隣の伊達さん
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「雨だ」
六月、それは雨の季節。しとしとと降る雨の中に咲く紫陽花が美しく、じめじめとした気温で洗濯物の乾燥が阻害される頃となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は絶賛大きな問題に直面しております。
「も~!洗濯物が乾かない!」
そう、洗濯物が乾かないのである。コインランドリーに行けと思われるだろうが、いかんせん車で数十分の距離までいかないといけない。だるいのである。今になって乾燥機能のある洗濯機を買わなかったことが惜しまれる。自分のばかばか。
家電選びをした時の自分をせめつつ、溜まりに溜まった洗濯物を見る。この上なくやる気がそがれる量である。しかし洗濯をしなければ着る服がなくなる。あーどうしよ。こういう時、魔法が使えたらなと思う。指を一振りしてすべてが終わってほしい。
ピンポーン。
物思いにふける私の耳にチャイムの音が聞こえた。誰だろうか。今日は土曜日。現在の時刻は午後1時。思い当たる人物と言えば正国かお隣さん、もしくは訪問販売の方々だけれど。
「はい」
「あ、ナマエさん。急にごめんね。クッキーを作ったから、もしよかったら貰ってほしくて」
ボタンを押して応答すれば、聞こえるのは心地の良いテノールだった。それを聞いた瞬間、私の足は玄関の扉を勢いよく開けていた。だってクッキー食べたいんだもん。
扉の先には、相変わらずどこから見ても完璧な隣人、光忠さんが立っていた。天気は雨のはずなのに、有り余る湿気をものともしない完璧にスタイリングされた髪の毛。生乾きのにおいなんて一切しない、しわすらない洋服。なんか素敵すぎて輝いて見える。光忠さんの周りだけ晴れている可能性がある。要検証。
そこまで考えて、自分の身なりが最悪なことに気が付いた。雨の憂鬱な気分を晴らすために軽い化粧はしているものの、だぼだぼの部屋着にざっくりと一つにまとめただけの髪。ちょっとだけ申し訳なさを感じる。
そうごちゃごちゃと思考する私の頭の中とは裏腹に、光忠さんは極めて明るい声で可愛らしくラッピングされた箱を差し出した。
「はいこれ。LIMEすればよかったね、ごめん。早く届けたくてさ」
「いいえ!クッキーめちゃくちゃうれしいです!」
箱に入っている状態でもふわりと甘くて香ばしい匂いを感じる。
「いい匂い。光忠さんってなんでもできますよね。すごいなあ」
「ありがとう。好きでやってるうちに勝手に身についているだけなんだけどね。でもやっぱりお世話する人数が多いと大変だよ。洗濯物とかものすごい量になるしさ」
「あはは、国永さんの洗濯物とか普通の人よりも大変そう」
「あ、わかる?そうなんだよ。どこでつけてきたの、みたいな汚れがあったりさ。最近乾燥機が壊れちゃって、洗濯が全然追いついてないんだよね」
「うわ~大変なやつだ。私もそろそろコインランドリー行かないとやばくて」
「そうなのかい?じゃ、ついでだし一緒に行こうか」
「え?」
と、いうわけで、現在光忠さんの車に乗ってコインランドリーを目指しています。
もちろん少し時間を貰って、外に出られる格好にはなった。さすがにあのまま光忠さんの隣に並べるほど、肝は据わっていない。
光忠さんの車はやっぱり黒塗りのそれで、高級車として有名な車種のグレードがなんちゃらみたいなやつだった。万が一汚したらと思うと乗るのが怖い。助手席に座らせてもらっているが、安っぽい芳香剤のにおいなんて一つもしなくて、脳みその中枢に直接作用してきそうな芳しいムスクの香りがしていた。こんな車に乗ってしまったら女性はひとたまりもなかろうな、と思う。実際私もお隣さんでなければくらくらしてしまうだろう。いや嘘かもしれない。お隣さんだけど、ちょっとだけどきどきしている。
だが向かっている場所はコインランドリーである。……この車でコインランドリーに行くのか。ものすごいシュールだ。それがおかしくてつい笑ってしまうが、咳払いでごまかしておいた。
「ナマエさん、紫陽花は好き?」
「好きですよ。梅雨は嫌いですけど、紫陽花があるから少しだけ元気になれます」
「そっか、よかった」
「?」
