君の幸せを願う話
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認められない。終わったなんて認めない。受け入れてしまったら全てが終わる。俺の主はあいつ一人だというのに、それを失ってしまったら、どうすればよいのだろう。
主を失ったという胸の空白は、二度ともとに戻らない。たとえあいつを見つけ出したとしても、それは俺の知らないあいつ。もしそんな現実に直面してしまったら、俺はどうなってしまうのだろう。考えたくもない。神格を失った今では、あいつを隠すことも、あいつの記憶をもとに戻すこともできない。ただの人間になってしまった俺は、あまりにも無力だった。
「倶利伽羅さん」
俺に声をかけたのは、今の俺の同僚。どれだけ撥ね付けたって、冷たくしたってめげない。そんなところがあいつに似ていて、なんとなく構ってしまっている。こうして俺は日々の中に主の鱗片を探し続けている。光忠にはやめろと言われた。虚しくなるだけだ、と。その通りだと思う。こんな行為になんの意味がある?あるわけがない。全てが悲しい独り善がり。
「相州倶利伽羅さん、聞いてますか?」
無視をしてもこうして話しかけてくる同僚に視線をやると、ぱあっと笑った。一体こいつは何故笑顔なんだ。そういうところも、あいつに酷く似てるんだ。
「あのですね、実は私水族館のチケットを貰ったんです。四枚」
そう言って、封筒を差し出してきた。中身はもちろん水族館のチケットだ。
「俺はそんな所行かない」
受け取ろうとすらしない俺に、そいつはグイグイと封筒を押し付ける。
「そんなこと言わないでくださいよ。ほら、光忠さんとかと行ったらどうですか。本当にいらなかったら、誰かに渡して構いませんから。ほら」
いらないと言っても押し付けてくるそのようすが、あいつと重なって、つい受け取ってしまった。楽しんでくださいね、と言い残して、同僚は仕事へ戻っていった。
「はぁ。水族館か」
水族館。あいつに何回か聞いたことがある。それはたいそう大きな施設であることが多いらしく、世界中の海の生き物を見ることができるらしい。あいつは「クラゲとイルカ!これは絶対に見たい!だって可愛いんだもの」と言っていた。俺は写真や映像で見れば良いだろうと言ったが、笑いながら「実物が見たいの」と返された。実物を見たところで何になるのか。どうせガラス越しの、触れることのできない、詰まらないものだろう。だが、それを見て喜ぶあいつの姿は、少しだけ見たかったとも思う。
結局俺は、あいつがいるなら何でも良いのだ。それこそあの世だろうと、地獄だろうと。
手の中にある四枚のチケットは、きっと光忠に渡るだろう。そして光忠は、俺と鶴丸国永、それから太鼓鐘貞宗をつれて、この水族館へ行く。主のいない世界ならどれでも同じだ。行こうが行くまいが、全てあいつへの想いに変わるだけ。
『伽羅ちゃんも、いつか一緒に行こうね』
そう言ってきらきらとした瞳を向けてきたあいつの顔が頭に浮かんだ。もしかしたら、もしかしたら、あいつもいるかもしれない。そんな淡い、実現するはずもない期待を抱いて、俺はチケットを光忠に渡すことにした。
✻✻✻✻✻
「いやぁ、驚いた。なんて大きな水槽だ」
あれから一週間後、俺達は水族館に来ていた。もちろん俺達を引っ張ってきたのは光忠だった。「気持ちは痛いほど分かるけど、いつまでもそんな浮かない顔してるなんて格好良くないよ」そういって、気分転換としてここに俺達を連行したのだった。
水族館の中は暗くて、青くて。まるで自分が海の底に沈んだような気分になる。
「これが、クラゲか」
小さめの水槽の中でふよふよと泳ぐそれは、いつか主が話していたクラゲ、というものだった。半透明の小さな体で、水槽という小さな世界を生きている。
「わぁ、クラゲだ。かわいい!」
ふいに、隣から声がした。その声を、どこかで聞いたことがある気がして、俺は声の方を見た。
「あんたは……」
そこにいたのは主だった。間違いない。主だ。暗い館内で、ライトアップされた水槽からの光がその目に映って、きらきらと輝いている。
俺の声に気づいたのか、主はこちらを見た。
「あっ、倶利伽羅さん」
こんな所で会うなんて、びっくりしました。
そう言ってニコリと笑う。
心臓がきゅうっと締め付けられた。悲しいのか嬉しいのか分からない。脳が考えることを放棄したがっている。
「奇遇ですね。まさか倶利伽羅さんがいるなんて。驚きです」
「光忠に連れて来られただけだ」
ドクドクと駆け足で鳴る心臓に気付かないふりをして、冷静を装ってそう答えた。あんたがいることを期待していた、なんて、死んでも口に出せない。
