ちいろの海

【9:海嘯に沈む】



 九尾襲来の夜、自身の能力をうみのイルカは初めて知らされた。
 混乱を極めた里から引き摺るように連れ出された尾獣の前で、見ず知らずの忍から。

 両親の実の子ではない事と、秘められた能力の事を。

 その忍びから、その能力を持って里を襲う尾獣を制御するよう強要されたが、幼いイルカは両親と血の繋がりがなかった衝撃で恐慌状態に陥っていた。
 だからなのか、以後の記憶は曖昧で、殆ど覚えていない。

 後から聞いた話しでは、イルカの不在に気付いて探しに来た両親に保護されたものの、九尾の攻撃でその場にいた大人は皆致命傷を負ったらしい。
 イルカは両親に守られて無事だったけれど、両親も見知らぬ忍もあの夜に《英雄》となっている。

 正気付いた時には、全て終わったと思っていた。

「……あれが、始まりだったんだ」
 
 これから戦場となる───否、一方的な死の執行を為す場、北部国境線に広がる岩場を独り見つめ、告悔するようにイルカは過去を振り返る。

 まるで、死を前に展開する走馬灯のように。

 血は繋がっていなかったけれど、両親は最期までイルカを自分達の子供として全力で愛し、慈しみ、時に叱り、守ってくれた。
 イルカ自身も彼らを本当の親として今でも慕い、敬い続けている。

 3代目火影は全て知った上で、イルカにただの忍びとして生きる道を示してくれた。
 この能力を兵器として秘匿する事も、闇に葬り去る事も選択肢としてあったというのに。
 多少はひいき目ではあったけれど、きちんと一人の人間であり忍であるイルカを見てくれていた。

 両親との記憶や3代目火影からの庇護があの夜に傷ついたイルカの心を救い、生きる糧と支えとなった。
 今ではイルカ自身が彼らのよう───というのもおこがましいが、アカデミー教師として子供たちを教え導く立場にある。

 けれど大蛇丸による木ノ葉崩しによって3代目火影を初めとした多くの忍が命を落とし、その後5代目火影として綱手が就任したが未だ里は混乱の渦中。
 任務に就く忍の数を確保する為もあってアカデミーは休校となり、教師まで任務に奔走するのは仕方ない。

 この混乱期に乗じてイルカに接触してきた男こそが、現状を作り出した。

 特別上忍、村雨キョウ。

 初めて出逢った瞬間、特別大柄でもなく威圧的な言動をした訳でもない彼に、イルカは強い違和感と言い知れぬ恐怖を覚えた。
 後で冷静になって、村雨が幼いイルカを連れ出したあの夜の見知らぬ忍によく似ており、穏やかに事務的なやり取りをして居ながらに瞳の奥に重い憎悪を湛えていた、と気づく。

 何度か任務で顔を合わせて会話し、不意に同僚たちの噂を耳にする中で彼について多少だが、知った。

 村雨キョウは父親をとても敬愛していて、偏執的なまでに父親の人生をなぞるように生きている。
 アカデミーを同じ年齢と成績で卒業し、似たタイミングで中忍から特別上忍にまで昇格。
 父親が席を置いた作戦部に所属すると、父が師事したアナハの下で働いていた。

 そして、うみのイルカを憎んでいる。

 彼にとって、父親は九尾襲来の折りに里の為にとある密命を果たすべく働き、志し半ばで散った《英雄》だった。

 後年、遺した作戦草案などから他者のチャクラを制御する能力者の存在と運用計画を知り、父親は能力者が制御に失敗し死んだと思い込んだ。
 それなのに死んだはずの能力者はのうのうと生き長らえ、稀有な能力を隠してただの中忍として暮らす一方で里長に媚びへつらっている。

 赦せなかったのだろう。

 だが同時に、村雨にとってイルカという能力者は父親が戦術論や資料と共に自分に遺した遺産だと考えてもいる様子だった。

 だから木ノ葉崩しで里の中枢が混乱している隙に乗じ、父親の遺業を継いで自らが名を挙げる道具として、3代目火影の庇護を失ったイルカを利用し出した。

「……だが、浅はかだよ。村雨」

 彼は戦場における戦術については巧みに論理を展開するけれど、外交や内政といった政治的戦略にはまるで意識を向けていない。
 局地戦で勝利さえすればいいとでも考えているのか、奥の手とも言えるイルカの能力を惜しみなく投入しての殲滅戦ばかりしている。

 1ヶ月程前の宣戦布告もなく攻め寄せた霧の忍が非戦闘員ばかりを見せしめのように屠っていた場合であれば、降伏も撤退も許さず全滅させたとしても外交上批判はされない。

 だが今回は抜け忍相手とは言え危うい関係にある同盟国も関わっている。
 挑発か、宣戦布告ととられては新たな火種となりかねない。

 子供の頃から3代目火影に目をかけられ、長じてからも何かと傍で仕事を手伝ってきたからか、イルカには為政者の考え方も身に付いている。

 戦争はただ勝てば良いものではない。
 確かに自軍に犠牲なく敵を壊滅状態にできる戦術や圧倒的な戦略兵器は魅力的だし、負けてしまえば命を賭して戦う甲斐がない。
 けれど、一方的な勝ち方は戦後の関係を難しくする。