「ううん、こっちの話。そうだ、乾燥機が終わるまでの間、すこしだけドライブしない?いいところがあってね」
「ぜひ!」
かくして私は今雨の街を良い車で駆け抜けている。
十数分後、たどり着いたのは神社だった。
「神社ですか」
「うん。知り合いが管理してる神社でね。景色がきれいなんだよ」
車を降りる頃にはちょうどよく雨が上がっていた。雨上がりの神社ってきれいだなあ。
光忠さんの後に続いて、石畳の上を歩く。濡れた空気の、ちょっとだけ埃っぽい匂いがする。でも決して不快ではなかった。
古くから大切にされていそうな神社だ。
境内を歩いていると、身長の高いおかっぱの男性がいた。
光忠さんは彼に気付くと、手を振りながら声をかけた。
「石切丸さーん!」
石切丸さんと呼ばれた彼は、光忠さんに緩く手を振り返す。緑色の着物が揺れた。
「やあ、光忠さん。久しぶり。元気だったかい。おや、今日は一人じゃないんだね」
「石切丸さんこそ、大事無いかい。彼女は僕のお隣さんのナマエさん。今日はここの景色を見せたくて、連れて来たんだ」
「私はいつも通りだよ。そうか、君が例のお隣さんか。光忠さんからお話は聞いているよ。私は石切丸という。ここの神主をしているんだ」
光忠さんはこの人に私のことをどう話しているのだろう。緊張してきた。
「お、お世話になっております。ナマエです。と、とても素敵な神社ですね。お美しいです」
緊張しすぎてついめちゃくちゃかしこまってしまい、あ、と思っていると石切丸さんはクスクス笑って顔の前で手を振った。
「そんなにかしこまらないでおくれ。もちろんこの神社をほめてくれたのはとても嬉しいけれどね。手入れのし甲斐があるというものだ」
なんて人好きのする笑顔だろう。雰囲気が柔らかいから全く気が付かなかったが、近づいてみたらこの人めちゃくちゃ背が高い。ゆうに180㎝は超える身長に、分厚い胸板。着物に隠れてはいるが、意外とムキムキだ。大きい。光忠さんより大きい。すごい。
「私は祈祷に戻るけれど、二人はぜひ景色を楽しんでいっておくれ。それでは失礼するよ」
「それじゃあ、行こうか。見せたいものはもっと向こうにあるんだ」
光忠さんの後を追い、境内を進む。お賽銭箱などがあるメインの場所から少し離れたところに、それはあった。
「わぁ!きれい!」
たくさんの紫陽花に囲まれた狭い道の先に、苔むした小さな小屋があった。ひしめくビル群も、灰色のアスファルトも見えない。まるでここだけ大昔に戻ってしまったかのような景色だった。
「それは良かった。どこに咲いている紫陽花よりも、ここの紫陽花が一等きれいなんだよ。ずっと手入れされているし、石切丸さんが土のphを変化させているおかげで花の色がグラデーションになってるんだ」
「わ、本当だ。これを一人で管理してるんですか、すごいですね……」
「ね、ものすごい情熱だよね」
「本当に。あ、あの小屋は何なんですか?光忠さん、何かご存じですか?」
「この小屋は大昔からあるものらしくてね。石切丸さんのご先祖様が代々管理してきたものなんだって。中に何があるのかは僕も知らないんだけどね」
もしかしたら何もないかもね、なんて言って光忠さんは笑う。このちょっといたずらな笑顔がとても眩しい。この人は本当に、雨でも風でも花でも古びた小屋でも、何を背景にしてもそのすべてをキラキラさせてしまうなあ。
つい見とれていると、光忠さんはまた笑う。今度は柔らかい、慈悲のこもった笑顔だった。
「ああやっぱり、ナマエさん、紫陽花が似合うね」
「えっ」
「とても似合うよ。この淡い色のグラデーションがとても似合う。もちろん何色でも似合うけれど、これは格別に似合うね。うん。やっぱり連れてきてよかった。」
「もう、照れちゃいますよ。そんなに褒めても何も出ません」
「あっはっは。別に何もいらないよ。また今度僕と出かけてくれればいいさ。ほら、指切りしてよ」
光忠さんが小指を出す。なんだかどきどきしながら私もそれに小指を絡ませる。意外とこの人は子供っぽいところがあるなあと思った。
そこから来た道を戻り、すっかり忘れていた洗濯物を取り行き、帰宅するまでの記憶はなんだか曖昧だった。ただ、光忠さんがくれたクッキーの箱を開けてそこに紫陽花型のクッキーを見たとき、光忠さんの声が鮮明に思い出されて。それから絡ませた小指の感触もなんだかいやにはっきりと蘇ってきて、ちょっとだけ顔が赤くなった気がした。