「倶利伽羅さんは、新しい職場見つかりましたか?」
「ああ。まあな」
「そうなんですね。私もです。一時はどうなることかと思いましたけど、一安心ですね」
「そうだな」
そうだった。そういうことにされているんだった。なんて忌々しい。あの本丸で、ずっとあのままいられたらどれだけ良かったか。己の本霊が原因の一端を担っているとはいえ、やはり腹が立つ。
「倶利伽羅さんは、お一人ですか?それとも、誰かと?」
「光忠と国永、それから、貞宗と来ている」
「そうなんですね!いやぁ、なんだか懐かしい面々ですね。あの頃に戻りたいなぁ、なんて。あはは」
俺だって戻りたい。あんたが記憶を取り戻してくれたらどれだけ良いか。そう叫びそうになって、慌てて口を噤む。
「そうだな」
やっと絞り出したのは、たったそれだけのフレーズだった。
「ふふっ」
「何かおかしいか?」
「いや、そうじゃなくて。水槽の照明が反射して、倶利伽羅さんの目、すごくキラキラしてるから」
つい。そう言ってクスリと笑うこいつに、どうしようもなく胸が揺さぶられる。
「俺にもあんたがそう見えている」
主は一瞬驚いたような顔をしたあと、照れ臭そうに笑った。その笑顔は、審神者のときのこいつと何ら変わりが無かった。
「あはは、おそろいですね」
主は自分の前髪を触って、それから思い出したように言った。
「倶利伽羅さんって、クラゲ見るの初めてですか?」
『大倶利伽羅は、クラゲ見るの初めて?』
いつかの主と、目の前の主の姿が重なった。
「ああ。本物をこうして見るのは初めてだな」
昔の自分は『ああ』とだけ答えたのだったか。
「そうなんですね。どおりで、楽しそうなわけですね」
『楽しそうに見るね。そうだ、いつか、皆で水族館に行こう』
過去の光景がフラッシュバックする。これは約束を果たしたと言って良いのだろうか。いいや、違う。あいつは俺に敬語なんて使わない。変に真面目で少し抜けてて、掃除が嫌いなあいつは、今目の前にいるこの人間とは違うんだ。
「それじゃあ、楽しんでくださいね!」
あんたが、俺達の主であったあいつに戻ってくれたら、どれだけいいことか。同じ形をした、別の人間。外見が同じだけで、こうも心が揺さぶられるものか。その中身も、同じであったなら。
叶わない願いを募らせて、俺はクラゲエリアを去った。何も考えずに浮遊しているあの白い生き物が、少しだけ憎らしかった。
主を失ったという胸の空白は、二度ともとに戻らない。たとえあいつを見つけ出したとしても、それは俺の知らないあいつ。もしそんな現実に直面してしまったら、俺はどうなってしまうのだろう。考えたくもない。神格を失った今では、あいつを隠すことも、あいつの記憶をもとに戻すこともできない。ただの人間になってしまった俺は、あまりにも無力だった。
「倶利伽羅さん」
俺に声をかけたのは、今の俺の同僚。どれだけ撥ね付けたって、冷たくしたってめげない。そんなところがあいつに似ていて、なんとなく構ってしまっている。こうして俺は日々の中に主の鱗片を探し続けている。光忠にはやめろと言われた。虚しくなるだけだ、と。その通りだと思う。こんな行為になんの意味がある?あるわけがない。全てが悲しい独り善がり。
「相州倶利伽羅さん、聞いてますか?」
無視をしてもこうして話しかけてくる同僚に視線をやると、ぱあっと笑った。一体こいつは何故笑顔なんだ。そういうところも、あいつに酷く似てるんだ。
「あのですね、実は私水族館のチケットを貰ったんです。四枚」
そう言って、封筒を差し出してきた。中身はもちろん水族館のチケットだ。
「俺はそんな所行かない」
受け取ろうとすらしない俺に、そいつはグイグイと封筒を押し付ける。
「そんなこと言わないでくださいよ。ほら、光忠さんとかと行ったらどうですか。本当にいらなかったら、誰かに渡して構いませんから。ほら」
いらないと言っても押し付けてくるそのようすが、あいつと重なって、つい受け取ってしまった。楽しんでくださいね、と言い残して、同僚は仕事へ戻っていった。
「はぁ。水族館か」
水族館。あいつに何回か聞いたことがある。それはたいそう大きな施設であることが多いらしく、世界中の海の生き物を見ることができるらしい。あいつは「クラゲとイルカ!これは絶対に見たい!だって可愛いんだもの」と言っていた。俺は写真や映像で見れば良いだろうと言ったが、笑いながら「実物が見たいの」と返された。実物を見たところで何になるのか。どうせガラス越しの、触れることのできない、詰まらないものだろう。だが、それを見て喜ぶあいつの姿は、少しだけ見たかったとも思う。
