愛の真中、恋の下
【愛の真中、恋の下】
[nartic boy 3,000hits]
任務受付カウンターに座って書類を処理しながら、うみのイルカは企んでいた。
ある上忍がイルカに対してなにやら良からぬ感情を抱いている、らしい。
はっきり、そうと言われたわけでもない。
だが、それは誰の目にも明らかだ。
ちょうど任務報告書を提出にやってきた者へ労いの言葉を掛けて、受け取った書類の不備をチェックする。
問題がないと確認できれば、彼の任務は完了だ。
あとはこちら──事務方の仕事となる。
「はい、受領いたしました。任務完了です」
そう告げれば、誰も彼も安堵したような表情なり気配なりを見せるものだ。
時に命がけともなる仕事が無事に終わったのだから。
けれど、イルカに思うところがあると思われるその上忍だけは、違っていた。
もじもじと何か言いかけた後黙り込み、明らかに落胆した様子で踵を返し、ふらふらと去っていく。
その様を思い浮かべ、イルカは何人かの教え子たちの姿とだぶらせていた。
好きな子を前にした教え子たちと、だ。
───……ありえねえ……よなあ……
想像した途端に、即、自分で否定はした。
何故ならば、その人は木ノ葉隠れの里屈指の上忍、はたけカカシだった。
猫背でほてほてと歩きながら18禁小説を読み、額当てと口布で顔を隠して四半分しか見せない怪しい風貌。
そのうえ、唯一見えている右目は眠そうな半目か、人が悪そうな三日月でしかない胡散臭すぎる男。
けれど6歳で中忍に昇格してから20年もの間、戦線を渡り歩いてきた歴戦の勇者であり、エリート中のエリート。
うちは一族に伝わる血継限界、写輪眼を血族でないのに持ち、“コピー忍者”やら“写輪眼のカカシ”という通り名が他国にまで知れ渡っている忍だ。
中忍でアカデミー教師のイルカとの接点は、うずまきナルトという生徒と、こうして報告書の受け渡しをする受付所ぐらい。
あとは通りすがりに挨拶や会話をする程度。
どう考えても、特別な感情を抱かれるようなことはない……ハズなのだ。
「イルカ先生、これお願いします」
「はい、お預かりします」
なんの気配もさせずに目の前に現れ、報告書を提出するその人にもイルカは普段どおりに対応した。
けれど、背後の同僚たちは動揺を隠し切れずに書類をばらまいたり、椅子を蹴倒したりしている。
そんないつにない受付所の緊張を察したのか、噂の張本人はじっと見つめていたイルカから顔をあげたようだ。
「カカシさん」
けれどイルカが名を呼べば、空気を鳴らせる速さで直立不動となって即座に答えが返る。
「はいっ、なんでありますか? イルカせんせえっ」
「こちら、任務開始時間の記入が抜けていますよ」
まるで上官に対するかのような物言いを訝しげに思いながら、イルカは記入漏れのある報告書とペンを差し出した。
「お手数ですがここで書き加えていただけますか?」
「はいっ! もちろんでありますっ」
目の前に無防備に晒されたつむじの行方の分からない白銀の頭髪を眺めながら、イルカは考える。
中忍でしかない自分へはきはきと返事をし、差し出されたペンを取り報告書へ向かうカカシのぱきぱきした動きは明らかに挙動不審だ。
ついでに、普段は意外にしっかりしている字も、今はやたらとへろついている気がする。
しかし、同僚たちが見聞きした限り、自分がいない時の彼はこうではないと聞いた。
何故だかイルカの前でだけ、カカシは常に無い言動をしている、らしい。
───……これがアレでなきゃ、なんだってんだよ……
既に同僚や知り合いからは散々に詮索と勘繰りをもらい、下世話なからかいもうけた。
イルカの現状を知らないのは、きっと元凶であるカカシぐらいだろう。
その憶測が、イルカの神経をささくれ立たせ、ある決意を抱かせてしまっているのに……。
「あの、これでいいですか?」
「確認させていただきます」
そう言ってイルカは差し出された報告書へ手を伸ばし、カカシの指に触れる。
