ショコラ

【男の戦い】
   〜……の結末〜
[ショコラ]



 その日もサスケはいつものように、朝の自己鍛錬を終えてから登校した。

 ただし、始業時間ギリギリに。

 何故ならアカデミーにいる間はずっと少女たちに取り囲まれてしまうからだ。

 その時間を少しでも短くする為に、毎年この日だけは遅く行き、早く帰る。

 もちろん行き帰りの道も出来る限り足早に駆け、待ち伏せる少女たちを置き去りにするのだ。

 そういった者に注意を払いながら、今年のバレンタインデーもいつものように過ごすべく、サスケは自宅を後にした。

 しかし、アカデミーへ近付くにつれて、妙な違和感を覚えだす。

 例年なら、1度の遅刻と引替えにしてもという覚悟で待つ少女の1人や2人いた。

 なのに、今年に限っては誰もいない。

 いや、寝坊したらしいドベ(ナルト)やめんどくさがり(シカマル)、デ……ポッチャリ系(チョウジ)といったいつもの遅刻者はメンツをそろえている。
けれどサスケを待っている体の少女たちは、1人もいなかった。

 身を隠して待ち伏せているのだろうかとも考えるが、サスケが通りかかっているのに隠れていては何もならないと思い直す。

 本当に、サスケを待ち構えているものはいないようだ。

 これまでの仕打ちに、とうとう諦めてくれたのかと思いたい。

 だが全員が一斉に、ということはありえない。

───……だとしたら、共闘……というワケか……

 瞬時にサスケはそう、判断する。

 個々での戦果が思わしくなければ、いくら恋のライバル同士とは言え、目的は同じ。

 手を組んでもおかしくはない。

 それにサスケが1人からでも受け取ってしまえば、その事象を特化しないために、他の者からも受け取らなくてはならなくなるのだ。

 きっと少女たちは共謀し、様々な手段でサスケを追い詰めてくる。

 持てる限りの忍の技を駆使して。

 状況の面倒さに、サスケは不遜な笑みを浮かべ、足を速めた。

───……面白い……

 実戦ではないとはいえ、こうして多人数を相手に色々な戦術を試す良い機会だとサスケは思っているのだろう。
 
 もはや本来の在り様とはかけ離れ過ぎたバレンタインデーはこうして、本格的に幕をあける。

 ……はず、だった。

 ところが、サスケの意に反して、何もなかった。

 確かに少女たちは共闘はしているらしい。

 らしいが、放課後になるまで、何もしかけてはこなかったのだ。

 普段は冷静ではあるが実は短気なサスケにとって、結構これが堪える。

 人間というのは、集中し続けられるのはせいぜい15分だ。

 忍者といってもそれは同様。

 数日も気を張り詰めていなければならない任務などは、その15分と僅かな休息を繰り返しているに過ぎない。

 経験を積めば、集中しどころというのも分かってくるものだし。

 いくら優秀とは言え、まだアカデミー生でしかないサスケが、1日気を張りつづけることは難しい。

 放課後にはもう精神的にクタクタだった。

───どういうことだ……

 終礼と同時にダッシュで帰宅するはずだったのに、サスケは机につっぷして息を吐く。

 授業の終わった教室には───掃除当番だか、今朝の遅刻の罰だかは分からないが、ナルトたちがしぶしぶ掃除を始めようとしている。

 女生徒の気配は、とりあえず、ない。

 だからと言って、今年はこのまま何事もなく過ぎていくとは思っていない。

 ただ、今目の前にいるナルト達は関係がないだろうと、油断していた。

「あー、すべったってばよーっ!」

 やけに白々しい台詞と同時に、サスケに大量の水と空のバケツが降り注ぐ。

 これが、普段のサスケであったらきちんと避けていただろう。

 しかし今日は別のことに気を張りすぎていたせいか、モロにひっかぶってしまった。

「わわ悪ぃってばよ!」

 慌てて滴る水を拭ってくれようとするナルトの腕を、サスケは寸前で掴んで睨む。

「構うな……」

「なんでだってば?」

 納得できない様子のナルトの他は、その手に握られた使い古しの雑巾を見つめている。

 それで拭われるぐらいなら濡れ鼠でいたほうがマシ、というのが殆ど意見だ。

 サスケも手ぬぐいは持っているが、それはポケットの中で少し濡れてしまっている。

 たいして役に立ちそうもない。

 さてどうしてくれようかとサスケが考えに暮れていると、廊下から声が掛かった。

「おーい、そろそろ掃除終わったかー?」

「あっ! イルカ先生っ!」
 
 ひょいと廊下から顔を覗かせた担任のイルカに、ナルトは咄嗟に逃げ出そうとしている。

 そんなナルトの様子と、水びたしの教室とサスケにイルカはだいたいの状況を把握したようだ。

「なぁに、やってんだ? お前ぇら……」

 声はあくまでも穏やかに、その場にいた全員に状況を問うイルカ。

 だが、右手では既にナルトの襟首をしっかりと掴まえていた。

「なにもしてねってばよーっ!」

 じたばたと暴れるナルトを逃がさずに、イルカは自分の手ぬぐいを出すとサスケに差し出す。

「ほら、サスケ風邪ひくぞ」

「……どうも」

 サスケは素直にそれを借り、まだ水滴の垂れる髪を拭う。

 イルカはそれを横目に、ナルトを下ろしてその罰の悪そうな顔を覗き込んだ。