結局俺は、あいつがいるなら何でも良いのだ。それこそあの世だろうと、地獄だろうと。
手の中にある四枚のチケットは、きっと光忠に渡るだろう。そして光忠は、俺と鶴丸国永、それから太鼓鐘貞宗をつれて、この水族館へ行く。主のいない世界ならどれでも同じだ。行こうが行くまいが、全てあいつへの想いに変わるだけ。
『伽羅ちゃんも、いつか一緒に行こうね』
そう言ってきらきらとした瞳を向けてきたあいつの顔が頭に浮かんだ。もしかしたら、もしかしたら、あいつもいるかもしれない。そんな淡い、実現するはずもない期待を抱いて、俺はチケットを光忠に渡すことにした。
✻✻✻✻✻
「いやぁ、驚いた。なんて大きな水槽だ」
あれから一週間後、俺達は水族館に来ていた。もちろん俺達を引っ張ってきたのは光忠だった。「気持ちは痛いほど分かるけど、いつまでもそんな浮かない顔してるなんて格好良くないよ」そういって、気分転換としてここに俺達を連行したのだった。
水族館の中は暗くて、青くて。まるで自分が海の底に沈んだような気分になる。
「これが、クラゲか」
小さめの水槽の中でふよふよと泳ぐそれは、いつか主が話していたクラゲ、というものだった。半透明の小さな体で、水槽という小さな世界を生きている。
「わぁ、クラゲだ。かわいい!」
ふいに、隣から声がした。その声を、どこかで聞いたことがある気がして、俺は声の方を見た。
「あんたは……」
そこにいたのは主だった。間違いない。主だ。暗い館内で、ライトアップされた水槽からの光がその目に映って、きらきらと輝いている。
俺の声に気づいたのか、主はこちらを見た。
「あっ、倶利伽羅さん」
こんな所で会うなんて、びっくりしました。
そう言ってニコリと笑う。
心臓がきゅうっと締め付けられた。悲しいのか嬉しいのか分からない。脳が考えることを放棄したがっている。
「奇遇ですね。まさか倶利伽羅さんがいるなんて。驚きです」
「光忠に連れて来られただけだ」
ドクドクと駆け足で鳴る心臓に気付かないふりをして、冷静を装ってそう答えた。あんたがいることを期待していた、なんて、死んでも口に出せない。
「倶利伽羅さんは、新しい職場見つかりましたか?」
「ああ。まあな」
「そうなんですね。私もです。一時はどうなることかと思いましたけど、一安心ですね」
「そうだな」
そうだった。そういうことにされているんだった。なんて忌々しい。あの本丸で、ずっとあのままいられたらどれだけ良かったか。己の本霊が原因の一端を担っているとはいえ、やはり腹が立つ。
「倶利伽羅さんは、お一人ですか?それとも、誰かと?」
「光忠と国永、それから、貞宗と来ている」
「そうなんですね!いやぁ、なんだか懐かしい面々ですね。あの頃に戻りたいなぁ、なんて。あはは」
俺だって戻りたい。あんたが記憶を取り戻してくれたらどれだけ良いか。そう叫びそうになって、慌てて口を噤む。
「そうだな」
やっと絞り出したのは、たったそれだけのフレーズだった。
「ふふっ」
「何かおかしいか?」
「いや、そうじゃなくて。水槽の照明が反射して、倶利伽羅さんの目、すごくキラキラしてるから」
つい。そう言ってクスリと笑うこいつに、どうしようもなく胸が揺さぶられる。
「俺にもあんたがそう見えている」
主は一瞬驚いたような顔をしたあと、照れ臭そうに笑った。その笑顔は、審神者のときのこいつと何ら変わりが無かった。
「あはは、おそろいですね」
主は自分の前髪を触って、それから思い出したように言った。
「倶利伽羅さんって、クラゲ見るの初めてですか?」
『大倶利伽羅は、クラゲ見るの初めて?』
いつかの主と、目の前の主の姿が重なった。
「ああ。本物をこうして見るのは初めてだな」
昔の自分は『ああ』とだけ答えたのだったか。
「そうなんですね。どおりで、楽しそうなわけですね」
『楽しそうに見るね。そうだ、いつか、皆で水族館に行こう』
過去の光景がフラッシュバックする。これは約束を果たしたと言って良いのだろうか。いいや、違う。あいつは俺に敬語なんて使わない。変に真面目で少し抜けてて、掃除が嫌いなあいつは、今目の前にいるこの人間とは違うんだ。
「それじゃあ、楽しんでくださいね!」
あんたが、俺達の主であったあいつに戻ってくれたら、どれだけいいことか。同じ形をした、別の人間。外見が同じだけで、こうも心が揺さぶられるものか。その中身も、同じであったなら。
叶わない願いを募らせて、俺はクラゲエリアを去った。何も考えずに浮遊しているあの白い生き物が、少しだけ憎らしかった。