「あぅっ……」
瞬間、蚊の鳴く程のささやかなうめき声。
見れば目の前の上忍はすっかり硬直してしまっていた。
「どうかしましたか、カカシさん?」
普段より2割増の営業スマイルで見上げてやれば、覆面の隙間に覗く白面が真っ赤に茹であがっていく様が観察できる。
そしてイルカは確信した。
はたけカカシが自分に対して抱く感情が、過剰に純情な恋情らしいと。
───……だとしたら、多少は責任をとって頂きましょうか……
イルカは予てからの計画を発動すべく、報告書をチェックしなおして確認印を押した。
「受領いたしました。任務完了です」
カカシがまだイルカの渡したペンを持っていることを承知で、告げる。
ペンを返すか、そのまま持ち去ろうとするならこちらから声を掛ければいい。
これをきっかけに何か仕掛けあうのもありかもしれない。
そう思っていたのだが、向うはまだ報告書を受け渡した格好で固まったままでいる。
「カカシさん? どうかされましたか?」
座ってた椅子から立ち上がると、カカシの顔をのぞきこんでみた。
普段は猫背なのに、イルカの前でだけはびっちりと背筋が伸びているのとカウンター越しのせいで、見上げるように。
「カカシさん」
「……え? あ。……えええええっ!?」
間近で手を振って覚醒を促せば、ようやく戻ってきてはくれる。
だが同時に、上忍の能力をいかんなく発揮して後退り、ずいぶんな間合いを確保してくれた。
舌打ちを笑顔で隠して、イルカはカカシを気遣うように訊ねてみる。
「ぼうっとされてましたけど、大丈夫ですか?」
「い、いいいえっ! なんでもないであります!」
いや、盛大に首と腕を横に振りまくっているその姿が既に大丈夫ではない。
不運にもこの場に居合わせてしまった人々による心の奥底での総ツッコミは届くはずもなく、カカシは壊れた人形のようになんでもないを繰り返す。
ずりずりと後退りながら。
そのまま、さっさと消えてしまえと願う多くの衆人環視のもと、元凶があっさりとカカシを呼び止める。
「あ、カカシさん」
とたんに、ぴたりと報告所の全てが停止した。
「はははいっ」
「そのペン、備品なんで持ち出さないでくださいね」
笑顔で返してくださいと中忍が手を差し伸べれば、へこへこと平身低頭しまくりながら上忍がお届けする。
「すいません! うっかりしてましたっ」
「いいえ、こちらこそ」
両手で捧げるように差し出されたペンを受け取り、まだ立ったままのイルカは軽く頭をさげる。
そして上げた顔をわざと心配げに近づけて、囁いた。
「任務でお疲れなのでしょう? 顔色もよくないようです。今日はもうお帰りになってください」
「……は、はいっ! では、失礼するでありますっ」
かっちり90度の最敬礼ののち、スキップというよりギャロップのような足取りでカカシはうきうきと去っていく。
浮かれた上忍の背に、イルカの冷ややかな言葉は届かなかったようだ。
「どうか、お大事に……」
* * * * *
はたけカカシはうきうきとした足取りで軽やかに上忍待機所へ向かっていた。
調子外れのご機嫌な鼻歌にのせて、不気味さや迷惑といったものを周囲に振りまきながら。
実は、カカシには想い人がいる。
まさに運命としか言いようのない、完璧な一目惚れの……片思いだけれど。
その人の名はうみのイルカ。
木ノ葉隠れの中忍で忍者アカデミーの教師兼、任務受付係りで3代目火影のお気に入り。
特出した能力があるわけではないけれど、苦手なこともなく中忍としては優秀だと聞いている。
性格的には典型的な『いい人』で、容姿も十人並みよりは良いかという程度。
はっきり言えば、普通と中庸を足して平均で割った、そんな人物である。
けれど、笑顔が誰よりも魅力的だった。特に、子供たちや任務後の忍へ向ける笑顔が。
しかし、色々と障害の多い恋だ。
まあ、階級差、性別、保護者や小姑やコブだけなら、お互いの気持ちでどうにでもなるという変な自信だけはある。
