歌仙兼定
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昔からなんとなく、自分が世界から必要とされていない人間なんじゃないかと思っていた。
学校に通ってもたいしてぱっとした成績を出せず、習い事をしてもすぐに飽きてやめてしまう。友達にもすぐに飽きてしまい、本当に友人と呼べる人はほんの数人だけだった。そのせいもあって、何処へ行っても大して目立たず、空気のように、ただそこにいるだけの存在になることが多かった。
だから、審神者に召集されたとき、やっと自分は必要とされるんだ、と舞い上がった。
周りでは家族と引き離され嘆き悲しむ人たちが、死にそうな顔で俯いていたけれど、私は悲しみなんてちっとも感じなかった。
今までぼんやりと、ただなんとなく生きてきた私の人生に、初めて意味が生まれるかもしれなかったから。
渡された本丸が、これからの私の人生の全てに思えて、ひたすらに愛おしかった。
初期刀は歌仙兼定にした。理由は特にない。直感で選んだ。
初鍛刀は今剣だった。歌仙と今剣はこの本丸を支えていくうえで大変お世話になった二振りである。
最初に戦場で拾ったのは鯰尾藤四郎だった。良いムードメーカーになってくれて、本丸をいつも明るい雰囲気にしてくれた。おかげで、後から来た山姥切国広や江雪左文字にも笑顔が見れる本丸になった。
私は国に必要とされたことが嬉しくて、ひたすらに頑張った。一時期トップランカーに名を連ねていたこともある。そのくらい、私の本丸は優秀だった。
刀剣達は審神者の指示がなくても、自分で必要だと思うことをそれぞれ判断して行動できるようになった。自立し始めたのだ。
その様子を見た私は、何だか親になったような気分で、少し寂しかったけれど、嬉しくもあった。
あるとき、政府から通達が来た。私の本丸の刀剣男士を他の本丸に渡し、新しい刀剣男士を教育してくれないか、とのことだった。
私は、必要とされている、と喜び、二つ返事で了承した。刀剣男士がいなくなるのが寂しくなかった訳ではない。でもそれ以上に、国からあてにされていることの喜びの方が大きかった。
最初に居なくなったのは獅子王だった。悲しそうな顔をしていたけど、「あなたはその本丸に必要とされているのよ。寂しくなるけど、私も頑張るから。お互い頑張ろうね」と送り出した。
それを皮切りに、次々に刀剣男士が入れ替わっていった。そして送り出した刀剣男子の同位体を育て、また送り出す。
いつしか、私の本丸にいるのは皆数振目の子たちばかりになった。
そんな中で歌仙だけが唯一、一振り目のままだった。
何度か歌仙を送ってくれと依頼が来たけれど、初期刀の彼には一等愛着が湧いてしまって、どうしても手放せなかった。
何度も入れ替わる刀剣達を見てきた歌仙に、一度だけ、質問されたことがある。
「君は、今まで一緒に戦ってきた仲間が居なくなって、寂しくないのかい? それとも、同じ見た目だから気にならない?」
「うーん、本当は寂しいよ。でも、国から必要とされたなら、それに応えられたほうが彼らにとって幸せなんじゃないかって思って。私も審神者に召集されたとき、とても嬉しかったから。家族の元を離れるのは寂しかったけどね、それ以上に、わたしを求めてくれた事が嬉しかった。だから、送り出すことにしたの」
