見習い事変(完)
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「歌仙、何も斬らなくたってよかったんじゃないかな、こんのすけだよ……?」
声やら手やらを震わせながらそう問いかける私の肩をがっちりと掴むと、歌仙は諭すような眼をして口を開いた。
「主、まだわからないのかい。ぼくを除いて、キミの味方はいなくなってしまったんだ。あのままこんのすけを野放しにしておけば、どうなるか分かったものではない。分かってくれ。僕らが助かるためにはこうするしかないんだ」
本気で私を心配してくれているのは分かるが、なんだか今の彼はあまりにも思想が過激すぎる。気がする。
「でも、こんのすけがいないとゲートは開かないよ。水仙くんに上書きされてるから。次のこんのすけがそのうち送り込まれてくるだろうから、そうしたらすぐに政府に連絡して逃げよう。それまで何とかここに閉じこもってやり過ごさないと」
そう、今はその先のことを考えないと。
しかし、どうしても先ほどのこんのすけのことが気になってしまい、なかなか思考がまとまらない。
私がうだうだと悩んでいると、歌仙は優しく私の頭に手を乗せた。
「大丈夫。きみは僕が守るから。どんな脅威だってきみに指一本触れさせないさ。だから、僕を信じてくれ」
その優しい言葉は、私のこころを落ち着かせた。
そう、私は大丈夫。だって歌仙が守ってくれるから。きっと水仙君にたぶらかされたされたであろうこんのすけだって、迷わず切ってくれたんだ。すべては私のために。私も歌仙になにかできないかな。早くここから逃げて、どこか、安全な場所へ行ったらきっと。
「と言っても、暫くはどうしようもないからね。ここに閉じこもるしかないのだけどね。ねえ主、少し話をしよう」
やることもないので、歌仙の話に耳を傾ける。
「こんな時にする話ではないのだけどね。きみは、この本丸に来た最初の日を覚えているかい? 僕ははっきりと覚えているよ。忘れたことなどないさ」
その日のことなら、私もよく覚えている。
就任したてで、まだ右も左も分からなかった私を、歌仙は常に支えてくれていた。
初陣でボロボロに傷付いて帰ってきた彼を見て、こんのすけは無情にも、「誰もが通る道です。チュートリアルのようなものですよ」と言い放った。
酷い管狐だ、と思った。刀剣男士は仮にも人の形をした、私達に力を貸してくれる神様だというのに、まるで傷つくことが当然のような顔をしていた。それには強い憤りを感じたものだ。
帰ってきた歌仙を走って迎えに行き、管狐の指示通りに手入れをした。初めての手入れでとても緊張したけれど、苦しそうな顔をして血を流している初期刀をみれば、そんな気持ちはすぐに消し飛んだ。
心を無にして、ただひたすら目の前の神様を癒やすことだけを考えて打粉を叩いた。政府が支給してくれていた手伝い札のお陰で、通常よりも早く手入れを終わらせることができた。
二度と、彼を傷つけたくない。
その一心で、必死に審神者業をこなした。中傷になったら絶対に撤退。できることなら軽傷でも戻らせる。他の本丸に比べるとなかなか戦果を上げられない戦法ではあったが、それでも良かった。歌仙も「僕らには僕らのやり方があるさ」と言ってくれた。
戦果の乏しかった最初の頃は、政府からネチネチと嫌味を言われることもあった。そんなとき私を支えてくれたのは、いつだって歌仙だった。
やがて刀剣男士が揃い始め、刀帳もかなり埋まってくると、政府からのお小言はピタリと止んだ。
してやったり、と勝ち誇り、歌仙に改めて感謝の気持ちを伝えたりもした。
刀剣男士は戦場に身を置き、危険に晒されながら歴史を守る。そんな彼らに比べて、私といえば、ただ本丸から見守り、たまに支持を出すことしかできない。中には自らも出陣するというとんでもない審神者がいるらしいが、あいにく私はそれができる武闘派ではない。
普段できることが少ない代わりに、彼らのお願いはなるべく叶えてあげよう、と思っていた。
だから、就任して四周年のとき、本丸のみんなの欲しいものを何でも、ひとつだけ、あげることにした。
欲しいものを紙に書いて、執務質の前に置いてある箱に入れてもらった。