けれど、最大の難関はカカシ本人にあった。
何しろカカシは自他共に認める人見知り王なのである。
口布と額当てで顔の殆どを隠しているから任務にだって出られるのだ。
完全に素顔で出歩くことは、たぶんできないだろう。
そんなワケで、カカシはこれまで想い人であるイルカへアプローチどころか、まともな会話すらしていない状況だった。
しかし、今日はカカシにとって生涯何度目かの超ラッキーデイ。
受付所のシフトはすっかり把握していて、イルカが当番の時間帯を狙って報告書を提出に行ったのだ。
そこで、記入漏れを指摘された時のやりとりを思い返し、急にもじもじと壁にのの字を書いてみる。
───ああ、イルカ先生といっぱい話しちゃったー
更に報告書を受け渡す際、左手をイルカの指が触れたというか掠めたのを思い出し、いそいそとハンカチを巻いてみた。
───せっかく、イルカ先生と触れ合えたのに他の奴に触られたくない……てゆーか、3日は手洗えないよー
それから、残念そうにため息をはきつつ身悶えはじめる。
───ああ~、イルカ先生使用済みペン、ポチッてくんの失敗しちゃったのは惜……
「うぜえ」
「キモッ!」
その聞きなれた声と同時に、カカシが不気味な1人遊びを繰り広げていた壁に数本のクナイが突き立った。
もちろん、まともに食らうこともなく、カカシは危険なツッコミをしてくれた同僚たちの背後へ移動している。
「あっぶないなー。なにすんのよ」
いつもの調子で抗議すれば、やたらと暑苦しいのととげとげしいのが口を開いた。
「おうカカスィ☆ 青春ド真ん中じゃあないかっ!」
「あら、不気味な生き物がいると思ったらあんただったのね」
「なーによ、あれっくらいでっ。あんなのヨユーでしょ、ヨユー! てゆーか、もちょっと芸のある避け方してよ、ツマンナイ男ねっ」
「邪魔だオメーら」
騒がしいのが突き立ったクナイを自分のホルダーに納める後ろを、髭熊がのっそりと通り過ぎていく。
無視されたカカシは、もう一度問いただしてみる。
「で? なんなのよ、一体?」
「それはあんたの方でしょう? 待機所の前で壁に向かってブツブツモジモジクネクネしちゃって、気味が悪いったらないわ」
辛辣な一言を投げかけた紅と、すでに興味を失ったらしいアンコも待機所へと去っていく。
残ったガイでは話にならないと、カカシも待機所へ入った。
「はっはっはっ! 照れるな、カカスィ☆」
だが、背後から爽やかに白い歯を輝かせたガイが、カカシの肩を掴む。
「イルカとの青春トーク、眩しかったぞっ☆」
「なんでオマエがそんなこと知ってんのっ?」
「バッチリ☆ 観察させて貰ったのだっ!」
ナイスガイポーズを決まるガイ。
そして紅の含み笑いも響いてきた。
「イルカちゃんと手が触れ合っただけで、真っ赤に茹で上がるなんてね~」
「面白いってゆーか、アレはキモかったわー」
持参した缶入り汁粉を飲みながら眉をしかめるアンコの隣りでは、同意見だと言わんばかりにアスマが盛大に紫煙を吐き出している。
どうやら、里でも名うての上忍+特別上忍の4人が揃いも揃って、受付所でのカカシとイルカのやりとりを観ていたらしい。
「ナニ? アンタら揃って覗き見? ずいぶんと悪趣味じゃない? ナニ、暇なの?」
見られていたことはともかく、その時の自分の対応をからかわれるのは心外なカカシは嫌味の一つもと思った。
「あら、気付かなかったの?」
「はっはっはっ☆ どーぅしたぁカカスィ? 永遠のライヴァルであるこのオレの気配に気付かなかったとは、オマエらしくないゾ?」
「イルカは気付いてたんだがなぁー」
「あームリムリ。イルカ先生の前じゃ写輪眼のカカシもアカデミー生同然だもの」
しかし、4人同時に言い返してくるので分が悪すぎる。
どうしたものかと首をひねりかけたカカシの動きが、突然止まった。
「お」
と思う間に、みるみるカカシの様子がおかしくなっていく。
「ん? どうしたぁ、カカスィ?」
