからか正岡先生はこのタキシードが嬉しいようで、夏目先生と森先生と司書の自分にずっとニコニコしながら見せびらかしている。
会場に着いてからは少しおとなしくなったものの、変わらず笑みを浮かべながらパーティーを楽しんでいた。
* * *
パーティーも半分ほど時間が過ぎたところで、そっとテラスへ出た。
館長とともに一通りの挨拶回りもろもろが終わったのだ、少し休憩するぐらいは許されるだろう。
今はやっと涼しくなり始めたぐらいの時期だが、会場内が暑いため半屋外のこっちの方がずっと過ごしやすい。
月明かりに照らされる、手入れの行き届いた中庭が美しかった。
「特務司書さん一人?」
若い男性に声をかけられた。さっき挨拶した人々の中にいた、確か、××省期待のホープだ。
「隣いい?」
できれば一人になりたいのだが、そう聞かれて断るわけにもいかず、どうぞと微笑んだ。
「ちょっと疲れてしまいまして、涼んでいたところなんです」
「あまりこういう場には慣れていらっしゃらないんですね」
言葉はそれほどおかしくないのに、目に嘲りが浮かんでいた。少し、いやかなり私に対して敵意か侮蔑かを抱いている。
しまった。こういう人なら近寄らせるんじゃなかったと思うが、もう遅い。
目の前の口から、慇懃無礼な言葉でもって特務司書への蔑みがよどみなく紡がれた。まとめれば、たかが司書風情が女の癖して生意気だというそれだけに終始する。
まともに相手をするのもめんどくさい。話を聞き続け適当に相槌を打っているが、いつまで経っても終わらなかった。
誰か、助けて。
「ああ、それとも「お! 司書さんいたいた!」
助けが来た。笑っちゃうくらい、タイミング良く。
「館長が探してますよ。あ、すみません、ちょっとうちの司書返してもらいますね」
返事も待たず、正岡先生が私の手を引いてその場から連れ出してくれた。
「うちの司書を返して」なんて他にいくらでも言い方あるだろうに、正岡先生はそんな言葉の選び方をする。
腕を引きながら、先生が話始めた。
「なんであんなのと関わってるんだ」
正岡先生にしては珍しい、ちょっと怒った声だった。
「相手の顔を立ててただけです」
「あんな『困ってます』って雰囲気出して、もうちょっと自分を大事にしてもいいとお兄さん思うぞ」
正岡先生が話す内容は、あまり耳に入らなかった。
ただ薄ぼんやりと、この人は好きでもない私みたいな相手にも、こうして助けて怒ってくれるんだなあと思っていた。
外見も中身もただただ男前で、また私は先生に惚れ直した。
先生を好きになって以来、何度目かわからない惚れ直しだった。
* * *
期待のホープに絡まれた以外、パーティーはだいたい滞りなく終わらせることができた。
図書館に戻り、少し館長と話をして別れてからエントランスに入ると
「司書さん!」
正岡先生が一人で立っていた。どこか必死さも滲む笑顔でこちらに向き直り、手にはカメラを持っている。
「せっかくこんな格好してるんだから写真撮りたかったんだけど、夏目も森さんも疲れたから部屋に戻るって!
