ちいろの海
【5:満ち潮】
「1つ、聞いてもいいですかね」
「なんだ、カカシ」
子供の頃から変わらない躾のよさに、里長は笑いを堪えて続きを促した。
律儀に手を上げて発言を求める男は、誰よりも鋭く聡い。
だから肝心な時でも意見を聞く気になれる。
「ホムラ様は、どうして今になってあの人を戦場へ?」
戦場でイルカに指示したのは、ホムラの命令書だ。
カカシが挑むような目をするのも仕方がない。
けれど、ご意見番は疲れたように息を吐いただけで、里が誇る上忍───若造の殺気など気にもとめなかった。
「ワシが知ったは、猿飛の小僧に突かれてよ」
水戸門ホムラがちらりと睨むと、アスマが大きな身体を竦める。
3代目火影とは下忍の頃から付き合いがあるホムラだ。
猿飛ヒルゼンの息子など、生まれる前から知っている。
小僧呼ばわりも当然だ。
「猿のヤツ、ワシらにも秘密にしおって……」
忌々しげな呟きは、今は亡き友人の水臭さに向けられたもの。
3代目火影はイルカの能力を正しく知っていたらしい。
だが敢えて秘密とし、彼を普通の忍びとして扱っていた。
あの力の恐ろしさを知り、忍びとしての本分を弁えて。
そして誰よりも、イルカに普通の──ただの忍びとして生きることを望んで。
ご意見番の2人と、血縁者であるアスマは知っている。
3代目がまるで孫のようにイルカを可愛がっていたことを。
「アヤツにあのような力があろうとはな……」
「じゃあ、あの命令書を書かれた時は?」
「ああ、知らんかった」
「つまり我々以外にイルカ先生の能力を知り、更に作戦に利用できる立場の者がいるということですね」
カカシの指摘に、全員がはっとした。
「ホムラ様、あの作戦を奏上したのは?」
「ちょっと待て……」
ホムラは記憶を辿る。
導くように、隣りからうたたね小春も口を出す。
「あの方面は第2作戦部が担当かのう」
「では、奏上してきたのは村雨じゃろう」
「村雨?……」
聞き覚えの無い名を繰り返すカカシに、綱手が補足してやる。
「特別上忍だ。作戦部古参アナハの右腕とも言われてるらしいな」
就任から間もなく、全員を見知っているワケではないが、綱手は多くの木ノ葉隠れの者を把握している。
「アナハさんなら知ってますよ。あの時も4代目の指示で……」
言いかけたカカシが、口をつぐんだ。
遠い、けれど鮮烈な記憶が蘇ったのだろう。
額を押さえて、低くうめく。
「どうした、カカシ」
「あの夜、そうだ……あれは、あの人だ」
何かを思い出したらしいカカシの声が、暗く響いた。
いつもの暢気者を装ったものとも、冷静な戦闘時とも違う。
初めて聞く、負の感情に支配された音だった。
「綱手様。私に、調査権限を、ください」
すぐに顔を上げて言った声は、もう平素と変わらない。
だが綱手は躊躇した。
今この場で、望むだけの権限をこの男に与えていいものか。
「……お前、何を知ってる」
時間をかせぐみたいな問いだ。
「まだ確証がないのですが……」
カカシにも綱手にも、時間は必要だ。
抱えてしまった問題は予想以上に大きく、そして難解。
下手をすれば、里の未来にさえ関わる。
「……あの夜、九尾が里を襲っている時に……」
自身の記憶を確かめるように、カカシは呟く。
「オレは、見たんです」
あの人を。
「……イルカ先生が、戦場にいるのを……」
「まさかっ! アイツはまだ下忍ですら……」
信じられない思いで吐き出したカカシと、信じられない綱手。
だがアスマは告げる。
「有名な話だ。イルカがあの晩、まだアカデミー生だってのに、前線にいたってのは……」
真実だと。
「記録も残っておるよ」
小春がアスマの言葉を肯定する。
調べれば分かる。
前線で保護されたアカデミー生がいた。
「だが誰も、あの子がどうやって前線までたどり着いたかを知らぬ」
「後に両親共に戦死しておることが分かって、両親を案じて出て行ったように記録されておる」
しかし、誰もが納得できる理由ではない。
あの苛烈を極めた戦場で忍ですらない子供が1人、誰にも見咎められずに前線までたどり着けるだろうか。
無傷で。
