バースデーがのしかかる

【IRON MAIDEN】
   〜 カカシさん編 〜
[バースデーがのしかかる]



 その朝、目覚めたイルカは、我が目を疑った。
 いや、目の前の光景を夢か幻術なら良かったのにと願った。
 思わず、幻術返しの印を組んでしまうほどに。

「おはようございます、イルカ先生」

 そう言ってにこやかに微笑むのは、はたけカカシ。
 木ノ葉隠れの里が誇るエリート上忍で、元暗部という肩書きとうちは一族のみに伝わる血継限界である写輪眼をも持つ男だ。
 本来なら、中忍でアカデミー教師でしかないイルカとは接点はない。
 けれど、イルカの教え子で最も心配の種であるうずまきナルトを下忍として認め、その上忍師となったのがカカシだ。
 その程度の縁だったが知り合って以来、教え子の情報交換という形で交流はしている人である。
 そのカカシが、何故か、イルカの部屋にいる。
 しかも、黒いミニのワンピースに白いフリルのエプロンドレスという出で立ち───通呼ぶところのメイド服で。
 勿論、いつものように口布で顔を下半分を覆い隠しているので、怪しさ倍増だ。
 ちなみに足は厚手のタイツをはいているのか、とにかく形の良さだけが見て取れる。
 そこまでしっかり観察しておいてなんだが、ツッコミどころが多すぎてイルカは何も言えない。
 ベッドの上に身体を起こし、毛布を掴んで目の前に居る不可思議な生き物を凝視するだけだ。
 そんなイルカを無視してメイド姿のカカシはテキパキと朝のお世話を始めている。
 蒸しタオルでイルカの顔を拭いてヒゲを当たり、ベッドサイドに朝食───それも完璧なブレックファーストを用意した。
 芳しいコーヒー、温かなミルク、焼きたてのブレッドに芳醇なバターの溶ける匂いが狭い部屋に漂っている。

「さあ、イルカ先生、召し上がれ~」

 あ、それとも食べさせてあげましょうか。
 などと嬉しげに言われては、流石にイルカの食欲も減退する。

「いえ、あの、カカシさん……」

「なんですか? イルカ先生」

 涼しげに爽やかな声で返されても、メイド姿のカカシである。

「……なんで、あなた、そんな格好で、オレの部屋に?……」

 朝一番だというのに、イルカが精一杯の気力を振り絞って発したのはこれだけであった。
 
 これだからオレは中忍なんだな、と後ろ向きの思考に陥ったとしても、無理はない。

「そ・れ・は、今夜のお楽しみデース」

 ちょん、とイルカの鼻頭を軽くつつき、ウインクするカカシ。
 その姿と言われた言葉に、イルカは「戦慄」という言葉を生まれて初めて体感した気がする。

───夜まで居座るつもりかーーーっ!!!

 しかも、メイド姿で。
 一瞬、気を失いかけたイルカだったが、そんなことになったらどうなるか分からないと気付き、辛うじて踏みとどまった。
 傍らで、フォークに焼きたてのオムレツを掬い、はいイルカ先生あ~んなどとやっているメイドのカカシから視線を反らして立ち上がる。

「カカシさん! オレ、仕事、行きますねっ」

 立ち上がり、ベストとカバンを探す。
 いつものアンダーは有事が起きたらなんてことを言い訳に、独り者の不精と気楽さから寝巻きも兼用していた。
 普段はきちんと着替えていくのだが、この場合は致し方ないとか、これも有事だとか、勝手な理由が脳裏に浮かんでいる。
 だが、夕べ放り出したところに、無い。

「はい、イルカ先生」

「え?」

 何時の間に移動したのか、メイドのカカシが目の前に立ってキレイに畳まれたベストと、カバン、そして弁当らしき包みを差し出していた。
 この展開に完全に呆けてしまったイルカは、座ってくださーい、とメイドのカカシに手を引かれ、再びベッドに腰をおろしてしまった。

「髪の毛、私が結んであげますね」

 言うや、メイドのカカシは丁寧にイルカのざんばらな黒髪に櫛を入れ、手早く、そして見事にトレードマークである尻尾を結い上げる。

「どうです?」

 鏡を差し出され、そこに映るいつもより生き生きとした尻尾を見ても、もうイルカは反応できなくなっていた。
 そのぼうっとしている間に、メイドのカカシはイルカを着替えさせ、きっちりとした中忍の姿に仕立ててしまう。