仕方ないから自分で撮ってたんだけど、全身が入らなくて」
私に撮って欲しい、ということだった。
好きな相手が、正装で、一人自分を待っていた、なんて書き起こせばこれ以上ないくらいの状況なのに、片思いであるというだけで全てがひっくり返る。
私だって早く部屋に帰りたい。
「しょうがないですね」
それでも、文豪たちとの仲を重視する特務司書は、わざとらしくため息をついてカメラを受け取った。
ずっしりとカメラの重さを感じながら、ファインダー越しに映る先生を見る。
素敵な笑顔だ。
エントランスにシャッター音が響いて、先生がお礼を言った。
「ああそうだ、司書さんも撮るか?」
「いえ、お気遣いなく」
さっさと、先生から離れたい。
なのに、いやいやせっかく綺麗なんだからとか、記念になるとか、いろいろと言われて引き止められた。
「それとも、二人で撮るか?」
爆弾みたいな発言が来た。私の表情は、固まってしまっただろうか。
先生は、さっきファインダーの中で見たままの笑顔で、言葉を続ける。
「俺のこれ、結婚衣装なんだろう? じゃあ隣に綺麗どころを置いた方がいい」
綺麗だなんて、本当に思ってるんですか。
「そもそも結婚衣装なら一人で撮ってるのがおかしかったんだ。司書さんもそう思うだろ?」
いいえ、だってこれは別に、結婚式でもなんでもないから。
「知っての通り、俺昔は結婚できなかったからさぁ。真似事ぐらいさせてくれよ、『俺の花嫁さん』」
私の、緊張の糸がぷつんと切れた。
本当に、あなたが私のことを好きでいてくれたのなら、どれだけ嬉しかったことか。
その天真爛漫な笑顔に、ほんの少しでも色恋沙汰の匂いがすれば、どれだけ嬉しかったか。
「……勘弁してくださいよ」
私の声が震えていた。ああどうしよう絶対泣く。
「先生、私が先生のこと好きなのはとっくにご存知でしょう?」
ここまで言えば、先生には伝わる。もうそれ以上言わなくてもいい。
「なんでこんなひどいことするんですか」
なのに、もう止められなかった。
「私、好きになることで先生に迷惑かけましたか」
先生、私のこと好きじゃないじゃないですか。
「お慕いしています。好きです。だいすきです。あいしています」
私が一方的に先生のことを好きなんです。だから
「これいじょう、もう、せんせいの……あそび、に、つきあわ、せ、ないで……ください……っ!」
目頭が熱い。視界がぼやける。言葉に詰まって、うまく喋れない。
ただただ、私の嗚咽の音だけがした。
「ふざけて悪かった、謝るよ」
正岡先生が、うつむく私の顔を持ち上げて胸ポケットに入っていたチーフで涙を拭った。
ほんと、そういうとこですよ。
「好きでもない相手に、そういうことしないでくださいよ……」
また、好きになっちゃうじゃないですか。
「好きでもない相手?」
先生は、怪訝そうな顔をした。
言わなきゃ、ダメですか。
「だって、正岡先生は私のこと好きじゃないじゃないですか……!!」
言って、それだけで心が潰れてしまいそうだった。
* * *
パーティーで予想以上に疲れてしまったから、と翌日一日だけ休みを貰った。
でも、それ以降特務司書は通常業務に戻った。
私の、この張り裂けるような胸の痛みが、彼への思いが、心の叫びが、なくなる日は来るのだろうか。
正岡先生が目をみはった。ああそんなに確信してたんだ、って顔。
知ってます、知ってますよ。
というより、それくらいわかるのだ。先生から見ればただの小娘である私にも、自分に向けられている感情が恋愛的な意味での好意じゃないってことぐらい。
一瞬、ぐ、と言葉を詰まらせた正岡先生が、私をフォローするために口を開いた。
「司書さんのことは信頼してるし、司書さんが俺たちの司書で良かったと本当に俺は思ってるぞ!」
叫ぶように、問いただすように。
ああまた泣いてしまう。
「あ゛り゛がと゛う゛ござい゛ま゛す゛!」
正岡先生にすがりついて、正岡先生の胸の中でわんわん泣いた。
あなたのことが好きですと抱きついて、その答えが俺はお前を信頼していると。
告白に対する答えとして、これが断られた以外のなんだというのだろう。