誰かが連れ出したと見たほうがいい。
その何者かは子供の能力を知っていた、と考えるべきではないのか。
「……カカシ、アスマ」
「ナンでしょ」
「……はっ」
「13年前の九尾襲撃の夜、アカデミー生を戦場へ連れ出した者がいたかどうか、調べてくれ」
綱手の決断に、2人の上忍は声をそろえる。
「「分かりました」」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
火影の執務室を辞してから、カカシはアスマの自宅へ寄った。
宛がわれた宿舎ではなく、猿飛の実家へ。
内容が内容だけに、ヘタな場所では話ができない。
それに、自身の記憶を確かめる必要もあった。
中庭を見渡せる客間にカカシを残し、アスマが奥へ消えてから数分。
「あったぜ……」
片手に古びた菓子箱、もう片方に茶菓子の乗った盆を手にアスマが戻ってきた。
用意をしてくれた持てなしに興味はなく、2人は早速菓子箱を開ける。
「……誰よ、このおっとこ前……」
真っ先に目に飛び込んできた、十数年前の悪友の姿に辟易としたカカシの声。
まだ髭も無く、咥えタバコもなく、すっきりと背の高い美少年。
見る影も無い過去の自身を無言で箱の外へ裏返し、アスマは箱の中を探る。
「あの頃ってえと……これ、だな……」
取り出した1枚の裏書を確認し、懐かしげな兄の目でカカシヘ差し出してやる。
「アイツが、下忍に合格した時のだ」
3代目とアスマに囲まれ、真新しい額当てをしたイルカが写っていた。
12年前の幸せそうな笑顔を、カカシの指が横切る。
辿ったのは、鼻筋を跨いだ頬の傷。
「……この子だ……」
間違いなかった。
うみのイルカに。
あの夜、カカシが見た者に。
【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/07/20
UP DATE:2005/08/10(PC)
2009/01/02(mobile)
RE UP DATE:2024/08/07
「1つ、聞いてもいいですかね」
「なんだ、カカシ」
子供の頃から変わらない躾のよさに、里長は笑いを堪えて続きを促した。
律儀に手を上げて発言を求める男は、誰よりも鋭く聡い。
だから肝心な時でも意見を聞く気になれる。
「ホムラ様は、どうして今になってあの人を戦場へ?」
戦場でイルカに指示したのは、ホムラの命令書だ。
カカシが挑むような目をするのも仕方がない。
けれど、ご意見番は疲れたように息を吐いただけで、里が誇る上忍───若造の殺気など気にもとめなかった。
「ワシが知ったは、猿飛の小僧に突かれてよ」
水戸門ホムラがちらりと睨むと、アスマが大きな身体を竦める。
3代目火影とは下忍の頃から付き合いがあるホムラだ。
猿飛ヒルゼンの息子など、生まれる前から知っている。
小僧呼ばわりも当然だ。
「猿のヤツ、ワシらにも秘密にしおって……」
忌々しげな呟きは、今は亡き友人の水臭さに向けられたもの。
3代目火影はイルカの能力を正しく知っていたらしい。
だが敢えて秘密とし、彼を普通の忍びとして扱っていた。
あの力の恐ろしさを知り、忍びとしての本分を弁えて。
そして誰よりも、イルカに普通の──ただの忍びとして生きることを望んで。
ご意見番の2人と、血縁者であるアスマは知っている。
3代目がまるで孫のようにイルカを可愛がっていたことを。
「アヤツにあのような力があろうとはな……」
「じゃあ、あの命令書を書かれた時は?」
「ああ、知らんかった」
「つまり我々以外にイルカ先生の能力を知り、更に作戦に利用できる立場の者がいるということですね」
カカシの指摘に、全員がはっとした。
「ホムラ様、あの作戦を奏上したのは?」
「ちょっと待て……」
ホムラは記憶を辿る。
導くように、隣りからうたたね小春も口を出す。
「あの方面は第2作戦部が担当かのう」
「では、奏上してきたのは村雨じゃろう」
「村雨?……」
聞き覚えの無い名を繰り返すカカシに、綱手が補足してやる。
「特別上忍だ。作戦部古参アナハの右腕とも言われてるらしいな」