「バカね。カカシがこうなる原因なんて1つしかないでしょう」
「イルカ先生ねー」
アンコが近付く気配の正体を口にするのと同時に、待機所の扉を威勢良く開ける者があった。
「失礼します! 緊急でお1人、出ていただけませんか?」
全員が予想した通り、イルカが。
しかし、彼の言葉でフザケあっていたそれまでの雰囲気は消え去り、忍たち独特の緊張感が走った。
張りつめた空気の中、のそりと立ち上がったアスマが問う。
「緊急で1人って……救援か?」
「はい。場所は西の国境付近。帰還途中の諜報部隊からの要請です」
簡単な情報を提示しながらイルカはアスマとガイを見やる。
その視線に含まれた意図を察して紅は残念そうに呟く。
「諜報部隊と撤退戦は、私にはちょっと荷が勝ちすぎるわねえ」
戦闘能力だけなら紅でも問題はないのだが、負傷者を抱えての移動となると先の2人に比べて体力的に劣る彼女に、この任務は向いていないのだ。
特別上忍はこういった飛び込みの任務には就かないきまりだから、アンコは最初から話しに加わってさえいない。
「ではこのオレがひとっ走りっ……」
「オオオオレが行きますっ!」
ガイを遮り、カカシが名乗りを上げた。
「その任務っ、オレに任せてくださいっ!」
「え? でも、カカシさんはずいぶん顔色がお悪いようですけど……」
心配げに小首を傾げ、イルカは突如として目の前に現れたカカシをみやる。
そんなイルカの仕草一つで鼻息を荒くして、カカシはしゃっきりと背筋を伸ばした。
「ヘーキです、大丈夫デス! コレ、任務書ですね!? 了解しましたっ! 行ってきますっ!」
イルカの手からひったくるように任務書を受け取り、一気に内容を確認するとカカシは待機所を飛び出していく。
その背が見えなくなる直前に、イルカはいつも受付所で忍を送り出す時と同様の声をかけた。
「カカシさん、どうかご無事でっ!」
「はっ! あっ、イルカ先せ……いーーーっ!!」
全速力で走っているところに声を掛けられ、きっと振り向くかしようとしたのだろう。
微妙に遠ざかる雄たけびに続いて、ちょっと額を押さえたくなるような激突音が響いた。
ただ、しばらくしてカカシの気配が急速に遠ざかるのが感じられたから、多分、本人に大事はないはずだ。
多分、何かにぶつかって怪我をさせたり、何かを破壊したりといった被害もないのだろう。
そんな状況音に耳を傾けつつ、イルカは笑顔だった。
「おや、コケたみたいですね」
カカシがそうなることを分かってやってみたと言わんばかりのその表情に、アスマは半ば確信しつつ聞いてみる。
「……イルカ、オメエ……。……カカシで遊んでやがるだろ?」
「あーんな煽るようなマネしちゃってー」
紅までもが、受付所からのカカシへの態度を揶揄するように苦笑した。
「いいえ。しっかり働いてもらいたいだけですよ」
今は大変な時期ですからね、と小声で呟いて。
「そのために、オレは自分にできることをしてみました」
と、里でも一番華やかな紅の笑みにひけをとらない鮮やかな微笑をイルカは浮かべた。
カカシの不幸を他人事と楽しんでいる上忍たちは、一斉にイルカを褒め称え盛り上がる。
「おお、怖ぇ怖ぇ」
「ほんっと、イルカ先生って優秀な中忍ねえ」
「いや、たいしたもんだな、イルカ☆」
「上忍、手玉にとっちゃうなんてねー」
けれど本当は、自分たちに向けられた極上の笑顔に、何故か感じた恐怖を誤魔化したかっただけかもしれない。
「ええ。上忍の皆さんには、特にしっかり稼いで頂かないといけませんし」
そして、イルカの手にはどこからだしたのか4枚の高ランクの任務書がしっかりと握られていた。
【了】
‡蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2005/03/03
UP DATE:2005/03/06(PC)
2009/11/10(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
