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物と人

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 主が死んだ。突然の死ではない。分かりきっていた死だった。仕方がなかったんだ。だけど、僕らは悲しまずにはいられなかった。

 人の身を得てから感じてきたものの中で、最も強い感情だった。主の死に対する悲しみが、どうしても止まらなかった。

 恋をしていたのだと思う。

 主のとる行動の一つ一つに目が離せなくなって、どうしょうもなく湧き上がってくる『愛しい』という感情を持て余していた。
 僕らはあくまでも主従の関係。それ以上でも、それ以下になってもいけない。それは人間と僕らの取り決めだった。

 人と物であり、人と付喪神であった。

 本来ありえるはずのない意思疎通が可能になった。それは喜ばしいことであった。ほんとんど奇跡のようなもの。武力による争いの無くなった世界では、僕達刀剣はただ鑑賞されるだけの鉄の塊だった。それを再び戦いの道具として使うと聞いたときは、心が踊った。もう一度、本来の使い方をされるのだ、と思った。

 顕現されてから、僕らは人間として生活した。人間の体で、人間の生活をした。笑って、泣いて、怒って。感情を表現することの楽しさを知った。そしていつしか、主に夢中になっていた。最初は、それが恋だと思わなかった。恋を知らなかったわけじゃない。僕は文系だから、歌に詠まれたものや、物語になっているものを知っていた。ただ、体験した事がなかったのだ。
 古くから人々が歌に残してきた『恋』とは、一体どんなものなのか。ずっと気になっていたことだった。

 百聞は一見に如かずとは、よく言ったものだ。酷く苦しくて、そして愛しい。甘美な感情だった。ある種の幸福を僕は味わっていたのだと思う。

 愚かなことに、それが恋だと気づいたのは、主が死ぬと分かってからだった。

 主を手放したくない。この感情の行き場を失いたくない。その感情に悩まされ、三日三晩考え込んだ。

 そうすると、『自分は何なのか』という疑問に行き着いた。詳しい経緯は省くが、そうなったのだ。
 自分は刀であるのか。それとも神であるのか。はたまた人であるのか。
 刀は恋をしない。神は人と同じ生活をしない。人は時空を越えない。ならば僕は、何なのか。

 自分が何であるのか。それを決めるのは僕自身だった。

 長い長い葛藤の末に、僕は人であることを選んだ。主と同じになりたかった。いつの時も傍にありたかった。

 だから、僕は主の最期に、主の一部になった。

 主がここで終わってしまうならば。主にもらった生だから、終わりの時も共に。間違いなく僕は最期まで恋をしていた。好きな人と共にあれるのなら、どんな形であれ、幸せなことなのだ。盲目的な愛情を、君よどうか受け止めてはくれまいか。
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