就任から間もなく、全員を見知っているワケではないが、綱手は多くの木ノ葉隠れの者を把握している。
「アナハさんなら知ってますよ。あの時も4代目の指示で……」
言いかけたカカシが、口をつぐんだ。
遠い、けれど鮮烈な記憶が蘇ったのだろう。
額を押さえて、低くうめく。
「どうした、カカシ」
「あの夜、そうだ……あれは、あの人だ」
何かを思い出したらしいカカシの声が、暗く響いた。
いつもの暢気者を装ったものとも、冷静な戦闘時とも違う。
初めて聞く、負の感情に支配された音だった。
「綱手様。私に、調査権限を、ください」
すぐに顔を上げて言った声は、もう平素と変わらない。
だが綱手は躊躇した。
今この場で、望むだけの権限をこの男に与えていいものか。
「……お前、何を知ってる」
時間をかせぐみたいな問いだ。
「まだ確証がないのですが……」
カカシにも綱手にも、時間は必要だ。
抱えてしまった問題は予想以上に大きく、そして難解。
下手をすれば、里の未来にさえ関わる。
「……あの夜、九尾が里を襲っている時に……」
自身の記憶を確かめるように、カカシは呟く。
「オレは、見たんです」
あの人を。
「……イルカ先生が、戦場にいるのを……」
「まさかっ! アイツはまだ下忍ですら……」
信じられない思いで吐き出したカカシと、信じられない綱手。
だがアスマは告げる。
「有名な話だ。イルカがあの晩、まだアカデミー生だってのに、前線にいたってのは……」
真実だと。
「記録も残っておるよ」
小春がアスマの言葉を肯定する。
調べれば分かる。
前線で保護されたアカデミー生がいた。
「だが誰も、あの子がどうやって前線までたどり着いたかを知らぬ」
「後に両親共に戦死しておることが分かって、両親を案じて出て行ったように記録されておる」
しかし、誰もが納得できる理由ではない。
あの苛烈を極めた戦場で忍ですらない子供が1人、誰にも見咎められずに前線までたどり着けるだろうか。
無傷で。
誰かが連れ出したと見たほうがいい。
その何者かは子供の能力を知っていた、と考えるべきではないのか。
「……カカシ、アスマ」
「ナンでしょ」
「……はっ」
「13年前の九尾襲撃の夜、アカデミー生を戦場へ連れ出した者がいたかどうか、調べてくれ」
綱手の決断に、2人の上忍は声をそろえる。
「「分かりました」」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
火影の執務室を辞してから、カカシはアスマの自宅へ寄った。
宛がわれた宿舎ではなく、猿飛の実家へ。
内容が内容だけに、ヘタな場所では話ができない。
それに、自身の記憶を確かめる必要もあった。
中庭を見渡せる客間にカカシを残し、アスマが奥へ消えてから数分。
「あったぜ……」
片手に古びた菓子箱、もう片方に茶菓子の乗った盆を手にアスマが戻ってきた。
用意をしてくれた持てなしに興味はなく、2人は早速菓子箱を開ける。
「……誰よ、このおっとこ前……」
真っ先に目に飛び込んできた、十数年前の悪友の姿に辟易としたカカシの声。
まだ髭も無く、咥えタバコもなく、すっきりと背の高い美少年。
見る影も無い過去の自身を無言で箱の外へ裏返し、アスマは箱の中を探る。
「あの頃ってえと……これ、だな……」
取り出した1枚の裏書を確認し、懐かしげな兄の目でカカシヘ差し出してやる。
「アイツが、下忍に合格した時のだ」
3代目とアスマに囲まれ、真新しい額当てをしたイルカが写っていた。
12年前の幸せそうな笑顔を、カカシの指が横切る。
辿ったのは、鼻筋を跨いだ頬の傷。
「……この子だ……」
間違いなかった。
うみのイルカに。
あの夜、カカシが見た者に。
【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/07/20
UP DATE:2005/08/10(PC)
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RE UP DATE:2024/08/07