【織田】一髪、千鈞を引く
「……失恋したんか?」
髪を切った。
初期文豪である織田作が、毎日結ってくれていた髪をだ。
フィッシュボーンにくるりんぱ、ときにはリボンを編み込んでみたりして。
近代の文士には目新しいだろうに、動画や雑誌を2、3度見れば習得してしまうのだ。
乙女たちが想い人のために何度も挑んで身につける技。
それをすぐに自らの血肉にしてしまう彼の器用さを尊敬しながら、専属の美容師でいてくれる優越感に浸っていた。
腰まで伸ばしていた髪を、中原先生くらいの長さにしたのだ。
いち文士である彼の口から、手垢のついた揶揄が出たのも無理はない。
「これからするの」
「はあ?」
週末の朝、美容室に行くためだけに出掛け、それからまっすぐ帰って来たのだ。なんて贅沢だろう。
朝から予定まっさらな、貴重な休日だと言うのに、彼は司書室でスタンダールを読んでいた。
「おっしょはんを振る男がいるかいな」
「ふふ、どうでしょう」
ほかの先生方は皆めいめい好きにしている。
きっと応接間では余裕派がお茶を嗜んでいて、白樺派は食堂に集まっているだろうし、庭では室生先生が庭いじりでもしているだろう。
江戸川先生や新見先生はどんないたずらを仕掛けているやら。
太宰先生や坂口先生は外出届が出ていたはずだ。
「まっ、振られたらワシが慰めたる!」
ケタケタと笑う彼の物言いは、好奇心を煽る。
分かっているんだか分かっていないんだか。
分からないようで、分かっているのかもしれない。
距離感が近いようでいて、踏み込まないし踏み込ませない。
だから土足で踏み込みたくなる。
「しっかし長かったのに勿体無いなぁ。伸びたらまた結ったるわ!」
彼の白魚の手がするり、髪を撫でた。
肩より上で揃えてしまった髪を、どうにか編み込みでも出来まいかと試行錯誤している。
「あれがいいな、花火大会のときの髪型。またしてくれる?」
「ええよ〜!来年もまた髪飾り買ったろ!」
初恋の頃と同じ長さのボブカット。
それは誰に悟られることもなく、痛みを知ることなく終えたまどろみの思い出となった。
恋は罪悪であると誰かが言った。
夢見がちな乙女も、恋の前では茨の道を選び、王子に傅く。
「ねえ織田作、わたしが死んだらさ」
彼はせっかく完成間近だった編み込みを解いた。
何でもないような顔のつもりで、瞳をほの暗くしていることに自分でも気付いていないのだろう。
「……何や、縁起でも無いなぁ」
「いつかは死ぬでしょ。わたし生きてるもん」
わたしにとって本棚を構成するピースであったはずの彼。
錬金術が無ければ交わることはなかった。
────あなたとわたしは違うから。
「あのね、わたしが……」
ゆるやかに、確実に死に向かう歩みは美しい。
線香花火や流星が、いつか燃え落ちるように。
どうせ眠るように死んでしまう恋なら、燃え盛るべきなのだ。
「……わたしが死んだら、
わたしの髪の毛持っててくれる?」
交差しないはずの、青春の一頁として。
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