歌仙は「そうかい」と答えた。それきり、その話題について触れて来ることはなかった。
ある朝、私が起きると本丸には歌仙以外の刀が一振りもいなくなっていた。
「歌仙、どうして誰もいないの? 早く今日のノルマをこなさないと」
何故か出陣のときの衣装を来た歌仙は、ニコニコと絶えず笑みを浮かべていた。
「主、もう出陣も遠征もしなくていいんだ。政府は君を手放した」
「? 何を言っているのか分からないよ。あっ、もしかしてドッキリ? 鶴丸辺りが考えたのかな。よく長谷部が許したね。一振りもいないなんて、そんなに遊びたかったのかな。今度皆でどこかへ旅行に行く?」
早く業務を開始しよう、と急かす私は歌仙を押したが、彼はびくともしなかった。
どうしたのだろう、と彼を見上げると、やはり笑みを崩さずに、不自然なほど自然な笑みでまた喋りだした。
「主、鬼ごっこをしよう。僕が鬼だよ。主がゲートにたどり着くまで間に僕に捕まったら、真名を差し出してもらうからね」
「どうしたの歌仙。意味分かんないよ。冗談なら勘弁して。私忙しいんだよ」
「冗談だと思うのかい? 僕は本気だよ。なんなら君を今ここで斬ってしまってもいいんだ」
そう言って歌仙はスラリとその美しい刀を抜いた。よく手入れされたそれは、不気味なほど鋭く光っていた。
「それじゃあ、十数えるよ。精一杯足掻いてみせてくれ。僕はその精一杯をひねり潰す」
そう言うと、いち、にい、さん、と数え始めた。
歌仙の目を見て冗談ではないと思った私は、必死にゲートまで走ろうとした。しかし、たったの十秒では逃げ切れるはずもなく、およそ人では出せないような速度で追いかけてきた歌仙に簡単に左手首を捕まれてしまった。
「捕まえた」
楽しそうに笑う歌仙に底知れない恐怖を覚え、たすけて、と喚きながら逃げようと藻掻く。
そんな私を、歌仙は愛しいものを見るような目で見ていた。
「何故誰も助けに来てくれないんだと思う? それは、君が必要とされなくなったからだ。今この世界で君を必要としているのは僕だけ。さあ、僕に君の真名を頂戴。そうしたら、僕はずっと君を求めてあげる。君は、必要とされたいんだろう?」
「それはそうだけど……。でも、歌仙だけじゃない。時の政府は私を必要としてくれてる。私に特別な仕事を任せてくれてるもの」
「君は人の話を良く聞くべきだね。言っただろう。政府は君を手放したって。どうしてか知ってるかい? 知らないよね。だって僕しか知らないからね。あのね、君が大切に育てて送り出した刀剣は、皆が皆各本丸で問題を起こしているんだよ」
「……え」
「ちょっと君にはつらい話かと思ったから今まで黙ってたけれどね。最初に行ったのは獅子王だったよね。彼は新しい本丸の主と気が合わなかったようでね。本丸の主を斬って、行方不明になっているよ。そうだ、君の初鍛刀の今剣だけどね、派遣された本丸ごと、消えてしまったそうだよ」
「うそ、うそだよね、だって獅子王も今剣もあんなに良い子だったもの」
きっと脅しに決まってる。本当なはずがない。獅子王は、「上手くやってくるぜ!」と言っていたし、今剣は「きっとなしとげてみせますよ」と言っていた。
あれ、上手くやる? 成し遂げる? 何を?