たとえ嘘でも恋愛感情での好きだなんて言ってくれないまっすぐさが、身を切るようにつらい。
告白して振られた相手の胸に泣きすがるのが、たまらなくみっともない。
でも、そんなまっすぐで優しいところが好きなんだと思うと泣けて泣けて、この人を好きで良かったと、でもせめてこの人をこれ以上困らせないよう一人で泣きたかったと、様々な感情が洪水のように溢れて一歩も動けなかった。
* * *
特務司書として働き始めた当初はまさか、自分が恋愛沙汰のど真ん中に居座ることになるなんて、思ってもみなかった。
いや正確に言えば、自分が文豪の一人に恋してしまったという、ただそれだけのことだったけど。
アルケミストとしての教育を受けてきた自分は、失礼ながら近代の文豪たちについて詳しい方ではなかった。
彼らについての勉強は特務司書となることが決まってから始めたものの、図書館で先生方と信頼や敬意を相互に抱く良好な関係を無事築くことができ、仕事の上でもそれなりに成果を上げていたと思う。
そんな日々の中で、気がついたら正岡先生を目で追うようになっていたのはいつからだったか。
思い出せる限りで最初に正岡先生を意識したのは、先生が初めて自分の助手についたときだ。
図書館の助手は指名制当番制半々で、その時はたまたま自分が先生を指名したのだ。
上からの命令で、慣れないパーティーなんかに参加したその日。図書館に辿りつきながらも疲れてエントランスの階段に座り込んでいたところで声をかけてくれたのが正岡先生だった。
「司書さーん。明日の助手なんだけど、夏目のやつ甘いもん食いすぎて体調悪いから休ませてくれって……司書さんも具合悪そうだな」
自分は疲れているだけですから、と立ち上がりながらも「代わりに誰を助手にするか?」という先生の質問に頭を働かせられるほどの気力は残っていなかった。
だから、目の前の人に頼んだ。
「じゃあ正岡先生にお願いしてもいいですか」
お? と、先生はほんの少し驚いたような、期待通りのような顔をする。
「まだ助手やってらっしゃらなかったでしょう」
実は正岡先生は、転生して少したったころ子供たちとの草野球で骨折して、最近まで潜書もしていなかった。
助手だってできるはずがない。
あの森先生にすら「俺たちの身体が潜書以外で怪我をするとはな」と言われたぐらいだ。
あとから転生してきた夏目先生の方が潜書も助手回数も多いのが、先生たちの間での格好の話題だった。
「どうです? やっていただけます?」
先生は、ニカッと笑った。
「手伝いが必要か? よっしゃ、お兄さんが一肌脱ぐぜ」
待ってましたと言わんばかりの笑顔だった。
その笑顔と言葉に、なぜか、ドキッとしたのを覚えている。
* * *
それ以降、またあれを言って欲しくて正岡先生の助手当番が日々の楽しみのうちのひとつになった。
助手でなくても、館内で先生を見かけると嬉しくなった。
自分の特務司書としての能力が足らず悔しさに打ち震えたときも、隣で励ましてくれたのは正岡先生だった。
この頃にはもうすでに、自分が正岡先生を好きだなんてことは自覚していたと思う。
自然と正岡先生の著作に手を伸ばすことが増え、しかしその中で悲しいかな悟ってしまった。
先生は、私のことを恋愛対象として見ていない。
正岡先生は前世で生涯独身であり、その作品の中にも恋愛をうたったものは多くない。
それでも惚れてしまった手前、それら数少ない恋愛もの中心に先生の作品を読み漁り、気づいたのだ。
自分は正岡先生に、ここに描かれているような女性とは違う扱いをされている。
気づいたとき、それはそれはショックだった。
いや、薄々気づいていたものが著作を読むことで確信に変わってしまい、ただひたすら心が苦しくなったと言った方が正しいか。
それでも特務司書としての仕事は待ってくれないし、本の侵食もおさまるわけじゃない。
心にぽっかり穴を空けて、以前は嬉しかった正岡先生の姿を見るたびに心をズキズキ痛めながら、図書館で働き続けていた。
* * *
転機は、「指定した文豪三人とともに、政府主催のパーティーへ参加すること」との命令がくだったときだ。
