ちいろの海
【2:暗闇岩礁】
村の南に展開する隊へ戻ったカカシは、アスマらと打ち合わせた通り撤退を告げる。
「全員荷物まとめて。夜が明けたら里へ戻るよ」
「は、はいっ!」
突然の命令を訝しく聞きながらも部下たちは準備に取り掛かる。
膠着状態の戦地にいるより、里へ帰れることが嬉しいのだろう。
部下たちは皆、長期戦になるとみての交替だと考えているらしい。
「隊長、後続はいつこちらに?」
「後続はないよ。明朝、別働隊が敵さんを殲滅してくれるってさ」
何の気なしにカカシが発した言葉に、部下たちは動きをとめた。
「殲滅って……」
「まさか……」
「……あいつが、来てるのか」
不安げに交わされる囁きを聞き逃さず、カカシは問う。
「なに? 何か知ってんの、お前ら?」
イルカ先生のこと。
訊ねるカカシへ、はっきりと答えくれるものはいなかった。
「いえ、ただ……」
「以前、あいつが殲滅戦に出たって噂を……」
「オレ、見ました……イルカさんが、殲滅戦に出たのをっ」
まだ若い中忍だけが訴えるように、告げる。
「忍の戦い方なんかじゃありませんでしたっ」
先程ゲンマが見たという殲滅戦のことなのだろう。
「まるで……」
その戦いを見たという若い中忍の怯え方。
噂でしか知らぬ部下たちの不快感。
これと似たものを、カカシは知っている。
「……九尾です」
「滅多なことっ、言うんじゃーなーいよっ」
ぽつりと呟いた部下の言葉に重ねて、カカシはおどけた台詞を発していた。
だが、いつになく強い口調に部下たちは一斉に黙る。
「あー」
決まり悪げに咳払いをして、続ける。
「いーよ。あ、オレは別働隊の作戦に参加すから、お前らは別命あるまで待機」
「……はい」
手早く自分の装備をまとめると、カカシは1人隊を離れて本部へ取って返した。
その道すがら、思うのは先程のことばかり。
───九尾の妖狐
あの忌わしい記憶は、カカシの中にもある。
木ノ葉隠れの里に住まう者で、何も亡くさずに済んだ者はいない。
だから十数年を経た今でも、里の者にとって《九尾》は最大の禁忌であり、恐怖だ。
だが同時に、カカシにとっては数少ない温かな感情を抱く存在に繋がる事件でもある。
目を覆いたくなるほどのおちこぼれで、空回りしやすいけれど頑張り屋な部下。
うずまきナルト。
誰にも認められずに里で孤立していたナルトを認めた男。
うみのイルカ。
彼らに会って、辛い過去も前を向いていればいつしか思い出になるのだと、カカシは理解した。
だからこそ、先程の若い中忍の言葉が気になった。
───イルカ先生が、九尾みたいだって……?