[nartic boy 3,000hits]
任務受付カウンターに座って書類を処理しながら、うみのイルカは企んでいた。
ある上忍がイルカに対してなにやら良からぬ感情を抱いている、らしい。
はっきり、そうと言われたわけでもない。
だが、それは誰の目にも明らかだ。
ちょうど任務報告書を提出にやってきた者へ労いの言葉を掛けて、受け取った書類の不備をチェックする。
問題がないと確認できれば、彼の任務は完了だ。
あとはこちら──事務方の仕事となる。
「はい、受領いたしました。任務完了です」
そう告げれば、誰も彼も安堵したような表情なり気配なりを見せるものだ。
時に命がけともなる仕事が無事に終わったのだから。
けれど、イルカに思うところがあると思われるその上忍だけは、違っていた。
もじもじと何か言いかけた後黙り込み、明らかに落胆した様子で踵を返し、ふらふらと去っていく。
その様を思い浮かべ、イルカは何人かの教え子たちの姿とだぶらせていた。
好きな子を前にした教え子たちと、だ。
───……ありえねえ……よなあ……
想像した途端に、即、自分で否定はした。
何故ならば、その人は木ノ葉隠れの里屈指の上忍、はたけカカシだった。
猫背でほてほてと歩きながら18禁小説を読み、額当てと口布で顔を隠して四半分しか見せない怪しい風貌。
そのうえ、唯一見えている右目は眠そうな半目か、人が悪そうな三日月でしかない胡散臭すぎる男。
けれど6歳で中忍に昇格してから20年もの間、戦線を渡り歩いてきた歴戦の勇者であり、エリート中のエリート。
うちは一族に伝わる血継限界、写輪眼を血族でないのに持ち、“コピー忍者”やら“写輪眼のカカシ”という通り名が他国にまで知れ渡っている忍だ。
中忍でアカデミー教師のイルカとの接点は、うずまきナルトという生徒と、こうして報告書の受け渡しをする受付所ぐらい。
あとは通りすがりに挨拶や会話をする程度。
どう考えても、特別な感情を抱かれるようなことはない……ハズなのだ。
「イルカ先生、これお願いします」
「はい、お預かりします」
なんの気配もさせずに目の前に現れ、報告書を提出するその人にもイルカは普段どおりに対応した。
けれど、背後の同僚たちは動揺を隠し切れずに書類をばらまいたり、椅子を蹴倒したりしている。
そんないつにない受付所の緊張を察したのか、噂の張本人はじっと見つめていたイルカから顔をあげたようだ。
「カカシさん」
けれどイルカが名を呼べば、空気を鳴らせる速さで直立不動となって即座に答えが返る。
「はいっ、なんでありますか? イルカせんせえっ」
「こちら、任務開始時間の記入が抜けていますよ」
まるで上官に対するかのような物言いを訝しげに思いながら、イルカは記入漏れのある報告書とペンを差し出した。
「お手数ですがここで書き加えていただけますか?」
「はいっ! もちろんでありますっ」
目の前に無防備に晒されたつむじの行方の分からない白銀の頭髪を眺めながら、イルカは考える。
中忍でしかない自分へはきはきと返事をし、差し出されたペンを取り報告書へ向かうカカシのぱきぱきした動きは明らかに挙動不審だ。
ついでに、普段は意外にしっかりしている字も、今はやたらとへろついている気がする。
しかし、同僚たちが見聞きした限り、自分がいない時の彼はこうではないと聞いた。
何故だかイルカの前でだけ、カカシは常に無い言動をしている、らしい。
───……これがアレでなきゃ、なんだってんだよ……
既に同僚や知り合いからは散々に詮索と勘繰りをもらい、下世話なからかいもうけた。
イルカの現状を知らないのは、きっと元凶であるカカシぐらいだろう。
その憶測が、イルカの神経をささくれ立たせ、ある決意を抱かせてしまっているのに……。
「あの、これでいいですか?」
「確認させていただきます」
そう言ってイルカは差し出された報告書へ手を伸ばし、カカシの指に触れる。
「あぅっ……」
