ちいろの海

【4:極夜海峡】



 アスマは浜に近い家の井戸を借り、イルカに水を浴るよう指示した。
 村人にもだが、撤退を待つ木ノ葉の忍たちにも彼の姿は見せられない。

「まぁ、そのまんまじゃ次の伝令にゃいけねえからな」

 意識して、里で接している時と変わらぬ口調を保っているアスマ。
 無言で頷きだけ返し、イルカは井戸端へ向かう。

「あと、頼むわ」

「そっちもよろしくー」

 イルカのことをカカシに任せ、アスマは集落の代表へこの付近での戦闘が終了した旨を告げにいく。

 途中、待機していたゲンマの隊に事後処理を託すことも彼の役目だ。
 のんびりと遠ざかるアスマの背にカカシは手を振る。

 イルカは井戸端で額当てを外して髪を解き、水を浴び始めた。

 装備はそのまま、何度も水を汲み上げては浴びる。
 戦闘は終わったとはいえ、彼は任務中だ。

 カカシはすることもなく、傍らでただ様子を眺める。

 いや、水滴の流れ落ちる首筋から目を離せなかった。
 落ちかかる髪で表情が見えなくなっていることを惜しいと思う。
 そんな自身の思いを持て余し、ふざけた調子で声を掛けた。

「そーいや、イルカ先生が髪下ろしたの初めてみましたよ」

 返事はない。

 何度も水を汲んでは、頭からかぶり続ける肩が、小刻みに震えていた。
 水が冷たいせいだけではないのだろう。

「イルカ先生」

 戸惑いながら、カカシは名を呼んだ。

 イルカも自身の能力に恐怖を抱いているのかもしれない。

「大丈夫、デスか……」

 届く寸前まで伸ばした自分の手は、彼の震える肩に触れてみたいのか。

 けれど慰めなのか、それとも彼を欲しているのか。
 それがまだ分からない今は、ダメだと自分に言い聞かせる。

「オレ、外してましょうか?」

 言外に、泣きたいのではないかと聞いた。

 カカシにだってそれぐらいの優しさ───いや、分別はある。
 
 男だからとか、忍者だからではなく、泣くべき時に泣かずにいたら人間らしさや心が壊れていくのだ。

 けれど、予想していた通り。

「……大丈夫です……」

 うつむいたままで、感情の読み取れない声がもれる。

 分かっていた。
 1人でも、イルカは泣かない。

 彼は忍者を目指す子供らに、忍の心得を諭す立場にある人間だ。
 多分、辛い時ほど、涙は見せない。

 何度もこんな場面に出くわしてきた。

 その度に、悲しい。

 そして思い出す。

 かつて、自身が傷つけた人々を。
 人であり続け、忍として死んだ仲間を。

 そして、思い知る。

 こんな時にかけるべき言葉を持たない自分を。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 潮も返り血も洗い流したイルカは、濡れた装備があらかた乾くと本部へ戻っていった。

 その後を、カカシは所在なげについていく。

 向けられる視線が痛かった。

 里へ戻るアスマやカカシの班とは別に、残って戦闘の痕跡───つまり死体の処理と、警戒の任務につく彼ら。

 霧隠れの忍の死に様を目の当たりにし、イルカへの恐怖を募らせているのだ。
 すれ違う村人も嫌な目で彼を伺い、遠ざかっていく。

 覚えのある、光景だ。

 過去の記憶が、カカシの中で渦を巻き始めている。

 自分の腹に何が封じられているのか、何故人々から忌み嫌われるのか知らない子供。

 馴染み深い里の様子を一変させ、尊敬する師を失った一夜の出来事。

 死なせてしまった仲間から譲り受けた稀有な能力を持つ目と自身への僻み。

 仲間を助けるために任務を放棄した父を弾圧した部下たち。

 あの頃に見た、目。

 それが今、先をゆく人に向けられていた。

 何故か、カカシにはそれがとても堪らない。

 対立したこともある。
 けれど、イルカのまっすぐな心根や、志は嫌いではなかった。

 懸命な彼の生き方が。

 忍であっても、こんな生き方が考え方ができるのだと。

───……好き、だったのかもね

 彼にも深い闇があった。

 それでも彼は、うみのイルカであろうとしている。

 これまでの、好ましいと思った彼の姿は偽りではない。
 彼が彼自身であろうとした、精一杯だったのだろう。
 
 だから、惹かれたのかもしれない。

 誰もが。

 アスマもゲンマも能力は恐れても、イルカ自身を嫌っている風ではなかった。
 できるなら、彼の力になりたい姿勢もみせている。
 何より、あの能力を吹聴したりしていない。