そうしてみんなの欲しいものを把握し、それを用意した。かなり個性的なお願いもあったと思う。例えば長谷部は……、あれ、何をあげたんだっけ。何だろう、主命とかだったから、忘れちゃったのかな、私。他の刀剣男士は、そう、薬研なんかは、ほら、えっと、あれ。
だめだ、何をあげたのか、思い出せない。
燭台切も、鶴丸も、鶯丸も、小夜も、蜂須賀も、蛍丸も、岩融も、青江も。
歌仙でさえも。
おかしい。こんなの絶対におかしい。確かに私は、四周年のプレゼント企画を実施したはずなのだ。回答用の紙を配ったし、それを回収するための箱だって用意した。もちろんその中身を取り出して読んだ記憶もある。短刀の字は拙くて可愛らしかったし、三日月や石切丸の字は達筆すぎてなかなか解読できなかったことも覚えている。それなのに、それなのに。その内容を一切覚えていない。
これは、どういうことだろう。
「あるじ、主、聞いているのかい」
その声で思考の海から引き上げられ、はっと顔をあげた。
「ご、ごめん。それで、何の話だっけ」
考え事をしていて、と言い訳すれば、歌仙は仕方なさそうにしながらも、もう一度話してくれた。
「きみへの感謝の気持ちは、ずっと忘れてないって話さ。僕が存在できるのは、きみのおかげなんだ。本当に、ありがとう」
改めてそう言われるとなんだかこそばゆくて、顔が赤くなってしまう。照れ隠しに顔を手で覆いながら「私も、感謝してるよ」と言えば、歌仙はふっと柔らかい笑顔を溢した。それから佇まいを直すと、私の頬を両手で包み込んだ。
「だからこそ、僕は君を助けたいんだ。だから」
その後に続く言葉は、氷のような声に遮られた。
「だから、なんです?それは本当に彼女のためですか?歌仙兼定」
水仙君が、そこにいた。
「水仙君、なんで、どうして」
彼を阻むための結界は、どうしたというのだろう。そんな私の心の声を聞いたかのように、何ともない顔をして彼は言った。
「結界なら、破りました。俺、そういうのは得意なんです」
さらに歌仙の方に顔を向けると「俺はあなた達が何をしたのか、知ってますよ」と水仙君は言う。
やばいどうしよう、まったく状況が読めない。
「あじさいさん、気づきませんできたか? おかしいと思いませんでしたか? ああいや、気づけないようにされているんですね。あじさいさん、さっきから思考がめちゃくちゃになっていたりはしませんか」
言われてみれば、そんな気がしないでもない。しかし、歌仙が守ってくれるから大丈夫なはずなんだ。怖いことは全部歌仙が退けてくれる。……?
「彼女に何を吹き込むつもりなんだい。刀剣男士だけでは飽き足らず、審神者まで害しようというのか」
そうだ。みんなみんな取られてしまった。私の本丸だったのに。邪魔な私は一体どうされてしまうのだろう。やだよ、怖いよ歌仙。そう訴えかけるように、くい、と歌仙の袖を握る。
「大丈夫だよ。さあ、はやくここから出よう」
そうだ。はやくここを出て歌仙の神域へ行かなくては。逃げ道はもうそこしかないのだ。
「大切にしてね。お願いだから。私にはもう歌仙しかいないの」
「ああ。もちろんだとも。僕にも君だけだよ」
そんな私達のやり取りを見て、水仙君は悲痛そうな顔をした。
「ああ、こんなに侵食が進んでるなんて……。瞳の色が変わり始めてる。まずいですね。そろそろ人でなくなる頃ですか。やめてください、と言ってもやめないのでしょう? ならば、こちらもそれなりのことをさせてもらいますよ」
そう言った彼が懐から取り出したのは、一枚の札だった。
「それは一体何なの?」
「呪殺札です。神隠し対策の、最後の切り札ですよ」
呪殺札。噂には聞いていたが、見るのは初めてだった。末席とは言え神を存在の根幹から害すことのできる貴重なもの。神隠しされてしまっては現世に戻ることなどできないので、どうしても情報が少なくなる。
「これを使えば、歌仙兼定が物言わぬ鉄に戻るのと引き換えに、あなたを救えます。俺のことを恨んでもいい。でも、あなたを連れて行かせるわけには行かないんです。分かってください」
そう語る水仙君を歌仙は鼻で笑い、挑発するように首を傾げた。
「そんなに僕らを止めたいのなら、君が乗っ取った刀剣男士でもけしかけてきたらどうだい」
「馬鹿を言わないでください、なんで僕がこの本丸を乗っ取ったのか、分かっているんでしょう?」
キッと歌仙を睨みつけながら、水仙君はそう言った。
「分からないね。これ以上僕らを困らせるのはやめてもらおうか」