ただでさえパーティーといえば前回参加の疲れた思い出しかないし、あの日以来始まった正岡先生への一方的な思いも一緒に蘇って心がざわつく。
なお悪いことに、指定された文豪の中にその正岡先生がいるという不運も重なった。
なんでも今回参加するお偉いさんの中に夏目先生のファンがおり、ならば残り二人は同じ余裕派の先生方を、ということらしい。
どうして夏目先生一人で許してくれないのか、本当に理解ができない。
おそらく、国が持つ転生技術の高さを見せつける生きた宣伝素材は、一人では足りないが四人以上も多すぎる、ということなのだろう。
その上、パーティーに参加するため正装した先生方は、ほんとうに格好良かった。
ため息が出るくらい、様になっていた。
さらによりにもよって、正岡先生に用意されているのが結婚式で着るような白タキシード。ただひたすらこのめぐり合わせを恨んでしまう。
正岡先生は、子供たちとの草野球で骨折した人だなんて信じられないくらい、ばっちり着こなして格好良かった。
それでも、中身はいつもの先生だった。
前世で結婚しなかったからか正岡先生はこのタキシードが嬉しいようで、夏目先生と森先生と司書の自分にずっとニコニコしながら見せびらかしている。
会場に着いてからは少しおとなしくなったものの、変わらず笑みを浮かべながらパーティーを楽しんでいた。
* * *
パーティーも半分ほど時間が過ぎたところで、そっとテラスへ出た。
館長とともに一通りの挨拶回りもろもろが終わったのだ、少し休憩するぐらいは許されるだろう。
今はやっと涼しくなり始めたぐらいの時期だが、会場内が暑いため半屋外のこっちの方がずっと過ごしやすい。
月明かりに照らされる、手入れの行き届いた中庭が美しかった。
「特務司書さん一人?」
若い男性に声をかけられた。さっき挨拶した人々の中にいた、確か、××省期待のホープだ。
「隣いい?」
できれば一人になりたいのだが、そう聞かれて断るわけにもいかず、どうぞと微笑んだ。
「ちょっと疲れてしまいまして、涼んでいたところなんです」
「あまりこういう場には慣れていらっしゃらないんですね」
言葉はそれほどおかしくないのに、目に嘲りが浮かんでいた。少し、いやかなり私に対して敵意か侮蔑かを抱いている。
しまった。こういう人なら近寄らせるんじゃなかったと思うが、もう遅い。
目の前の口から、慇懃無礼な言葉でもって特務司書への蔑みがよどみなく紡がれた。まとめれば、たかが司書風情が女の癖して生意気だというそれだけに終始する。
まともに相手をするのもめんどくさい。話を聞き続け適当に相槌を打っているが、いつまで経っても終わらなかった。
誰か、助けて。
「ああ、それとも「お! 司書さんいたいた!」
助けが来た。笑っちゃうくらい、タイミング良く。
「館長が探してますよ。あ、すみません、ちょっとうちの司書返してもらいますね」
返事も待たず、正岡先生が私の手を引いてその場から連れ出してくれた。
「うちの司書を返して」なんて他にいくらでも言い方あるだろうに、正岡先生はそんな言葉の選び方をする。
腕を引きながら、先生が話始めた。
「なんであんなのと関わってるんだ」
正岡先生にしては珍しい、ちょっと怒った声だった。
「相手の顔を立ててただけです」
「あんな『困ってます』って雰囲気出して、もうちょっと自分を大事にしてもいいとお兄さん思うぞ」
正岡先生が話す内容は、あまり耳に入らなかった。
ただ薄ぼんやりと、この人は好きでもない私みたいな相手にも、こうして助けて怒ってくれるんだなあと思っていた。
外見も中身もただただ男前で、また私は先生に惚れ直した。
先生を好きになって以来、何度目かわからない惚れ直しだった。
* * *
期待のホープに絡まれた以外、パーティーはだいたい滞りなく終わらせることができた。
図書館に戻り、少し館長と話をして別れてからエントランスに入ると
「司書さん!」
正岡先生が一人で立っていた。どこか必死さも滲む笑顔でこちらに向き直り、手にはカメラを持っている。
「せっかくこんな格好してるんだから写真撮りたかったんだけど、夏目も森さんも疲れたから部屋に戻るって!
