10周年お礼SS
【桂男】
~ LUNATIC LOVE ~
[10周年お礼:新作(シリアス)]
雲一つない暗色の空に禍々しく輝いた満月の下、カカシは夜を歩く。
今宵の月を待ち侘びて、夜毎空を眺めていた人の元へ。
「こんばんは、イルカ先生」
「……こんばんは、カカシさん」
いつもの如く庭木の枝から声を掛ければ、昼間出会った時とは別人かと思う姿でイルカは窓辺に座っていた。
普段は高くきっちりと結い上げている髪は洗ったのか湿ったままざんばらに下ろし、いつもは寝間着すら忍服なのに婀娜っほく羽織って帯を締めただけの浴衣で片膝立てている。
目のやり場に困って言葉も失い、頬を染めて目を逸らすカカシなど御構い無しに、ゆるりと口の端だけで笑ったイルカは愉快そうな声で揶揄してきた。
「……桂男かと、思いました……」
「それ、褒めてませんよね?」
言われたカカシは心底嫌そうに息を吐く。
桂男───かつらおとこ───とは、古くから言い伝えられている月に住まう絶世の美男子とされる妖怪だ。
「……あなたが素顔晒して歓楽街辺りを歩けば、太夫達が挙ってそんな噂をしそうじゃないですか……」
滅多にいない顔も遊び方も金払いも良い上客を月に住まう人に擬えて、花街の遊女達からそう呼ばれるだろうとイルカは嘯く。
多分、イルカは単純に考えたまま口にし、遠回しにカカシの容貌を褒めた事に気付いていない。
けれど、カカシとしても手離しには喜べない理由がある。
桂男という妖怪の性質もだが、忍としては味方にそう疑われるのは致命的だと知っているからだ。
なにしろ妖怪としての桂男は月を見上げる者の所へ降り立ち、魅了したその魂を連れ去ると言われている。
言わば死神のようなものなのだ。
そんな伝説があるからか、同じ名の忍術がある。
まだ敵対していない他国へ無関係の人間として入り込んで生活し、いざという時に敵陣の内側で工作することを《桂男───かつらお、またはけいなん───の術》という。
例えば、大蛇丸や暁によって幼少時に送り込まれ、稀有な医療忍術の才能と暗部すら手玉に取る実力を有しながら、木ノ葉崩しという時が来るまで一介の下忍として振る舞っていた薬師カブトのような。
その事を中忍であり、アカデミー教師であるイルカが知らぬはずがない。
「……オレをスパイだって言ってるようなもんじゃないの」
だがもしカカシが《桂男》として他里から潜り込んだ者だとしたら、余りにも木ノ葉の為に尽くし名も売れ過ぎていて、いざという時に身動きが取れなくなってしまうだろう。
平時は目立たず、程々に中枢の動きを把握でき、有事の際には外部からの指令も受けやすく動きやすい位置に身を置くのが桂男の役割だ。
そう考えると、アカデミーの教師や任務受付を担う里常駐の中忍が妥当か。
「……むしろ、アナタこそって、オレは思いますケド?」
「……すみません。そういうつもりではなかったんですが……」
子供っぽく拗ねた仕草を見せるカカシの不機嫌など気にもせず、口先だけで謝罪したイルカは傍に置いた酒杯を手にして掲げた。
「……本当に、月から降りて来たようだったので……」
そう呟くイルカの目はカカシを通り過ぎ、背後に昇る月を陶然と見上げる。
いつから、だったろう。
満月の夜に、イルカが焦がれた目で空を眺めだしたのは。
まるで月に住まう者に魅入られたように。
「……イルカ先生……」
庭木から降り立ったカカシが無遠慮に上がり込み、近づいて頬に触れてもイルカは月を見上げ続ける。
抱き締めて顔を寄せても、2人の視線は交わらない。
明る過ぎる月明かりの下で間近に見た常にない愛おしげな表情に、名状し難い苛立ちが湧き上がる。
「……ねえ、イルカ……こっち、見ろよっ!」
一瞬で膨れ上がった凶暴な感情に任せ、カカシは叩きつける勢いで床に押し倒したイルカにのし掛かる。
全身で彼を拘束し、少しでも自分に注意を向けようと必死で。
けれど大きな音を立てて受け身も取らず倒れたイルカは呻き声も上げず、全身を強く押さえつけられているというのに抗いもしない。
「……ね、なんとか言ったらっ……」
そう言いかけたカカシは自身の手の置き所を目にして、息を飲む。
開け放った窓から遮るものなく射し込む月光に照らされたイルカは、しどけなく濡れ髪を散らしてはだけた浴衣の上に縫い付けられていた。
投げ出された両腕は何を掴むこともなく、半裸の胸は微かに上下しているものの息は細い。
手にしていた酒杯は床に転がり、イルカの首には喉を握り潰そうというのか、カカシの両手が掛かっていた。
「……あっ!? ……な、なんで……オレ……」