そんなはずはない。
あの夜の災厄は、人の能力で引き起こせるようなものではなかった。
そんな、はずはない。
若い中忍は、九尾を直接見たことない年齢だ。
大人たちが恐れるのを見聞きし、自分の中で最も恐ろしい記憶と重ねているだけだろう。
───だって、イルカ先生は……
誰よりも九尾を恐れ、憎んでいるだろう。
けれど、九尾を封じられたナルトを精一杯愛したのは、イルカだ。
中忍か忍者アカデミー教師としては優秀だけれど、能力的には完全な平均値。
完璧に平凡な部類に属している。
忍者登録証に記載されている限りでは。
───何か、特殊な能力でもあるっての……
例えば、人目に触れることの多い登録証には記せないような。
考えがまとまらないまま、カカシは本部としている番屋の扉を開いた。
「あれ、先生は?」
「今、出た」
隙間も多い小屋が煙るほどにタバコをふかすアスマが1人。
イルカの姿はなく、まだゲンマも戻ってはいないようだ。
「出たって、里に戻っちゃったの?」
話したいことあったのにな~、と口を尖らせるカカシへアスマは煙を吹きかける。
「バカヤロ。アイツの受けた命令忘れやがったのかよ」
伝令にあったのは、殲滅戦に協力後、南への転地。
「あ、じゃあすぐ戻ってくるかな?」
カカシの軽い口調は、気に添わない事態から目をそらそうとしているかのようだ。
らしくないと、互いに思う。
「いや」
最後のタバコを消し潰し、アスマは呟く。
「……夜明けまで、掛かるだろうな……」
「1人で?」
カカシの声はトゲを含む。
ただ、小屋の外へ出たのではない。
「ああ」
だがアスマはカカシの疑問には答えず、ただ忠告だけをつぶやく。
「オレたちは、海岸線に近付かねえことだ」
「なんでイルカ先生を1人で行かせたっ! 殺す気かっ!?」
アスマの胸倉を掴んでカカシは詰め寄った。
中忍たった1人を、数十人の敵の殲滅に行かせたのかと。
「オレたちが1週間も手出しできなかったとこに、あの人1人行かせてどうかなるなんて思ってんの?」
こんな風に、カカシが感情的を剥き出しにしてみせることは珍しい。
そしてカカシがそうなる理由を推測しながら、アスマは淡々とした口調を崩さない。
「アイツはその為に、ここに来てんだ。それにな、アイツならやってのけるさ」
「なに? どゆコト?」
アスマはタバコでも吸うように右手で口元を覆い隠す。
「オメエは知らなかったみてえだがよ」
彼の仕草は癖だ。
だが今は、大きな秘密を隠しているかのように見える。
「忍は、誰もアイツにゃ勝てねえ」
「なに言ってんの?」
まさかね、と前置いて思ってもいないことを口にしてみる。
「実はあの人、最強とかって話?」
「アイツの実力は中忍レベルだ。だがな、忍じゃアイツに勝てねえ」
意を決して、それでも慎重にアスマは言う。
「イルカは忍の……天敵だ」
「は? 天敵って、ナニそれ?」
「アレは、そういう風に考えるしかねえ……」
いまだに自身も理解しきれていないのかアスマの言葉は独り言に近く、カカシは頭を掻き毟った。
「……も少し分かるように説明してくんない?」
「これでも充分、分かりやすく言ってんだがな」
こんなことは、いくら言葉で説明されても、到底理解も納得もできないのだ。
「……まあ、アイツのことは誰にもわかんねえだろうよ……」
現実を目の当たりにするまでは。
だが、その力を直接見た者は生きてはいない。
力が振るわれた跡を───息絶えた忍の姿を、遺された者は見るのだ。
「……オヤジも、死んじまったしよ」
無念そうな一言に、カカシも黙るしかない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結局、それから一言も交わさぬまま、夜明けが近付いた。