瞬間、蚊の鳴く程のささやかなうめき声。
見れば目の前の上忍はすっかり硬直してしまっていた。
「どうかしましたか、カカシさん?」
普段より2割増の営業スマイルで見上げてやれば、覆面の隙間に覗く白面が真っ赤に茹であがっていく様が観察できる。
そしてイルカは確信した。
はたけカカシが自分に対して抱く感情が、過剰に純情な恋情らしいと。
───……だとしたら、多少は責任をとって頂きましょうか……
イルカは予てからの計画を発動すべく、報告書をチェックしなおして確認印を押した。
「受領いたしました。任務完了です」
カカシがまだイルカの渡したペンを持っていることを承知で、告げる。
ペンを返すか、そのまま持ち去ろうとするならこちらから声を掛ければいい。
これをきっかけに何か仕掛けあうのもありかもしれない。
そう思っていたのだが、向うはまだ報告書を受け渡した格好で固まったままでいる。
「カカシさん? どうかされましたか?」
座ってた椅子から立ち上がると、カカシの顔をのぞきこんでみた。
普段は猫背なのに、イルカの前でだけはびっちりと背筋が伸びているのとカウンター越しのせいで、見上げるように。
「カカシさん」
「……え? あ。……えええええっ!?」
間近で手を振って覚醒を促せば、ようやく戻ってきてはくれる。
だが同時に、上忍の能力をいかんなく発揮して後退り、ずいぶんな間合いを確保してくれた。
舌打ちを笑顔で隠して、イルカはカカシを気遣うように訊ねてみる。
「ぼうっとされてましたけど、大丈夫ですか?」
「い、いいいえっ! なんでもないであります!」
いや、盛大に首と腕を横に振りまくっているその姿が既に大丈夫ではない。
不運にもこの場に居合わせてしまった人々による心の奥底での総ツッコミは届くはずもなく、カカシは壊れた人形のようになんでもないを繰り返す。
ずりずりと後退りながら。
そのまま、さっさと消えてしまえと願う多くの衆人環視のもと、元凶があっさりとカカシを呼び止める。
「あ、カカシさん」
とたんに、ぴたりと報告所の全てが停止した。
「はははいっ」
「そのペン、備品なんで持ち出さないでくださいね」
笑顔で返してくださいと中忍が手を差し伸べれば、へこへこと平身低頭しまくりながら上忍がお届けする。
「すいません! うっかりしてましたっ」
「いいえ、こちらこそ」
両手で捧げるように差し出されたペンを受け取り、まだ立ったままのイルカは軽く頭をさげる。
そして上げた顔をわざと心配げに近づけて、囁いた。
「任務でお疲れなのでしょう? 顔色もよくないようです。今日はもうお帰りになってください」
「……は、はいっ! では、失礼するでありますっ」
かっちり90度の最敬礼ののち、スキップというよりギャロップのような足取りでカカシはうきうきと去っていく。
浮かれた上忍の背に、イルカの冷ややかな言葉は届かなかったようだ。
「どうか、お大事に……」
* * * * *
はたけカカシはうきうきとした足取りで軽やかに上忍待機所へ向かっていた。
調子外れのご機嫌な鼻歌にのせて、不気味さや迷惑といったものを周囲に振りまきながら。
実は、カカシには想い人がいる。
まさに運命としか言いようのない、完璧な一目惚れの……片思いだけれど。
その人の名はうみのイルカ。
木ノ葉隠れの中忍で忍者アカデミーの教師兼、任務受付係りで3代目火影のお気に入り。
特出した能力があるわけではないけれど、苦手なこともなく中忍としては優秀だと聞いている。
性格的には典型的な『いい人』で、容姿も十人並みよりは良いかという程度。
はっきり言えば、普通と中庸を足して平均で割った、そんな人物である。
けれど、笑顔が誰よりも魅力的だった。特に、子供たちや任務後の忍へ向ける笑顔が。
しかし、色々と障害の多い恋だ。
まあ、階級差、性別、保護者や小姑やコブだけなら、お互いの気持ちでどうにでもなるという変な自信だけはある。
けれど、最大の難関はカカシ本人にあった。