「黙りなさい。これ以上お芝居を続けるのなら、俺はこれを使います」
前に突きつけられた呪殺札。あれを貼られてしまえば歌仙は消えてしまう。
私が守らなければ。
そう考えたときには既に、歌仙の前に立ち、水仙君を睨みつけていた。
「歌仙がそれを受けるくらいなら、私が代わりになります。やれるものならやってみなさい」
水仙君は少し悲しそうな顔をすると、「そこを退いてください」と言った。
「お願いです。この札は神さえ滅ぼすもの。あなたがこの呪術を受けようものなら、きっと灰すら残らずに消えてしまいますよ」
それでも良いと思った。
彼を守って死ねるなら、それはとても幸せなことのように思えた。私を最後まで主としてくれた彼の為に消えるのなら。本望だ。
彼の手元にある呪殺札は、間違いなくあの1枚だけ。
私は知っている。神を滅ぼすほどの力を持つ札を大量に作ることはできない。水仙君に支給されたことですら、奇跡に近いほどの価値を持つ。
「やめてくれ主。そんな危険なことをしないでくれ」
歌仙は私を止めるが、しかし私は退かない。
「歌仙兼定、そこを動くな。命令です」
水仙君が放ったそれは、言霊だった。神様ですら縛ることのできる呪術。審神者であれば誰でも使えると言っても過言ではない技術だが、私はそれを彼に教えたことはない。研修の後、こっそり教えるつもりだったものだ。いつの間に習得していたのだろうか。
言霊に気を取られ、意識が一瞬逸れた、その瞬間。
「あるじ!!」
悲痛な叫び声。そのあとで、ペタリ、と、額に紙の感触がした。
「あ」
瞬間、身体から力が抜けて行き、私は立っていられなくなった。そのうち目蓋が重くなり、意識も朦朧としてきた。ここで目を閉じたら、いけない気がする。歌仙に手を伸ばすが、水仙君の言霊で縛られている彼は指一本動かすことができない。唯一動くのであろう眼球をこちらに向けて、その瞳に絶望の色を宿している。
「あるじ!あるじあるじあるじ!!くそっ、やめろ!いやだ!!!あるじぃっ!!あああああ!!」
断末魔にも似た絶叫が轟き、そこで私の意識は途絶えた。
声やら手やらを震わせながらそう問いかける私の肩をがっちりと掴むと、歌仙は諭すような眼をして口を開いた。
「主、まだわからないのかい。ぼくを除いて、キミの味方はいなくなってしまったんだ。あのままこんのすけを野放しにしておけば、どうなるか分かったものではない。分かってくれ。僕らが助かるためにはこうするしかないんだ」
本気で私を心配してくれているのは分かるが、なんだか今の彼はあまりにも思想が過激すぎる。気がする。
「でも、こんのすけがいないとゲートは開かないよ。水仙くんに上書きされてるから。次のこんのすけがそのうち送り込まれてくるだろうから、そうしたらすぐに政府に連絡して逃げよう。それまで何とかここに閉じこもってやり過ごさないと」
そう、今はその先のことを考えないと。
しかし、どうしても先ほどのこんのすけのことが気になってしまい、なかなか思考がまとまらない。
私がうだうだと悩んでいると、歌仙は優しく私の頭に手を乗せた。
「大丈夫。きみは僕が守るから。どんな脅威だってきみに指一本触れさせないさ。だから、僕を信じてくれ」
その優しい言葉は、私のこころを落ち着かせた。
そう、私は大丈夫。だって歌仙が守ってくれるから。きっと水仙君にたぶらかされたされたであろうこんのすけだって、迷わず切ってくれたんだ。すべては私のために。私も歌仙になにかできないかな。早くここから逃げて、どこか、安全な場所へ行ったらきっと。
「と言っても、暫くはどうしようもないからね。ここに閉じこもるしかないのだけどね。ねえ主、少し話をしよう」
やることもないので、歌仙の話に耳を傾ける。
「こんな時にする話ではないのだけどね。きみは、この本丸に来た最初の日を覚えているかい? 僕ははっきりと覚えているよ。忘れたことなどないさ」
その日のことなら、私もよく覚えている。
就任したてで、まだ右も左も分からなかった私を、歌仙は常に支えてくれていた。
初陣でボロボロに傷付いて帰ってきた彼を見て、こんのすけは無情にも、「誰もが通る道です。チュートリアルのようなものですよ」と言い放った。
