隣の伊達さん
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ねえ、私達、もう分かり合えないのかな」
ぽつりと呟いた言葉は、どうやら彼の耳にしかと届いたようだった。
「分かり合う? そんな気なんてこれっぽっちもないくせによく言うぜ。お前が言う分かり合うってのは、一方的に意見を押し付ける、の間違いなんだよ」
帰ってきたのは、予想通りの言葉。それはそうだ。私だって最初から分かっていた。決して分かり合うことなどできない。そういう運命なのだ。悲しいかな、どれだけ親しいものでさえ、運命には抗えない。争う他ないのだ。
遡ること数時間前
突然正国がふと私の目の前に、現金の入った封筒を置いた。
「え、何よ。宿泊費?」
「まあ似たようなもんだな。おふくろからだ」
「わあいおかあさんだいすき」
「てことで、今日の飯は手作りでよろしく」
「えっ、なんでよ」
「ちゃんと自炊できるのか確認して来いって言われてんだよ。まあ俺は食えれば何でも良いからな。適当に簡単なの作ってくれ」
「くそっ、折角美味しいもの食べようと思ったのに…」
しかし母の命ならば仕方がない。私の料理の腕前をしっかりと正国に見せつけてやろう。
そうと決まれば買い出しに行かなくてはならない。あいにく今、冷蔵庫の中には飲み物とヨーグルト、調味料などの、お腹を満たすことはできないものしか入っていないのだ。
「それじゃあ行こう。荷物持ちよろしくね」
「ッチ。仕方ねえな」
大変、たいへん、たいっっっへんに不服そうにされたが、荷物持ちを手に入れることができた。
そしてやってきた近所のスーパーのお菓子コーナーを何気なく見ていたとき、冒頭の事件が起こってしまったのだ。
「タケノコが一番に決まってるでしょう!?あの生地の良さが分からないって言うの?」
「キノコ一択だろうが!やっぱりお前みたいなガサツな女は指先が汚れることにも気が配れねえんだな」
「指先が汚れるのが嫌なら箸でも使って食べたら良いじゃん!手で摘んでる時点でもう指先は汚れてんのよ」
「汚れの度合が違うじゃねえか!チョコがベッタリくっついたら気持ちわりいだろう」
「あーもう、うるさい!とにかく、私はタケノコの町しか許さないから」
「キノコの丘の良さが分かんねえなんてほんとに残念な女だな!もういいからさっさと歩けよ!さっきから何でそんなに遅えんだよ!足が短えんじゃねえの?」
「今脚の長さ関係ないでしょ!そんなんだからいつまで経ったって彼女の一人もできないんじゃないの?」
「うるせえ、俺は興味ねえだけだよ」
「嘘ね。あんた小学生の頃『前の席のやつが気になる』って言ってたじゃん。もうそれは恋じゃん。確定じゃん。じゃん」
「何で知ってんだよ!しかもそれ何年前の話だ!あとじゃんじゃんうるせえ!」
「ぎねくんに教えてもらったの。さすがあんたの親友ね、何でも知ってたわ」
「あの野郎、許さねえ」
ぎゃいぎゃいと言い争いをしていると、聞き覚えのある声がした。
「あれ、ナマエさん?」
「光忠さん!」
そこには、そう、キラキラしたお隣さんがいた。
「どうしてこんな所に?」
「どうしてって……。僕も買い物くらいするよ。ここが一番近いスーパーだしね」
そっか。光忠さんってスーパーで買い物するんだ……。てっきり、産地とか成分とか、こだわりにこだわりぬいたものしか食べないと思ってた。こんなthe庶民的な所に来るなんて思ってもいなかった。
「つい癖で、コスパとか考えちゃうんだよね。節約しながらたくさん料理を作るのは得意なんだ」
意外すぎるでしょう。今の所、私の中でのスーパーマーケットが似合わない男性ランキング、ぶっちぎりで一位です。ちなみに国永さんと広光くんは同率で一位。
だって光忠さんはただスーパーのカゴを持っているだけなのに、人から出ていい量ではない色気が出てしまっている。私のような一般人にはむしろ刺激が強すぎて毒なので早めにしまってほしい。
「そうだ、光忠さん、光忠さんは、キノコとタケノコ、どっち派ですか」
「えっ、急にどうしたの。僕はタケノコ派だけれど」
不思議そうに目を瞬かせる光忠さんの答えを聞いて、勝利を確認した私は拳をぐっと握った。
「やったぁ!多数決でタケノコの勝利ね。はい、この戦争終わり。終戦よ終戦」
ありがとう光忠さん、とはしゃぐ私に「よく分からないけど、喜んでもらえて嬉しいよ。あっ、兄さん野放しにしてるんだった。ごめんね、行かなくちゃ。それじゃあ、また」と言って、彼は調味料コーナーへと向かっていった。