六月、それは雨の季節。しとしとと降る雨の中に咲く紫陽花が美しく、じめじめとした気温で洗濯物の乾燥が阻害される頃となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は絶賛大きな問題に直面しております。
「も~!洗濯物が乾かない!」
そう、洗濯物が乾かないのである。コインランドリーに行けと思われるだろうが、いかんせん車で数十分の距離までいかないといけない。だるいのである。今になって乾燥機能のある洗濯機を買わなかったことが惜しまれる。自分のばかばか。
家電選びをした時の自分をせめつつ、溜まりに溜まった洗濯物を見る。この上なくやる気がそがれる量である。しかし洗濯をしなければ着る服がなくなる。あーどうしよ。こういう時、魔法が使えたらなと思う。指を一振りしてすべてが終わってほしい。
ピンポーン。
物思いにふける私の耳にチャイムの音が聞こえた。誰だろうか。今日は土曜日。現在の時刻は午後1時。思い当たる人物と言えば正国かお隣さん、もしくは訪問販売の方々だけれど。
「はい」
「あ、ナマエさん。急にごめんね。クッキーを作ったから、もしよかったら貰ってほしくて」
ボタンを押して応答すれば、聞こえるのは心地の良いテノールだった。それを聞いた瞬間、私の足は玄関の扉を勢いよく開けていた。だってクッキー食べたいんだもん。
扉の先には、相変わらずどこから見ても完璧な隣人、光忠さんが立っていた。天気は雨のはずなのに、有り余る湿気をものともしない完璧にスタイリングされた髪の毛。生乾きのにおいなんて一切しない、しわすらない洋服。なんか素敵すぎて輝いて見える。光忠さんの周りだけ晴れている可能性がある。要検証。
そこまで考えて、自分の身なりが最悪なことに気が付いた。雨の憂鬱な気分を晴らすために軽い化粧はしているものの、だぼだぼの部屋着にざっくりと一つにまとめただけの髪。ちょっとだけ申し訳なさを感じる。
そうごちゃごちゃと思考する私の頭の中とは裏腹に、光忠さんは極めて明るい声で可愛らしくラッピングされた箱を差し出した。
「はいこれ。LIMEすればよかったね、ごめん。早く届けたくてさ」
「いいえ!クッキーめちゃくちゃうれしいです!」
箱に入っている状態でもふわりと甘くて香ばしい匂いを感じる。
「いい匂い。光忠さんってなんでもできますよね。すごいなあ」
「ありがとう。好きでやってるうちに勝手に身についているだけなんだけどね。でもやっぱりお世話する人数が多いと大変だよ。洗濯物とかものすごい量になるしさ」
「あはは、国永さんの洗濯物とか普通の人よりも大変そう」
「あ、わかる?そうなんだよ。どこでつけてきたの、みたいな汚れがあったりさ。最近乾燥機が壊れちゃって、洗濯が全然追いついてないんだよね」
「うわ~大変なやつだ。私もそろそろコインランドリー行かないとやばくて」
「そうなのかい?じゃ、ついでだし一緒に行こうか」
「え?」
と、いうわけで、現在光忠さんの車に乗ってコインランドリーを目指しています。
もちろん少し時間を貰って、外に出られる格好にはなった。さすがにあのまま光忠さんの隣に並べるほど、肝は据わっていない。
光忠さんの車はやっぱり黒塗りのそれで、高級車として有名な車種のグレードがなんちゃらみたいなやつだった。万が一汚したらと思うと乗るのが怖い。助手席に座らせてもらっているが、安っぽい芳香剤のにおいなんて一つもしなくて、脳みその中枢に直接作用してきそうな芳しいムスクの香りがしていた。こんな車に乗ってしまったら女性はひとたまりもなかろうな、と思う。実際私もお隣さんでなければくらくらしてしまうだろう。いや嘘かもしれない。お隣さんだけど、ちょっとだけどきどきしている。
だが向かっている場所はコインランドリーである。……この車でコインランドリーに行くのか。ものすごいシュールだ。それがおかしくてつい笑ってしまうが、咳払いでごまかしておいた。
「ナマエさん、紫陽花は好き?」
「好きですよ。梅雨は嫌いですけど、紫陽花があるから少しだけ元気になれます」
「そっか、よかった」
「?」
「ううん、こっちの話。そうだ、乾燥機が終わるまでの間、すこしだけドライブしない?いいところがあってね」
「ぜひ!」
かくして私は今雨の街を良い車で駆け抜けている。