仕方ないから自分で撮ってたんだけど、全身が入らなくて」
私に撮って欲しい、ということだった。
好きな相手が、正装で、一人自分を待っていた、なんて書き起こせばこれ以上ないくらいの状況なのに、片思いであるというだけで全てがひっくり返る。
私だって早く部屋に帰りたい。
「しょうがないですね」
それでも、文豪たちとの仲を重視する特務司書は、わざとらしくため息をついてカメラを受け取った。
ずっしりとカメラの重さを感じながら、ファインダー越しに映る先生を見る。
素敵な笑顔だ。
エントランスにシャッター音が響いて、先生がお礼を言った。
「ああそうだ、司書さんも撮るか?」
「いえ、お気遣いなく」
さっさと、先生から離れたい。
なのに、いやいやせっかく綺麗なんだからとか、記念になるとか、いろいろと言われて引き止められた。
「それとも、二人で撮るか?」
爆弾みたいな発言が来た。私の表情は、固まってしまっただろうか。
先生は、さっきファインダーの中で見たままの笑顔で、言葉を続ける。
「俺のこれ、結婚衣装なんだろう? じゃあ隣に綺麗どころを置いた方がいい」
綺麗だなんて、本当に思ってるんですか。
「そもそも結婚衣装なら一人で撮ってるのがおかしかったんだ。司書さんもそう思うだろ?」
いいえ、だってこれは別に、結婚式でもなんでもないから。
「知っての通り、俺昔は結婚できなかったからさぁ。真似事ぐらいさせてくれよ、『俺の花嫁さん』」
私の、緊張の糸がぷつんと切れた。
本当に、あなたが私のことを好きでいてくれたのなら、どれだけ嬉しかったことか。
その天真爛漫な笑顔に、ほんの少しでも色恋沙汰の匂いがすれば、どれだけ嬉しかったか。
「……勘弁してくださいよ」
私の声が震えていた。ああどうしよう絶対泣く。
「先生、私が先生のこと好きなのはとっくにご存知でしょう?」
ここまで言えば、先生には伝わる。もうそれ以上言わなくてもいい。
「なんでこんなひどいことするんですか」
なのに、もう止められなかった。
「私、好きになることで先生に迷惑かけましたか」
先生、私のこと好きじゃないじゃないですか。
「お慕いしています。好きです。だいすきです。あいしています」
私が一方的に先生のことを好きなんです。だから
「これいじょう、もう、せんせいの……あそび、に、つきあわ、せ、ないで……ください……っ!」
目頭が熱い。視界がぼやける。言葉に詰まって、うまく喋れない。
ただただ、私の嗚咽の音だけがした。
「ふざけて悪かった、謝るよ」
正岡先生が、うつむく私の顔を持ち上げて胸ポケットに入っていたチーフで涙を拭った。
ほんと、そういうとこですよ。
「好きでもない相手に、そういうことしないでくださいよ……」
また、好きになっちゃうじゃないですか。
「好きでもない相手?」
先生は、怪訝そうな顔をした。
言わなきゃ、ダメですか。
「だって、正岡先生は私のこと好きじゃないじゃないですか……!!」
言って、それだけで心が潰れてしまいそうだった。
* * *
パーティーで予想以上に疲れてしまったから、と翌日一日だけ休みを貰った。
でも、それ以降特務司書は通常業務に戻った。
私の、この張り裂けるような胸の痛みが、彼への思いが、心の叫びが、なくなる日は来るのだろうか。
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