「さ、いいですよイルカ先生」

「……はあ」

「朝ご飯、召し上がらずにいるのよくないですから、お弁当2つ用意したんで、アカデミーでちゃんと食べてくださいね」

 満面の笑顔で、メイドのカカシにカバンと弁当を渡され、半ば朦朧とした状態でイルカは部屋を出た。

「いって、きます……」

「いってらっしゃい、イルカ先生」
 
 律儀に、いつもの習慣なのか、告げて出て行くイルカの背に、弾んだ声が追い討ちをかける。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 まだ誰もいないアカデミーの教員室で、イルカは1人机に突っ伏していた。
 部屋をでてからずっと、はあとかふうとか、覇気のないため息以外、出やしない。
 それもこれも、変な上忍が……、と考えたところでまた、はふうと息を吐いた。

「……やめよ、考えるの……」

 とにかくアカデミーでは、アレを思い出すのはやめにしようと決めた。
 精神衛生上よろしくないし、うっかりそんな上忍の存在を漏らしてしまって子供に聞かれたら、教育上も大変よろしくない。

「さて、今日の予定はーっと、ん? ああ、そうか……」

 予定表とカレンダーを見比べ、イルカは気付く。
 今日は5月26日。
 イルカの誕生日だ。

「……すっかり忘れてたな……」

 ここ最近の忙しさに、というよりも両親が死んでからはイルカ自身ですら気にもしてこなかっただけに、忘れがちになっている。
 時たま、この日を知っているわずかな知人に祝いの言葉をかけられてか、書類に記載しなければならない以外に思い出すこともすくない。
 それが、よりによってこんな日だとは。
 そこまで考えたところで、イルカははたと気付く。

「まさか……」

 あのカカシの部下は、悪戯小僧のナルトだ。
 普段は大人ぶってあまりはしゃいだことはしないサクラやサスケも、実は嫌いではない。
 サクラなどはナルトより頭が切れる分、荷担するとやっかいなところがある。
 今日、彼ら7班は1週間前から予定されていた鍛錬日で、任務はない。

「まさか……」

 ナルトがサプライズ・パーティー───というか単純に、イルカ先生を誕生日にびっくりさせてやりたいんだってばよーとか言い出して、他の者がそれに同意する可能性はなくはない。
 そこに、カカシが巻き込まれるか、悪乗りしてくる可能性も、だ。
 今朝のアレは、イルカを早々に部屋から追い出すか、部屋に戻りたくない気分にさせるか、ということなら納得できる。
 いや、それにしたってやりすぎだろうとは思うが。
 そう考えたい。
 なんとしても、そっちの方向で。

「……だとしたら、これはありがたく頂いておいたほうが、いいかな?」

 まだ暖かい弁当をみやり、呟いた。



   ★ ☆ ★ ☆ ★



 全ての仕事を終え、イルカは覚悟を決めて自宅へ戻る。
 灯りのついた窓に誰かが待っているだろう部屋を思い、なんとなく嬉しくなるのは一人暮らしの長さ故だろう。
 その灯りに勇気付けられ、何が待ち構えていても大丈夫だと、気持ちを新たにする。
 ところが、予想していた気配は全く感じられない。
 まだ未熟な下忍たちは、どうやらいないらしい。
 首をかしげながら戸を開けたイルカを出迎えたのは、朝と変わらずメイド姿のカカシであった。

「おかえりなさい、イルカ先生」

 できれば一生思い出したくなく、2度と見たくはなかったその姿に、心の奥底でイルカは絶叫していた。

───……忘れてたーーーっ!

 あの暖かな灯りには、こんなものが待っていたのだ。
 蒼白になって固まるイルカをよそに、メイド姿のカカシは朝と同じく甲斐甲斐しく働く。
 手に下げていたお弁当袋を受け取って、肩に引っ掛けていたカバンを下ろし、ベストも剥ぎ取っていった。
 
「お仕事お疲れさまでした~。あ、お弁当ちゃんと食べてくれたんでーすね。嬉しいデスー」

 いつの間に、とイルカがベストを剥がれたことに気付いて慌てだす前に、洗面所へ放り込まれる。
 
「お風呂、沸かしてありますから入っちゃってくださーい。着替えも用意してありますから」

「はあ……」

 カカシヘの返事とも、ため息ともつかないものが、イルカの口から漏れた。
 確かに風呂は沸いているし、着替えなのか新しい浴衣と下着が用意されている。
 そればかりか、洗面所も脱衣所も風呂場も隅々までキレイに掃除されていた。