アスマの率いる隊とカカシは海岸線近くに、ゲンマの隊は村の出入口に待機し、日の出を待つ。
遥か沖の霧隠れの軍船へ向かって、小さな影が海面をゆっくりと移動していた。
「大丈夫なの?」
「テメエの部下どもの心配してやがれ」
吐き捨てるような一言に、アスマの緊張が窺い知れる。
異常だと───こんな戦い方を木ノ葉がしていたのかと、改めてカカシは思う。
自分の知らないことへの興味と、恐怖。
久々に感じる緊張感に、カカシは気を引き締めた。
「始まるぜ……」
アスマの声と同時に、カカシは酷い脱力感に襲われる。
チャクラを練ろうとすれば、逆に根こそぎ体力をもぎ取られていくようだ。
どんなに意識を集中しても、ただ立っていることすらできやしない。
まるで、深い海の底へ落込んでいく───いや、引きずり込まれるようだった。
【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/03/10
UP DATE:2005/04/08(PC)
2009/01/01(mobile)
RE UP DATE:2024/08/07
村の南に展開する隊へ戻ったカカシは、アスマらと打ち合わせた通り撤退を告げる。
「全員荷物まとめて。夜が明けたら里へ戻るよ」
「は、はいっ!」
突然の命令を訝しく聞きながらも部下たちは準備に取り掛かる。
膠着状態の戦地にいるより、里へ帰れることが嬉しいのだろう。
部下たちは皆、長期戦になるとみての交替だと考えているらしい。
「隊長、後続はいつこちらに?」
「後続はないよ。明朝、別働隊が敵さんを殲滅してくれるってさ」
何の気なしにカカシが発した言葉に、部下たちは動きをとめた。
「殲滅って……」
「まさか……」
「……あいつが、来てるのか」
不安げに交わされる囁きを聞き逃さず、カカシは問う。
「なに? 何か知ってんの、お前ら?」
イルカ先生のこと。
訊ねるカカシへ、はっきりと答えくれるものはいなかった。
「いえ、ただ……」
「以前、あいつが殲滅戦に出たって噂を……」
「オレ、見ました……イルカさんが、殲滅戦に出たのをっ」
まだ若い中忍だけが訴えるように、告げる。
「忍の戦い方なんかじゃありませんでしたっ」
先程ゲンマが見たという殲滅戦のことなのだろう。
「まるで……」
その戦いを見たという若い中忍の怯え方。
噂でしか知らぬ部下たちの不快感。
これと似たものを、カカシは知っている。
「……九尾です」
「滅多なことっ、言うんじゃーなーいよっ」
ぽつりと呟いた部下の言葉に重ねて、カカシはおどけた台詞を発していた。
だが、いつになく強い口調に部下たちは一斉に黙る。
「あー」
決まり悪げに咳払いをして、続ける。
「いーよ。あ、オレは別働隊の作戦に参加すから、お前らは別命あるまで待機」
「……はい」
手早く自分の装備をまとめると、カカシは1人隊を離れて本部へ取って返した。
その道すがら、思うのは先程のことばかり。
───九尾の妖狐
あの忌わしい記憶は、カカシの中にもある。
木ノ葉隠れの里に住まう者で、何も亡くさずに済んだ者はいない。
だから十数年を経た今でも、里の者にとって《九尾》は最大の禁忌であり、恐怖だ。
だが同時に、カカシにとっては数少ない温かな感情を抱く存在に繋がる事件でもある。
目を覆いたくなるほどのおちこぼれで、空回りしやすいけれど頑張り屋な部下。
うずまきナルト。
誰にも認められずに里で孤立していたナルトを認めた男。
うみのイルカ。
彼らに会って、辛い過去も前を向いていればいつしか思い出になるのだと、カカシは理解した。
だからこそ、先程の若い中忍の言葉が気になった。
───イルカ先生が、九尾みたいだって……?