 例え相手国を併呑したとしても、その国に暮らした人々や周辺国との関係は続いていくのだ。

 容赦ない戦いをしていれば相手国の民は恨みを、周辺国は不安や猜疑心を抱く。
 そんな状況下で戦争が終結しても平和は仮初めでしかなく、すぐに内戦やテロが起こり、戦争状態に逆戻りだ。
 戦争と殲滅を繰り返していたら国は疲弊し、やがて滅んでしまう。

 戦争は狂気だ。

 だからこそ隠れ里の長たる影は、優秀な忍であると同時に有能な外交感覚を持つ政治家でもなければ務まりはしない。
 
 移ろいやすい人心と違えてはならない道理を心得て均衡を保ち、勢いある時流も纏わりつく因襲も合わせ飲んだ上で、それら全てを飛び越えた最上の判断を狡猾かつ冷酷に選び取り、敢然たる慈悲を持って行うのだ。
 自分自身の富や名声ではなく、里に生きる民の為に。

 村雨はそれを理解していない。
 言わば、厄介なまでに有能な手の施しようのない馬鹿だった。

 物語で活躍する英雄に憧れる子供の如くただ純粋に、戦局での勝利一つ一つが評価の全てで、自分は里の為に働き貢献していると思い込んでいる。
 それだから、里でのイルカとの会話で駆け引きなどしたこともない。

「……最後まで伏せてこそ、切り札だろう?」

 村雨は乱用しているが、イルカの能力のように戦略的影響力の大きい《力》はまず抑止力としての効果がある。
 各隠れ里が暴走の危険もある尾獣を人柱力という形で保有するのも、他国への牽制の意味がある。

 だが一度その《力》を無意味に使ってしまえば、同等の相手にも《力》を使う理由を与えてしまうし、持たない相手には敵対国と提携させるきっかけとなりうる。

 村雨が講じてきた策はまさしく木ノ葉隠れの里と火の国の敵を増やし、未だ動向の定まらぬ勢力にも密かな対策を促すものでしかない。

 木ノ葉隠れの里を思えば、これ以上、村雨の思う通りに使われることはイルカにはできなかった。

 だからこの任務に立つ直前、密かに5代目火影である綱手に宛てて自身と村雨の知る限り全てを書き記した文書を託してきている。
 度々──というには頻繁に酒と博打に逃げ、書類を溜め込んでは側近のシズネ達を慌てさせるだらしない女性ではあるが、いざとなれば里と民の為に毅然と英断を下せる女傑だ。

 イルカからの訴えを知れば、きっと村雨の暴挙へ適切に対処し、歪みかけている各国との関係を修正してくれるだろう。

「……その為にも」

 国境線の荒れ地の先、重く暗い色をした北の海をイルカは見つめる。

「村雨の手を封じておかなきゃな」

 優秀な戦術家という評価のある村雨だが、彼が好んで用いる策は父親が遺した戦術論からの引用か焼き直しでしかないとイルカは見ている。
 むしろその事を誇っていて、自ら語る事さえあった。
 
 更に彼の策を突き詰めると、イルカの能力を使い効果的に敵を駆逐する状態を作り出す前提が透けて見える。

 ならば、その前提が無くなれば彼はどうするのか。

「切り札は場に出すまで存在すら隠し通すのが基本だとアカデミーで教わったはずだ」

 けれど村雨は自身の権利と正当性をイルカに示すつもりで己の手札を殆ど晒してしまっているし、イルカも従う振りをして探れるだけ探ってきた。
 村雨キョウに家族はなく、父親の遺した戦術論と歪な矜持ばかりが彼の全て。

 逆にイルカは最初から様々な事を知られていたが、同じ里の者である以上、人質や脅迫という心配も無い分、気楽だ。

 しかし、ここでイルカが雲隠れの抜け忍を殲滅しても、木ノ葉隠れは敵を増やすだけで利は何一つ得られない。
 それが解らない彼の考えは、イルカには理解しがたい。

「……お前が、何を望んでいるのか、オレには分からないよ」

 夕闇の迫る荒野を、暗い海を見つめ、イルカは届かないと知って、ここに居ない村雨キョウへ語りかけた。

「だが、里を脅かす策には付き合えないよ。オレの存在が要だと言うのなら、尚更だ……」
 
 脳裏には両親や火影、恩師など自分を慈しんでくれた人々、気の置けない同僚たちや愛すべき子供たちの姿が浮かんでは消える。

 彼らを、彼らが愛した里を、守る。

 イルカは歩み始めた。
 暗い海へ向かって。

 この能力を、これ以上、利用させてはならない。
 だから、イルカは覚悟を決めた。

「この海に、沈める……」

 自分、諸共に。



 【続く】
‡蛙女屋蛙娘。@iscreamman‡
WRITE:2013/07/20
UP DATE:2013/07/21(mobile)
RE UP DATE:2024/08/07
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