「うんうんそうだね。ここでは、良い子だったね。そんな彼らが何故そういった行動に出たのか、君には分かるかい?」
「対人関係が上手くいかなかったから、じゃないの」
「ハズレだよ。まったく、僕の主はとんだお馬鹿さんだね。彼らはね、君に捨てられたのが悲しかったんだ」
「捨てた? 私捨ててなんて」
「君はそうだったのだろうね。でも彼らは違う。君の元を離れたくなどなかったんだよ。何せ大切にされていたからね。いつしか君が言った『家族みたいだね』という言葉にとても喜んでいたよ。だからこそ、自分を送り出した君が許せなかった。君は政府に必要とされたことが嬉しくて気づいていなかったのだろうけど、彼らは確かに悲しんでいたよ。離れたくないと君に直談判しに行っても、返ってくる言葉は『必要とされているのだから頑張れ』だ。どれだけつらかっただろうね。君にはきっと分かりはしないのだろうけれど。それでも笑顔で君の元を去ったのは、君に必要とされたからだ」
歌仙は笑みを悲しそうな顔に変えながらそう語った。
「僕らは末席も末席もだけど、神なんだ。神は人に必要とされて初めて存在できるもの。だからね、自分を呼び出した君に必要とされれば、それはどんなことより嬉しいことだったんだよ」
神様。そうだ、忘れかけていた。彼等はあまりにも人間的だが、神様だ。付喪神。刀の神様。このありえないほどの美貌も、歴史修正主義者軍を相手にできるのも、彼等が神様だからだ。それに気づくと、何だか歌仙が急に、今までとは違う、遠い存在に思えてきた。
「どうしたんだい?ああ、そんなに怯えなくったって、斬ったりしないさ。真名を教えてくれたら、の話だけれど」
歌仙はまた笑顔に戻って、優しく語りかけてきた。依然掴まれたままの手首が痛い。
「痛いよ歌仙。やめて、離してよ。いやだ、怖い」
そう訴えると、手首を掴む力が少し弱まった。
「僕は文系だからね。野蛮な連中とは違って、そう簡単に君を傷つけたりしないよ。でもね、かと言ってここで君を離すつもりもないんだよ。主、周りをよく見てご覧。まだ気付いていないのだろうけど、ここはもう、半分僕の神域のようなものだよ」
その言葉にぎょっとして、よく働かない頭で必死に周りを観察する。
霧が濃くかかり、本来なら美しい桜があったはずの庭はよく見えない。
足元にも靄のようなものがあって、床がハッキリ見えない。
鳥の囀りくらい聞こえても良いはずなのに、私と歌仙以外に音を発するものもない。
それらに気付き歌仙を見上げようとすると、一瞬驚いて力が緩んだ隙を付かれ、近くの壁に縫い止められてしまった。
自由だった右手も、今はガッチリと拘束されている。
「命を無駄にするのは雅じゃいよ。ねえ、もしこのまま僕に斬られてしまったら、君はこの先誰にも必要とされることはないんだよ。僕だって君を斬りたい訳じゃないしね。君が大切だから、こうして提案しているんだよ。僕は君が欲しいんだ。ねえ主、きちんと目を見て話をしてほしいな」
有無を言わさぬ口調で語られ、恐る恐る歌仙の目を見た。それは初めて会ったときと変わらずそこにあったが、美しく輝いていたはずの2つの青緑は、今は美しく濁っていた。ドロリとした感情を孕んだ、宝石のようなそれから、何故か私は目を離せなくなった。数十秒間、もしかしたら数秒だったのかもしれないが、無言で見つめられて、死にたくなくて、必要とされたくて、私は、私は、私は
「わたし、は、ミョウジ、ナマエ」
瞬間、ありえないほどの多幸感に襲われた。
神様に魂を握られた者は、その感情や思考さえ意のままにされてしまう。そんな話を思い出した。
「うん、良い子だ。さあ、僕と共に神域へ行こう。そこで永遠に楽しく暮らそうね。」
そう囁かれたとき、私の魂が完全に歌仙に掌握されるのを感じた。もうこの身は私のものでは無くなってしまった。でも、今の私にはそれすら嬉しいことに感じられた、
うん、と頷いて、歌仙の手を取る。何だか意識がふわふわしていてなにが何だか分からないけれど、歌仙の手は暖かくて心地がよかった。その手を離れないようしっかり握り、歌仙の胸に顔をうずめる。
つい嬉し涙を流してしまった私の頭を優しく撫でてくれる歌仙が、ひどく愛おしく思えた。
「皆心待ちにしていたんだ。君が来て、やっとこの場所は完成するんだよ。さあ、僕の、僕らのために創った君の本丸へ行こう」
みんな?