 本当に1日中、カカシはここでイルカが忙しさにかまけて放り出していた家事をことごとく片付けてくれていたらしい。
 その光景とカカシの思惑を思うと、身動きのできなくなるイルカだが、いつまでもこうしているのもマズイだろう。

「……入るか……」

 ぼつりと吐き出し、のろのろと服を脱いで風呂へ入った。
 湯には白濁の入浴剤が入れられている。
 好みの湯加減に多少は気分が浮上する。
 あの格好でさえなければ、カカシのしてくれたことはとても嬉しかった。

 何故、カカシがイルカの好みの湯加減を知っていたのかという疑問は、考えない。
 考えたくない。
 恐すぎる。
 ゆっくりと時間を掛けて風呂を堪能したイルカは、しっかりと髪の水分をふき取ってから脱衣所を出る。
 
「イルカ先生ー。ちょうどご飯できましたよ~」

 台所で立ち働くメイド姿のカカシに促されるまま、食卓についた。
 あまり広くないテーブルには小ぶりのケーキを中心に、和テイストの料理が並んでいる。
 焼き魚やら季節の野菜の炊いた物、木の芽田楽。
 実に食欲をそそる。

「まずはビールですか? それともお酒にします?」

「えー、ビールで……」

「はーい」

 イルカが答えるのと殆ど同時に、メイド姿のカカシが冷えたグラスと中ビンを持って現れる。

「どーぞ、イルカせんせ」

 見事な泡立ちバランスで注がれたビールを勧められ、箸を持たされ、イルカは困った。
 カカシの給仕で1人だけ食事をするはどうも居心地が悪い。

「カカシさんは、召し上がらないんですか?」

「いいんですか? じゃあ、私もご相伴させていただきますねー」

 すぐにカカシは自分のグラスや箸を用意した。
 互いに冷えたビールを満たしたグラスを掲げあう。

「お誕生日おめでとうございます、イルカせんせー」

「ありがとうございます、カカシさん」

 風呂上りの1杯を一気に流し込み、かーっとイルカは息を吐いた。

 この仕草は、オヤジ臭いなーと自分でも思う。
 思うが気持ちいいので、よしとする。
 カカシは軽く口を湿らせ、じっとイルカを見ている。
 それは多分、料理をどう評価されるのかが気になるのだろうな、と感じたイルカは箸をとった。
 焼きたてのイサキを解し、一口。

「うまい……。おいしいです、カカシさん!」

 海老しんじょの椀物、田楽の焼き豆腐や山芋の焼き物、炊き合わせの野菜。
 それに、朝に持たされた弁当も。
 家庭よりは料亭に近いのだが、どれも絶妙にイルカの舌を喜ばせた。
 嬉しそうに料理を口に運ぶイルカに、カカシは嬉しそうに目を細め見つめている。

「カカシさん」

 だいぶ食事のすすんだところで、イルカは姿勢を正した。

「今日は一日、ありがとうございました! オレ、嬉しいです」
 
 何故、カカシがイルカの誕生日を知っていて、こういう祝い方に出たのかは謎のままだったし、カカシの格好さえなければ、だが。
 それでも、こうして誰かに祝われるのは、嬉しかった。

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げるイルカに、カカシはふふっと優しく笑いかける。

「やだなあ、イルカ先生。大げさですよ」
 
 頭、あげてください。

「ここまでやったら迷惑かなっても思ったんですけど。でもね、オレ自身がしてあげられることを、したかったんです」

 カカシの言葉に感動し、うっすらと涙まで滲んできたイルカは思い切って顔を上げた。
 うっかり泣いてしまうかもしれない。

「カカシさん……」

 しかし、カカシの顔に人の悪い笑みが浮かんでいることにようやくイルカは気付く。

「カカシ、さん?……」

「それにね、イルカ先生。今日はまだ、終わりじゃありませーんよ」

 一瞬後、木ノ葉の里にとある男の悲鳴が轟いたのであった……。



 【了】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2005/05/25
UP DATE:2005/05/28(PC)
   2009/05/26(mobile)
RE UP DATE:2024/08/13



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