そんなつもりではなかったのだと、慌てて身を退こうとしたカカシの腕を、それまで力なく床に伸びていたイルカの手が緩やかに制す。
ただ片袖を軽く抓まれただけで、どう動いていいものか分からなくなる。
「……あ、の……イルカ、せんせ……」
動揺し、それでも様子を確認しようとした目線が、今夜初めてかち合った。
袖を掴んでいたイルカの手がカカシの腕を辿って持ち上がり、片目を覆う額当てを取り去る。
そのまま指を頬に滑らせて覆面も押し下げ、隠されていた素顔を露わにした。
するとイルカが月を見上げていた時と同じ、陶然とした笑みを向けてくる。
月から降り立った桂男を迎え入れる者のように。
「……カカシさん」
だが、彼はちゃんとカカシを認識している。
それなのに愛おしくて堪らないとばかりに髪に、頬に触れて来るのだ。
戸惑うカカシを自分の胸に引き寄せて抱き締めると、体を入れ替えて今度はイルカが乗り上げてくる。
吐息のような笑みを漏らし、カカシの上で上体を起こしたイルカの背後にはやけに大きく見える満月。
逆光の中では表情など判然としないにもかかわらず、半裸で濡れ髪を下ろしたイルカの醸し出す妖艶な雰囲気にカカシは飲まれた。
「……イルカ、先生……」
不意に背後の月を見返ったイルカの横顔は企みが成功したとばかりに口角が上がっている。
誰かに見せつけるように色を匂わせながら指でカカシの頬を撫で上げ、視線を戻す流れのまま顔を近づけていく。
「……あ、の……んぅっ?」
触れ合った唇を舐められ、再び重なると深く舌が絡み合う。
抗い難い気持ちに逆らわず、カカシも腕を回して抱き締めれば、喉奥で笑う声を耳元で聞いた。
大きく開け放たれた窓から満ちた月が照らす光の下、2人の触れ合いは熱を帯びていく。
もう思い留まる事も出来ない程に高められた意識で、カカシは思う。
月から降り立って魅了した者の魂を連れ去る妖怪。
ひっそりと懐に入り込み、時が来れば内側から侵食する役割を負った忍。
どちらとは言い難いけれど、カカシの心を捉えたイルカは桂男なのだ、と。
[お題]
10周年記念のお礼フリー短編として『新作でシリアス』。
【了】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2014/10/28
UP DATE:2014/11/01(mobile)
RE UP DATE:2024/08/19
~ LUNATIC LOVE ~
[10周年お礼:新作(シリアス)]
雲一つない暗色の空に禍々しく輝いた満月の下、カカシは夜を歩く。
今宵の月を待ち侘びて、夜毎空を眺めていた人の元へ。
「こんばんは、イルカ先生」
「……こんばんは、カカシさん」
いつもの如く庭木の枝から声を掛ければ、昼間出会った時とは別人かと思う姿でイルカは窓辺に座っていた。
普段は高くきっちりと結い上げている髪は洗ったのか湿ったままざんばらに下ろし、いつもは寝間着すら忍服なのに婀娜っほく羽織って帯を締めただけの浴衣で片膝立てている。
目のやり場に困って言葉も失い、頬を染めて目を逸らすカカシなど御構い無しに、ゆるりと口の端だけで笑ったイルカは愉快そうな声で揶揄してきた。
「……桂男かと、思いました……」
「それ、褒めてませんよね?」
言われたカカシは心底嫌そうに息を吐く。
桂男───かつらおとこ───とは、古くから言い伝えられている月に住まう絶世の美男子とされる妖怪だ。
「……あなたが素顔晒して歓楽街辺りを歩けば、太夫達が挙ってそんな噂をしそうじゃないですか……」
滅多にいない顔も遊び方も金払いも良い上客を月に住まう人に擬えて、花街の遊女達からそう呼ばれるだろうとイルカは嘯く。
多分、イルカは単純に考えたまま口にし、遠回しにカカシの容貌を褒めた事に気付いていない。
けれど、カカシとしても手離しには喜べない理由がある。
桂男という妖怪の性質もだが、忍としては味方にそう疑われるのは致命的だと知っているからだ。
なにしろ妖怪としての桂男は月を見上げる者の所へ降り立ち、魅了したその魂を連れ去ると言われている。
言わば死神のようなものなのだ。
そんな伝説があるからか、同じ名の忍術がある。
まだ敵対していない他国へ無関係の人間として入り込んで生活し、いざという時に敵陣の内側で工作することを《桂男───かつらお、またはけいなん───の術》という。
例えば、大蛇丸や暁によって幼少時に送り込まれ、稀有な医療忍術の才能と暗部すら手玉に取る実力を有しながら、木ノ葉崩しという時が来るまで一介の下忍として振る舞っていた薬師カブトのような。
その事を中忍であり、アカデミー教師であるイルカが知らぬはずがない。