「ああ。今剣が手に入れた本丸を使ってたんだ。ネズミがいたようだから駆除しておいた。なんの心配もいらないよ。獅子王は三年も待ったからね。君に話したいことがたくさんあるはずだよ。ここの生活になれたら、たくさん聞いてやるといい。そうだ、山姥切国広と江雪左文字、それから宗三左文字は前よりよく笑うようになったよ。君が見たらきっと驚くだろうね。今日はこの場所が完成した日だから、燭台切光忠にたくさん美味しいものを用意してもらおう。ぱあてぃー、というやつだね。僕も腕を振るおうかな。ああでも、今日は君のそばにいたいから、それはまた別の機会に、だね」
私を抱きしめたまま話していた歌仙は、そこまで喋ると、ふっと力を緩めた。そして私の隣に立つと、急に視界に光が入ったことに驚き目を細めている私の手を取った。
「ここが、君の本丸が、あるべき姿で存在する場所だ。これから、ゆっくり慣れていこうね」
うん、と答えて歌仙の手をぎゅっと握る。
歌仙は、それをさらに強く、しかし優しく握り返してくれた。
「今はまだ、僕に魂を握られ感情を操られている偽物の君だけど、いつか絶対に本物にしてみせるからね。なに、焦る必要はないんだ。時間はたくさんあるから。ねえナマエ、僕はそれが楽しみだよ」
偽物だとか本物だとか、よく分からないけれど、歌仙が楽しみだと言うのなら、それは私にとっても楽しみなこと。だから、私は心からの笑顔で、私も、と応える。
歌仙は満足そうにしていたので、わたしも満足だった。
私は庭に植えられている桜を見て、きれいだね、と呟いた。
散ればこそいとど桜はめでたけれ
浮き世になにか久しかるべき
「桜は散るからこそ美しいんだ。でも、現世にあって散らない物などないだろう。花も、人も、現世の全てはいつかは滅び行くものだ。情緒があって素敵だけど、それでは僕は満足できない。僕が欲しいのは永遠だ。君を囲える永遠こそ、僕の本懐なんだよ」
その声は、溶かされてしまいそうなほど優しかった。
学校に通ってもたいしてぱっとした成績を出せず、習い事をしてもすぐに飽きてやめてしまう。友達にもすぐに飽きてしまい、本当に友人と呼べる人はほんの数人だけだった。そのせいもあって、何処へ行っても大して目立たず、空気のように、ただそこにいるだけの存在になることが多かった。
だから、審神者に召集されたとき、やっと自分は必要とされるんだ、と舞い上がった。
周りでは家族と引き離され嘆き悲しむ人たちが、死にそうな顔で俯いていたけれど、私は悲しみなんてちっとも感じなかった。
今までぼんやりと、ただなんとなく生きてきた私の人生に、初めて意味が生まれるかもしれなかったから。
渡された本丸が、これからの私の人生の全てに思えて、ひたすらに愛おしかった。
初期刀は歌仙兼定にした。理由は特にない。直感で選んだ。
初鍛刀は今剣だった。歌仙と今剣はこの本丸を支えていくうえで大変お世話になった二振りである。
最初に戦場で拾ったのは鯰尾藤四郎だった。良いムードメーカーになってくれて、本丸をいつも明るい雰囲気にしてくれた。おかげで、後から来た山姥切国広や江雪左文字にも笑顔が見れる本丸になった。
私は国に必要とされたことが嬉しくて、ひたすらに頑張った。一時期トップランカーに名を連ねていたこともある。そのくらい、私の本丸は優秀だった。
刀剣達は審神者の指示がなくても、自分で必要だと思うことをそれぞれ判断して行動できるようになった。自立し始めたのだ。
その様子を見た私は、何だか親になったような気分で、少し寂しかったけれど、嬉しくもあった。
あるとき、政府から通達が来た。私の本丸の刀剣男士を他の本丸に渡し、新しい刀剣男士を教育してくれないか、とのことだった。
私は、必要とされている、と喜び、二つ返事で了承した。刀剣男士がいなくなるのが寂しくなかった訳ではない。でもそれ以上に、国からあてにされていることの喜びの方が大きかった。
最初に居なくなったのは獅子王だった。悲しそうな顔をしていたけど、「あなたはその本丸に必要とされているのよ。寂しくなるけど、私も頑張るから。お互い頑張ろうね」と送り出した。