 何か、方法はあるはずだ。

 自分たちは、木ノ葉隠れの忍たちは乗り越えられる。
 あの九尾の恐怖さえ、懸命に生きるうずまきナルトという下忍の姿に薄れつつあるのだから。

「イルカ先生」

 決意を込め、カカシは顔をあげて名を呼んだ。
 見つめる先で、ゆっくりと振り返る顔は見慣れた表情ではない。

「ご苦労様でした。まだ次の任地があるでしょうけど……」

 今は、この虚ろな顔もイルカなのだと思える。

「また、里でね……」

 カカシは柔らかく、微笑んでみせる。

 ここから、未来へ向けて歩き出すために。

「……ええ」

 訝しげにうなずいたイルカはそれだけを返し、誰もいない番屋で装備を整える。
 背嚢を背負い、外していたホスルターを着け、小屋をでた。

 正面から彼を見据え、カカシは何度もイルカに言われていた言葉を口にする。

「気をつけてね、イルカ先生」
 
 信頼に心配が入り混じった笑顔と、送り出されてたいた自身の心境を思い出しながら。

 イルカはただ儀礼的に深々と頭を下げ、次の戦地へ向けて発った。

 カカシが望んだ、あの笑顔は見せずに。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 それから数週間。

 またいくつかの任務をこなして里へ戻ってきたカカシは、大門でアスマに出迎えられた。

「やー、ムッサイお出迎えー」

 茶化すが突っ込みもいれず、そのまま5代目火影の執務室へと連れて行かれる。
 放り込まれた部屋には里長だけでなく、ご意見番の2人までが待っていた。

「揃ったな」

 執務机に堆く積まれた書類の間から、綱手が促す。

「はじめてくれ」

「これが、最も古い記録の記述じゃ」

 分厚い書類の束を乗せた小机の脇に立ち、うたたね小春が1枚を読み始めた。

「ようやくチャクラの概念が確立され、国家によって忍者に相当する能力を持つ者が管理され始めた頃じゃな」

 人間の繁殖が実験で繰り返され、不確定な発現だった能力も高確率で遺伝するようになった。

 能力者の子は能力者になる。

 今でこそ当たり前のことが、そのようにして確立したのだ。

 作られたという不快感は否めないが、今はそこを言及している場合ではない。

「今でこそ《血継限界》と呼ばれておる能力に、妙というか……研究意図とは逆のものがあったようでな」

 つまりは、反能力。

「チャクラに全く反応せぬ者。チャクラを吸収し続ける者などじゃな」

「稀な能力だな」

 綱手は医療に精通しているだけあって、ないとは言わない。
 きっと、これまで見聞きしているのだろう。

 それに大蛇丸が行なった人体改造にも、似たものがあった。
 彼も何らかの形でこの事を知った1人だろう。

 だが普通の忍に比べれば絶対数が少ない。

「仕方あるまい」

「望まれぬ能力を持った者は、悲惨よ」

 心中の疑問に、ご意見番2人は遠まわしに答えてきた。
 更なる実験や繁殖の素材とされたか、破棄されたか、と。

「ワシら忍の血には、無下に流された血の末裔も僅かにだが混じっておるものよ」

「長い時間をかけて薄まったり、濃ゆうなったりしながらな……」

 気が遠くなるほどの年月の果てに、つもり積った人の業が生み出したもの。
 
 それが、あの凄まじい能力だというのか。

 カカシは思い出していた。

 何度、水をかぶってもイルカの身体から染み出してくる返り血を。

 あれは、流れていくのではない。

 彼にまとわりつく、逃れようのない宿命だ。



 【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/07/08
UP DATE:2005/07/20(PC)
   2009/01/02(mobile)
RE UP DATE:2024/08/07
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