「……オレをスパイだって言ってるようなもんじゃないの」
だがもしカカシが《桂男》として他里から潜り込んだ者だとしたら、余りにも木ノ葉の為に尽くし名も売れ過ぎていて、いざという時に身動きが取れなくなってしまうだろう。
平時は目立たず、程々に中枢の動きを把握でき、有事の際には外部からの指令も受けやすく動きやすい位置に身を置くのが桂男の役割だ。
そう考えると、アカデミーの教師や任務受付を担う里常駐の中忍が妥当か。
「……むしろ、アナタこそって、オレは思いますケド?」
「……すみません。そういうつもりではなかったんですが……」
子供っぽく拗ねた仕草を見せるカカシの不機嫌など気にもせず、口先だけで謝罪したイルカは傍に置いた酒杯を手にして掲げた。
「……本当に、月から降りて来たようだったので……」
そう呟くイルカの目はカカシを通り過ぎ、背後に昇る月を陶然と見上げる。
いつから、だったろう。
満月の夜に、イルカが焦がれた目で空を眺めだしたのは。
まるで月に住まう者に魅入られたように。
「……イルカ先生……」
庭木から降り立ったカカシが無遠慮に上がり込み、近づいて頬に触れてもイルカは月を見上げ続ける。
抱き締めて顔を寄せても、2人の視線は交わらない。
明る過ぎる月明かりの下で間近に見た常にない愛おしげな表情に、名状し難い苛立ちが湧き上がる。
「……ねえ、イルカ……こっち、見ろよっ!」
一瞬で膨れ上がった凶暴な感情に任せ、カカシは叩きつける勢いで床に押し倒したイルカにのし掛かる。
全身で彼を拘束し、少しでも自分に注意を向けようと必死で。
けれど大きな音を立てて受け身も取らず倒れたイルカは呻き声も上げず、全身を強く押さえつけられているというのに抗いもしない。
「……ね、なんとか言ったらっ……」
そう言いかけたカカシは自身の手の置き所を目にして、息を飲む。
開け放った窓から遮るものなく射し込む月光に照らされたイルカは、しどけなく濡れ髪を散らしてはだけた浴衣の上に縫い付けられていた。
投げ出された両腕は何を掴むこともなく、半裸の胸は微かに上下しているものの息は細い。
手にしていた酒杯は床に転がり、イルカの首には喉を握り潰そうというのか、カカシの両手が掛かっていた。
「……あっ!? ……な、なんで……オレ……」
そんなつもりではなかったのだと、慌てて身を退こうとしたカカシの腕を、それまで力なく床に伸びていたイルカの手が緩やかに制す。
ただ片袖を軽く抓まれただけで、どう動いていいものか分からなくなる。
「……あ、の……イルカ、せんせ……」
動揺し、それでも様子を確認しようとした目線が、今夜初めてかち合った。
袖を掴んでいたイルカの手がカカシの腕を辿って持ち上がり、片目を覆う額当てを取り去る。
そのまま指を頬に滑らせて覆面も押し下げ、隠されていた素顔を露わにした。
するとイルカが月を見上げていた時と同じ、陶然とした笑みを向けてくる。
月から降り立った桂男を迎え入れる者のように。
「……カカシさん」
だが、彼はちゃんとカカシを認識している。
それなのに愛おしくて堪らないとばかりに髪に、頬に触れて来るのだ。
戸惑うカカシを自分の胸に引き寄せて抱き締めると、体を入れ替えて今度はイルカが乗り上げてくる。
吐息のような笑みを漏らし、カカシの上で上体を起こしたイルカの背後にはやけに大きく見える満月。
逆光の中では表情など判然としないにもかかわらず、半裸で濡れ髪を下ろしたイルカの醸し出す妖艶な雰囲気にカカシは飲まれた。
「……イルカ、先生……」
不意に背後の月を見返ったイルカの横顔は企みが成功したとばかりに口角が上がっている。
誰かに見せつけるように色を匂わせながら指でカカシの頬を撫で上げ、視線を戻す流れのまま顔を近づけていく。
「……あ、の……んぅっ?」
触れ合った唇を舐められ、再び重なると深く舌が絡み合う。
抗い難い気持ちに逆らわず、カカシも腕を回して抱き締めれば、喉奥で笑う声を耳元で聞いた。
大きく開け放たれた窓から満ちた月が照らす光の下、2人の触れ合いは熱を帯びていく。
もう思い留まる事も出来ない程に高められた意識で、カカシは思う。
月から降り立って魅了した者の魂を連れ去る妖怪。
ひっそりと懐に入り込み、時が来れば内側から侵食する役割を負った忍。
どちらとは言い難いけれど、カカシの心を捉えたイルカは桂男なのだ、と。
[お題]
10周年記念のお礼フリー短編として『新作でシリアス』。
【了】
‡蛙女屋蛙姑。@ iscreamman‡
WRITE:2014/10/28
UP DATE:2014/11/01(mobile)
RE UP DATE:2024/08/19