そんなはずはない。
あの夜の災厄は、人の能力で引き起こせるようなものではなかった。
そんな、はずはない。
若い中忍は、九尾を直接見たことない年齢だ。
大人たちが恐れるのを見聞きし、自分の中で最も恐ろしい記憶と重ねているだけだろう。
───だって、イルカ先生は……
誰よりも九尾を恐れ、憎んでいるだろう。
けれど、九尾を封じられたナルトを精一杯愛したのは、イルカだ。
中忍か忍者アカデミー教師としては優秀だけれど、能力的には完全な平均値。
完璧に平凡な部類に属している。
忍者登録証に記載されている限りでは。
───何か、特殊な能力でもあるっての……
例えば、人目に触れることの多い登録証には記せないような。
考えがまとまらないまま、カカシは本部としている番屋の扉を開いた。
「あれ、先生は?」
「今、出た」
隙間も多い小屋が煙るほどにタバコをふかすアスマが1人。
イルカの姿はなく、まだゲンマも戻ってはいないようだ。
「出たって、里に戻っちゃったの?」
話したいことあったのにな~、と口を尖らせるカカシへアスマは煙を吹きかける。
「バカヤロ。アイツの受けた命令忘れやがったのかよ」
伝令にあったのは、殲滅戦に協力後、南への転地。
「あ、じゃあすぐ戻ってくるかな?」
カカシの軽い口調は、気に添わない事態から目をそらそうとしているかのようだ。
らしくないと、互いに思う。
「いや」
最後のタバコを消し潰し、アスマは呟く。
「……夜明けまで、掛かるだろうな……」
「1人で?」
カカシの声はトゲを含む。
ただ、小屋の外へ出たのではない。
「ああ」
だがアスマはカカシの疑問には答えず、ただ忠告だけをつぶやく。
「オレたちは、海岸線に近付かねえことだ」
「なんでイルカ先生を1人で行かせたっ! 殺す気かっ!?」
アスマの胸倉を掴んでカカシは詰め寄った。
中忍たった1人を、数十人の敵の殲滅に行かせたのかと。
「オレたちが1週間も手出しできなかったとこに、あの人1人行かせてどうかなるなんて思ってんの?」
こんな風に、カカシが感情的を剥き出しにしてみせることは珍しい。
そしてカカシがそうなる理由を推測しながら、アスマは淡々とした口調を崩さない。
「アイツはその為に、ここに来てんだ。それにな、アイツならやってのけるさ」
「なに? どゆコト?」
アスマはタバコでも吸うように右手で口元を覆い隠す。
「オメエは知らなかったみてえだがよ」
彼の仕草は癖だ。
だが今は、大きな秘密を隠しているかのように見える。
「忍は、誰もアイツにゃ勝てねえ」
「なに言ってんの?」
まさかね、と前置いて思ってもいないことを口にしてみる。
「実はあの人、最強とかって話?」
「アイツの実力は中忍レベルだ。だがな、忍じゃアイツに勝てねえ」
意を決して、それでも慎重にアスマは言う。
「イルカは忍の……天敵だ」
「は? 天敵って、ナニそれ?」
「アレは、そういう風に考えるしかねえ……」
いまだに自身も理解しきれていないのかアスマの言葉は独り言に近く、カカシは頭を掻き毟った。
「……も少し分かるように説明してくんない?」
「これでも充分、分かりやすく言ってんだがな」
こんなことは、いくら言葉で説明されても、到底理解も納得もできないのだ。
「……まあ、アイツのことは誰にもわかんねえだろうよ……」
現実を目の当たりにするまでは。
だが、その力を直接見た者は生きてはいない。
力が振るわれた跡を───息絶えた忍の姿を、遺された者は見るのだ。
「……オヤジも、死んじまったしよ」
無念そうな一言に、カカシも黙るしかない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結局、それから一言も交わさぬまま、夜明けが近付いた。
アスマの率いる隊とカカシは海岸線近くに、ゲンマの隊は村の出入口に待機し、日の出を待つ。
遥か沖の霧隠れの軍船へ向かって、小さな影が海面をゆっくりと移動していた。
「大丈夫なの?」
「テメエの部下どもの心配してやがれ」
吐き捨てるような一言に、アスマの緊張が窺い知れる。
異常だと───こんな戦い方を木ノ葉がしていたのかと、改めてカカシは思う。
自分の知らないことへの興味と、恐怖。
久々に感じる緊張感に、カカシは気を引き締めた。
「始まるぜ……」
アスマの声と同時に、カカシは酷い脱力感に襲われる。
チャクラを練ろうとすれば、逆に根こそぎ体力をもぎ取られていくようだ。
どんなに意識を集中しても、ただ立っていることすらできやしない。
まるで、深い海の底へ落込んでいく───いや、引きずり込まれるようだった。
【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2005/03/10
UP DATE:2005/04/08(PC)
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RE UP DATE:2024/08/07