ちいろの海

【いつか海の底へ沈む】
   ~ ちいろの海 ~
[10周年お礼:完結続話]



「……イルカ先生、今夜はお暇ですか?」

 任務報告の際やアカデミーの廊下で偶然ではなく遭遇したはたけカカシから、そんな誘いを受けるようになったのはいつからだったろうか、とうみのイルカは考える。
 確か、と思い出すまでもなく里長によって秘匿されていたはずの特異な能力を利用されかけた一件が片付き、首をつっこんできた彼と巻き込まれたアスマをささやかな酒宴で慰労してからだ。

 最初のうちは特に考えもせず都合がつけば了承していたけれど、最近は断ってばかりいる。
 なにしろアカデミーの教員と任務受付を兼務しながら要請があれば通常任務にもつく忙しい身だ。
 それに里に常駐している以上はカカシ以外との付き合いも蔑ろにはできない。
 ただ、ここ数週間の誘いを全て断り続けてきたおかげで、言い訳もネタ切れだ。
 いい加減、ことごとく誘いを断る理由も聡いカカシには悟られているかもしれない。

「……ええ。夕方の受付の後でしたら」

 観念して久々に了承の言葉を告げれば、心底嬉しそうな微笑みが返る。
 覆面越しでも分かる表情の、意味を推し量る。

「そうですか。じゃ、いつものとこ、どーです?」

 この男は、自分などと食事をして何が楽しいのか。

「オレなんかでよければ」

 それとも、何かを企んでいるのか。

「んー。イルカ先生だから、ご一緒したいんですけどネ」

 イルカには判らないし、解るつもりもない。

「そうですか。お世辞でもうれしいですね。では、後ほど……」

 口説き文句でしかないカカシの言葉を聞き流し、一礼したイルカは足早に立ち去る。
 一方的に会話を打ち切って背を向けたイルカを見送るカカシの表情など、知らない。

 本心を言わないまま距離感だけを縮めてきたのはお互い様なのだから。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 イルカが受付業務を終えたのは夕食時をやや過ぎた頃で、ひと気もまばらな繁華街を抜けて二人は馴染みの小料理屋へと向かう。
 客が少ないわけでもないのに静かなこの店はカカシとイルカが知り合ってから通い出したのだが、女将には二人の好みを把握されていて多少の我が儘も聞いて貰える気安さからすっかり贔屓になってしまっている。
 簡易個室のように衝立で仕切られた小上がりに腰を落ち着けてお任せで頼んだ料理を肴に乾杯をし、いつものように互いの近況を当たり障りなく語り合う。

 ただ今夜はこれまでと変わりないつもりでいても、二人の間にはそこはかとなく曖昧な緊張感が漂っていた。
 普段なら何くれとなく世話を焼いてくれる女将が放っておいてくれる程に。
 やがて話題が教え子の動向やら里の現況に移り、程よく酔いも回った頃にようやくカカシが切り出した。

「……ね、イルカ先生」

 焦れて抑えが利かないのか早口で、だが迷うように言葉を選びながら。

「ここんとこずっと、オレを避けてたのに、なんで今夜は誘いに乗ってくれたの?」

「……いい加減、終わりにしていただきたくて……」

 いつまでもカカシを避けているのは気を惹こうと駆け引きをしているみたいで、疑問を抱えたまま黙っているのは終わりを先延ばしにしているだけだ。
 彼の言い分を自分が理解出来るか、自分の葛藤を彼が察してくれるかは別として、もうお互い腹を割って話し合った方がいい。
 それでこの交友が途絶えてしまうのなら、それまでの縁だと割り切るしかない。

「……終わりに、ねえ……」

「大体にして、アナタがオレに構う理由が解りません」

「……ああ、うん。なんとなくそうじゃないかとは思ってたケド、そこから、なのね……」

 呆れと悲しみと怒りとほんの少しの悦びがない交ぜになった、なんとも言えない顔をして肩を落とすカカシは気恥ずかしそうに後頭部を掻いて俯く。
 頬を薄っすらと桃色に染めて上目遣いに見られると、イルカの方が居た堪れなさに尻の座りがわるくなる。

「……ま、オレの本心はイルカ先生に自覚して貰ってから言うとして……」

 なのに腹を決めたのか、そう宣言してからは真っ直ぐにイルカを見据える。
 そして、一つの提案を持ち掛けてきた。

「オレだけでなくていいです。アスマや紅でも構いませんから、出来ればアナタの事を知る誰かと定期的に会うようにしてくれませんか?」

 イルカを知る誰かとは、ただの知り合いという意味ではない。
 だからこそカカシは例の件があれで終わりとは考えられない、と声を潜める。

「……アナタを過小評価するわけじゃない。ただ、またあんな事があっても一人より対処はし易いデショ?」

 その言葉には納得できるけれど、そうなると尚更に何故カカシなのか、という疑問が深くなる。
 だが既に、イルカが自覚したら話すと前置きされているから問い詰める事もできはしない。

「……つまり、オレの周辺状況の定期報告をしろ、ということでしょうか?」

 理解した部分だけを確定する為に繰り返せば、困り顔で情けなく微笑み返された。

「……ま、その意図もなくはないですがね。要は、仲良くしてくださいってことでー」

 どうにも腑に落ちない点もあるが、イルカとしては有難い申し出ではある。
 それにアスマや紅なら今でも教え子を介して交流しているという言い訳も立つ。
 接点のないカカシと違い、人目を憚る必要もないだろう。
 
「……そういうことでしたら、最初にそう言ってくだされば……」

 察しの悪い自分を棚上げしている自覚はあるまま、戸惑いもあらわにイルカはカカシを責める。
 彼とこうして酒食を共にする為の言い訳や理由を欲しがる真意にも目を瞑って。

「……うん、そうでしたね……でも、理由とかなくてもさ、一緒に飯食ったっていいデショ?」

 イルカが自覚するまでと条件付けした以上、カカシは理由を言うつもりはない。
 ただじっとイルカを見つめて、柔らかく微笑んだ。

「ま、そういうことなんで。今後ともヨロシクー」

 カカシの微笑みは彼が抱える深い悲しみや渦巻く憤りを覆い隠す仮面だ。
 しかしそれは誰しも同じで、かつてはイルカも辛い気持ちを笑顔で誤魔化していた時期がある。
 だとしたら、今カカシは微笑みの影で何を思っているのだろう。

「……ええ、こちらこそ……」

 提案された申し出を了承し、誓いの如く杯を交わせばカカシは笑みを深くする。
 その笑みから視線を外してイルカは盃を満たした酒を飲み干し、酒気を帯びた息を吐き出した。

 カカシの想いなど知らないし、自分の気持ちからも目を逸らしている。
 どうせすべては海の泡の様に、やがて消え失せるのだから。



 【了】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2014/10/17
UP DATE:2014/10/18(mobile)
RE UP DATE:2024/08/07
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