何しろカカシは自他共に認める人見知り王なのである。
口布と額当てで顔の殆どを隠しているから任務にだって出られるのだ。
完全に素顔で出歩くことは、たぶんできないだろう。
そんなワケで、カカシはこれまで想い人であるイルカへアプローチどころか、まともな会話すらしていない状況だった。
しかし、今日はカカシにとって生涯何度目かの超ラッキーデイ。
受付所のシフトはすっかり把握していて、イルカが当番の時間帯を狙って報告書を提出に行ったのだ。
そこで、記入漏れを指摘された時のやりとりを思い返し、急にもじもじと壁にのの字を書いてみる。
───ああ、イルカ先生といっぱい話しちゃったー
更に報告書を受け渡す際、左手をイルカの指が触れたというか掠めたのを思い出し、いそいそとハンカチを巻いてみた。
───せっかく、イルカ先生と触れ合えたのに他の奴に触られたくない……てゆーか、3日は手洗えないよー
それから、残念そうにため息をはきつつ身悶えはじめる。
───ああ~、イルカ先生使用済みペン、ポチッてくんの失敗しちゃったのは惜……
「うぜえ」
「キモッ!」
その聞きなれた声と同時に、カカシが不気味な1人遊びを繰り広げていた壁に数本のクナイが突き立った。
もちろん、まともに食らうこともなく、カカシは危険なツッコミをしてくれた同僚たちの背後へ移動している。
「あっぶないなー。なにすんのよ」
いつもの調子で抗議すれば、やたらと暑苦しいのととげとげしいのが口を開いた。
「おうカカスィ☆ 青春ド真ん中じゃあないかっ!」
「あら、不気味な生き物がいると思ったらあんただったのね」
「なーによ、あれっくらいでっ。あんなのヨユーでしょ、ヨユー! てゆーか、もちょっと芸のある避け方してよ、ツマンナイ男ねっ」
「邪魔だオメーら」
騒がしいのが突き立ったクナイを自分のホルダーに納める後ろを、髭熊がのっそりと通り過ぎていく。
無視されたカカシは、もう一度問いただしてみる。
「で? なんなのよ、一体?」
「それはあんたの方でしょう? 待機所の前で壁に向かってブツブツモジモジクネクネしちゃって、気味が悪いったらないわ」
辛辣な一言を投げかけた紅と、すでに興味を失ったらしいアンコも待機所へと去っていく。
残ったガイでは話にならないと、カカシも待機所へ入った。
「はっはっはっ! 照れるな、カカスィ☆」
だが、背後から爽やかに白い歯を輝かせたガイが、カカシの肩を掴む。
「イルカとの青春トーク、眩しかったぞっ☆」
「なんでオマエがそんなこと知ってんのっ?」
「バッチリ☆ 観察させて貰ったのだっ!」
ナイスガイポーズを決まるガイ。
そして紅の含み笑いも響いてきた。
「イルカちゃんと手が触れ合っただけで、真っ赤に茹で上がるなんてね~」
「面白いってゆーか、アレはキモかったわー」
持参した缶入り汁粉を飲みながら眉をしかめるアンコの隣りでは、同意見だと言わんばかりにアスマが盛大に紫煙を吐き出している。
どうやら、里でも名うての上忍+特別上忍の4人が揃いも揃って、受付所でのカカシとイルカのやりとりを観ていたらしい。
「ナニ? アンタら揃って覗き見? ずいぶんと悪趣味じゃない? ナニ、暇なの?」
見られていたことはともかく、その時の自分の対応をからかわれるのは心外なカカシは嫌味の一つもと思った。
「あら、気付かなかったの?」
「はっはっはっ☆ どーぅしたぁカカスィ? 永遠のライヴァルであるこのオレの気配に気付かなかったとは、オマエらしくないゾ?」
「イルカは気付いてたんだがなぁー」
「あームリムリ。イルカ先生の前じゃ写輪眼のカカシもアカデミー生同然だもの」
しかし、4人同時に言い返してくるので分が悪すぎる。
どうしたものかと首をひねりかけたカカシの動きが、突然止まった。
「お」
と思う間に、みるみるカカシの様子がおかしくなっていく。
「ん? どうしたぁ、カカスィ?」
「バカね。カカシがこうなる原因なんて1つしかないでしょう」