それを皮切りに、次々に刀剣男士が入れ替わっていった。そして送り出した刀剣男子の同位体を育て、また送り出す。
いつしか、私の本丸にいるのは皆数振目の子たちばかりになった。
そんな中で歌仙だけが唯一、一振り目のままだった。
何度か歌仙を送ってくれと依頼が来たけれど、初期刀の彼には一等愛着が湧いてしまって、どうしても手放せなかった。
何度も入れ替わる刀剣達を見てきた歌仙に、一度だけ、質問されたことがある。
「君は、今まで一緒に戦ってきた仲間が居なくなって、寂しくないのかい? それとも、同じ見た目だから気にならない?」
「うーん、本当は寂しいよ。でも、国から必要とされたなら、それに応えられたほうが彼らにとって幸せなんじゃないかって思って。私も審神者に召集されたとき、とても嬉しかったから。家族の元を離れるのは寂しかったけどね、それ以上に、わたしを求めてくれた事が嬉しかった。だから、送り出すことにしたの」
歌仙は「そうかい」と答えた。それきり、その話題について触れて来ることはなかった。
ある朝、私が起きると本丸には歌仙以外の刀が一振りもいなくなっていた。
「歌仙、どうして誰もいないの? 早く今日のノルマをこなさないと」
何故か出陣のときの衣装を来た歌仙は、ニコニコと絶えず笑みを浮かべていた。
「主、もう出陣も遠征もしなくていいんだ。政府は君を手放した」
「? 何を言っているのか分からないよ。あっ、もしかしてドッキリ? 鶴丸辺りが考えたのかな。よく長谷部が許したね。一振りもいないなんて、そんなに遊びたかったのかな。今度皆でどこかへ旅行に行く?」
早く業務を開始しよう、と急かす私は歌仙を押したが、彼はびくともしなかった。
どうしたのだろう、と彼を見上げると、やはり笑みを崩さずに、不自然なほど自然な笑みでまた喋りだした。
「主、鬼ごっこをしよう。僕が鬼だよ。主がゲートにたどり着くまで間に僕に捕まったら、真名を差し出してもらうからね」
「どうしたの歌仙。意味分かんないよ。冗談なら勘弁して。私忙しいんだよ」
「冗談だと思うのかい? 僕は本気だよ。なんなら君を今ここで斬ってしまってもいいんだ」
そう言って歌仙はスラリとその美しい刀を抜いた。よく手入れされたそれは、不気味なほど鋭く光っていた。
「それじゃあ、十数えるよ。精一杯足掻いてみせてくれ。僕はその精一杯をひねり潰す」
そう言うと、いち、にい、さん、と数え始めた。
歌仙の目を見て冗談ではないと思った私は、必死にゲートまで走ろうとした。しかし、たったの十秒では逃げ切れるはずもなく、およそ人では出せないような速度で追いかけてきた歌仙に簡単に左手首を捕まれてしまった。
「捕まえた」
楽しそうに笑う歌仙に底知れない恐怖を覚え、たすけて、と喚きながら逃げようと藻掻く。
そんな私を、歌仙は愛しいものを見るような目で見ていた。
「何故誰も助けに来てくれないんだと思う? それは、君が必要とされなくなったからだ。今この世界で君を必要としているのは僕だけ。さあ、僕に君の真名を頂戴。そうしたら、僕はずっと君を求めてあげる。君は、必要とされたいんだろう?」
「それはそうだけど……。でも、歌仙だけじゃない。時の政府は私を必要としてくれてる。私に特別な仕事を任せてくれてるもの」
「君は人の話を良く聞くべきだね。言っただろう。政府は君を手放したって。どうしてか知ってるかい? 知らないよね。だって僕しか知らないからね。あのね、君が大切に育てて送り出した刀剣は、皆が皆各本丸で問題を起こしているんだよ」
「……え」
「ちょっと君にはつらい話かと思ったから今まで黙ってたけれどね。最初に行ったのは獅子王だったよね。彼は新しい本丸の主と気が合わなかったようでね。本丸の主を斬って、行方不明になっているよ。そうだ、君の初鍛刀の今剣だけどね、派遣された本丸ごと、消えてしまったそうだよ」
「うそ、うそだよね、だって獅子王も今剣もあんなに良い子だったもの」
きっと脅しに決まってる。本当なはずがない。獅子王は、「上手くやってくるぜ!」と言っていたし、今剣は「きっとなしとげてみせますよ」と言っていた。
あれ、上手くやる? 成し遂げる? 何を?