酷い管狐だ、と思った。刀剣男士は仮にも人の形をした、私達に力を貸してくれる神様だというのに、まるで傷つくことが当然のような顔をしていた。それには強い憤りを感じたものだ。
帰ってきた歌仙を走って迎えに行き、管狐の指示通りに手入れをした。初めての手入れでとても緊張したけれど、苦しそうな顔をして血を流している初期刀をみれば、そんな気持ちはすぐに消し飛んだ。
心を無にして、ただひたすら目の前の神様を癒やすことだけを考えて打粉を叩いた。政府が支給してくれていた手伝い札のお陰で、通常よりも早く手入れを終わらせることができた。
二度と、彼を傷つけたくない。
その一心で、必死に審神者業をこなした。中傷になったら絶対に撤退。できることなら軽傷でも戻らせる。他の本丸に比べるとなかなか戦果を上げられない戦法ではあったが、それでも良かった。歌仙も「僕らには僕らのやり方があるさ」と言ってくれた。
戦果の乏しかった最初の頃は、政府からネチネチと嫌味を言われることもあった。そんなとき私を支えてくれたのは、いつだって歌仙だった。
やがて刀剣男士が揃い始め、刀帳もかなり埋まってくると、政府からのお小言はピタリと止んだ。
してやったり、と勝ち誇り、歌仙に改めて感謝の気持ちを伝えたりもした。
刀剣男士は戦場に身を置き、危険に晒されながら歴史を守る。そんな彼らに比べて、私といえば、ただ本丸から見守り、たまに支持を出すことしかできない。中には自らも出陣するというとんでもない審神者がいるらしいが、あいにく私はそれができる武闘派ではない。
普段できることが少ない代わりに、彼らのお願いはなるべく叶えてあげよう、と思っていた。
だから、就任して四周年のとき、本丸のみんなの欲しいものを何でも、ひとつだけ、あげることにした。
欲しいものを紙に書いて、執務質の前に置いてある箱に入れてもらった。
そうしてみんなの欲しいものを把握し、それを用意した。かなり個性的なお願いもあったと思う。例えば長谷部は……、あれ、何をあげたんだっけ。何だろう、主命とかだったから、忘れちゃったのかな、私。他の刀剣男士は、そう、薬研なんかは、ほら、えっと、あれ。
だめだ、何をあげたのか、思い出せない。
燭台切も、鶴丸も、鶯丸も、小夜も、蜂須賀も、蛍丸も、岩融も、青江も。
歌仙でさえも。
おかしい。こんなの絶対におかしい。確かに私は、四周年のプレゼント企画を実施したはずなのだ。回答用の紙を配ったし、それを回収するための箱だって用意した。もちろんその中身を取り出して読んだ記憶もある。短刀の字は拙くて可愛らしかったし、三日月や石切丸の字は達筆すぎてなかなか解読できなかったことも覚えている。それなのに、それなのに。その内容を一切覚えていない。
これは、どういうことだろう。
「あるじ、主、聞いているのかい」
その声で思考の海から引き上げられ、はっと顔をあげた。
「ご、ごめん。それで、何の話だっけ」
考え事をしていて、と言い訳すれば、歌仙は仕方なさそうにしながらも、もう一度話してくれた。
「きみへの感謝の気持ちは、ずっと忘れてないって話さ。僕が存在できるのは、きみのおかげなんだ。本当に、ありがとう」
改めてそう言われるとなんだかこそばゆくて、顔が赤くなってしまう。照れ隠しに顔を手で覆いながら「私も、感謝してるよ」と言えば、歌仙はふっと柔らかい笑顔を溢した。それから佇まいを直すと、私の頬を両手で包み込んだ。
「だからこそ、僕は君を助けたいんだ。だから」
その後に続く言葉は、氷のような声に遮られた。
「だから、なんです?それは本当に彼女のためですか?歌仙兼定」
水仙君が、そこにいた。
「水仙君、なんで、どうして」
彼を阻むための結界は、どうしたというのだろう。そんな私の心の声を聞いたかのように、何ともない顔をして彼は言った。
「結界なら、破りました。俺、そういうのは得意なんです」
さらに歌仙の方に顔を向けると「俺はあなた達が何をしたのか、知ってますよ」と水仙君は言う。
やばいどうしよう、まったく状況が読めない。
「あじさいさん、気づきませんできたか? おかしいと思いませんでしたか? ああいや、気づけないようにされているんですね。あじさいさん、さっきから思考がめちゃくちゃになっていたりはしませんか」
言われてみれば、そんな気がしないでもない。しかし、歌仙が守ってくれるから大丈夫なはずなんだ。怖いことは全部歌仙が退けてくれる。……?