「イルカ先生ねー」
アンコが近付く気配の正体を口にするのと同時に、待機所の扉を威勢良く開ける者があった。
「失礼します! 緊急でお1人、出ていただけませんか?」
全員が予想した通り、イルカが。
しかし、彼の言葉でフザケあっていたそれまでの雰囲気は消え去り、忍たち独特の緊張感が走った。
張りつめた空気の中、のそりと立ち上がったアスマが問う。
「緊急で1人って……救援か?」
「はい。場所は西の国境付近。帰還途中の諜報部隊からの要請です」
簡単な情報を提示しながらイルカはアスマとガイを見やる。
その視線に含まれた意図を察して紅は残念そうに呟く。
「諜報部隊と撤退戦は、私にはちょっと荷が勝ちすぎるわねえ」
戦闘能力だけなら紅でも問題はないのだが、負傷者を抱えての移動となると先の2人に比べて体力的に劣る彼女に、この任務は向いていないのだ。
特別上忍はこういった飛び込みの任務には就かないきまりだから、アンコは最初から話しに加わってさえいない。
「ではこのオレがひとっ走りっ……」
「オオオオレが行きますっ!」
ガイを遮り、カカシが名乗りを上げた。
「その任務っ、オレに任せてくださいっ!」
「え? でも、カカシさんはずいぶん顔色がお悪いようですけど……」
心配げに小首を傾げ、イルカは突如として目の前に現れたカカシをみやる。
そんなイルカの仕草一つで鼻息を荒くして、カカシはしゃっきりと背筋を伸ばした。
「ヘーキです、大丈夫デス! コレ、任務書ですね!? 了解しましたっ! 行ってきますっ!」
イルカの手からひったくるように任務書を受け取り、一気に内容を確認するとカカシは待機所を飛び出していく。
その背が見えなくなる直前に、イルカはいつも受付所で忍を送り出す時と同様の声をかけた。
「カカシさん、どうかご無事でっ!」
「はっ! あっ、イルカ先せ……いーーーっ!!」
全速力で走っているところに声を掛けられ、きっと振り向くかしようとしたのだろう。
微妙に遠ざかる雄たけびに続いて、ちょっと額を押さえたくなるような激突音が響いた。
ただ、しばらくしてカカシの気配が急速に遠ざかるのが感じられたから、多分、本人に大事はないはずだ。
多分、何かにぶつかって怪我をさせたり、何かを破壊したりといった被害もないのだろう。
そんな状況音に耳を傾けつつ、イルカは笑顔だった。
「おや、コケたみたいですね」
カカシがそうなることを分かってやってみたと言わんばかりのその表情に、アスマは半ば確信しつつ聞いてみる。
「……イルカ、オメエ……。……カカシで遊んでやがるだろ?」
「あーんな煽るようなマネしちゃってー」
紅までもが、受付所からのカカシへの態度を揶揄するように苦笑した。
「いいえ。しっかり働いてもらいたいだけですよ」
今は大変な時期ですからね、と小声で呟いて。
「そのために、オレは自分にできることをしてみました」
と、里でも一番華やかな紅の笑みにひけをとらない鮮やかな微笑をイルカは浮かべた。
カカシの不幸を他人事と楽しんでいる上忍たちは、一斉にイルカを褒め称え盛り上がる。
「おお、怖ぇ怖ぇ」
「ほんっと、イルカ先生って優秀な中忍ねえ」
「いや、たいしたもんだな、イルカ☆」
「上忍、手玉にとっちゃうなんてねー」
けれど本当は、自分たちに向けられた極上の笑顔に、何故か感じた恐怖を誤魔化したかっただけかもしれない。
「ええ。上忍の皆さんには、特にしっかり稼いで頂かないといけませんし」
そして、イルカの手にはどこからだしたのか4枚の高ランクの任務書がしっかりと握られていた。
【了】
‡蛙娘。@ iscreamman‡
WRITE:2005/03/03
UP DATE:2005/03/06(PC)
2009/11/10(mobile)
RE UP DATE:2024/07/28
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