「うんうんそうだね。ここでは、良い子だったね。そんな彼らが何故そういった行動に出たのか、君には分かるかい?」
「対人関係が上手くいかなかったから、じゃないの」
「ハズレだよ。まったく、僕の主はとんだお馬鹿さんだね。彼らはね、君に捨てられたのが悲しかったんだ」
「捨てた? 私捨ててなんて」
「君はそうだったのだろうね。でも彼らは違う。君の元を離れたくなどなかったんだよ。何せ大切にされていたからね。いつしか君が言った『家族みたいだね』という言葉にとても喜んでいたよ。だからこそ、自分を送り出した君が許せなかった。君は政府に必要とされたことが嬉しくて気づいていなかったのだろうけど、彼らは確かに悲しんでいたよ。離れたくないと君に直談判しに行っても、返ってくる言葉は『必要とされているのだから頑張れ』だ。どれだけつらかっただろうね。君にはきっと分かりはしないのだろうけれど。それでも笑顔で君の元を去ったのは、君に必要とされたからだ」
歌仙は笑みを悲しそうな顔に変えながらそう語った。
「僕らは末席も末席もだけど、神なんだ。神は人に必要とされて初めて存在できるもの。だからね、自分を呼び出した君に必要とされれば、それはどんなことより嬉しいことだったんだよ」
神様。そうだ、忘れかけていた。彼等はあまりにも人間的だが、神様だ。付喪神。刀の神様。このありえないほどの美貌も、歴史修正主義者軍を相手にできるのも、彼等が神様だからだ。それに気づくと、何だか歌仙が急に、今までとは違う、遠い存在に思えてきた。
「どうしたんだい?ああ、そんなに怯えなくったって、斬ったりしないさ。真名を教えてくれたら、の話だけれど」
歌仙はまた笑顔に戻って、優しく語りかけてきた。依然掴まれたままの手首が痛い。
「痛いよ歌仙。やめて、離してよ。いやだ、怖い」
そう訴えると、手首を掴む力が少し弱まった。
「僕は文系だからね。野蛮な連中とは違って、そう簡単に君を傷つけたりしないよ。でもね、かと言ってここで君を離すつもりもないんだよ。主、周りをよく見てご覧。まだ気付いていないのだろうけど、ここはもう、半分僕の神域のようなものだよ」
その言葉にぎょっとして、よく働かない頭で必死に周りを観察する。
霧が濃くかかり、本来なら美しい桜があったはずの庭はよく見えない。
足元にも靄のようなものがあって、床がハッキリ見えない。
鳥の囀りくらい聞こえても良いはずなのに、私と歌仙以外に音を発するものもない。
それらに気付き歌仙を見上げようとすると、一瞬驚いて力が緩んだ隙を付かれ、近くの壁に縫い止められてしまった。
自由だった右手も、今はガッチリと拘束されている。
「命を無駄にするのは雅じゃいよ。ねえ、もしこのまま僕に斬られてしまったら、君はこの先誰にも必要とされることはないんだよ。僕だって君を斬りたい訳じゃないしね。君が大切だから、こうして提案しているんだよ。僕は君が欲しいんだ。ねえ主、きちんと目を見て話をしてほしいな」
有無を言わさぬ口調で語られ、恐る恐る歌仙の目を見た。それは初めて会ったときと変わらずそこにあったが、美しく輝いていたはずの2つの青緑は、今は美しく濁っていた。ドロリとした感情を孕んだ、宝石のようなそれから、何故か私は目を離せなくなった。数十秒間、もしかしたら数秒だったのかもしれないが、無言で見つめられて、死にたくなくて、必要とされたくて、私は、私は、私は