「彼女に何を吹き込むつもりなんだい。刀剣男士だけでは飽き足らず、審神者まで害しようというのか」
そうだ。みんなみんな取られてしまった。私の本丸だったのに。邪魔な私は一体どうされてしまうのだろう。やだよ、怖いよ歌仙。そう訴えかけるように、くい、と歌仙の袖を握る。
「大丈夫だよ。さあ、はやくここから出よう」
そうだ。はやくここを出て歌仙の神域へ行かなくては。逃げ道はもうそこしかないのだ。
「大切にしてね。お願いだから。私にはもう歌仙しかいないの」
「ああ。もちろんだとも。僕にも君だけだよ」
そんな私達のやり取りを見て、水仙君は悲痛そうな顔をした。
「ああ、こんなに侵食が進んでるなんて……。瞳の色が変わり始めてる。まずいですね。そろそろ人でなくなる頃ですか。やめてください、と言ってもやめないのでしょう? ならば、こちらもそれなりのことをさせてもらいますよ」
そう言った彼が懐から取り出したのは、一枚の札だった。
「それは一体何なの?」
「呪殺札です。神隠し対策の、最後の切り札ですよ」
呪殺札。噂には聞いていたが、見るのは初めてだった。末席とは言え神を存在の根幹から害すことのできる貴重なもの。神隠しされてしまっては現世に戻ることなどできないので、どうしても情報が少なくなる。
「これを使えば、歌仙兼定が物言わぬ鉄に戻るのと引き換えに、あなたを救えます。俺のことを恨んでもいい。でも、あなたを連れて行かせるわけには行かないんです。分かってください」
そう語る水仙君を歌仙は鼻で笑い、挑発するように首を傾げた。
「そんなに僕らを止めたいのなら、君が乗っ取った刀剣男士でもけしかけてきたらどうだい」
「馬鹿を言わないでください、なんで僕がこの本丸を乗っ取ったのか、分かっているんでしょう?」
キッと歌仙を睨みつけながら、水仙君はそう言った。
「分からないね。これ以上僕らを困らせるのはやめてもらおうか」
「黙りなさい。これ以上お芝居を続けるのなら、俺はこれを使います」
前に突きつけられた呪殺札。あれを貼られてしまえば歌仙は消えてしまう。
私が守らなければ。
そう考えたときには既に、歌仙の前に立ち、水仙君を睨みつけていた。
「歌仙がそれを受けるくらいなら、私が代わりになります。やれるものならやってみなさい」
水仙君は少し悲しそうな顔をすると、「そこを退いてください」と言った。
「お願いです。この札は神さえ滅ぼすもの。あなたがこの呪術を受けようものなら、きっと灰すら残らずに消えてしまいますよ」
それでも良いと思った。
彼を守って死ねるなら、それはとても幸せなことのように思えた。私を最後まで主としてくれた彼の為に消えるのなら。本望だ。
彼の手元にある呪殺札は、間違いなくあの1枚だけ。
私は知っている。神を滅ぼすほどの力を持つ札を大量に作ることはできない。水仙君に支給されたことですら、奇跡に近いほどの価値を持つ。
「やめてくれ主。そんな危険なことをしないでくれ」
歌仙は私を止めるが、しかし私は退かない。
「歌仙兼定、そこを動くな。命令です」
水仙君が放ったそれは、言霊だった。神様ですら縛ることのできる呪術。審神者であれば誰でも使えると言っても過言ではない技術だが、私はそれを彼に教えたことはない。研修の後、こっそり教えるつもりだったものだ。いつの間に習得していたのだろうか。
言霊に気を取られ、意識が一瞬逸れた、その瞬間。
「あるじ!!」
悲痛な叫び声。そのあとで、ペタリ、と、額に紙の感触がした。
「あ」
瞬間、身体から力が抜けて行き、私は立っていられなくなった。そのうち目蓋が重くなり、意識も朦朧としてきた。ここで目を閉じたら、いけない気がする。歌仙に手を伸ばすが、水仙君の言霊で縛られている彼は指一本動かすことができない。唯一動くのであろう眼球をこちらに向けて、その瞳に絶望の色を宿している。
「あるじ!あるじあるじあるじ!!くそっ、やめろ!いやだ!!!あるじぃっ!!あああああ!!」
断末魔にも似た絶叫が轟き、そこで私の意識は途絶えた。