「で? なにがあった? ん?」

「……あの、オレがすっころんで、バケツ、ひっくり返しちまったんだってばよ……」

 イタズラでサスケに水を掛けたのではないと言いたいのだろう。

 しょぼくれたたんぽぽ頭をぽんぽんと軽く叩き、イルカは苦笑する。

「お前ぇのドジはいつものことだもんな」
 
 言いながらイルカはひっくり返ったままのバケツを拾い、一緒に床に落ちていた雑巾をその上で絞った。

「ほら、さっさと片付けろ」

「おうってばよっ!」

 生徒たちはイルカに促されてやっと、濡れたままだった床や机を片付け始める。

 徐々にこぼれていた水がたまっていくバケツの上で、サスケもぐっしょりと濡れたイルカの手ぬぐいを絞った。

 ある程度、片付いたところでイルカはサスケを呼ぶ。

「さて、と。サスケ、ちょっとついて来い」

 お前ぇらは掃除終わったらさっさと帰れよ。

 そう言い置いて、イルカは歩き出した。

 まだ湿ったカバンを抱えて、サスケは後ろをついていく。

 廊下を吹きぬける風が濡れた身体には酷く冷たく、サスケは徐々に震えだしていた。

「ほら、サスケ入れ」

 そう言って開けた扉は、医務室だった。

「今、着替え出すから……ああ、服や教科書はストーブの前に並べとけ」

 まだ年端のいかない、そして年頃の子供たちのいるアカデミーの医務室には様々な事情を考慮し、生徒の為に替えの下着も常備してある。

 入口からは見えないようにストーブの前に衝立を出し、イルカは用品棚の上に置いてある着替えを入れたダンボールに手を伸ばした。

 下ろしたダンボールからサスケにサイズの合いそうな下着とバスタオルを出し、箱を元に戻す。

 出した着替えと毛布を衝立越しにサスケに渡してやる。

「ほら、とりあえずそれに着替えてろ」

「……はい」

 それだけ言って、イルカは医務室を出て行ってしまった。

 多分、教室で片付けを続けるナルトたちを見にいったのだろう。

 特に気にするでもなく、サスケは濡れたままの服を脱ぎ、用意してもらった下着に着替え毛布に包まった。

 濡れたままの服と借りた手ぬぐいは、1度流しで絞ってストーブ回りの柵へ掛ける。

 カバンの中身を出して確認するが、それほど水は被っていなかった。

 教科書類の被害を確認している間に、服もあらかた乾いている。

 そろそろいいかと服の乾き具合を確認しようと手を伸ばしたのと同じくらいに、騒がしい声と足音が近付いてきた。

 そして、遠慮なくがらりと医務室の扉が開かれる。

「イルカ先生、どうぞだってばよ」

「おう、ありがとなー」
 
 見れば、湯気の立ったカップで両手の塞がったイルカのために、何故かナルトが扉を開けているところだ。

「ほらサスケ。あったまるぞー」

 そう言ってイルカがマグカップを差し出す。

 熱いだろうに、受け取りやすいように取っ手ではなくカップ部分を持って。

 サスケは一瞬だけ躊躇したが、ただのホットミルクと分かって素直に受け取った。

「ありがとう、ございます」

 ややうつむきがちになるのは、少女たちと共謀してホットチョコレートでも用意してきたのかと疑ったのが、気まずかったのだろう。

 けれどそんなサスケの勘ぐりは的外れで、イルカは誰にとっても『いい先生』でしかない。

「おう。ほら、ナルト。お前ぇも飲め」

「サンキューだってばよ、イルカ先生っ!」

 多分、自分の分だろうカップをナルトに渡し、イルカは棚の整理を始めた。

 ナルトは隅のベンチで足をぶらぶらさせ、ふうふう言いながら嬉しそうにホットミルクを飲んでいる。

 そんな2人の様子を横目に黙ってカップを傾けていたサスケは、ある異変に気付いた。

 ただのホットミルクだったものが、何故か徐々にほろ苦さと甘味が加わってきている。
 
 それに、色も乳白色だったものが、薄茶色くなりつつあった。

「……イルカ先生……」

 ぼつりと呟いたサスケの目には、自分が握りしめているマグカップしか映っていない。

「なんだ、サスケ?」

「……イルカ先生……あんたも……」

 マグカップの底には、ホットミルクに溶けていくチョコレートが沈んでいた。

 そして、サスケに見えていないカップの表面には『HAPPY VALENTINE'S DAY』の文字と、真っ赤なハートがプリントされている。

「……あんたもっ、グルだったのかっ!?」

 サスケが、絶叫に近い声をあげた。

 イルカは朗らかに間違いを正す。

「いいや、オレだけが共犯だ。ナルトのアレは突発的な事故さ」

 オレもその事故に乗じた作戦に手を貸しただけだけどな。

 そう言って笑う担任と、何のことだか理解していない級友の不満げな声を聞きながら、サスケは心の片隅で呟いた。

───この、天然ども……



 【ホワイトデーに続く?】
‡蛙女屋蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2005/02/02
UP DATE:2005/02/23(PC)
   2009/02/09(mobile)
RE UP DATE: 2024/08/01
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