「わたし、は、ミョウジ、ナマエ」
瞬間、ありえないほどの多幸感に襲われた。
神様に魂を握られた者は、その感情や思考さえ意のままにされてしまう。そんな話を思い出した。
「うん、良い子だ。さあ、僕と共に神域へ行こう。そこで永遠に楽しく暮らそうね。」
そう囁かれたとき、私の魂が完全に歌仙に掌握されるのを感じた。もうこの身は私のものでは無くなってしまった。でも、今の私にはそれすら嬉しいことに感じられた、
うん、と頷いて、歌仙の手を取る。何だか意識がふわふわしていてなにが何だか分からないけれど、歌仙の手は暖かくて心地がよかった。その手を離れないようしっかり握り、歌仙の胸に顔をうずめる。
つい嬉し涙を流してしまった私の頭を優しく撫でてくれる歌仙が、ひどく愛おしく思えた。
「皆心待ちにしていたんだ。君が来て、やっとこの場所は完成するんだよ。さあ、僕の、僕らのために創った君の本丸へ行こう」
みんな?
「ああ。今剣が手に入れた本丸を使ってたんだ。ネズミがいたようだから駆除しておいた。なんの心配もいらないよ。獅子王は三年も待ったからね。君に話したいことがたくさんあるはずだよ。ここの生活になれたら、たくさん聞いてやるといい。そうだ、山姥切国広と江雪左文字、それから宗三左文字は前よりよく笑うようになったよ。君が見たらきっと驚くだろうね。今日はこの場所が完成した日だから、燭台切光忠にたくさん美味しいものを用意してもらおう。ぱあてぃー、というやつだね。僕も腕を振るおうかな。ああでも、今日は君のそばにいたいから、それはまた別の機会に、だね」
私を抱きしめたまま話していた歌仙は、そこまで喋ると、ふっと力を緩めた。そして私の隣に立つと、急に視界に光が入ったことに驚き目を細めている私の手を取った。
「ここが、君の本丸が、あるべき姿で存在する場所だ。これから、ゆっくり慣れていこうね」
うん、と答えて歌仙の手をぎゅっと握る。
歌仙は、それをさらに強く、しかし優しく握り返してくれた。
「今はまだ、僕に魂を握られ感情を操られている偽物の君だけど、いつか絶対に本物にしてみせるからね。なに、焦る必要はないんだ。時間はたくさんあるから。ねえナマエ、僕はそれが楽しみだよ」
偽物だとか本物だとか、よく分からないけれど、歌仙が楽しみだと言うのなら、それは私にとっても楽しみなこと。だから、私は心からの笑顔で、私も、と応える。
歌仙は満足そうにしていたので、わたしも満足だった。
私は庭に植えられている桜を見て、きれいだね、と呟いた。
散ればこそいとど桜はめでたけれ
浮き世になにか久しかるべき
「桜は散るからこそ美しいんだ。でも、現世にあって散らない物などないだろう。花も、人も、現世の全てはいつかは滅び行くものだ。情緒があって素敵だけど、それでは僕は満足できない。僕が欲しいのは永遠だ。君を囲える永遠こそ、僕の本懐なんだよ」
その声は、溶かされてしまいそうなほど優しかった。
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