大変不服そうな目で正国がこちらを見てくるが、そんなことは知ったこっちゃない。
勝ち誇っている私をジト目で見てくる正国の後ろから、見覚えのある人物が近付いてきた。
見覚えはあるが、もう何年も会っていないかった人。
「あれ、やっぱり正国だ。なにしてんだ、こんなとこで」
ぎねくん。写真で見るよりも随分背が高く見えるし、大人っぽくなった。まあ彼が私のことを覚えているかは分からないが、なんだか懐かしい気持ちになった。
「ぎね、お前もなんでこんなとこにいんだよ」
彼がここに来るのは珍しいことだったようで、驚いたように正国がそう言った。それはそうか。高校生はスーパーなんてそんなに来ないよね。
「俺?俺は、ほら、彼女が手料理振舞ってくれるって言うから、その買い出しに。で、お前は?」
「俺はこいつの荷物持ち」
こいつ、という言葉に誘われてこちらを向いたぎねくんと、目が合った。
覚えてるかな。分からないけど。そう思って微笑んでおく。
一方ぎねくんは、一瞬目を見開いたかと思うと、すぐに正国の方を向いてしまった。
「え、この人って」
「あ?お前覚えてねえの?まあ仕方ないか。ナマエだよ。俺の姉ちゃん」
「あはは、久しぶりだね、ぎねくん。って、もう覚えてないかな」
「いや。いや。覚えてる。忘れたことなんてないぜ!やっぱりあんただったんだな。あまりにも大人びて綺麗になってたから、最初は見間違えかと思ったんだが」
「嬉しいこと言ってくれるのね。正国も見習ってよ」
ひじで小突けば、うるせえよ、と返ってくる。可愛くないやつめ。
「ぎねくんも、大きくなったね。前は私より小さかったのに。今じゃこんなに差が開いて……。というか、本当に大きいね。身長どのくらいなの?」
いくつだったかなぁ、と顎に手を当てて考えるぎねくんと、「190」と即答する正国。
「そうだったそうだった。そんな気がする。お前よく覚えてたなぁ」
「そりゃお前、あまりにも驚いたからな。三年前まで俺の身長とそこまで変わらなかったのに。」
「成長期ってやつだな。必死に牛乳を飲んだ甲斐があったよ」
「俺も牛乳を飲めば…」
そう言って早速牛乳を探しに行こうとしていたので、肩に手を置いて言い聞かせる。
「無理よ。うちの遺伝子的に無理よ。伸びてもあと五センチってとこね」
クソッ、と項垂れる正国の肩をポンポンと叩いて「どんまい」と笑いながら言っておく。
「それにしても、ぎねくんの彼女さんは家庭的な人なんだね。彼氏に料理を作るなんて。私も見習わなくっちゃ」
「へへっ、そうだろ」と照れ笑いをするぎねくん。
「あんたにも紹介したいけどな。アイツ恥ずかしがりやだから」
その笑顔には、一切悪意を感じない。まさに純粋。そう形容するに相応しい、そんな笑顔。ああ、この子が何時までもこうでありますように。うちの正国のように捻くれませんように。
「おい、あと30分で12時になるぞ」
時計を見てそう言った正国は、早くしろ、と急かし始めた。しかし訳が分からない私は、ただ首を傾げることしかできない。
「?それがどうしたの?見たい番組でもあった?」
「あはは、違うと思う。こいつな、きっかり12時に腹が鳴るんだ。だからいつも早弁してるんだぜ。時間が分からなくなったら、12時まで待って、正国の腹の音を聞くと良い。目安になるぜ」
なんて正確な腹時計なんだ。そこまで正確だと前世が時計だった可能性すら出てくる。
日常生活を暴露されて恥ずかしいのか、少し顔が赤くなっている。別にいいじゃないか。高校生なんてまさに食べ盛りの時期だろうに。
「うるせぇ、お前もだろ」
「違う。確かに早弁はしてるけど、俺の腹が鳴るのは12時半だ」
どうやらこっちも前世が時計だったらしい。最近の男子高校生はどうなってるんだろう。
「そういう訳だから、俺達はもう行く。お前もさっさと彼女のところへ行け。長々と惚気けやがって」
「はは、怖い顔すんなって。それじゃあ、またな、正国、ナマエちゃん」
「おう、またな」
衝撃的すぎて、引き攣った笑顔で手を振ることしかできなかった。
ちゃん。まさかの、ちゃん。いや、確かに彼は私のことをそう呼んでいた。でもそれは小学生のときの話だ。当時私は中学生。まだいたいけな少女だった。今の私はもう少しで三十路に入る社会人。あまりにも、あまりにも「ちゃん」という敬称が似合わない。国永さんじゃないけど、驚きだ。
「ちゃん、か」
「あいつ、ああいうやつだから。どうにもなんねえよ」
なんだかほんの一瞬、昔に戻ったような錯覚に陥った気がする。「ちゃん」という言葉が凄いのか、ぎねくんが凄いのかはわからないけど。