十数分後、たどり着いたのは神社だった。
「神社ですか」
「うん。知り合いが管理してる神社でね。景色がきれいなんだよ」
車を降りる頃にはちょうどよく雨が上がっていた。雨上がりの神社ってきれいだなあ。
光忠さんの後に続いて、石畳の上を歩く。濡れた空気の、ちょっとだけ埃っぽい匂いがする。でも決して不快ではなかった。
古くから大切にされていそうな神社だ。
境内を歩いていると、身長の高いおかっぱの男性がいた。
光忠さんは彼に気付くと、手を振りながら声をかけた。
「石切丸さーん!」
石切丸さんと呼ばれた彼は、光忠さんに緩く手を振り返す。緑色の着物が揺れた。
「やあ、光忠さん。久しぶり。元気だったかい。おや、今日は一人じゃないんだね」
「石切丸さんこそ、大事無いかい。彼女は僕のお隣さんのナマエさん。今日はここの景色を見せたくて、連れて来たんだ」
「私はいつも通りだよ。そうか、君が例のお隣さんか。光忠さんからお話は聞いているよ。私は石切丸という。ここの神主をしているんだ」
光忠さんはこの人に私のことをどう話しているのだろう。緊張してきた。
「お、お世話になっております。ナマエです。と、とても素敵な神社ですね。お美しいです」
緊張しすぎてついめちゃくちゃかしこまってしまい、あ、と思っていると石切丸さんはクスクス笑って顔の前で手を振った。
「そんなにかしこまらないでおくれ。もちろんこの神社をほめてくれたのはとても嬉しいけれどね。手入れのし甲斐があるというものだ」
なんて人好きのする笑顔だろう。雰囲気が柔らかいから全く気が付かなかったが、近づいてみたらこの人めちゃくちゃ背が高い。ゆうに180㎝は超える身長に、分厚い胸板。着物に隠れてはいるが、意外とムキムキだ。大きい。光忠さんより大きい。すごい。
「私は祈祷に戻るけれど、二人はぜひ景色を楽しんでいっておくれ。それでは失礼するよ」
「それじゃあ、行こうか。見せたいものはもっと向こうにあるんだ」
光忠さんの後を追い、境内を進む。お賽銭箱などがあるメインの場所から少し離れたところに、それはあった。
「わぁ!きれい!」
たくさんの紫陽花に囲まれた狭い道の先に、苔むした小さな小屋があった。ひしめくビル群も、灰色のアスファルトも見えない。まるでここだけ大昔に戻ってしまったかのような景色だった。
「それは良かった。どこに咲いている紫陽花よりも、ここの紫陽花が一等きれいなんだよ。ずっと手入れされているし、石切丸さんが土のphを変化させているおかげで花の色がグラデーションになってるんだ」
「わ、本当だ。これを一人で管理してるんですか、すごいですね……」
「ね、ものすごい情熱だよね」
「本当に。あ、あの小屋は何なんですか?光忠さん、何かご存じですか?」
「この小屋は大昔からあるものらしくてね。石切丸さんのご先祖様が代々管理してきたものなんだって。中に何があるのかは僕も知らないんだけどね」
もしかしたら何もないかもね、なんて言って光忠さんは笑う。このちょっといたずらな笑顔がとても眩しい。この人は本当に、雨でも風でも花でも古びた小屋でも、何を背景にしてもそのすべてをキラキラさせてしまうなあ。
つい見とれていると、光忠さんはまた笑う。今度は柔らかい、慈悲のこもった笑顔だった。
「ああやっぱり、ナマエさん、紫陽花が似合うね」
「えっ」
「とても似合うよ。この淡い色のグラデーションがとても似合う。もちろん何色でも似合うけれど、これは格別に似合うね。うん。やっぱり連れてきてよかった。」
「もう、照れちゃいますよ。そんなに褒めても何も出ません」
「あっはっは。別に何もいらないよ。また今度僕と出かけてくれればいいさ。ほら、指切りしてよ」
光忠さんが小指を出す。なんだかどきどきしながら私もそれに小指を絡ませる。意外とこの人は子供っぽいところがあるなあと思った。
そこから来た道を戻り、すっかり忘れていた洗濯物を取り行き、帰宅するまでの記憶はなんだか曖昧だった。ただ、光忠さんがくれたクッキーの箱を開けてそこに紫陽花型のクッキーを見たとき、光忠さんの声が鮮明に思い出されて。それから絡ませた小指の感触もなんだかいやにはっきりと蘇ってきて、ちょっとだけ顔が赤くなった気がした。
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